三話 宿屋探しも一難
暫く寝泊まりの場所を確保する為にイーメンの町を二人は歩き回った。
規則正しく並べられた石畳は人々の行き来により磨り減っていて、街灯や建物の灯りが煌々としている。
パブやレストラン等の飲食店は美味しそうな匂いを放ち、さながら人々に手招きをしている様である。
全体的にアリミザより栄えた印象だった。
早速、二人は宿屋も兼ねているパブを見つけ入店した。
「いらっしゃい!…ってうわあああああ!!!!」
愛想の良い太ったウェイトレスは豹変し、叫びながら空の酒瓶を投げつけた。
捕手の様な体格から投げつけられる酒瓶は時速百二十キロは出ていそうである。
中々の強肩だ。
「出てけ!出てけ!!化け物!!!!人殺し!!!」
「うん、これはだめだな。他所に行こう」
次々に投げらる酒瓶を身を翻して避け、エルザはそっと両開きの扉を閉めた。
「これは酷いね…。何をしたんだ?」
「さあ?ところでこの先にある広場に寄っていいか?」
心配そうなネーレウスの台詞も何処吹く風に外套のフードで顔を隠し、エルザが広場まで歩いていくと、年代物ではありそうだがきっちり整備された噴水や緑青にまみれた銅像、様々な張り紙やポスターが貼られた掲示板があった。
「迷い猫捜索中」や「ギルドメンバー募集!!」や、「お兄ちゃんっ!」等の雑多な張り紙がある中、指名手配中と書かれた似顔絵付きのポスターは特にネーレウスの注意を引いた。
長い月日が経ち、しわくちゃになり色褪せていても、そのポスターの似顔絵の人物は明瞭に銀色の髪にオッドアイ、明らかにエルザの身体的特徴を表している。
むしゃくしゃした嫌な気分をネーレウスは覚え、思わずポスターを乱雑に剥がし、心配そうにエルザに詰め寄った。
「…中々良く出来た似顔絵じゃないか。エルザ、君は一体何をした?」
「簡単な話だ、何年か前に、ついに私を捕まえる為に腕の立つ魔術師や剣士、狙撃手を集めた特殊部隊が出来たが殆ど返り討ちにした。結局捕まっちまったけど。まだ貼ってあるのも妥当な扱いじゃないかまあ」
一日だけだが共に過ごしてみて、なるほどこうなってしまったのにも何らかの理由があるに違いない、という事実を察するだけの洞察力をネーレウスは持ちえていた。
宿探しでは同じような事を繰り替えし、彼等はようやく入れそうな宿を見つけた。
町の隅の方にあるオンボロのくたびれた宿、煙とパイプ亭である。
煙とパイプ亭の受付の老女は全盲だったらしく、エルザが元指名手配犯である事は気付いていなかったようだ。
「部屋は別々でいいか?」
「私はそれで問題無いけど…」
さも問題ありげに言葉に詰まり、心配そうにネーレウスは頷いた。
煙とパイプ亭の室内は外壁よりは、くたびれておらず清潔だった。
ベッドルームに着くや、すかさずエルザは荷物を置き、大浴場に向かう。
風呂に入るのは何年ぶりだろうか。温かいお湯が自由に使えるって素晴らしいなあ。あと絶対頭臭かったよなこれ。シャバの空気最高!等と思いながらエルザは荷物を置いて大浴場に向かった。
洞窟に繋がれている間、彼女は定期的に訪れる看守が汲んできた川の水を乱雑に掛けられる事でしか、体の清潔を保てていなかったのである。
扱いは酷い物であった。
そして沐浴をしてもなお、現実感を持てない状態で、慣れない寝心地の中、眠りについた。
一方でネーレウスは、あの風変わりな勇者の事を考えていた。
あんな女の子がどうして重罪を繰り返したのだろうか?
この国の住民を見てみたが、エルザに近い容姿の人間は見当たらない。
そしてあの常人離れした身体能力…エルザの生い立ちについて様々な憶測を重ね、遂には彼女は迫害されていたのではないか?という推論に彼は至りかける。
しかし、もう少しこの国の様子を見て本人にいつか話を聞いた方が良さそうだとも判断した。
「おはよう、今日もよろしくね。夜はちゃんと眠れた?」
翌朝、彼はエルザの居る部屋を訪ねた。
エルザは煙草を吸いながら、ネーレウスの方を見る気も無さそうに窓の景色を眺めていた。
その様子から寝起きが良い方とはお世辞にも言えなさそうである。
「何だよ、お前起きてたのか。…この町にはあまり長居したくない。今日中には出たいがどうだ?」
「少し気になる事があってそれが終わってからでもいい?」
言い出しづらそうにネーレウスは返事をした。
「なんだよ?まあ別にいいけど。あんまり観光には向いとらんよこの町は、一応城下町なんだが」
街の調査はエルザの頭から幾分かすっきり眠気が醒めてからになった。
大道芸人がナイフやジャム瓶でジャグリングしている姿、可憐に花束を売る少女、その付近で様々な楽器を持ちジャムセッションをしている若者達、得体の知れない行商の出店で広場は賑わっている。
雑多な喧騒に包まれ、アリミザ村よりも人が多い事が日が高く上ってより顕著になっている。
二人は広場でひそひそ話し合っていた。
「なんだよ調べたい事ってのは。こんなとこに居たらまた騒ぎになるぞ。なんせ私は極悪犯だぜ?」
かなりエルザは不貞腐れた様子だったが、空腹の腹の虫によってガラの悪さが半減された。
とても絶妙なタイミングである。
「ああそうか、朝から食べてないのか。何か食べたい物はある?」
「特には無い」
そう言いながらも甘い匂いのする方向、行商の出店のパイ菓子をじっとエルザは見ている。
とてもお腹が空いているらしい。
凄く年相応な味覚をしているとネーレウスは思った。
「私が買ってくるよ。どれがいい?」
「行商のとこなら顔を見られても大丈夫だろう。流石に他所の国までは知れ渡っていないはずだ」
エルザの目当ての出店では、寡黙な浅黒い肌の中年過ぎの男が、籠の中に行儀良く陳列されたきつね色のパイを売っており、香ばしい甘ったるい匂いがより彼女の腹の虫を大暴れさせた。
「お嬢さん、どこかで見た顔だな?確か数年前も買いに来てくれたような…。いつかの花売りのお嬢ちゃんか?えらい美人さんになったなあ…」
「まさか覚えていてくれたのか…?」
「そりゃあ、ありったけの花束とパイ菓子を交換したがるようなお客は中々お目にかかれない。それに長年行商人をやっているがお嬢さんみたいに銀色の髪だったり赤と青の目をした人は見た事が無い、多分墓場まで覚えてるよ。床に伏してるお母さんは元気か?」
無愛想だった男は途端に目元に深い笑い皺を作り、人懐っこそうな表情を浮かべた。
その様子を見て、ネーレウスは一歩後ろへ引き、行商人との会話を盗み聞きし始めた。
少なくとも行商人と同じ程度かそれ以上に人見知りなようである。
「母はもう…。駄目だった、いくら高価な薬を使っても治らなかった。…でも何年も前の事だ、気にしても仕方ない。フサスグリのパイを一つ頼む、今日のおすすめのパイはなんだ?」
「今日のおすすめは月影魚のパイだ、香辛料が効いてて辛いかもしれんが買ってくか?」
「じゃあそいつを一つ追加で。どうもありがとう、親切なおじさん」
「いえいえ。ああ、そうだ、この辺りではエルフ信仰と半魔狩りが過激になっているから注意した方がいい。まだ城下町だけだが早いとこ移動しないと…。隣の平たい顔のお兄さんはエルフの一族だろう?」
行商人は忠告と共に、フサスグリのパイと月影魚のパイ、更にサービスでナッツ類がてんこ盛りの糖蜜パイをエルザに渡した。




