五十七話 不審な匂い
安宿でどうにか客室を借りた二人は、階下にある酒場で冷え切った夕食を口にしていた。
奥には退屈そうに新聞を広げるウェイトレスの姿があり、いくつもあるテーブルは空きが目立つ。
勇者一行以外の客といえば、端の方で辛気臭い顔のままビールを飲む鉱夫が僅かに居るだけだった。
「…この油、酸化してんな。かなり古い。…それにしても…人が本当に居ないな」
しなびたフライドポテトとゴムのように硬いステーキを口にしながら、エルザは誰にも聞こえないようにぼそぼそと感想を呟いた。
「…そうだね、ラオサで聞いた通りだ。予想以上に…若年層を見かけない」
食事の手を止め、ネーレウスは静かに述べた。
彼の皿には煮た豆が食べかけのまま放置されていた。
「で、結局、何をしろって話だったんだっけか?」
エルザは硬い肉をなんとか飲み込んで、隅に居る鉱夫に聞かれないように静かに訊ねた。
鉱夫は若い冒険者二人に目もくれず、ジョッキを傾け続けている。
「…魔物の襲撃被害が若年層だけに偏っている理由の調査。そしてその解決。…でも、それだけじゃない気がする…」
「…鉄だけで儲けが出ているはずなら、壊れたままのアクセスポイントの点検なんてすぐ出来るはずなんだよ。しかし、そんな余裕はなさそうに見える。…この町は製鉄もしているみたいなんだけれど…」
小さな声で返事をすると、ネーレウスは余っていたフライドポテトを一口食べて顔を顰めた。
そして、その言葉の裏側で、労力や手続きを挟まない金、帳簿に残らない方法を選ぶ理由があるのでは、という憶測が浮かんだ。
「…なあ、なんか臭くないか?」
頭に残る不快な甘ったるい臭いに鼻腔をくすぐられ、エルザは出入口の方を向いた。
扉は僅かに開いており、隙間からは空気が漏れている。
「臭い?なんだろうね…念の為に調べてみようか」
そう言いながらネーレウスは周囲を見回し、呼びつけたウェイトレスにお代を払った。
備え付けの酒場から出ていく二人を鉱夫達の目が注視していたが、その異様な雰囲気に二人が気付く事はなかった。
扉が揺れる様子だけが、この場所で唯一、動きを持っていた。
「これ…どこからだ?」
エルザは廊下に残る臭いの元を慎重に辿っていった。
灯りは僅かにしかなく、数歩先しか確認できないような暗がりに包まれる中、二人は足音も立てずに調査を進めていく。
やがて、歩くにつれて角に差し掛かり、詰まれた木箱の影に隠れた階段が目に入った。
「地下?」
奥から漂ってくる臭気にネーレウスは眉を顰めた。
「…この先に何かあるな。物置っぽいが…」
階段を下りて扉の前で立ち止まると、エルザは光が差し込んだ鍵穴を覗き込んだ。
扉の向こうからは甘い臭いだけではなく、隙間から煙が漂っていた。
顔を見合わせた後、エルザが扉を開けようとしたところで、何者かが階段を駆け下りてきた。
二人が振り返った先には宿屋の主人が居た。
「…おい、何をしている?」
その口ぶりからは焦燥の色が見えた。
「何か異臭がすると思いまして…これは…一体なんでしょうか?」
ネーレウスはこの急に現れた男の血相に訝しみ、質問を返した。
何かを隠しているのではないか?という直感が彼の中にはあった。
「臭い?…流行り病の事は知っているだろう?ここはな…そうだ。病人だ、隔離された病人がいる」
「あんたらも病気になりたくなかったら客室に戻るんだな」
二人の眼前で曖昧な返事を返した男の手は固く握り締められた。
しかし主人の目にはこれ以上ここに居るな、という排他的な感情が見える。
「…そうですか、わかりました。行こうか」
腑に落ちないままにネーレウスが頷くと、主人は詰めていた息をようやく吐いた。
そのねちっこく警戒するような視線を浴びながら、二人は階段を上っていき、人気のない廊下を抜けて借りていた客室に足早に戻っていく。
そして、エルザが扉を開けると、窓枠と扉の蝶番が不快な軋む音を立てた。
冷え切った部屋には漆喰の剥がれかけた壁と古ぼけた寝床があった。
主人の奇妙な監視の目から逃れた二人は、静かに息をついた。
「あの臭いはなんだったんだ…?」
戸に鍵を閉めてランタンを灯すと、エルザは眉間に皺を寄せて鼻を掻いた。
その動きから、まだ鼻腔に臭いが残っていると感じるほど強烈な臭いだった事が窺えた。
「…なんだろうね…?香の臭い…?にしては何かが…」
ネーレウスもこの臭いに推測が立てられず、困惑した表情を浮かべた。
その臭気は記憶を遡っても嗅いだことのないものだったのである。
「なあ、あのまま立ち入っても良かったんじゃないか?」
そう言って、途方に暮れる金色の瞳を見やった後、エルザはベッド脇の台から灰皿を取り、煙草を吸い始めた。
「内密にしろ、って少佐から聞いたよ。…よほど入り組んだ事情なんだろうね」
紫煙に目を細めながら、ネーレウスはまだ考え込んでいる様子で返した。
「にしても…変だよな。確か奇病が流行ってるんだろう?ならあんなに臭いが籠る地下の密室より、換気できる所の方が健康には良さそうなもんだが…」
口から煙をもくもくと吐き出しながら、エルザは疑問を呟いた。
「…病を防ぐ為に香を焚いている?しかし…」
そこまで言って、ネーレウスは一瞬目を見開いたが、すぐに首を傾げて、小さく呻き声を上げた。
緩やかに流れていく紫煙を見て、不穏な単語が思考の中を掠めていくも、そこを掘り下げる為の手掛かりはない。
沈黙の中、風が窓を叩きガタガタと揺れた。
「うーん?……考え過ぎかな。いや、でも…」
そう口籠った後、黙りこくったままネーレウスは睫毛を伏せてこの王都からの依頼であるクテトウ町の裏の顔についてなおも思案を続けた。
「なんだよ、はっきり言えよ」
エルザは歯切れの悪い独り言に野次を入れつつ、返事を促したが、視界に映るネーレウスの整った顔がいつになく青ざめているように感じられ、これ以上深く訊ねる気にはなれなかった。
――この町、人身売買以外にも何かあるのか?
そんな疑問が胸中を過る。
「町を…もっと調べた方が良いかもしれないね。何か証拠が掴めるかもしれない」
「…それに…この国どころか……恐らく…」
それだけ伝えるとネーレウスは隅のベッドに腰掛けた。
「ん?…この国どころか?」
最後の発言の意図が分からず、エルザは小首を傾げた。
「…あぁ、なんでもないよ。こっちの話」
困ったような顔で、ネーレウスは返事をした。
何かを隠されてると感じて、エルザは納得のいかない面持ちになるも、いずれ分かるだろうと思い直して銃の手入れを始めた。




