四十八話 野営の行方
怪我が回復してからも、エルザは木陰でまだ休憩していた。
治癒魔法を受けて傷が完治してもなお、しばしば身体の具合を気にした様子で腕を回したり、胴体を捻ったりしている。
二人は暫く無言のままだったが、やがてネーレウスが沈黙を破った。
「…騎士団から聞いたよ。例の危ない罠を作ったんだってね?」
呆れた調子の声に言い訳をして誤魔化そうとしたが、小言は続く。
「全く、本当に心配したよ…で、どこから炸薬や火元、魔力の媒体を持ってきたの?」
金色の瞳が赤と青のオッドアイをじっと見つめる。
口調はあまり穏やかではなく、彼がいつになく怒っている事が窺えた。
「まさか…前に立ち寄った洞窟で拾った彗光石を使ったのか?絶対に手放さないでって言ったのに…」
彼の険しい顔を横目に、エルザは潔白を証明する為にポーチをごそごそと漁り始めた。
その様子をますます険しい表情で眺め、ネーレウスが口を開こうとした時、何かが包まれた紙が取り出された。
「なんだっけ?与えられたエネルギーを増やす…みたいな石だったか?そんな物騒なもん、わざわざ使わねえよ」
「ほら…体内に魔力が籠るみたいなの聞いたから、使えるかと思って」
そう言った後、彼女の指先には紙から取り出した真っ黒な髪の毛が一本挟まっていた。
「これは髪…?まさか私の…?」
その抜け毛を見物する様子に、あっけらかんとした言葉が放たれる。
「おうよ。死食鬼は倒したし結果オーライだろ?」
エルザがそそくさと一本の髪を仕舞おうとした瞬間、ネーレウスは紙ごと自身の抜け髪を没収した。
「あっ…まだ何か作ろうと思ってたのに…」
不貞腐れたエルザを尻目に、抜け毛を指先でなぞりながら、彼の呟きはなおもぶつぶつ続いていった。
「…なるほど。賢いというか目敏いというか…私も思いつかなかったよ。流石に」
「あぁ、勿論褒めているわけではないからね?それを試そうと思える発想力といい…本当に君は…目を離せない」
「しかし…抜け落ちた後でもまだこれほど残るのか。盲点だったな…気を付けなければ…」
そして、このまま一言二言、文句を並べようとしたところで声が上がる。
「…まあいいや、次はどうするんだ?」
小言が長引く気配を感じ取ったエルザが、この話題を変えようとしているのは明らかだった。
クラフト材料への執着もまだ失われていないらしく、懐に仕舞われていく抜け毛を未練がましい表情で見送っている。
「次は…一応王都であるラオサ町を通るけど…。その前にバネッサ司教は報告に行かなくていいのかい?もし行くなら、私はその間、雑務をしたいんだけど…」
ネーレウスの提案に、彼女は気まずそうに目を逸らした。
「あー、それなんだが…。あの司教に地雷の詳細がバレるとその…」
この場を誤魔化すように、締め上げられる防具のベルトの音がカチャカチャと鳴った。
「…何か悪さをしたね?」
その後、バツが悪そうに歩き始めるエルザの背後で彼の長い苦言が続いていったのは言うまでもない。
前を歩く彼女の態度は馬耳東風といった具合であったものの、ある意味ではいつもと変わらない様子にネーレウスはどこか安堵を覚えていた。
しかし、それにも関わらず、彼の胸中は完全に安穏ではなく、僅かな疑問が燻ったままだった。
――あの怪我の治り方はなんだったんだろうか?そして…傷痕に触れた瞬間に走った、あのビリついた鋭い痛みは一体?
「大丈夫か?疲れたなら…その辺で休んでも…」
ネーレウスが小言も程々に沈黙する様子を見て、エルザは声を掛ける。
「いや、大丈夫だよ。もう少しで峠だろう?」
彼はそう言って足取りを止める様子は無い。
細い上り坂はまだ続いていき、草木が風で揺れる乾いた音と二人分の靴音だけが響く。
やがて、二人が峠に辿り着いた頃には、既に日は傾きつつあった。
巓では細い登山道は整備された街道と合流しており、山麓の城と街並みが霞んでいる。
エルザが後ろを振り向くと、すっかり小さくなったキアキの街やベコ村の教会の尖塔、農村地帯が視界に入った。
そのまま眼前に広がる風景を一瞥すると、すぐに前を向き、野営の場所を探し始めた。
峠を下るにつれて、太い道の外れにある山林の合間から傾斜の少ない部分をエルザは見つけだした。
「おっ、こことか良いんじゃないか?」
その声と共に、彼女の背は街道を逸れて林の奥に駆けていった。
「さっき怪我したばかりなのに元気だなあ…」
木々の隙間からぴょんぴょん飛び跳ねる銀髪の影にネーレウスが苦笑を浮かべた。
野営の支度が始まっていき、エルザは近くで枯れ枝を集めてきたかと思えば、眉間に皺を寄せ何かを呟き始めた。
山になった木々に手を翳し、なおも彼女の低い声は止まらない。
「ぬんっ!」
威勢の良い声が夜の空気に響く。
しかし、薪には何の変化も見られず、オオヨタカが彼女の奇声に反応して鳴き声を返しただけだった。
「あの、エルザ…?」
彼女の不可解な動きにネーレウスは困惑した様子で尋ねた。
「…やっぱりダメだな。リヒトが枯れ枝に火を点けてたのを見て、術式は覚えたから試してみたんだが…」
諦めたようにエルザはしゃがみこむと、マッチで枯れ枝を燃やした。
「…本当に不思議だね。魔力が無い、か」
そう呟く彼の隣で、二本目のマッチが擦られたかと思えば紫煙が細長く漂い始めた。
「まあ、別に困らないと言えば困らないがな」
焚火に当たりながら伸びをした直後、彼女の空腹の虫が鳴く。
「…この特技使うと腹が減るんだよな…今日は骨折も無理矢理治したし。お前の治癒魔法があって助かった」
エルザは煙草を咥えたまま、既に塞がった傷痕を防具の上から撫でた。
特技とは紛れもなく高速治癒の事を指していた。
「治すのにもエネルギーを使うのかなあ。バネッサ司教からおやつをもらったからそれを食べたらいい」
ネーレウスは空間を指先で裂くと、夕闇と同化した奇妙な裂け目を召喚し、中から焼き菓子が包まれた紙と金属の小さなケースを取り出した。
「出たな、便利空間。で、これは?…弾か?…いつか司教様にお礼をしないとな」
受け取った焼き菓子を頬張りつつ、エルザは金属のケースの蓋を開けた。
中には細かい術式が刻まれた真新しい魔弾が大量に入っており、野営の炎を反射して煌めいていた。
そして、暫く取り出して眺めた末、大事そうに懐の中へ仕舞い込んだ。
「本当は死食鬼討伐の前に渡したかったんだけど…多分、君の為に老体に鞭打って夜鍋してくれたと思うんだ、バネッサ司教」
嬉しそうなエルザを横目に彼はそう呟きながら、空間の裂け目から調理器具や皿、油瓶と調味料、ジャガイモを引っ張り出していく。
「さて、今日の夕飯、どうしようかな…」
ネーレウスが空の調理器具を見つめていると、エルザはすっと立ち上がった。
「この辺、野鳥もいるみたいだし、なんか捕ってくる」
そのまま音もなく火から離れたかと思えば、その数秒後には遠くで乾いた破裂音が鳴った。
後に、何かが落ちる鈍い音が続き、辺りは静まり返る。
暫くして、焚火の元に戻ってきたと同時に、エルザは満足げに首を落とした鳥を見せびらかし始めた。
薄い胸を誇らしげに張り、褒めろと言わんばかりの顔である。
「さっき鳴き声があったし、この辺に居るだろうと思って探してたら、思ったより大物を見つけた」
鶏程度の大きさの野鳥は足を掴まれてすっかり伸びきっていた。
「捕まえるのが早過ぎるというか、よく見えるねと言うべきか…躊躇が無さ過ぎると言うべきか…」
瞬く間に終わった狩りに、ネーレウスは感心したような呆れたような笑みを浮かべると、麻袋を取り出した。
「おっ、久しぶりに見たなそれ。羽を詰めて敷物作るんだっけか?」
そう言いながらエルザは鳥を丸裸にしていく。
毛の抜けきらない箇所を火で炙り、部位ごとに包丁の刃が入っていき、次第に鳥の体は見慣れた食材の姿へと変貌を遂げた。
調理は続いていき、やがて辺りには香ばしい匂いが立ち込めていった。
野鳥の肉やジャガイモが刺さった長い串が焚火を囲むように地面に突き刺さり、脂を滴らせている。
「相変わらずうまいな、この絶妙な火加減…肉汁が良い具合にジャガイモに染み込んでやがる…」
「無駄に料理が上手いよなあ…」
エルザはこんがり焼けた肉に齧り付き舌鼓を打っている。
「君が気に入ってくれて嬉しいよ」
調理中に暑くなったらしく、ネーレウスはいつもの道士服を脱いでいた。
手には焼けた串焼きを持っており、ちまちまと口にしている。
やがて、野営の火の爆ぜる小さな音に紛れて、その団欒の中に奇妙な気配が混じりつつあった。
馬の蹄の音がどこか遠くから接近していたのだった。




