六話 呪われた傷跡
横殴りの大雨に打たれつつも、二人はどうにか宿屋を探す為にヌオビブ村を歩き回った。
今までの町と比べて街灯が無く、ネーレウスは違和感を覚えた。
ひなびた石造りの街並みはどこの家も雨戸を完全に閉めて、災害に備えている。
また、雨水は錆び付いた雨樋のガーゴイルの飾りから噴出して、この嵐の勢いを物語る。
壁材の石が飛ばされそうだとエルザは勝手に思った。
「困ったね、宿屋は見当たらないし、民家もどこも入れてくれそうにない。誰も戸を開けたがらないだろう」
「最悪、どっかの納屋か牛舎小屋にでも紛れ込もう」
歩く事もままならない程、雨風は強くなる。
外套のフードは強風に煽られ、意味を為していない。
夕方になってより暗くなった中でも、びしょ濡れになりながら強風に煽られる銀髪はかなり目立った。
どこか入れてもらえそうな建物が無いか、二人が立ち止まって周囲を見渡す。
すると左手に疎らに小さいハンノキが生えた庭があり、その奥に苔むした石造りの建物が見えた。
丸みを帯びた屋根の先端の、飾りの付いた尖塔から修道院である事が分かる。
建物が歪に増設された様子と扉が小さい事から修道院の裏口だと二人は判断した。
苔むした修道院の雨戸は壊れており、窓から灯りが微かに漏れている。
ふと、二階から手招きする修道士の影をエルザの目は捉えた。
「あの修道院が泊めてくれそうだ。二階からこっちに向かって手招きしている。行ってみよう」
「本当かい?良かった」
荒ぶる強風によってエルザの外套が吹き飛ばされそうになったりしたが、二人は無事今夜の宿を見つけた。
修道院では、辛気臭い修道士がランタンを提げて、裏口の簡素な扉から出迎えた。
裏口は食堂に通じているらしく、十人は掛けられそうな古ぼけたオーク材の机と椅子が二つあった。
壁面にはオイルランプが均等な感覚で取り付けられている。
また、奥の古ぼけた暖炉には薪が燃えて、真上に飾られたタペストリーとすぐ横の扉に影を落としていた。
タペストリーには、尖った長い耳をした人物が描かれている。
室内はカビ臭さが微かにあったものの、居心地は悪くなさそうだ。
そしてカビ臭さに紛れ食事の匂いが微かに残っており、エルザは空腹を感じた。
「この悪天候の中、旅の方が居ると思い手招きしましたが、まさかエルフ様と勇者様だとは思いませんでした。私はこの村で司祭を努めさせていただいているヘッセンという者です。この度、御二方にお会い出来て大変光栄に思います」
修道士もとい司祭の男、ヘッセンはうやうやしく挨拶をした。
「何故私が勇者であると知っている?」
昨日の町とは打って変わって丁重にもてなされ、エルザは訝しんだが、ひとまず屋根があるところに入れて満足していた。
ネーレウスも警戒を解いてはいないが、屋内に入れてもらった手前、表面上は穏やかな笑顔を浮かべた。
燭台の火が揺れて影が伸び縮みしている。
「今回の神託は国の上部の間ではかなり有名になっています。魔法も長剣も使った事が無い、半魔の盗賊が勇者に選ばれたと。さぞ苦労なさったでしょう?」
「まあ多少は」
「お疲れのようですし、そちらの暖炉の前でお待ちください、部屋と着替えをご用意致します」
「親切にどうも」
ヘッセンはキビキビ扉の向こうへ行った。
大雨でびしょ濡れだった服や髪はネーレウスが造作もなく無詠唱で乾かしてしまったらしく、床には濡れた足跡一つ無い。
ヘッセンが居なくなってから、暖炉の前でエルザはネーレウスに話しかけた。
「なんだか異様にうやうやしくて気味が悪いな。お前はずっと黙りこくってるし」
「…ここの村だけど何か特殊な事情がある気がしてならない。今日はもう休んでおいて明日雨が止んでいたら村を散策しよう」
「私も一緒に行かなきゃ駄目か?廃城の方に先に行きたいんだが」
「それでもいいけど…君、新しい弾がそろそろ欲しいんじゃなかったっけ?」
ネーレウスはしたり顔でエルザをじっと見つめている。
「わーったよ、一日だけだぜ?へくちっ」
体がよほど冷えていたのかエルザはくしゃみをして鼻をズルズルすすった。
「散策の前に風邪でも引かなければいいけど…ちょっと待ってて」
ネーレウスの骨ばった指が宙を割くと、その位置に黒い空間が現れる。
次にそこへ手を突っ込んでエルザにハンカチを渡すと何事も無かったかのように黒い空間は消える。
エルザが一連の動きに気を取られて大口を開けた。
あまりにも息を吐くように魔法を扱うので、エルザには遂にどれが魔法なのか分からなくなってきていた。
やがて足音が近づいてきて扉が開き、ヘッセンが入ってきた。
「お待たせしました。部屋に案内するので着いてきて下さい」
各々に案内された部屋は二階にあり、向かい合っていた。
「ああ、そうだ。君の右肩の怪我の様子を見たいからそのまま私の部屋に来て欲しい」
自分の部屋に入って休もうとするエルザにネーレウスは声をかける。
「どうも。多分大丈夫だとは思うが」
ネーレウスに連れられ、渋々エルザは一緒に部屋に入った。
与えられた寝室は清貧という単語を表すのに最も適している。
漆喰の壁はどこを見ても清潔で、隅には細長いキャビネットと洗面台がある。
パリッとしたシーツで覆われたベッドの上には着替えが置かれ、脇には飾り気の無い机があった。
ネーレウスは導士服を脱いでキャビネットに仕舞い、ベッドに腰掛けた。
今の彼は乳白色のシャツと紺色のスラックス、金色の刺繍の飾りが付いた黒い平べったい靴しか身に付けていない。
「一大事みたいな口ぶりだが、ほっときゃその内治る。気にしなくていい」
エルザはどうでも良さそうに素っ気なく踵を返そうとしたが引き止められ、困惑する。
「でも、ずっと痛いと困るだろう?良いから隣に腰掛けて、肩の辺りを見せて欲しい」
「断る。私が困ったところでお前に関係あるか?元はと言えばこちらの自業自得だ」
「あるよ!良いから座って」
この押し問答を続けるか、大人しく従うか、どちらの方が面倒臭くないか、エルザは一瞬だけ考えた後、大人しく従う事にした。
ウールの外套と藍色の皮の軽鎧、それからグローブが乱雑に脱ぎ散らかっている。
破れたシャツからは真っ白な肌が見えた。
良く観察してみると、エルザの右腕の動きは引き攣っていて、一瞬だけ秀麗な顔が歪んだのが分かる。
「少し触るけどいい?もしかすると痛いかもしれない」
「ここまできたら断るに断れねえだろ、早くやってくれ」
ネーレウスは怪我の位置を特定する為に右肩を触診し始め、しばらく無言になった。
エルザの呻き声と窓を撃つ風雨の音しかこの場には聞こえない。
「かなり痛そうじゃないか。知りたいだろうから説明すると、あの砲撃の魔力が残留して筋肉の内部で火傷になっている。通りで治癒魔法を掛けても痛がるはずだ」
「良くわからんが放置しても大丈夫か?」
「放っておくと火傷の範囲が広がって良くないと思うよ。でも治す方法を見つけるから安心していい」
「ああ、なるほど。だから砲撃を食らった直後よりも痛いのか」
「今出来るのは対症療法くらいしか無い。もっと分かりやすく説明すると、あの砲撃を媒体にして呪いをかけられたんだよ君は」




