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四十二話 材料集め、ただし盗品

 夜空の一部、キアキの方角に出ていた真っ暗な雲が颯爽と流れていく。

――ついさっきまで、向こう側は天気が崩れていたような?

相変わらず晴れ続けていた空にエルザは違和感を覚えた。

 今では、見えていた雨雲の切れ目から、ぼんやりと星が顔を出している。


「なあ、向こう…急な雨が降ってたよな?」

「あれ?確かに曇ってはいたけど…そんな天気だったのか」


 前から聞こえてくる訝しむような声にリヒトは立ち止まる。

そして、二人並んで同じ方角を眺めた後、小首をそれぞれ傾げた。


「……ネーレウスが何かしたのかな」


 それはエルザから漏れた呟きだった。

そう話している間にも、上空から分厚い雲は消え去っていた。

夜風はどこか冷たく、湿り気を帯びている。


「天候操作…?俺、詳しくは知らないけど、宮廷魔術師が何人も居ないと…っていうかあんな即座に発動する物だったっけ…?」

「でも…いや、流石に無理か?そんなのは…」


 続けかけた言葉をリヒトは飲み込んだ。


「あれだな、この辺は山が多くて天気も変わりやすそうだしたまたま…ってあれが納屋か?」


 周囲を見渡し、そんな見解を述べた後、エルザは一点を見つめる。

その視線の先には古びた小屋があった。

教会や修道院から少し離れた場所にあり、軒先には薪が高く積まれている。

 一切の躊躇なく、この勇者もとい盗賊は歩みを進めた。

その日頃の機動力から繰り出される動作は気配を感じさせない、泥棒としては完璧な物だった。


「…ちょっと!待ってエルザ!」


 去っていく後ろ姿をリヒトは全力で追った。

振り向いた時には、もう建物の影に紛れており、制止は間に合いそうにない。

「この能力が戦闘だけに使われていれば、どれほど良かったか」内心で悪態吐いたのは言うまでもなかった。

 そして、追いついた頃には――入口の錠前に金属の細長い棒を抜き差しする盗人の姿があった。

ピッキング行為である。


「おっ、開いたぜ。楽勝だな」


 エルザはそう言いながら、一仕事終えたかのような顔をする。


「ちょ、駄目だって!…っていうか開けるのが早過ぎるよ!不正だ!」


即座に開錠された錠前がどことなく泣いているようだった。


「…盗賊はイカサマしてなんぼだからな」


 いつになく誇らしげな表情とその台詞は、誰がどこからどう見ても、頭を抱えるような代物だった。

彼の視線はランプの灯った修道院の方を助けを求めるように向いていた。

 その一方で、慎重に戸を開き、エルザが納屋の内部に忍び込んでいく。

耳障りな蝶番の音が辺りに響いた。


「こら!本当に!今ならまだ引き返せるから!」


 呆然としたのも束の間に、焦った様子でリヒトが振り向くと、獲物を物色する後ろ姿があった。

屋内に灯りは無く、かろうじて棚や最低限の清掃道具だけが確認出来る。

暗がりの中で、微かな月明りだけが手際の良い所作を照らしていた。

 視界に映る、完全に盗賊に戻り果てた彼女の姿に、脳内で“勇者”という単語が崩れていった。


「本当にシャレにならないって!!それは教会の備品!誰が見てるか分からないぞ!やめるんだ!」


 渾身の制止の声は全く届いていない。

まるで聞こえていないかのように、エルザは何らかの瓶を嗅いだ末、中身をいくつか空の小瓶に移しているところだった。

小瓶に詰められたのは、漂白剤とランプオイルである。

 薬剤で満たされた瓶をポーチへ仕舞うと、その次にはクッキー缶と思われるブリキの空き箱をいくつか抱えている。


「早く…!早く!元に戻せ!」


 リヒトは慌てて駆け寄り、泥棒もとい勇者を取り押さえようとする。

しかし、当然の如く返って来たのは、逆に押し付けられるほどの怪力と静かな脅しだった。


「煩い。騒ぐな」


 そして、立て続けに銃を突きつけるジェスチャーとニヤついた勇者の顔が眼前に現れる。


「勇者ってなんだっけ…神託の義務…?神託の戯れ…?」


現実逃避の中、呆然と落ちた呟きが彼の気疲れを物語る。


「次に行くぞ、時間は有限だ」


 エルザは納屋を後にするとそのまま、農具倉庫の方へ向かった。

納屋からは目と鼻の先である。

 そのあまりにも滑らかな移動にリヒトはどこか形容し難い違和感を覚え、その原因を探る。

動線、動き、茂みの動く僅かな音。

 暫く考えた末、その中で彼女の足音だけが無い事と、ある事に気が付く。


「なあその、あの暗がりで…どうやってあんなに手早く漂白剤を見つけたんだ?」


 背後からの疑念の声にエルザは微かに笑う。


「簡単な話だ。盗賊は夜目が利く」


 予想に反する簡潔な答えは彼の頭を余計に混乱させた。


「盗賊っていうか…何かが絶対違うような…いや、でも本物の盗賊ってこうなのか…?」


 しかし、それと同時に奇妙な納得感もあった。

あの戦闘センスは、こういう場面で培われてきたのではないか、と。

彼の現実逃避が再び始まる頃には、時は既に遅く、錠前はいともたやすく弄ばれていた。

 がちゃり、という音が夜風に混ざり、扉が小さく軋みながら開く。

倉庫内には無数の農具と肥料の詰まった麻袋が積まれていた。


「よし、大漁だな」


 例の如く、エルザは足音もなく侵入すると、落ちていた空の麻袋に肥料を詰め込んでいた。

 リヒトは乾いた笑いを浮かべながら、その光景を見守る事しか出来なくなっていた。

すっかり盗賊に成り果てた不良勇者に、何を言っても徒労に終わる事を悟って、自身にこの略奪行為を止める術が無いと理解した為である。


「死食鬼を倒さないといけないし…でも…」


 最早、うわ言は自身を慰める為の物と化していた。

見つからない事を祈るべきか、諦めずに止めるべきかは彼の中で踏ん切りが付かなくなっていたのである。

 そして、右往左往する間にもネコババは順調に進んでいき、ついさっきまで抱えていたブリキ缶までもがコソ泥袋に詰め込まれていく。

終いには、麻袋が外套の下に隠すよう背負われていく。

 差し詰め、その立ち姿は最悪なサンタクロースのようだった。


「おい、なにぼさっとしてんだ、行くぞ」


 農具倉庫の入口で棒立ちになったまま呆然とするリヒトは、そのまま泥棒勇者に襟首を引っ掴まれて引き摺られていく。

次に向かう先は教会、厳密には教会内部の礼拝堂近くの物置である。

 二人の影は着実に目的地に忍び寄っていた。

細腕とは思えぬ怪力に弄ばれながらも「ああ神よ…どうかこの勇者から解放されますように」等と彼は内心で祈りを上げる。


「これで共犯者だな?」


 嫌なニヤつきを抑える事もなく、エルザは彼を解放した。

教会の裏口に二人は辿り着いていた。


「俺は…やらないからな!」


 抗議の声もとこ吹く風だ。

戸は鍵が掛かっておらず、まだ修道女達が活動しているようだった。

平然と盗品を背負いながら、エルザは足を踏み入れる。


「こういうのはな、堂々としたもん勝ちだぜ?」


 台詞と共に、僅かに肥料の汚れが付いた指先が廊下の先を指し示す。

リヒトが視線をその方向に向けると、近付いてくる修道女の姿があった。

辺りはランプの光のみがぼんやりと廊下を照らしている。


「あら、勇者様とリヒトさん。こんなところでどうしたんですか?」


 何の疑いも持たず、修道女は優しく二人に声を掛けた。

薄暗い視界だった為に、外套の下に隠された荷物に気付く様子はない。


「特訓も終わったんで少し夜のお祈りをしようかと。こいつが色々作法を教えてくれるというんでな」

「あと、その呼び名はやめてくれ」


 なんてことも無さそうな、妙に手慣れた返答であった。

しかし、真意を知っているリヒトは、この通りすがりの救世主に助けを求めようとしたものの、エルザに肘で小突かれる。


「そうでしたか。立派な行いに我が教団としても…とても誇らしく感じます」

「それでは、おやすみなさい。お二人に神の御加護があらん事を…」


 その言葉に、思わずリヒトは「あぁ、そうなんです!本当に立派だよ、盗賊として」と毒づいた。

修道女が一瞥して去っていくのを確認すると、エルザはまたもや小悪党の顔に戻る。


「よし、最難関も突破したな。大丈夫だ」

「勇者としては大丈夫じゃないだろ!」


 全力の批判も空しく終わり、彼女の足取りは、今や物置に向かっていたのだった。

そして、それに気付いたもう一つの足取りが慌てて追いかける――が、時は遅かった。

前方から、ポキッという小気味よい音が聞こえてくる。


「あの、エルザ…?って備品壊してる!」


 リヒトが確認した時には、床にしゃがみ込み、燭台の芯を素手でへし折って回収する勇者の姿があった。


「元から壊れてたやつだ、心配するな」


 そう言いながら、エルザは芯をポケット仕舞い込んでいく。

横倒しになったまま、錆びついて足が欠けた状態の燭台達が哀愁を漂わせていた。


「でも、故意に壊すのは違うだろ!本当に怒られちゃう!」


 リヒトに燭台を取り上げられて、何もなくなった手元を不満げに見つめた後、ようやくここで略奪は止まる。

泥棒が立ち上がると、ポケットからは集まった芯同士がぶつかって小銭のような音が鳴った。


「もうちょい欲しかったが…まあこれで我慢するか。足りるだろう」

「よし…次はネーレウスの抜け毛だな。あいつフサフサだからな…ごっそりあるんじゃないか?」


 この発せられた飽くなき執念に、彼の顔に苦笑いが浮かぶ。


「これ以上は俺、知らないからな!シスターにも嘘吐いてるし」

「…でも、完成品は少し気になるかも……」


怒りを通り越して、呆れの感情しかない表情だったものの、その後に興奮した様子の呟きが落ちる。


「…じゃなくて、もう付き合いきれないからな!」


 そんな自身を戒めるかのようにリヒトは台詞を続ける。

年相応な好奇心であり、本当にこれで地雷が出来るのか、興味があるのもまた事実なようだった。


「なんだ、やっぱり見たいんじゃないか」


 エルザはそう言いながら、振り返りもせずに立ち去っていく姿を見送る。

そして、颯爽と教会を出るや否や、迷わず裏庭の奥へ向かっていった。

 疎らに生えた木々の間を進んでいくと、一本、頑丈そうな木があり、歩みを止める。

次に、僅かな溜めの後、その細くしなやかな体躯が大木の枝に飛び移った。

 続いて、そのまま盗んだ肥料とブリキ缶を麻袋ごと、下から見えないように枝に括りつけていく。


「こっちはでかいからな…隠しとかないと」


 やがて、満足げにエルザは木々の影に隠蔽した盗品を確認すると、音もなく枝から飛び降りた。

次に彼女が向かう先は――修道院で、例の男と借りている客室である。

 そこに必ず抜け毛が落ちているに違いない。あれだけの真っ黒な長髪なら、絶対に目立つはずだ、とエルザの中で強い確信があった。

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