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三十話 悔しさ

「大丈夫か?!俺達が何も出来ないばかりに…」

「エルザお姉ちゃん!」


 我に返った三人は慌てて駆け寄った。


「なーに、唾でも塗って数日じっとしてりゃ治る…いてて、シャロンの協力が無かったら結構詰んでたなこれ」


 ゆっくり立ち上がり、酷く抉れた傷をじっと観察するエルザに、三人はざわめいた。

 傷口は血塗れでどれくらいの深さなのか不明瞭である。


「なんで…なんで動けるんだよ…それだけの傷で」

「えっ、逆に動けないやつ居るの?まあ戦闘は歯を食い縛らないと無理かもしれんが」


 リヒトの台詞にエルザは怪訝そうな顔をした。


「皆が貴方みたいなら治癒魔法はここまで発達しないでしょうよ。司教様を呼んでくるから待ってて。傷が深すぎて私じゃ治せそうにないわ」


 エルザの言動に困惑しながらも、ユーリアは転移魔法の詠唱を始めたが、低く澄んだ青年の声に遮られた。


「その必要は無いよ」


 唐突に現れたネーレウスに目を丸くする三人だったものの、エルザだけは見慣れた様子だ。


「なんだよ、どこから出てきやがった。今回はヤバかったんだぜ?なあ…お前が食われてなくて良かった」


 呆れ果てた様子でネーレウスは、軽口を叩くエルザに治癒魔法を掛けている。


「ネーレウスさん、いつから居たんですか?」

「ちょっと前からだね」


 彼がリヒトに返事をしている間には、エルザの傷は全快していた。

 破れたシャツと裂けた軽鎧しか、今では傷を負った痕跡は無い。


「無詠唱でここまで高位の治癒魔法を施術出来るなんて…一体どこに術式が提示されてるんです?相当な長さになりそうなのに…」

「さあ、どこだろうね?」


 飄々たる彼の返答に対して、ユーリアは思案した。

 こんな規格外の魔術師が敵ではなくて良かったけれど…いくらこの勇者が魔術に疎いとはいえ、一緒に旅をしていて何も思わないのかしら。

 疑問を覚えたユーリアだったが、リヒトの声に現実に引き戻された。


「なあ、司教様に報告しに行かなきゃ」

「…それもそうね。司教様ならまだ教会の敷地を警備してると思う」


 彼女の視線の先には勇者一行が居る。

 歩きながら煙草を咥えようとするエルザの姿と、それを止めるネーレウスである。

 先程とは変わって、今の彼には規格外の魔術師という雰囲気は無く、むしろ更生補導員という雰囲気を醸し出していた。


「ユーリア?どうしたの?」


 シャロンはユーリアの顔をぴょんぴょん跳ねて覗き込んだ。


「なんでもないわ」


 腑に落ちないまま、ユーリアはシャロンの頭を撫でた。

 勇者一行とリヒトが先を進んでおり、ユーリアとシャロンは足早に向かっていった。

 そして畜舎には眠る家畜達以外、居なくなる。

 夜風が強く吹き荒び、放牧地を強く撫でた。


 そして、五人はそのまま教会の門を通り過ぎると、散弾銃を背負って辺りを警備する司教、バネッサと遭遇した。


「あら、その様子は…どうやら討伐は成功したようね?魔弾が光る様子がここからでも見えたわ」

「…この村はもう襲わないと約束をしたが…駄目だった、倒し損なった」


 顔を綻ばせるバネッサとは対照的にエルザは渋い表情をした。


「ハイエナ共の正体について、詳細を聞きましょうか」


 渋い顔で言葉に詰まっていたが、エルザは淡々と場の顛末を話し始めた。


「死食鬼だ、死食鬼だった」

「死食鬼?約束した、と言ったわよねぇ…死食鬼が言語を理解する程の知性を備えているとは考えづらいけれど…続けてちょうだい」

「恐らく変異固体だろう。物理攻撃がまるで何も効かなかった。弾がまるで通らないばかりか…魔弾まで避けられてしまった。折角受け取ったのに申し訳ない」


 バネッサは穏やかな表情のまま、話に耳を傾ける。


「いいのよ。結果としてこの村には来ないなら、ひとまずは問題無いわ」

「あの死食鬼…尋常じゃない強さだった。肉弾戦で私が敵わなかったのは久々だ。シャロンの応戦が無かったら、追い払う事すら…」


 エルザは冷や汗で湿った手を強く握る。

 声色からは悔しさが感じ取れた。

 そのまま暫く黙りこくっていたが、何かを思い出したかのように、彼女の台詞は続く。


「ああ、そうだ。コルッグM1865を返したい」

「この後、教会の事務所まで運んでいただける?疲弊してるところに悪いとは思うけれど…年老いてから二丁同時に持ち運ぶのも大変なのよねぇ」


 更にバネッサは四人に対して、お辞儀をした。


「皆さんご苦労様でした。今日はもう疲れたでしょうから、修道院でお休みになって下さいな」


 そして、バネッサはエルザを連れて教会に踵を返す。

 その後ろ姿を見届けていたが、やがてその場に残っていた四人は修道院へ戻っていった。


 場面は代わり教会内部に戻った二人は、バネッサの事務室に続く階段に差し掛かっていた。

 エルザはコルッグM1865ばかりか、バネッサが装備していた散弾銃も背負っている。


「ごめんなさいね、私の装備まで運んでもらって。噂に聞いていた通り、随分力持ちなのねぇ…見た目から全く想像がつかないわ」


 バネッサは話しながら先頭を歩く。


「いや、このくらいなら軽いもんだ」


 元々の装備も含めて、今のエルザは散弾銃と拳銃を三丁ずつに短剣を一本、大量の弾丸を軽々と持ち運んでいる。


「頼もしい勇者様だこと」

「おっとお婆さん、勇者を名乗る気はないぜ?」

「そうだったわね、エルザ」


 二人はそのまま階段を上がっていき、バネッサの事務室に辿り着いた。


「銃はそこの机にでも置いて。ここまで運んでくれてありがとうね」

「いえいえ」


 エルザはバネッサが指している、ソファー横の机の上に散弾銃を並べると、軽く会釈をした。


「ちょっといくつか質問があるんだけど…いいかしら?」


 そのまま事務室を去ろうとしたエルザだったが、バネッサに引き留められ、立ち止まった。


「えー、そうだな…とりあえず煙草を吸っていいか?」

「私もちょうど一服しようと思っていた所よ」


 バネッサは硝子の灰皿を事務机から持ってくるとソファー横の机に置き、スカートのポケットから取り出した葉巻を燻らせた。


「ここ教会だろ?いいのか?」

「別に問題無いわ、ここに居る人達は皆こんなもんだと思ってるもの」

「えぇ…」


 言い出しっぺ本人であるエルザは困惑した。

 この教会、大丈夫かなあ…と彼女が思ったのは言うまでもない。


「さて本題に移りましょうか…あの男、ネーレウスについてだけど…どういった経緯で一緒に旅をしてるのかしら?」

「経緯も何も…あいつなら、どこか遠くの国から派遣されて来たっぽいから、詳しくは分からないな」


 エルザの返答にバネッサは目を丸くした。


「派遣…?そんな訳ないでしょう。あの男とは…どこで出会った?」


 先程とは打って代わり、穏やかだったバネッサの眼光は刺すような鋭さを帯びた。


「んん?どこでって言われても…元々囚人だった私が収容されていた洞窟だ。差し詰め、旅をするに当たって、そのまま脱走されるとでも思って国の役員が呼び出したんだろうよ」


 エルザはバネッサの剣幕に違和感を覚えながら、煙草に火を点ける。


「…驚いたわ、何も知らないのね」

「どういう事だ、一体?むしろあいつについて何か知っているのか?」

「昔、ずっと前に会った事がある、ただそれだけ。ところで貴方に一つお願いがあるんだけれど、聞いていただける?」

「…まあ、聞くだけなら」

「あの男とこれからも、ずっと一緒に居て…そして、何があっても変わらずに接してやって欲しい。無理にとは言わないけれど…」


 バネッサは濃く煙を吐き出し、遠い目をした。


「あいつがどんな存在であろうとも、あいつである事に変わりはない。それにあんなに腕が立つんだ、少なくとも旅の終わりまでは一緒に居るだろう」


 それだけ言って、エルザは煙草を消すと扉から出ていった。

 その言葉を聞いてバネッサは安堵の表情を浮かべる。


「やはり…今度こそ本当に、あの勇者なら…世界を変えられるかもしれない」


 台詞と共に吐かれた煙が薄く散った。

 窓から見える星空に照らされて、老婆の影が細長く床に伸びた。

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