六十話 痕跡
正体不明の声が時折響く中、二人はなおも隠されていた坑道を歩き続けた。
道は曲がりくねり、手にしたランタンで照らされた岩肌からは、封鎖されたいくつかの穴がかろうじて見えていた。
進みゆく靴音が狭い横穴に反響し、この場にい何人いるのかが曖昧に聞こえた。
「足跡が残っているね。しかし…あの出入り口は岩で細工があった」
地面に残る魔物の痕跡を追いかけながらネーレウスは呟いた。
歩いたかと思えば急に止まる靴音は、他の生物の存在を確かめるかのようだった。
「なあ…他に誰か居る…よな?夜目は効くが…姿が見えないんだよなあ」
足音の数が合わない事が気になって、エルザは急に背後を確認した。
二人がその場に留まった瞬間、余計に聞こえていた足音もピタリと止んだ。
「…そうだね。見張り番か何かが居るんじゃないかなと思うけど…」
ネーレウスも同じように後ろを振り返ってみたが、暗がりの先には何も見当たらず、首を傾げた。
「本当に見張りか?…死人もこの辺りは多そうだし…その、おばけとか…」
そう言いながらエルザはじっと立ち止まった。
その途端に流れる空気が僅かに冷たくなったように感じられ、青ざめた顔で身震いすると、突然踵を返した。
片手にはリボルバーを持ち、横穴を一つずつ見回ろうとしている。
「確かに何かが出そうなくらい暗いけど…ってエルザ?おーい」
珍しく不安げな声を上げるエルザに、ネーレウスが苦笑いしながら見返ると、銃を構えたまま後戻りするその後ろ姿が目に入り、慌てて引き止めた。
そして、進んでいくにつれて同じような風景が暫く続いたかと思えば、いくつか枝分かれした道に二人は差し掛かった。
眼前の通路の数々は真っ暗な口を開けて、来る人を飲み込もうとしているようであり、奥から吹いてくる冷たい風が肌を撫でる。
「なあ…やっぱりなんかいないか?先を行くのやだなあ…」
出入口付近の地面をランタンで照らして観察するネーレウスの横で、エルザは周囲を見回したが、どこかから何者かの視線を感じて余計に尻込みした。
立ち往生している間にも、得体の知れない鳴き声が前よりも近付いているように思え、表情はますますげんなりとしていく。
「…幽霊とかではない事は確かだと思うよ。…見て、ほら。地面に轍の跡がある。誰かが荷車を引いていたように見えるよ」
腰を落としたネーレウスが、ランタンを片手に地面を観察し始めると、そこには、人が行き来していた痕跡が魔物の足跡に紛れてあった。
「…本当だ。銃が確実に通用するならこっちのもんよ」
その言葉と共に、エルザの安堵の溜息が漏れた。
「ふふっ、基準はそこなのか。それにしても、この先には何があるんだろうね?…それこそつい最近まで誰かが居たように思える」
ネーレウスは立ち上がって再び歩き始めた。
二人が靴音を響かせながら、暗い坑道の手掛かりを辿っていくにつれて、土の匂いに混ざって腐臭が漂い、不気味な鳴き声が徐々に近付いてきた。
やがて、迫っていた岩肌が途切れ、風向きが変わった途端、悪臭が急速に強くなった。
暗闇に紛れて、四つ足の影が無数に蠢き、低い唸り声を上げていた。
至る所に染みついた、生物の気配をネーレウスが感じ取ったその瞬間。
ランタンが周囲を照らそうとする前に、エルザはリボルバーを構えていた。
そこは魔物の巣と化していたのだった。
「ん?これが討伐対象か?もう少しでかいのが居ると思ったが…話に聞いてたよりは…この量じゃ弾が勿体ないな」
そう言いながらエルザは短剣に持ち替え、襲い掛かってくる一群と対峙した。
蜘蛛のように壁際に張り付き、蠢動するトカゲのような群れを剣先が裂いていく。
数は多く、死角に居た魔物達が一斉にその背後を襲おうとした時、その群れは唐突に凍り付いた。
「君はこの視界でよくやるよ。全く…」
そう言いながら、ネーレウスはランタンを手に持ったまま、凍りついてバラバラに砕けた残骸を一通り観察し始めた。
「一応洞窟に生息する種類ではあるけど…おかしいな。こんな鉄鉱山に?…それに、地面に残っている足跡と、倒された魔物の足が一致しない」
誰にも聞き取れないような呟きの前方では、短剣が硬い皮膚を貫く音、魔物が蹴り上げられ吹っ飛ばされる音が立て続けに響いた。
ネーレウスが砕けた残骸から視線を逸らした頃には、戦闘は終わっていた。
「…全然手応えなかったな、これ別に誰でも倒せるだろ。数多過ぎてお前の助けが無かったら掠り傷くらいは負ってたかもしれんが…って、ん?」
エルザは短剣に付いた血を布切れで乱雑に拭き、鞘に仕舞うと、隅の方に駆けていった。
「…なんか変な物があるな、なんだこれ」
隅には土で汚れた卵と肉片がこびりついた敷物があり、人の手が入ったかのような雰囲気を放っていた。
エルザはそれを手に取るとネーレウスの元に持って行った。
「…魔物の卵と…餌入れ?…なるほど、これは預かっておくね。それにしても変だな…」
思案した面持ちのまま、ネーレウスは汚れた敷物と卵を受け取ると、指先で空間に一筋の線を描き、呼び出した異空間に仕舞い込んだ。
「何が変なんだ?…魔物は一通り倒したはずなのに、まだ妙な気配を感じる事か?」
エルザはその発言に訝しみながら、歩いてきた通路を見やった。
真っ暗な通路はなおも、何かが動く様子はなく、静まり返っていた。
「…それもあるけど、この魔物、鉱山に居る種類じゃないんだよね。それに民間でも普通に倒せる程度…王都が公表した死傷者の数と釣り合わない気がするんだ」
ネーレウスは残骸に視線を落とすと、静かに呟いた。
「ん?奥に…もっとやばいやつが居るってことか…?」
エルザは不思議そうに奥の暗がりを眺めた。
「違う、そうじゃない…断定するにはまだ資料が足りない。それに、もう一つ、騎士団に提出する為の物品の証拠が欲しいし」
「…ほら、見て。ここ…魔物の足跡に紛れてまだ車輪の跡が続いている」
ネーレウスは地面をランタンで照らし、散らばった残骸に埋もれかけた痕跡が示す方向に目をやった。
「…っていうか、よく見たら今倒した奴はトカゲみたいだったのに…残ってるのは猿のやつみたいだな」
轍のすぐそばに残っていた足跡を見ると、エルザは不可解そうな表情を浮かべた。
「そうなんだよ。…奥に何かヒントがあるかもしれない」
そう言って、ネーレウスはランタンを片手に足取りを進めていった。
坑道を照らす光が揺れる度に、坑道の暗がりはどこまでも深く伸びているように見えた。




