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三十四話 その勇者、魔法適正ゼロ

 食堂は空いており、辺りには勇者一行二人しか居なかった。

大きな机の片隅でエルザとネーレウスは、遅くなった昼食を囲んでいた。

辺りには焼いたジャガイモやオイル漬けの魚の匂いが微かに残っており、返却台の上には汚れた食器が積み上げられている。

 立てかけた銃器の横で、エルザは残り物のオイル漬けの魚や茹でられた野菜をつっつきながらネーレウスの顔をじっと見つめていた。

 “無詠唱の魔法と、全ての冒涜を詰め込んだような生物、魔王”

口をもごもご動かしながらも、彼女の内心ではバネッサの台詞が引っかかったままだった。


「ぱっと見は…別に普通なんだよなあ…」


 ふいに彼女の口から呟きが漏れた。

そして、その疑念を飲み干すかのように喉元が動く。


「エルザ?…どうかしたの?」


 ネーレウスはゆっくり食事を口にしつつ、放たれたぼやきに返事をした。


「なんでもない」


 そっけない返事とフォークと皿がぶつかる音が彼の耳に入る。

何かエルザの気に障るようなことをしただろうか?あるいは…。

ネーレウスはそう思い、エルザの表情を確認するも、魚の切り身を頬張るエルザからは何も読み取れない。

 フォークと皿が当たる硬質な音だけが響く中、嫌な間が続く。


「ねえ、そういえば…昨日の死食鬼の件だけど…アーミョクでの件といい、少し奇妙な気配がするよ」


 やがてその沈黙に耐えきれず、ネーレウスは話題を新たに振った。

しかし、彼女の返事は無く、どこか上の空だった。


「あれ?聞いてる?」


 彼の台詞を他所に、伏せられた銀色の睫毛の下で視線は宙を泳ぐ。

飲み干そうとした疑念は、まだ彼女の喉の中でささくれだったままだった。

魔王の存在…この違和感はどこから来ている?ネーレウスと魔王を等号にするだけでは何かがおかしい。


「おーい、エルザ?」

「わ!聞いてる聞いてるすまんすまん」


 エルザは慌てた様子で正面を向いた。

彼女の目線の先には心配そうな顔をしたネーレウスの顔が映る。


「なんだっけ、奇妙な気配?」


 ようやく返って来た話題についての質問に、ネーレウスは微かに笑った。


「…まあ、そんな重要な話じゃないからね。何か分かったらこの話はするよ」


 彼はそれだけ告げると再び、食事を呑気に口に運んだ。


「なんだよ、変な奴」

「変なのは君だよ。急に上の空になって…」


 しばし、オッドアイと金色の瞳が見つめ合う。

それも一瞬に終わり、エルザの押し殺したような笑い声が上がった。

二人の間の空気は普段通りのものに戻ってきていた。

 笑い合う声の中、窓ガラスを叩く音が聞こえ、二人は振り向く。

窓の外にはシャロンとユーリア、リヒトが立っていた。


「呼んでるみたいだね。行こうか」


 ネーレウスは空になった食器を全て持つと、返却台に下げた。

そして、食堂を後にして二人は外に向かう。

陽光に照らされた影と遠ざかっていく足音だけが室内には響いていた。


 屋外は眩しく、遠くでは子供達の活発な声があった。

まるで夜中の死食鬼の襲撃が幻であるかのように、溌剌として、活気に満ち溢れている。

食堂から出た二人が辺りを探すと、庭から外れた位置では手を振るシャロン、その後ろで表情を綻ばすリヒトと、ネーレウスを見るユーリアの姿が見えた。


「やっと休憩してたのにまた呼び止めてごめん!」

「その、午前の特訓の事を…ユーリアに話したら様子を見てみたいって…」


 リヒトは頭を掻きながら、勇者一行の様子を伺った。


「…私も簡単な攻撃魔法くらいはもっと使えるようになった方が良いと思ったのよね。午前のは授業を見ないといけなくて参加出来なかったけど…」

「その…もし手伝ってくれるのなら…嬉しいわ。普段は治癒魔法しか殆ど使ってなくて」

「ネーレウスさんは魔術体系にかなり強そうに見受けられたので」


 ユーリアは僅かにもごつきながら、チラチラとネーレウスを見ていた。


「エルザ、どうする?私はいいけど…」

「なんだよ、ヤニ吸って適当に昼寝でもしようかと思ってたのに」


 そっとエルザを誘導しようとするネーレウスに対し、彼女は口元を片側だけ上げた。


「…まあ、いいだろう。ちょうど憂さを晴らしたい気分だった。マーキナーの試し撃ちもしたいしな」


 勇者の手には黒い銃身のリボルバーが握られている。

その彼女の右手の気配から、発砲を楽しみにしていた事が伺えた。


「銃の試し撃ちも良いけど…」

「エルザも多少魔法が使えたら…死食鬼に対して有効打が増える」


 そう言いながらユーリアの視線は、ネーレウスを捉えたままだった。

リヒトは一瞬、彼女の思惑は何か別にあるように感じられたが、シャロンの台詞によってその違和感は遮られた。


「ネーレウスさんの説明分かりやすいし、すぐだよ!ユーリアはともかく…エルザお姉ちゃんはどうかわかんないけど」

「なんだよ!お前ら揶揄(からか)いやがって」


 何故かしたり顔のシャロンの肩をエルザは余計なお世話だと言わんばかりに小突いた。


「試しにやってみてもいいと思うよ」


 ネーレウスは僅かに考えた末にエルザに提案し、リヒトもそれに頷いた。

それでもなお、彼女の表情は曇ったままであった。

そして観念したかのように、苦々し気に口が開かれた。


「…マジで使えないんだよな。だが、私が正しいやり方を知らないという可能性もある」


 握られていた銃をホルスターに戻すと、エルザは自身の掌をじっと見た。

ふいに、ユーリアが声をかける。


「大丈夫。私もその、攻撃魔法は実技取ってなかったから。魔力の込め方は分かる?」


 ユーリアは短い詠唱の後、掌の上に旋毛風(つむじかぜ) を作って見せた。

その光景はエルザの眉間に皺を寄せさせた。


「魔力の込め方…?いや、実は魔力の感知は出来るんだが…扱い方が分からないんだ」


 狼狽えるエルザにネーレウスはそっと助け船を出した。


「こう、自分自身の魔力をベースに周囲の魔力を一点に集中させるように纏めたりとかは出来なさそう?」


 彼のアドバイスは更にエルザを混乱させた。

しかし、それにもめげずに、ユーリアの見本やネーレウスやシャロンが扱っていた魔法を思い返しながら、エルザは必死に眼前の空間に集中した。

周辺の魔力の流れを彼女は確認し、掌を翳し、より深く集中して――


「ふんっ!」


 掛け声が空き地に響く。

ユーリアとシャロンは思わずその光景に目を見開いた。

空は晴れたまま、雲がゆっくりと流れていく。

辺り一帯は何も変化は起こらず、強いて上げるとすれば小鳥が申し訳程度に囀っていた。

そして、遠くでは、相変わらず子供の姦しい声が聞こえてくる。


「魔力っていうか…」


ユーリアが思わずそう呟く。


「こんな事ってある…?」


 ユーリアに続いて、シャロンも笑いを堪えながら訝しんでいた。

リヒトは首を傾げ、ネーレウスは興味深そうにそのままエルザの掌と何も反応が無い魔力の流れを観察した。


「ま、まあ、俺も…魔法はそんなに得意じゃないし…」


 リヒトの励ましは掠りもせず、エルザは各々の反応に肩を竦めて首を横に振った。

しかし、その口元は吹き出す寸前である。


「…くくっ。無理だな、出来ねえ。なあ、こういう体質の奴って居るのか?」

「いや…それは。一応大なり小なり何らかの反応が普通は起こるはずなんだけど…」


 笑いを抑えた声にネーレウスは信じ難そうに返事をした。


「媒介が無いからかしら?…でも普通は素手でも魔力反応自体は起こるはずなのに」


 ユーリアはそう言った後、囁くような短い詠唱をする。

足元からふわりと巻き上がった旋毛風(つむじかぜ)は枯葉を巻き上げながら矢のように飛んで行った。

シャロンとエルザはその旋毛風(つむじかぜ)に一瞬だけ目を奪われた。


「なんだ…ユーリア結構センスあるじゃん」


 シャロンは息を呑んだまま、静かに感想を述べた。

エルザとリヒトは相場が分からず、旋毛風(つむじかぜ)があった場所をしげしげ眺めている。


「でもまあ、実用は無理よね。威力が足りない。…ネーレウスさんの見本を見てみたいかも」


 彼女の台詞はネーレウスの口元に苦笑を浮かべさせる。


「私のは参考になるかは分からないけど…。こんな感じかな?」


 ネーレウスがそっと宙に手を翳した瞬間、空中に無数の水滴が現れた。

風は止まり、浮いた水玉は塊を作るかのように集約していく。

 そして水の塊は突如として凍てつき、蓮の花を(かたど)ったかと思えば、透き通った花弁の内側では小さな稲妻が瞬いている。


「え、なにこれすげえ!」

「どうやってるの…?属性の複合…?」


 エルザとシャロンの台詞が被る。

ユーリアは目を見開き、リヒトは開口したまま生成された氷の花を見つめていた。

やがて、それも束の間に氷は砂の如く崩れ落ちた。


「どう…だろう?」


ネーレウスは心配そうにユーリアとエルザの方を向いた。


「え、えぇ。参考には…」


 “魔力の扱い方についての解説だったけれど…複合魔法というよりも、それ以前に精度がおかしい。そしてこの僅かな違和感…”ユーリアはそう続けないように、慎重に口を開く。


「これ、水と氷属性の魔法に雷属性の魔法を重ね掛けしたのかしら?ネーレウスさんはどっちも得意なの?」


シャロンは目を輝かせて、ネーレウスに尋ねた。


「これはねぇ…あくまで操作したのは水属性とそれに付随する氷属性のみ」

「えっ、じゃああの雷は…?」

「…目に見えないくらいちっちゃい氷の粒が集まってさっきの花は出来ていたんだけど…その小さい氷の粒をね、粒同士で擦るとああやって電気が出来るんだよ。乾燥してる時期に…静電気が起きるだろう?あれと似てるかな?」

「そう…なの?」


 ネーレウスの解説に分かったような分からないような表情をシャロンは浮かべた。

彼の解説を聞いて、ユーリアは片眉を上げる。

 “…何かが違う。私達の魔術の枠じゃない”

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