五十二話 疑惑の男による収まりの良い嘘
エルザがビスケットを頬張り、ブラックコーヒーで涙目になっていた頃、別室にてネーレウスは聴取を受けていた。
ピリついた空気の中、彼の前に出された紅茶が芳香を放ったまま放置されていた。
小さな会議室のような部屋はカーテンが閉じられて薄暗く、壁際に配置された騎士団の戦士達がどこか物々しい雰囲気だった。
また、マホガニーのテーブルの奥では、彼と向かい合うように座る、眼鏡を掛けた書記官の男と紋章の付いたローブを着た魔術師の男が、書類を用意したまま眉間に皺を寄せていた。
「ご協力感謝します。形式的な確認ですので何卒」
椅子に腰掛けるネーレウスの横に立つ、案内役を務めていた士官の男は恭しく頭を下げた。
その動きを見ようともせずに、背後に立つ戦士をネーレウスは一瞬だけ見やった後、二人は対面した。
「…後ろの者達ですが、お気になさらず。ただの警備です」
士官の男が静かに伝えた。
「私は騎士団の者です。以後お見知りおきを。本日は聴取の方、宜しくお願い致します」
正面を見据える金色の瞳としばし見つめ合った後、魔術師は口上を述べた末に、重々しく話を切り出した。
「…司教殿からの推薦状は、確かに拝見しています。しかし…キアキでの一件について我々としても黙認は難しい」
震える手を握り締め、机の方を向いたまま、魔術師の話は続いていく。
キアキでの一件について、彼の脳裏には数々の術式が浮かんでいた。
しかし、そのどれもが発動に要する必要人数や時間と噛み合っておらず、矛盾と異質な気配を感じていた。
「…あの夜間の局所的な大雨は貴殿が起こしたものでしょうか?そして、目的は…?」
口籠っていた言葉を吐き出すと、魔術師は強張った面持ちで再び正面を向いた。
その瞬間、全員の視線は、呑気にカップに口を付ける東洋のエルフのような風体をした白い魔術師に引き寄せられていった。
「まさか!偶然でしょう。えぇ。あの辺りは山も多く天候も変わりやすい」
「それとも…私一人で起こす事が出来るとでも…?」
全員の注視を浴びてもなお、ネーレウスはたじろく様子すら見せずに微笑みを浮かべた。
その言葉にペン先は僅かに動いたものの、書記官の目だけが、まるで真実を催促するかのように、推薦魔術師の姿を凝視した。
「…貴殿なら出来うると、推薦状や状況から鑑みて…我々はそう想定せざるを得ない」
首を垂れたまま、魔術師はそう言った後、爪が食い込む程に硬く手を握り締めた。
少ない手掛かりから“御せる存在”ではないと理解していてもなお、聴取を続けなければらない状況はその背に冷や汗を伝わせていった。
ペン先が走る音が室内に響き、無言が異様に長く続いたように彼には感じられた。
戦士達の刺すような視線を背後に感じながらも、ネーレウスはその語り口に頷いた。
「…次の質問です。何故我々の到着を待たずに、場を去ったのですか?」
その問い掛けに、微かに笑うようなネーレウスの声が一つ上がった。
「簡単な話ですよ。それについては…これ以上あの場に私が居る必要がない、と判断したからですね」
ネーレウスはそう返した後、紅茶を口元に運んだ。
形の良い口角は緩やかに上がっていたが、金色の瞳の奥では得体の知れない気配が揺らいでいた。
「…そう、ですか。死食鬼はあの“大雨の中”結局現れたのですよね?どのように…倒したのでしょうか?」
緊張した面持ちで魔術師は訊ねる。
その声はまだ、静かな体裁を保っていたものの、僅かに震えていた。
「あぁ、それについてですが…」
「君達としては、“大雨の中、死食鬼は現れなかった”とでもした方が都合が良いかと」
微笑を崩さぬままに返ってきた答えは、なおも事もなげに雑談でもするかのような軽さだった。
しかし、その口調とは裏腹に、彼の目は対面に座る二人の男を射抜いていた。
「それは………」
その提案にペンを持ったまま、書記官は渋い顔をして唸り声を上げた。
周囲の空気はますます張りつめていき、壁際からは鎧の硬質な音が響いた。
「そして、司教推薦の魔術師は…夜間に“一時的な魔物除けの結界だけ張った”」
「うん、そうだ。その方が収まりが良い」
その発言に、書記官は拳を握り締めて何かを言い掛け、その瞬間、魔術師が制止に入った。
「それに…結果としてうちの勇者があの変異個体を片付けたんですよね?ほら、何も悪い事なんて起きていない」
そうするのが是だと言わんばかりにネーレウスは微笑んだ。
「…我々に調査書をでっち上げろと?」
張り詰めた場の空気を一つの声が裂いた。
書記官がその穏やかな顔貌を睨みつけるも、紙面を叩く魔術師の牽制により遮られた。
「…わかりました。勇者殿の行動について、貴殿が助言した場面はありましたか?」
腑に落ちない表情のまま、書記官は魔術師に代わって問い掛けを続ける。
「あぁ、そんなのはよくあります。でも、君達が想像するようなものではないと思いますね」
そう言った後、ふと、ネーレウスは思案したような表情を浮かべた。
彼の脳裏では、勇者エルザがやらかした横暴の数々が過った。
――例えば、抜け毛を使って地雷を作った事や、遺跡のギミックを物理的に突破した事。盗み食いの数々、注意しても止まらない戦闘等である。
これらの思い出にネーレウスは静かに溜息を吐いた後、僅かに笑いそうになった。
「貴殿について、我々が把握していない点はあまりにも多い。…しかし、現状ではそれを問題視するつもりはありません」
書記官は固い声色のまま、次の話を切り出し始めた。
彼の指先は書類を静かに捲り、空白の目立つ書類に魔術師が書き込みを増やしていく。
「今後…となれば我々も動きを変えざるを得なくなるかもしれない。貴殿の情報を欲しがる者は多いかと」
「……クテトウ町については存じていますか?ここ暫く、魔物の襲撃情報が多く、民が削がれてきているが…その…それにしては…」
「なにより、変異個体の件といい、魔物は…魔王の配下ではないと…司教が…」
魔術師は書記官の物言いに、ますます顔を強張らせた後、眼前に映る穏やかなままの表情を窺った。
「…つまり、調査に出向いて欲しい。という事でしょうか?」
ネーレウスはその回りくどい提案に一通り耳を傾けた後、訊ねた。
「推薦理由について、ここで詳しく触れる必要はありませんが、司教殿は、“魔術師殿は話が通じる”と」
「……我々も、そうであってほしいと考えています」
「表向きは”神託の勇者が解決した”という事にしたい」
書記官は全ての言葉を言い終えると手を組んだ。
机を挟んで両者共、黙りこくったまま視線だけが交わり、会話は途切れた。
その光景を見ながら、魔術師は眉間に手を添えて祈るように目を閉じた。
「…なるほど。それについては私も大いに賛同するところです。いいですよ、私としても都合がいい」
ネーレウスは静かに笑った後、頷くと、手元の紅茶を飲み干した。
カップがソーサーに小さな音を立てて当たった。
未だなお呑気さを崩さない、この前方の男を見て、書記官と魔術師は深く息を吐いたが、その硬直しきった顔に安堵の色を浮かべる事は出来なかった。
この二人は目配せした後、書類を纏めて、要注意人物の隣に立つ士官に渡す。
沈黙はまだ続いていき、壁際に立つ戦士達の並びが重苦しい威圧感を放っていた。




