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五十六話 勇者一行はクテトウ町へ向かうようです

 朝日がカーテンの隙間から差し込む中、エルザはベッドの柔らかさを名残惜しそうに味わっていた。

ソファの横に置かれていた衣類の入った紙袋はなく、どこかに仕舞われたようだった。

また、テーブルの上の食事は片付けられており、二人の準備があと少しで終わることを告げていた。


「…うぅ…ふかふかベッドともお別れか…」


 ブーツの靴紐を締めながら、エルザはぼやいた。

身支度が終わってもなお、まだ温かい寝床から微動だに動く気配はなかった。

窓の外は静かであり、朝食の紅茶の匂いがまだ部屋に残っている。


「まあ、旅が終わったら…また来たら良いと思うよ。君ならきっと歓迎されるだろう」


 支度を終えたネーレウスは呑気にソファに座ったまま、そう返事をするも、その内心ではまだ、王都の真意を推測していた。

――魔物の襲撃と若年層に偏った死傷者の調査。そしてそれを邪魔する派閥。奇病の流行は人の流通を抑える為の方便であり、真相は異なる可能性。過去の文明の技術由来の変異個体の出現。

…つまり、王都は反乱分子に関する証拠提供を求めている、という憶測に達したところで、ベッドの方を見ると、視界にはまだ下ろされたままのエルザの銀髪が映る。

 次の瞬間に、「…髪留めはいいのかい?」という言葉が喉元まで出かかったものの、飲み込まれていった。


「ん?なんだ?」


 エルザはその視線に気付き、小首を傾げた。


「…なんでもないよ。さて、そろそろ時間かな」


 普段通りのエルザの様子に安堵の表情を浮かべ、ネーレウスは立ち上がると、扉に手を掛けた。

鍵は開いており、扉の前には執事長が立っていた。


「おはようございます。馬車の手配の方、門前にて整っておりまして、クテトウ町までは本日中に到着予定です」


 執事長は恭しく礼をした。

その声を聞いて、エルザは渋々ベッドから離れて、執事長と会話するネーレウスの傍に立ち、客室を眺めた。

そして、勇者一行は案内されるままに別邸から出て、木々や花々が茂る中庭に足を踏み入れていく。

整えられた風景は長閑であり、遠くからは鳥の囀りが聞こえてきていた。

歩みを進めるにつれて、門前に停められた馬車が見えてきた。


「詳細は省略させていただきますが、少佐より『無事を祈る』との言伝も預かっております。また、本件につきましては、調査結果は町のギルドに提出して頂ければ、その際に報酬もお渡しする…との事です」

「それでは行ってらっしゃいませ」


 執事長はそう告げた後、馬車の戸に手をかけて勇者一行を車内に乗り込ませ、出入口を閉めた。

そして、鞭の乾いた音に続き、蹄音が響いた。


「…なあ、王都にはもう戻らないのか?」


 座席に揺られながら、エルザはそう訊ねた。

疑問を投げかけながらも、その目はネーレウスではなく、後方で瞬く間に遠ざかっていく執事長を映していた。


「そうだね。ただ、状況次第だと思うけれど…」


 小さくなっていく王城を見向きもせずに、ネーレウスは何かを思案した様子で睫毛を伏せた。

馬車は人が行き交う石畳の街並みを颯爽と抜けて、整備された街道を駆けていく。

やがて道は荒れ始め、山道に差し掛かると、窓からの景色は生い茂った緑の木々に変わっていった。

 そのまま車体の揺れに身を任せているうちに、往路は頂に到達し、エルザは窓の遠くで霞む王都を覗き込んだ。


「夕方には着きそうかな?」


 ネーレウスは陽光に照らされる白い横顔を眺めながら言った。


「遠いなー…」


 欠伸交じりの声と共に、エルザは座ったまま伸びをして、柔らかい背もたれに再び身を預けると、退屈そうに腕を組んだ。

単調な揺れが眠気を誘い、次第にその瞼は重たくなっていった。

何度か休憩を挟みつつ、馬車が連なる峰々を進んでいく頃には、寝息が聞こえてきていた。


「あれ…寝てる」


 ふいに隣を見たネーレウスは、懐からハンカチを取り出し、眠るエルザの口元についていた涎を拭き取った。

しかし、ハンカチを持ったままの手は行き場をなくしたかのように止まり、あどけなさの残る桜色の唇に意識が向いた。

視界に映る寝顔の距離の近さが、形容し難い衝動を胸中に抱かせる。

どぎまぎするネーレウスの横でエルザが目を覚ます様子はなく、深呼吸ともつかない溜息が漏れた。

馬車は峰を過ぎて暗い山道に入り、坂を駆け下りた。

石造りのトンネルをいくつか抜けて、雑草が疎らに広がる太い道に入った頃には、日が傾いていた。


「…エルザ、そろそろ着くと思うよ。起きて起きて」


 ネーレウスは疼く感情を押し殺し、隣で寝ていたエルザの肩をつついた。


「……ん?そろそろか?…いやーケツがいてぇなあ…」


 目を覚ましたエルザは窓から呑気に顔を出した。

その視界の前方では、木々の隙間から小さな灯りが見え隠れしていた。

座席の上で揺られながら会話もせずに、二人が近付いていく街並みを見つめていると、やがて馬車は寂れた通りに差し掛かり、大通りで遂に止まった。

 古びた街灯や石造りの建物がこの馬車から降りた来客を出迎えるも、壁や屋根は煤けており、灯りはどこか薄暗い。

辺りに勇者一行以外の人影はなく、閑散としていたものの、生々しい営みの気配が町には染みついていた。


「長旅お疲れさまでした。……この辺りの宿は早めに閉まりますので、お気を付け下さい」


 御者は勇者一行に一言だけ呟いた。

そして、礼を言おうとしたネーレウスの前で、馬を叩く乾いた鞭の音が夕闇に響き渡った。

遠ざかっていく蹄音と共に、土埃と砂利が目立つ街道に轍の跡が伸びていった。


「…なあ、お前。アクセスポイントってやつ無しでも、転移魔法本当は使えただろ?…何故使わなかったんだ?」


 去っていく馬車を眺めながら、エルザは身体を伸ばすと、怪訝そうな目つきでネーレウスの方を向いた。

土と鉄が混ざった臭いと、山から吹き下ろす冷たく重い空気が周囲には立ち込めていた。


「そうだね。…けど、あまり君だって目立ちたくないだろう?」


 その返答はどこか歯切れが悪く、何かを誤魔化すようなニュアンスがあった。


「うん?…まあそうだが…。なんか知られると不味いのか?」


 エルザは腑に落ちない面持ちのまま訊ねた。


「まあ、ね。私のは…流通している技術ではないというか…その…」


 ネーレウスは言葉に困ったような調子で目を逸らした。


「お前のはどういう仕組みなんだ…?昨日の口ぶりだと、転移魔法にはアクセスポイントが必須とか言ってなかったか?」


 更に返事を深堀りさせようと、矛盾を感じたエルザは追い打ちを掛けた。


「…こういう事だね」


 観念した様子で、ネーレウスは手帳からまっさらな紙を一枚引き千切り、端に向かい合うような点を二つ書き込んだ。


「紙は周りの空間で、点と点は行きたい位置と今居る場所。アクセスポイントを使わずに、座標同士の距離を縮めているというか…」


 その声と共に、細やかな手つきで点同士が重なるように紙が折り畳まれた。

エルザはその説明を聞いて、余計に謎が深まったような小さな唸り声を上げた。


「これは…出来ればあまり他言しないでくれると助かるんだけど…」


 なおも不思議そうな面持ちのエルザを見て、整った口元には苦笑が浮かんだ。


「…さて、宿が閉まっちゃうよ。行こうか」


 なんてことなさそうな調子に戻ってネーレウスは手招きをした。


「あー、そうだったな。…にしても妙だな、物音一つしない」


 エルザは考え込むのを止めて、歩き始めた。

その視界に映る、静まり返った街並みの石壁は所々欠けており、重苦しい雰囲気を放っていた。


「鉄鉱山……か。随分、人気が少ないね」


 足早に先を進んでいくエルザの後ろで、ネーレウスの小さな呟きが聞こえた。

二人は寂れた路地を進んでいき、宿屋を探していった。

手入れの行き届いていない石畳を踏む靴音だけが、周囲には小さく反響した。

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