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六十八話 何も知らない男と知り過ぎている女

 翌朝――厳密には昼頃になってから、ネーレウスは締め付けられるように痛む頭を抱えながら目を覚ました。

吐き気と鉛のような怠さを感じ、起き上がると、部屋を見回して首を傾げた。


「…?いつの間に…煙館で…確かブランデーを一口飲まされて…私は一体…?うぷっ…」


 そうぼやきながら、ネーレウスは自身の格好に気付き、顔面蒼白になった。

はだけて薄っぺらい胴体が丸見えになったシャツと半開きになったスラックス、乱雑に被せられた道士服等、目に映るものの全てが良からぬ事が起こったのではないかという疑念を呼び起こした

狼狽えたまま、ベッドの上で固まっていると扉が軋む音が耳に入った。


「ひでぇ顔色!…なーにがあったんだ?どうにか助け出せたが…」


 扉を開けたエルザが今にも笑い出しそうな様子で、水差しとグラスを運んできた。

口元には何らかのソースが付いており、昼食を食べていた事が窺える。


「あの、エルザ…本当に誤解なんだ、そういった事をしに行ったわけじゃなくて…その…煙館の調査を…君に鉱山に行くと嘘を吐いたのは悪いと思ってて…でも…その…」


 ネーレウスは青ざめた顔のまま、しどろもどろな弁明を始めた。

その内心では、朧気ながら、煙館で見た娼婦達の姿や妄想上ではしたない恰好をしたエルザの姿を思い出し、一人、気まずい気持ちに陥っていた。


「ぶふっ…そら知ってるよ!…何か掴めたのか?奥の部屋が怪しそうだったが」


 その邪念を吹き飛ばすように、あっけらかんとした笑い声が響いた。


「それが…思い出せなくて…あの場所が元締めになっていそうだったのに…」

「…ひとまずギルバート少佐に進捗を送りたい。あの場を詳しく調査するように。それから現時点でいくつか証拠を掴んだことも…」


 項垂れながらも、ネーレウスは道士服やズボンのポケットを確認していった。

“前代勇者”と“死食鬼事件”“薬物の流通”という単語が脳裏に過っていき、何か持ち帰れたものは無かっただろうかと、必死に探った束の間、懐を漁っていた手が止まる。


「あれ、地図が…!」


 ポケットの中には、坑道で拾った吸い殻しか見つからず、呆然とした表情が浮かんだ。

顔がますます青ざめていき、手元は服を叩いてみたり揺すったものの、ひらりとしたものは一枚たりとも落ちてこなかった。


「いやむしろ、あの状況で金目のものと財布はなんで無事なんだよ」


 ネーレウスが付けている翡翠の耳飾りが目に入り、エルザは思わずそう呟いた後、「人身売買に遭いかけていたんだぞ」…と言いそうになったのを飲み込んだ。

ふと、昨夜の鉱山でゴブリンに聞いた話を思い出したのだった。


「……地図だが、古いやつだってさ。お前を探しに行ったときに鉱山で聞いた」


 エルザははだけた胸元から目を背け、肩を竦めると、グラスに水を注いだ。


「…その情報は大きいね。鉱山に誰か居たの?」


 ようやく諦観したようにネーレウスは、静かにシャツの留め具やズボンのボタンを閉めると、渡されたグラスに口を付けつつ訊ねた。


「ゴブリンが居た。きな臭い連中の仲間らしいが…どうも閉じ込められているらしい」


 ざっくりした説明の後、ようやくエルザは服を直したネーレウスの方を向いた。


「なるほどね、それも含めて報告をしよう。電報が送れそうなのが…昨日、広場で地図を見た限りでは冒険者ギルドしか無さそうなのが気になるけど」

「…あの騎士団はどこまで掴んでいるんだろうか…」


 そう言って、ネーレウスは立ち上がると、道士服に袖を通した。

幾分か頬に血色は戻ってきており、水を飲みながら話している内に体調も良くなったようだった。

そして、二人が客室を出て、人気のない廊下を歩いていく。

そのままいつも通り、宿屋を後にしようとしたところで宿屋の店主が声を掛けてきた。


「…随分昨夜は帰りが遅かったようで。あんたらが何をしたかは知らないが…。出歩くときは背後に気を付けな。この町は“臭い”に敏感だ」


 エルザが振り返った先にあったのはくわばら、という眼差しだった。

その言葉を耳にして、数々の憶測を回した末に、ネーレウスは何か倫理的に不味い事が起こってしまったのではないかと様々な憶測を巡らせ、狼狽えた。


「どういう事だ?…たった一口のブランデーで潰れた連れを酒場まで迎えに行っただけだぜ」


 エルザには“あの煙館での出来事についてに違いない”という直感があり、僅かにその好戦的な性分を燃やした。


「あの、エルザ?…一体昨日は何があったの…?」


 ほくそ笑む白い横顔を見て、ネーレウスが思わずそう呟くも、エルザは何も答えずに意味深な表情を浮かべたままだった。


 宿屋を後にして、冒険者ギルドに向かう途中、目にした街並みは僅かに騒めき立ち、物々しい雰囲気に呑まれていた。

街道には、この二人の冒険者達に目も暮れずに、噂話に没頭する住人の姿があった。

そして――


「名の知れた輩共が逃走した。町の自警団だけでは…」

「王都の騎士団を要請しようにも…あの場所は…。罰が当たったに違いない」


 という話が、二人の耳に入る。


「…もしかして…あの煙館、制圧か何かした…?王都からの要請は調査だけだったんだけど」


 あまりにも不安げなネーレウスの表情に、エルザは声を出して吹き出した。


「…あー。いやその…まあでも、助かった。気にしなくていいだろ、過ぎた事だ」


そして、(ひと)しきり笑ったあと、珍しく何か考え込んで、歯切れ悪そうに答えた。

 ――攫われかけたばかりか、敵に囲まれて応戦しようとしたところで、ネーレウスが“事故”を起こした。

この事の顛末を隣のナイーブな男に伝える意気地をまだ持ち合わせていなかったのだった。

「何とか気付いてくれ」そう思いながら、昨日の事件について思い返していると、僅かに町の空気に身体に纏わりつくような湿度を感じ、身体が震えた。


「え、助かったって何…?」


 ネーレウスはなおも困惑した様子で訊ねたものの、これ以上の返事は望めないと悟り、溜息を吐いた。

話しながら足を進めている内に、二人は冒険者ギルドに立ち入った。

すっかりがらんどうであり、奥の席に件のガラの悪い冒険者はいない。

代わりに外套を深く被った冒険者のような風貌の女がひっそりと隅で座っており、こちらを見ていた。


「あの、すみません…電報を送りたいのですが」


 この、隅の女からの視線に不可解さを感じながら、ネーレウスはカウンターの受付嬢に声を掛けた。


「おや、あんた達かい。急に電報って…魔物は倒せたんかい?」


 受付嬢は訝しむような視線で暫くこの二人の冒険者を見つめた後、首を傾げながら用紙を渡した。

用紙を受け取ったネーレウスは書く内容について思案し始めた。


「これ、筒抜けじゃないか…?」


 エルザは用紙を見て、ひっそりと呟いた。

この言葉に返事は無く、代わりにペン先の音だけが静かに響いていく。

何を考えているんだ…?と思い、内容を覗くと、そこには拙い文字と歪な文章があった。


「進外流拘鉱

 展のれ束山

 有国 者道」


「外流拘地進…?」


 エルザが不思議そうにこの文章を眺めていると、唐突に近付く足音が耳に入った。

そして、慌てたようにネーレウスが手を止めて「…絶対に文字の位置がずれないようにお願いします」と受付嬢に伝えようとしたところで、背後から肩を叩かれた。


「やっと見つけたのだわ。内容は…筒抜けでしてよ。推薦魔術師さん?」

「なるほどねぇ…随分…古い東方訛りな文ですこと。状況は理解したのだわ」


 フードを深く被った冒険者はメイヴィスだった。

その手には暗号が掛かれた用紙を持っており、ネーレウスが苦言を呈しかけたところでエルザの声が上がった。


「うわあ!…なんでこんなとこに?」


エルザは訝しむような面持ちでメイヴィスをしげしげと眺めた。


「あれから内部で…少し話し合いがあったのよ。…それで、お父様に言われて来たのよね」


 メイヴィスは小声で答えると、エルザの方をじっと見た。

その口元には僅かな笑みが浮かびかけては引っ込み、様々な心情が交錯しているようだった。


「…つまり、それは…どれくらい、君の父君から聞いた?」


 困ったような顔でネーレウスは訊ねた。

――騎士団から完璧に信頼されていない事は予想通りだったものの、彼女が現れた事については想定外。何が目的だ?

この思惑を探ろうという意図がこの問いにはあった。


「…えぇ、そうね。雨…とだけ」


 メイヴィスはそっけなく、はぐらかすように答えた。


「雨?」


 エルザは小首を傾げた後、何かを思い出したかのようにネーレウスの顔を横目に見た。


「ほら、いつだかの死食鬼よ。この推薦魔術師が取り逃がした例の…」


 メイヴィスはエルザの顔を見てはにかみ、この場に居る勇者一行にだけ伝わるように返事をした。

その横で、「目的は…見張りか?」とネーレウスが言おうとした時、ドアベルが大きな音を立てた。

扉の前には昨夜のごろつき達が立っていた。

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