三十三話 新しい装備
空き地を後にして、四人が修道院に戻ると、丁度ユーリアが教材を運んでいるところに出くわした。
筆記用具と一冊の児童向けの聖書らしき物が彼女の腕の中にある。
ユーリアと会話するリヒトとシャロンの後ろで、エルザは物珍しそうにその授業道具を眺めていた。
会話も一頻り終わり、ユーリアは授業道具に興味を示しているエルザに話しかけた。
「…そんなに珍しいかしら、この授業道具。イーメンの学校で見た事くらいあるでしょう」
「いや、私にとっては珍しい。何せ、学校に通った事が無くてな。半魔という理由で門前払いだった」
ここで明かされた事実は冒険者三人組を重苦しい気分にさせた。
「そう。その、ごめんなさい」
ユーリアは沈痛な面持ちで下を向く。
「えっ何がだ?」
エルザは眉を上げた。
「今までその、失礼な態度を取ってしまって。まさか歴史や魔術の基礎について、本当に習っていないとは思ってなかったの。遊び呆けてるような教養が無い人なのかと誤解していた」
「えっ?えぇ…まあ確かに歴史だとか魔術だとさは良く分からないが。知っていたところで私には大して必要ないだろうよ」
最初から彼女の態度に関して気にも留めていないばかりか、予想外な反応にエルザはたじろいた。
「誤解が解けて良かったじゃないの」
真後ろからの嗄れた声にユーリアは思わず振り向く。
「司教様!いつの間にいらしていたんですね」
彼女が振り向いた先にはバネッサが立っていた。
「仲違いしない事は大事よ。エルザに渡したい物があるわ」
「昨晩の報酬か?追い払う事に成功はしたが、倒し損なったからなあ…」
報酬を受け取る事に納得が行かず、エルザは唸った。
この勇者は妙なところで慎み深かった。
「そんな謙遜なさらずに、いつか勇者様に必要になる物ですから。欲しかったら事務室まで着いてきて下さいな」
バネッサは微笑み、踵を返す。
そして困惑した様子でエルザは後ろを着いて行った。
「司教様、今回の勇者様をとても気に掛けてるみたいね」
「同じガンマン同士、惹かれ合うんじゃないかな。どうやら冒険者では珍しいみたいだし」
ネーレウスはユーリアの独り言を耳にして、そんな感想を述べる。
教会の敷地内には、小さくなっていくバネッサとエルザの後ろ姿を見送る四人の姿があった。
暫くして、教会の事務所に足を踏み入れたエルザは、壁の銃器類を眺めていた。
室内には紫煙が充満して酷く煙臭い。
その発生源は二人が燻らす煙草であり、バネッサの手には葉巻があり、紙巻煙草がエルザの唇に咥えられている。
「それにしても、本当に凄い数だなあ…今ならプレミアが付きそうな物まである」
銃器類の見物をエルザが止める様子は無い。
「あの死食鬼を倒したいのよね?」
バネッサはエルザの意思を確認した。
「一応は。ただ、かなり手強い」
忌々しげにエルザは煙を吐いた。
「魔弾対応ならコルッグ以外にもいくつかあるわ。散弾銃ではないけど、マーキナーのエテルライトカスタムも悪くないんじゃない?」
「まさかとは思うが…貸してもらえるのか?ましてやエテルライトなんてかなり貴重じゃないのか?」
「返さなくて結構。もう私には必要が無いもの」
バネッサの言っていた報酬とは銃だったのである。
「えっ、本当にいいのか?」
思いがけない提案にエルザは興奮を隠しきれなかった。
「勿論よ。気に入ったらコルッグ含めて両方とも持って行って構わないわ」
バネッサは壁にかけてあった拳銃をエルザに渡した。
拳銃の持ち手には彫刻が施されており、真っ黒な銃身がエルザの顔を反射していた。
「持った感じは合うがエテルライトの銃身なんてかなり貴重な物を…いいのか?受け取っても?確か銃身を長くしても弾が失速しないんだよなあ…この材質」
「ミスリルよりも耐久性に優れているし、より強力な威力の弾も詰められるし…威力の割には弾道も安定している。大きさも嵩張らないし、長旅には丁度いいんじゃないかしら?かつて、魔王討伐の時にも役に立ったわ」
「お婆さん、いや司教様。魔王は…一体どんな奴なんだ?」
エルザのその言葉に、年老いて落窪んだ目が過去の戦闘の記憶を物語り、鋭い光を帯びた。
「…恐ろしい生物。例えるならば…全ての冒涜を詰め込んだような。絶え間無い魔法に我々は苦戦し、ようやく一時的に封印する事が出来た」
全ての冒涜を詰め込んだ、という形容を聞き、何故かエルザは石版があった遺跡で見かけた偶像を思い出して、息を飲んだ。
「だけどそれも昔の話。案外悪い奴では無いのかもしれない。むしろ、全てを捨てて過去の人類の罪を背負った存在、それが彼だ…今ならそう確信出来る」
淡々とバネッサは語り続けた。
落窪んだ目からは鋭さが消え、再び柔和さを取り戻した。
「絶え間無い、という事は無詠唱だったのか?いや、まさか…」
エルザは思わず疑問を投げた。
昨日のバネッサの話や、ネーレウスに対する態度への違和感もあり、疑心が彼女の胸には残る。
「術式は唱えられていなかった」
バネッサは苦々しげに目を細めた。
「中々、苦戦しそうだ。私が果たして太刀打ち出来るんだろうか…いやでもネーレウス居るしな。あいつならなんとかなるだろ」
司教の婆さんは、あの野郎が魔王か何かだと言いたいようだが…あの野郎が魔王な筈が無い。もし仮に魔王だとして、私と共に行動する意味が分からないし、何故今殺さない?そもそも何故、無詠唱が魔王固有の物だと言い切れるのか。
冷静な思考を取り戻し、エルザは抱いていた疑念を押し殺した。
「本当にあの男を頼りにしているようね」
バネッサは思索する勇者を見て、心の底から何かに感心したらしく、唸った。
エルザが何かを言おうとしたところで、何者かが扉を叩く。
バネッサが扉を開けると、ネーレウスが立っている。
まるでこの会話を終わらせる為に来たかのようだ。
「お話中にすみません。このままだと勇者が昼食を食べ損なってお腹を空かせそうなので、迎えに来ました」
「余計に怪しくなってるじゃねえか、どうすんだよ。折角擁護してるのに」
絶妙なタイミングで現れたネーレウスに、エルザは思わず吹き出した。
「えっ、何の事だろう?」
ネーレウスは状況が掴めなさそうに二人を見た。
「まあとにかく、マーキナーとコルッグは持って行きなさい。死食鬼討伐に絶対、役立つと思うわ」
苦笑を噛み殺し、バネッサはホルスターと弾丸を事務机の陰から取り出し、コルッグM1865と共に渡した。
「本当に申し訳ない。ありがとう」
エルザはバネッサに一瞥すると、ネーレウスと共に事務室を後にした。
「一体司教様と何を話していたんだい?」
修道院の食堂に向かいながら、ネーレウスはエルザに話しかけた。
「魔王について教えて貰っていた。前代勇者一行の一人だったからな。良いチャンスだ」
「それで何か分かった?」
「とりあえずとてつもなく強いばかりか、恐ろしく得体の知れない生物だって事しか判明しなかった」
そこからエルザは押し黙った。
これ以上魔王に関して、聞いた情報を言うまいと堅く誓ったのである。
事実を確認する事への微かな不安が彼女の脳裏には残っていた。
「…そっか」
ネーレウスの声色こそは穏やかであったものの、どんな表情をしているのか、エルザは見る事が出来なかった。
聞いた事に関して最早触れたくもないらしい。
二人は教会を出て、脇目も触れずに修道院の食堂に向かう。
暫く無言のまま、二人は歩き続けた。
エルザはネーレウスとは目を合わせず、辺りの様子を眺めて気を紛らわせる事に集中した。
彼女の視線の先にある修道院からは子供が疎らに駆け出しており、別の子供達は陽の光を浴びながら遊び回っている。




