表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
42/63

四十一話 新たなる気配

 長身の人影が一つ、がらんどうになったキアキ町に来ていた。

ベコ村とは打って変わり、町全体を包むように雨が降り注ぐ。

騎士団はまだ到着しておらず、濡れた路面が水滴を跳ね返すばかりだった。

 辺りは真っ暗闇で視界不良そのものだったが、何かが動く気配だけは明確に存在している。

ただ一ヶ所だけ、その不可視の巨体をなぞるかのように水滴が滴り落ちていた。


「この状態では、君達のステルスも無駄だろう?」

「雨は都合がいい。全ての雫が軌跡を教えてくれる」


 ネーレウスはその様子を見もせずに淡々と告げた。

長髪がさらさらと揺れ、空から落ちてくる水滴は、奇術めいた挙動で彼に吸い込まれるように消えている。

 突如、異質な立ち姿を風切り音が襲った。

しかし――その音は水を裂く音に変わる。

濡れもしていない、異質な男は衝撃を受けた瞬間、水の塊に変容していたのだった。

“水”は雨粒に混じり飛び散り、逆再生の如く人の形を取る。

 乾いたままの長髪が揺れた。


「クククッ…!また不味そうなのが来た」

「お前、昨日も…その術で見てたな。面白い!面白い奴だ!!」


 死食鬼の濁った声が響いた。

それも刹那。

 路面から氷柱の群れが現れ、風切り音の出元を狙う。

しかし、その先端は何も貫かなかった。

水滴を纏いながら不可視の巨体は次々と躱していた。

水を踏む音と雨音の僅かな変化だけが、敵の軌道を周囲に伝え、離れた距離で重く湿った響きは止まった。

 怪物は微動だにせず、ネーレウスを観察している。

真正面を見据えた金色の瞳もまた、死食鬼を捉え、互いに睨み合う状況だった。


「いくつか質問がある」

「君達…アーミョクに居た者とは‟元人間の兄弟”だね?」


 なおも氷柱が展開され続けたまま、問い掛けは落ちた。

闇の中、雨垂れに混じって湿った靴音が一定のリズムを刻む。


「それがどうした?」


 明確に近付いてくる気配に死食鬼は飛ぶこともせず、静かに後ずさった。

それは無意識の動きであり、紛れもない生物の本能であった。

規則正しい水音と歪な足音がバラバラに混ざる。


「何故その道を選んだ?」


 雨は止まない。

一人と一体、長身の人影と不可視の怪物の距離は徐々に縮まりを見せていた。


「強さだ。全てを捩じ伏せられる」

「喰えば喰うほど…昇華していく。それだけだ」


 埒が明かないと判断した死食鬼はネーレウスに向かって突進する。

時計のようだった靴音は止まり、そして。

 尖った爪が白い道士服に接触しかけた瞬間、彼の気配は消えていた。

路面には雨粒が落ちる波紋しか残されていない。

飢えた異形の眼前には展開されたままの氷柱が広がる。

 そして、死食鬼の背後に声が落ちる。


「次の質問だ。どこで改造された?」

「さあな!」


 その声の主に向かって振り被った斬撃はまたしても外れ、爪は雨粒だけを裂く。

路面に落ちた水塊は蠢き、何事もなかったかのように人の姿を取った。

 また、辺りは比喩ではなく文字通り、冷えていく。

急激な気温の変化に死食鬼は僅かに慄いた。

濡れた足元に体温を奪われながらもなお、奇術師めいた男に向けられた、爪の斬撃は再び空を斬る。

今度は避けられたからではない。

 現れた巨大な氷の柱が太い肩を貫いていた。

長身の影の全ての行動は囮であった。


「…致命傷は避けたか」


 僅かに雨粒を弾く、不可視の体躯からは血が噴き出した。


「…あの不味そうな女より、いや。…桁が三つ四つ違う」

「お前は何者だ?」


 死食鬼は心臓が激しく跳ね上がる感覚に襲われた。

ネーレウスは答えず、代わりに別の質問を返す。


「さて、君達を改造した技術は…“現在の文明”に無いもので間違いはないね?無論、君も詳しくは知らないはずだ」


 不可視の怪物の脚は徐々に凍てつき始めていた。

霜がびっしりと付着し始め、その容貌が明瞭になり始める。


「ぁあ!!ッ!凍る…!!」


 死食鬼は血相を変えて転移魔法を唱えようとした。

しかし、声は出なかった。

代わりに出てきたのは荒い呼吸と首元を掻きむしる音だった。

霜は意思を持ったように喉を、体躯を、拘束していたのである。


「そして…誰が何の為に、ここに来いと言った?」


 気管の凍結は解かれており、なおも、生臭い呼吸だけが吐かれる。

一つの真白い息だけがネーレウスへの返事であるかのように。


「…聞き方を変えよう」

「君達のボスはどこに居る?」


 雨は止み、そして。

空気は瞬く間に乾き、氷点下よりも低い、痛みを覚える程の冷気となった。

建物という建物、塀の全てに霜が密集していく。

周囲一帯は静寂そのものだった。しかし、音があるかのように錯覚するほど侵食は早い。

 全ては彼の魔法によるものであり、町を覆いつくすほどの濃い魔力が漂っている。

巨体に張り付いた霜が瞬く間に分厚く変容していき、死食鬼の内も外をも喰い尽くす勢いで覆っていく。


「答える!答える!!!ぁあああッ!!」


 沈黙は裂かれた。

次の瞬間、血を吐く声と共に死食鬼の物ではない残留魔力が霧散した。

それは、他の“術者”の介入を告げていた。

焦ったように乱れる吐息がネーレウスの耳に残る。

氷の表面でじゃりついた血痕だけが、実際に怪物が現れていた事を示していた。


「引き戻されたか。興味深い」

「…“林檎”を手にした、ね。どこまで理解して、どこまで広まったか」


 形の良い口角が片側だけ上がる。

この事象によって、胸の奥に燻っていた違和感は確信めいた物となったのだった。


「…元に戻しておこう」


 次の瞬間、路面を覆い尽くしていた氷も、血痕すらも幻であるかのように町から消えた。

上空からは雲が細長く流れていき、やがて雲一つない濃紺の背景に星が瞬き始める。

また、高く昇った月が街中を照らし、影を方々(ほうぼう)に落としていた。

一連の事柄は泡沫の出来事として処理されたのだった。

何の変哲もない夜の風景を横目に、ネーレウスは崩れてもいない導士服の襟に触れる。

そして、一つ溜息が零れた。

 彼が歩き出すにつれて、どこか遠くからは無数の蹄の音と金属質な音が近付いてきていた。

それは遅れて到着した騎士団だった。

やがて、街中は軍馬の(いなな)きで埋め尽くされる。

 混乱した様子の戦士達の喧噪が辺りを駆けまわるも、この件について答えられる人物は見つからなかった。

その活気に振り返ることもなく、既に白いシルエットは闇夜に消えていたのだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ