四十七話 治癒力
硝煙の臭いと血生臭さが一帯に残る路地で、瀕死の勇者が去ってからも、騎士団の戦士達による議論は続いていった。
時刻はまだ昼下がりで、乱入者によって死食鬼との戦闘が短時間で終わった事を示していた。
町の損害状況の確認の為に、右往左往する戦士達の鎧の音や硬質な靴音で辺りは騒がしい。
また、道端で沈黙する巨大な亡骸の周りでは、この戦いで生き延びた魔術師達が調査を続けていた。
「……確認できた変異個体は一体のみ。死傷者は最低限で済んだが…報告書にどう記載するか。これは…」
「この状況…さっきの爆風で焼け爛れたように見えるが、凍傷のようにも…あの自称勇者の罠はどうやって作成されたんだ?」
「なんでも、話の限りでは持ち寄ったとの事だ。しかし、材料の出所は依然として不明。あれだけの爆発が起こるような物は…この町には」
「なあ、直接的な死因は結局何だったんだ…?」
数々の推測が飛び交う中、けたたましい蹄音がどよめきを裂くように近付いてきた。
周辺に集まっていた戦士達はその音の方に向くと、数々の視線を浴びながら馬は止まり、勲章がいくつか付いた軍服を着た中年の男がこの集まりの元に降りた。
「少佐!」
騎士団の指揮官の男が恭しく敬礼をする。
この部隊の少佐はそれに目もくれず、近くの柱に馬を停めると、辺りの光景に眉間に皺を寄せたまま唸った。
「ふむ…驚いた。もう討伐済みか。対応は迅速だったようだな」
「被害が少ない点も評価できる。しかし…」
鋭い目が死食鬼の胸元に残る生々しい弾痕と焼け爛れた獣皮を見やる。
「…この部隊に銃を使う者は居ないはずだ。そしてこの熱傷…本当にお前達の魔法攻撃による物か?」
近辺を観察した後、異変について問い正す少佐に、指揮官の男がしどろもどろに返答をする。
兜の下の顔はみるみる青ざめていった。
「それは…その…部外者が…」
言葉を探す沈黙が落ちたその時、凛とした低い男の声が響く。
「すみません、ちょっといいですか?うちの勇者…こちらに来てないですよね?白髪頭の女の子なんですけど…キアキに向かったと、知人から聞きまして…」
「…勇者様?何も聞いていないが…誰だ?」
凛とした男の声に生返事をしながら、少佐が巨体の残骸から視線を逸らすと、白い道士服を着た東洋のエルフのような男が真横に立っていた。
同時に中年の視界には、彼の後ろで立ち往生する老婆の司教と青ざめた三人の冒険者が映る。
「これは失敬!司教様とそのお連れの方々でしたか!ご足労頂き一同共々感謝します」
慌てた様子で少佐は会釈をした後、指揮官を一睨みした。
促された後、僅かな沈黙が落ちると及び腰に口が震えながら開かれた。
「…それらしき存在が…確かに…その…」
「正確には…介入がありました。罠を無断で設置して銃を操り…しかし、本当にあの人が…」
その説明に冒険者三人組は息を呑んだ。
また、ネーレウスとバネッサにはその惨状から勇者が何を行ったのか、あの例の罠を使ったのではないかという想像に容易かった。
「今の勇者様…エルザなら、やりかねないでしょうね」
バネッサは深く考え込んだ様子でそう呟いた。
「一体いつ…こんな怖い罠を…」
死食鬼の残骸を見ないようにしながら呟くユーリアに、リヒトとシャロンは沈黙を貫いた。
真相を知る二人には、楽しかった試作の時間と惨状が今もまだ噛み合わないままだった。
「…彼女は、今、ここに居ないみたいですが、どちらへ?」
ネーレウスは思案した様子で騎士団に質問を投げかけながら、死食鬼の死骸を観察し始めた。
「町の外まで…血痕を見た限りでは、倒れた形跡はありません」
重々しい返事が指し示す、石畳の上の足跡を彼は沈痛な面持ちで見つめた。
そして、一呼吸置いた後、路地に横たわる巨体に視線を戻すと思案する。
――魔法攻撃だけならこうはならない。簡易の罠にしては威力があり過ぎる。
もし、エルザがこれに巻き込まれていたとしたら…?
その視線を再び石畳に移し、一歩進もうとした時、彼の耳に仕事を続ける戦士や魔術師の声が耳に入る。
「あれだけの爆発を受けて…直接的な死因は本当に銃創か?それにしては…」
「……例の勇者の腹に噛み付いた直後に動きを止めた。次に泡を吹いて死亡。即効性の毒にしても違和感がある…」
「先輩、あの女…自分で肩嵌めてましたね。それに…治癒の術式書いたスクロールも、あの怪我の中その場で使わずに仕舞い込んで…本人はああ言ってましたが…骨、本当に折れてたんですかね?普通に歩いてましたし」
その淡々とした会話は憔悴する神経を更に逆撫でするには充分だった。
ネーレウスは冷たく騎士団を睨み、声を僅かに荒げた。
「つまり…君達は、ここに居る全員の為に大怪我を負った女の子に…治癒の術式が書かれた“紙切れ”だけ渡して、追い出したんだね?」
また、この発言に血の気が引く思いをしたのは、バネッサも冒険者三人組も同じだった。
魔力が無い者にとって、それは包帯にもならないと、その意味を理解していた為である。
「…私はこれで失礼するよ」
「四人共、世話になったね。またどこかで」
ネーレウスはそれだけ言い残したかと思えば、四人の返事も聞かずに石畳の上の血痕を足早に追っていった。
遥か遠くまで赤黒い跡は続き、途切れる事を知らない。
騎士団の男達のざわめきがまだ背後で小さく聞こえる中、焦燥感が彼の胸を支配していく。
やがて、彼の足取りがキアキの町を抜けて山道を踏みしめ始めても、なお、地面には彼女の痕跡が生々しく残っている。
動悸と胃の締め付けられる感覚を覚えながらも、彼の歩調は更に早くなっていった。
――まだ、エルザは倒れていない。足跡が示すその情報だけが胸の内の平静を保つ。
騎士団の喧噪は完全に遠のき、聞こえなくなったその時、足跡は忽然と消えていた。
立ち止まり、ネーレウスが周囲を見渡していると、近くの茂みが僅かに揺れる。
その動きを見逃さずに覗いた先には、銀髪も防具も固まった血で汚れて無残な有様の少女が、幹に身体を預けて蹲る姿があった。
「あぁ!良かった……身体は大丈夫かい?」
彼は安堵の息を漏らした後、木の元で震えているエルザの元へ駆け寄った。
「うおっなんだ?!びっくりしたぁ…もう少ししたらベコ村に戻ろうと思ってたんだが…」
エルザは驚いた様子で彼の顔を見る。
彼の細い指先は既に傷の確認を始めており、余計に彼女をどぎまぎさせた。
しかし、その手が一瞬止まり、目は傷を凝視する。
「…エルザ、骨折は?…どこが折れてるの?それとも…治癒のスクロールが…使えたのか…?」
この時、聞いていた怪我の現状がと聞いていたものと一致しない事に気付き、ネーレウスの脳裏には、キアキを去る直前に耳にした騎士団の声が過る。
――肩を自力で嵌めて、骨折も気にせず歩いていた勇者。
「治癒のスクロール?…あぁ、騎士団の連中から貰ったこの紙か」
「で、骨折はまあ、あばらが数本と腕が逝ってたが…そこに意識集中してた分、多分もう治ってるだろう。ちょっとしたヒビだろうし。火傷の跡がまだ痛むが…ここは後回しでいい」
エルザはそう言いながら、なんとも無さそうな調子でポーチから取り出した一枚の羊皮紙をひらひら見せびらかした。
怪我に対し、外的な処置は何もされていなかったのである。
「エルザ?何を…言ってるの…?…もう少し傷を良く見せて」
安堵も束の間、この常識外の出来事に彼の顔から血の気が引いていった。
そして、節の目立つ細い手が駆り立つままに、ボロボロの防具や元の色が分からない程に血で汚れたシャツを捲り上げていく。
赤黒く染まった晒と筋肉質な腰回りが一瞬、露になった時――
ネーレウスは思いっきり突き飛ばされた。
「何すんだ変態!勝手に捲るな!」
真っ赤に、尤も血ではなく羞恥で染まった表情でエルザはネーレウスを睨みつけた。
「…少し、気持ちが焦ってしまった。その…ごめんね」
尻餅をついた後、ネーレウスは心底申し訳なさそうな顔を浮かべた。
「はあ…本当に、ヤバい怪我は大方治ったんだよなあ…峠は越えたってやつだ」
エルザは気まずそうに頭を掻くと、防具ごと服を捲って見せた。
一瞬目を逸らした後に、もう一度、腹部に視線を移すと、ネーレウスは乾いた血で覆われた皮膚の上から、血で汚れていない奇妙な部位を発見した。
患部の回復の仕方はどこか奇妙であり、今もなお“傷口”そのものを縁から埋めるように、ゆっくりとケロイド状の皮膚がせり上がってきていた。
「…エルザ、こんな事が君は出来たのか?」
その様をじっと観察した後、ネーレウスの声は震えた。
金色の目は大きく見開かれており、にわかに信じ難いといった表情だ。
「いや、まあ、うん。治癒魔法みたいに即時じゃないし、意識すれば…だけどな」
エルザは服を捲ったまま、僅かに俯いた。
「…これは……」
「こんな治り方をするのは…」
ネーレウスはそう言いながら、彼女の傷跡に触れるも、指先にピリッという痛みと痺れを感じて慌てて手を離した。
肌に纏わりつく袖口が彼の眉間に皺を寄せる。
「ネーレウス?」
エルザは訝しんだ様子で隣の険しい顔を見やる。
「…あぁ、なんでもないよ」
そう呟いた後、何事もなかったかのように彼は治癒魔法を掛けた。
しかし、内心では騎士団の男達と同様に違和感を覚えており、再びキアキで聞いた言葉を反芻していく。
――勇者の腹に噛み付いた直後に死食鬼は泡を吹いて死亡。これは明らかに毒でも、銃創による物でもない。なら、なんだったのか?
彼の思考はそこで遮られた。
「手、あったかいな…」
節くれだった手に血で汚れた手が上から重なっていたのである。
ネーレウスは片手を触れ合わせたまま、もう一方の手でハンカチを取り出し、白い頬に着いた血液をそっと拭った。




