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四十三話 不在の司教

 人気のない廊下をひっそり音を立てないように、一つの気配が進んでいた。

勇者による窃盗など無かった物であるかのように、辺りは平穏に満ち溢れている。

 やがて音もなく扉が開き、ようやく借りている客室にエルザは戻った。

ネーレウスはまだ帰ってきておらず、机の上に置かれた甘味と瓶入りの紅茶だけが存在感を放っていた。


「しめしめ…」


 「残り時間は少ない」自身の直感がそう伝えていたものの、床を舐めるように不良勇者は、この旅の同行者の魔術師の抜け毛を探し始める。

机や椅子の下にベッドの近く。色々な所を捲り、覗き込んでいくも、室内は片付いており、四隅に埃すら見当たる様子は無い。

なおも四つ這いになり、目を凝らしていると――自身の抜け毛が落ちていた。

 彼女の指先で銀色の真っ直ぐな抜け毛がキラキラと自己主張をする。

溜息が室内に落ちると同時に、流れるように抜け毛をくず入れに捨てたのは言うまでもない。

 しかし、諦めずに床の隙間まで確認したところで、緩やかな曲線を描く、真っ黒でつやつやした抜け毛をエルザは見つけ出した。

盗人、もとい、ゴミ拾いの表情が綻ぶ。

 それを至極大事そうに拾い上げ、歓喜のままに入口付近を振り返ると、さらに数本の黒い髪が落ちていた。

迷わず、その最後のピースを拾い上げ、エルザは丁寧に紙で包んでからポーチに仕舞った。

やっとこれにて、地雷の材料が揃ったのである。

 思わずエルザはしたり顔をする。

頬は緩み切り、一歩間違えれば同行者の髪を集めて悦んでいる変態のようにも見えたかもしれないが、そんなことは彼女にとってはどうでも良かった。

 ――これでやっと作れる。ネーレウスはまだ帰ってきていないし、いっそ今から始めてしまうか…?

そわそわした様子で、彼女は扉の方を見やる。

 時刻はもう日を跨いでいたが、やるなら今しかない。

座り込んだ腰が上がったところで――

 扉がガチャリと開いた。

その瞬間、エルザは舞い上がっていたテンションを慌てて隠す。

少しくたびれた様子のネーレウスが帰って来たのだった。


「あれ、エルザ。まだ起きていたんだね。基礎訓練で疲れて寝てるかと思ったよ」


 顔色は微かに青ざめていた。

エルザにはその頬に落ちた影が、どこか不吉な物に思えた。


「なんだ、帰ってきたのか」

「うん…あぁ、そうだ。君にお土産があるよ。夕方のお茶の時に貰った物だけど」


そう言って、机の上に置いてあるジンジャーブレッドと紅茶を指す。


「おっ、さんきゅー。そういや死食鬼はどうだった?」

「その事だけど…」


 ネーレウスは睫毛を伏せた。

暫く沈黙は続き、返答について思案している事が伺える。


「なんだよ、やっぱ強かったか?」


 歯切れの悪い声にエルザは紅茶を飲みながら返事を促そうとした。


「…強いというか、それ以前に…少し様子がおかしい」

「あのアーミョクの死食鬼といい、やはり…」


 白い導士服の内ポケットから手帳が取り出される。

手帳には、何らかの式やメモが大量に書き込まれていた。


「なあ、倒せたのか…?」


彼女の声に、手帳を渋い顔で見つめたまま、ネーレウスは静かに首を横に振った。


「逃げられた。そして…裏に誰かが居る」


 その台詞に続いて、開かれていた手帳が閉じられる。

案の定、特訓中に立てていた嫌な予想は見事に的中していた。

 不穏な状況下だったものの、作ろうとしている秘密兵器が役立ちそうな事に彼女の胸は昂ぶりを覚える。

しかし、それについておくびにも出さず、エルザはジンジャーブレッドに手を付けた。


「まだ起きてるか分からないけれど…バネッサ司教に報告してくるよ。起きてるかなあ」


 ジンジャーブレッドを齧る様子を見て、ネーレウスは顔を僅かに綻ばせた後、部屋から出て行った。

そして、赴くままに件の死食鬼について思案する。

 ――死食鬼兄弟は元人間。“林檎”に触れた“誰か”によって変容した事も確定している。

それを悪用したのは過去の勇者なのか。果たして、彼が私利私欲で動くような男だっただろうか?あるいは別の何者か。

 なおも、その足取りは止まらず、廊下に硬い靴音を小さく響かせ、バネッサが居るであろう事務室に向かう。

長い廊下を進み、修道院を抜けそのまま、教会に彼は立ち入ったかと思えば、左手の階段から二階へ上がり、事務室の扉を開く。

 彼は押し黙ったまま、その光景を見つめた。

応接間とは違い、簡素な室内では事務用の大きな机と簡素な椅子が、月光をひたすらに浴びていた。

中はもぬけの殻である。

 この事務室の様子にネーレウスは訝しんだ。

てっきり、死食鬼戦で得た知見や討伐の成否についての聴取の為に、ここにバネッサ司教が待機しているかと思っていたのだった。

もう遅い時刻だ。彼女は眠りに就いてしまったか。彼はそう思い、踵を返そうとしたところで、机の上に一枚のメモ書きがある事に気が付く。

 紙には「野暮用。離席中」と書かれている。


「…どうやら戦力としては、かなり信頼されているようだね」


 バネッサの意図が彼には読めず、ネーレウスは机の前で肩を竦めると、がらんどうの事務室を抜け出した。

足取りは進み、階段を下りた先の礼拝堂ではステンドグラスが薄ぼんやりと外を透かしていた。

 列を成す長い座席や小さなパイプオルガンが佇んでいる。

彼は礼拝堂を一瞥した後、そのまま老司教の行方について考えた。

 ――それにしても、いきなり野暮用?どうしてまた、この時間に…?何か隠密に済ませなければならない用事があるのだろうか?

 捜索を進めながら、ふと、礼拝堂付近の物置を覗くと、壊れた燭台や使われていない備品が金色の瞳に映る。

戸の隙間から落ちる薄明りの中で、倒れている燭台の芯が欠けている事に気付く。

 ――経年劣化にしては折れ方が綺麗過ぎる。誰かの悪戯だろうか?…魔力の気配は無く、この力任せに折られた跡。

…様子から鑑みるに、少なくとも今この時間に備品の整備をしているわけではなさそうだ。

そう結論付けると、再び周囲をうろついた。

 辺りは静まり返り、人の気配はネーレウスのみである。

そのまま座席中央の通路を通り過ぎて、重厚な小部屋の前に彼は立ち止まった。

この場所にのみ、火薬の匂いが微かに立ち込めており、彼に憶測を立てさせる。

 ――ここに隠し部屋と通路。それも弾を密造する為の設備があり、そこに今、バネッサが居るのではないか?

世界のきな臭さと違和感、死食鬼の出現、この地下の密造室。

 片方はエルザが倒してしまったものの、死食鬼は本来、この国の戦力を削ぐ為に何者かによって用意された囮である可能性が見える。

深夜に家探しのような動きをするのもと思い、彼が様子を伺う為に聞き耳を立てると、微かにしゃがれた囁き声が聞こえてくる。

 その声に注意深く耳を傾けていると、思いもよらない内容が届いてきた。


「…私は今日、求めてはならぬ者に救いを求めました」

「民を守りたい一心だった…この判断が正しかったのか、今も……」

「…もしも、教義そのものが誤りであったのなら」

「…私はいったい何を信じて…」

「あの存在は…人の形をして、人の言葉を話し……あまりに優し過ぎる時さえあるのです」

「…底知れない知性…執着……それを悪と呼べるのか、私には分かりません…」

「私は司教であり……人としての願いを捨て切れない」

「二人に、幸福が訪れますように……この願いこそ…この世界への…祝福では……」

「しかし…それが教義に背くというのなら……」

「どうか……この告白を、お許しください」

「……そして、老いぼれの手を導いて下さい……誤りであるならば…止めて…」


 この小部屋は告解室だった。

途切れ途切れに聞こえたバネッサの声は懺悔の言葉である。

立場上、表立って言えない事を敢えて聞かせる為に、この場に居たのでは?という一抹の疑問が彼の胸に湧く。

 ネーレウスはそれを聞かなかった事にして、そっと立ち去った。

そのまま、物音も立てずに慎重に帰路を進んでいく。

 借りている客室の扉を開けると、エルザが退屈そうに腕立て伏せをしていた。

僅かに汗をかいており、彼が出払っている間の時間を基礎訓練に費やしていた事が伺える。


「おかえり。司教様は何か言っていたか?」


 腕立て伏せは止まり、僅かに紅潮した顔が上がる。

床にはジンジャーブレッドの食べかすが散らばっていた。


「それが…少し離席しているみたいで会えなかったよ」


肩を落とした様子でネーレウスは返答をする。


「なんだ。まあ夜も遅いしな…お前も凄く疲れてる顔してる」

「というわけで寝るぞ。明日は色々とある」


 彼が引き止める間もなく、エルザは軽々と二段ベッドの上段に飛び乗った。

もぞもぞ防具を脱いだ後、やがて、暫くすると穏やかな寝息が落ちていく。

先程とは打って変わった静かな横顔を眺めながら、ネーレウスは深く息を吐き、そして――彼女の額に手を伸ばそうとして、止めた。

導士服を脱いで椅子に掛けると、ベッドの下段に滑り込み、彼もまた目を閉じる。

 静寂に満ちた室内は夜の帳に包まれていた。

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― 新着の感想 ―
かつて相対した絶望的な敵と、そう見定めながらも動けぬバネッサの葛藤。 いいですね。 決して邪悪には見えず、話もでき、しかし会話が成立するからといって精神構造の把握ができるわけではなく、友好の概念に致命…
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