五十三話 少佐の娘と裏の思惑
だだっ広い廊下にはネーレウスを待ち続けるエルザの姿があった。
ポケットに手を突っ込みながら壁にもたれかかり、伸びをした後に廊下をうろうろしては、また立ち止まる。
その様子からは暇を持て余している事が窺えた。
扉の奥からは、今もなお話し声が聞こえてきており、事情聴取が長引いている事を示していた。
「おっそいなあ…」
退屈しのぎに廊下の先をぼんやりと眺めていた彼女の視界に、こちらに向かってくる人影が映った。
立ち止まってエルザがじっと観察していると、その人物は服の裾を揺らし、香水の匂いを纏いながら近付いてきて、挨拶をした。
洒落た絹のサマードレスを着こなした、エルザと同世代程の少女だ。
「ごきげんよう、はじめまして。ギルバート少佐の娘でメイヴィスと申します。勇者様がこちらにいらしてるとお父様から聞いて、参りましたの。以後、お見知りおきを」
メイヴィスはお辞儀をした後、さらに一歩迫ると不敵な笑みを浮かべた。
「は、はあ…」
ドレスの胸元に掛かる見事なブロンドヘアをまじまじ見つめながら、エルザはこの丁寧な挨拶に困惑した。
「それにしても貴女…随分みみっちい恰好でいらっしゃるのねぇ。その服装…路傍の石もいいところでしてよ」
扇子越しのメイヴィスの目は、勇者の赤と青の瞳と乱雑に垂れさがった銀色の髪を品定めするように見つめた。
「は?」
ある意味罵倒とも取れる言葉を受け取り、エルザは思わずメイヴィスを睨みつけるも、内心では「いや事実なんだよな」と思い直し、僅かに肩を落とした。
「ふふっ…その顔もまるで…野良猫のようですわ」
「少しでもマシになりたかったらついてきなさい。折角王都まで来たのだから…」
勇者の真っ白な細い手を取ると、メイヴィスは真っ直ぐに進み始めた。
「…え?ちょ、何をするんだ。私は連れを待っていて…」
エルザは状況を理解出来ずしどろもどろになり、されるがままに引っ張られていった。
遠ざかっていく扉の奥では、ネーレウスの声が混じる会話が微かに聞こえてきていた。
困惑した表情を浮かべるエルザの手を引いて、長い廊下を抜けると、メイヴィスは中庭を進んだ。
そして、扉を開けて待ち構えていた馬車の前で立ち止まり、エルザを車内に無理矢理押し込んでいくと、隣に乗り込み、戸を閉めた。
「あぁ…一体どこに連れて行く気だ…?」
柔らかい座席の上で、嗅ぎ慣れない香水の匂いや初めての扱いにエルザは狼狽えながら窓に触れた。
この小さな抵抗の声は無視され、メイヴィスは御者に馬車を進めるように指示すると、軽快な推力と共に窓からの風景は目まぐるしく変化していった。
「ただのお買い物でしてよ。…お父様からも行ってこいと、言伝頂いておりますわ」
そう言いながら、メイヴィスはエルザが身に着けている、ボロボロの防具を隅々まで観察した。
革の表面には細かい傷や裂けた部分を縫い付けたような痕跡が目立つ。
「あー…あの、連れが死ぬほど心配性で面倒くさい奴だから、別邸で待ってないとまずいんだけど…」
なるべく馬車の隅に寄って、縮こまったままエルザは呟いた。
「あら、あの聴取が終わるまでには返すわよ、勇者様。いえ、エルザ」
メイヴィスは悪びれる様子も無く、静かに伝えた。
座席の振動で揺れるブロンド髪が窓越しの陽光に照らされて輝いた。
「ん?何故私の名前を…」
エルザは小首を傾げると、ようやくメイヴィスの方を向いた。
「お父様からもう、お名前なら伺っていますの」
その言葉の後、馬車が止まり、エルザは背中を押されるままに降りた。
目に映る、山に囲まれた街並みには色とりどりのショーウィンドウや洒落た看板が立ち並び、道行く人々で賑わっていた。
メイヴィスは雑踏に一瞥もくれず、御者に迎えに来て欲しい時間を慣れた様子で伝えた。
次の瞬間、馬を打つ鞭の乾いた音が響く。
「あっ…」
田舎勇者の声が上がった頃には、馬車は騒々しく石畳の上を疾走していた。
彼女の脳裏では、なおも冷静に街並みから王城までの距離を計算し、脱走を企てようとしていたが、どこか本気で逃げる気にはなれなかった。
エルザは石畳に残る轍を開口したまま見つめる事しか出来ない。
「無駄ですわ。何を考えているのかお見通しなのだから…」
呆然と立ち尽くすエルザの手を取って、メイヴィスは颯爽と進み始めた。
二人は人混みを避けながら立ち並ぶショーウィンドウを素通りしていく。
そのまま歩くにつれて、やがて目当ての店を見つけたらしく、メイヴィスは扉に手を掛けた。
まるで借りて来た猫のように大人しくなったエルザは、とぼとぼ連れられるままにされていたが、扉の先には一見すると大衆向けの衣類しかなく、安堵の表情を浮かべた。
「…私は小銭くらいしか持っていないんだが…」
ブツブツぼやきなら、エルザは縮こまった様子で陳列された服の数々を見た。
内心では、棚に行儀よく並んだ小洒落た布切れ達が、どこか遠いもののように感じられたのだった。
「そんなのは…出世払いでよくてよ。庶民がそんな事を気にする必要ございませんわ」
「…ほら、この服なんか落ち着きのない貴女にぴったりではなくて?」
そう言いながらメイヴィスは嫌がるエルザの後ろに回って、服を色々合わせようとした。
相変わらず強引ではあったものの、手付きは繊細であり、どこか人形遊びをしているようにも見えた。
鏡の中には、ポケットとボウタイが付いた水色のシャツを合わせられて困惑するエルザの姿が映った。
「…もっと無難な動きやすいやつで良い」
目の前の自身の姿が別人のように見え、エルザは思わず首を横に振った。
そして、端の方にあった飾り気のないカーキ色のシャツを数着と、頑丈そうなズボンを店員に渡そうと振り返った時、マネキンが着ている東洋風のワンピースに目を奪われた。
その衣装は、滑らかな光沢のある生地で作られており、縦に並んだ留め具や刺繍が金色の輝きを柔らかく放っていた。
エルザは手に持った衣装を持ち直しながら、このワンピースを着た自分の姿を一瞬だけ想像して、胸の奥の高鳴りを感じた。
しかし、すぐにそっぽを向いて飾られた服を視界の外に追いやると、ようやく店員に服を手渡した。
「いや、これでいいだろう。どうせ旅と戦闘しかないだろうし」
その様子に気付いたメイヴィスが声を掛けようとしたが、エルザは素早く声を上げた。
「…ふーん。ねぇ、ところで次は私のお気に入りのお店でも見て下さらない?まだ時間はありましてよ」
メイヴィスは思案した様子で衣類の入った紙袋が手渡される様子を眺め、そう提案した。
「まだ見るのか?…私はあまり服の流行とかは知らないんだが…」
溜息と共に、疲弊しきった声が落ちた。
まだ続きそうな買い物に、エルザはげっそりした面持ちのまま手を引かれていった。
そして、去り際にちらりと振り返って飾られていた東洋風のワンピースをもう一度見ながら、彼女の内心ではネーレウスの事情聴取が今どうなっているのか案じていた。




