二話 その現勇者、ガンマン
食堂にはあまり人の姿は無く、完全に混雑のピークは過ぎているようだ。
古びたレコードの霞んだ音色がどこかから聞こえている。
妙齢のウェイトレスが注文を取りに来て、ネーレウスは紅茶とサンドイッチを、エルザは塩漬けのラム肉のシチューと揚げたパンを注文した。
少し一息ついてからネーレウスはエルザの個人的な事を少しずつ聞き出そうとした。
どうやら質問したくてうずうずしていたらしい。
「歳はいくつだい?」
「十六歳くらいだ。あまりよく覚えていないが」
彼の意に反して、エルザはあまり自分自身の事を話したがらなかった。
嫌な沈黙が続く。
刺すようなピリピリした雰囲気に不安になったネーレウスはエルザから視線を逸らしたくなった。
それも束の間に終わり、妙齢のウェイトレスが盆に乗せて持ってきた食べ物にエルザの関心は向いた。
一刻も早く食べたそうにじっと盆の上の揚げたパンと塩漬け肉のシチューを見つめるエルザの様子に、ネーレウスの頬が緩む。
「お前、東洋人だよな?皆耳が長いのか?」
さっきまでの無愛想な態度から一変して、上機嫌で揚げたパンを頬張りながらエルザは尋ねた。
余程お腹が空いていたらしい。
必死で口に食べ物を詰め込む姿がハムスターのようだ。
「そんな事は無いと思うよ、ここに来る前に居た東の国では私しか見かけなかった」
「へえ東の国か。遠いな。名前はこの辺にありそうな感じだな」
「西の方で使っていた名前だからね。東の国では別の名前で呼ばれてるよ」
「そうなのか。変わってるな、なんか」
今度は塩漬け肉の塊を頬張りながら、もごもご返事をするエルザは、見るからに上品そうにサンドイッチを口に運ぶネーレウスとは対照的であった。
ちなみに彼のサンドイッチが一切れ消える頃には揚げたパンは無くなり塩漬け肉のシチューは半分も残っていなかったので、エルザは名残惜しそうに、残り一切れの塩漬け肉とキャベツのカスを古ぼけたフォークでつついた。
その一方で彼は挙動の一つ一つが丁寧かつ、細やかだった。
「ああ、そうだ。経路だけどこの地図を見て欲しい」
ネーレウスは食べ終わった食器を隅に退けて、地図を机の上に広げた。
地図には色々な書き込みがされている。
「国をこんなに跨ぐのか。これは中々遠いな。今居るのがヘミジャ国のアリミザ村で…隣町のイーメン町まで平原を徒歩で約五、六時間だとして…。アボソニムの国が最終地点か。ここから八千キロ前後、海を渡ったらもっと早いか…?あとこの場所はなんだ?」
地図に記された最終目的地のアボソニムの国は現在地から遠く離れた東南の方角にあり、海に面していた。
エルザの指先が指した箇所、国名が書かれていない空白の部分は、地図に書かれた道筋の途中にある。
「この空白はエルフやドワーフ等の高い知性を持った亜人達が暮らしている国だね。人間達とは交流を絶っているから、出回っている地図には何も書かれていないんだ。偶に抜け出して人間達の国に居る者も居るけどね」
「そうなのか」
「…まあ、何はともあれちょっと遠いけど、この道順じゃないと、魔王城に行く為に必要な二つの石板と四つの宝玉が手に入らない。もう少しゆっくりしたら隣町を目指そう。確か王都だろう?」
しばらくしてから二人は隣町を目指して平原の馬車道を歩いていた。
夕焼けが草原一面を金色に染めあげ、空を飛ぶ野鳥の影とのコントラストを際立たせている。
夏といえども冷たい風が山から吹き下ろす中、エルザは敵対する魔物を片手に持った拳銃で撃ち、ネーレウスはそれを傍観していた。
良かった、ただのチンピラではなさそうだ。という感想を彼は抱く。
「これは驚いた、凄い精度だ。あんなに遠くに居る物を拳銃で狙撃出来る物なんだね」
「馬鹿言うな、これでも腕が落ちたんだ」
そう言いながら、エルザは百メートル以上先で羽ばたく鳥型の魔物を撃ち落とした。
ひたすら、会話も無く歩き続ける。
黄金色の穏やかな陽光を放っていた日も落ち、辺りは薄暗くなっていてお互いの顔もよく見えなさそうだ。
「前方から何か来るな、魔物の群れか?」
薄暗い中に遥か遠く、霞んで見えないくらい離れた距離に何かが近づいてきているのがエルザの目には映った。
咆哮と重みのある足音が微かに聞こえ、様子を伺う為に二人は足を止める。
「おー、思ったより数が多いな。鈍ってた腕を慣らすのにはちょうど良さそうだ」
「良く見えるね。魔物の群れにしては気配の雰囲気が違う気がするけど…どこかに隠れるかい?」
「いや、いい。腕試しがしたい。何もするなよ?」
そう言うや否や、エルザは真正面から向かっていき、再び大きな咆哮が聞こえるのだった。
血の匂いが風に運ばれ、ネーレウスは顔をしかめた。
「酷い臭いだ。本当に面白い子だね、エルザ」
手持ち無沙汰になったネーレウスは、エルザが戦っているであろう魔物の群れ付近へ詠唱も無くテレポートした。
円を描き滑空する鳥型の魔物数匹、二足歩行の犬のような魔物のコボルトと、大槌を持ち皮膚がブヨブヨに弛んだ怪物であるゴブリン、数体の小型のゴーレムにエルザは囲まれていた。大まかに数えただけで二十体以上。
地に伏せた死体も含めるとかなりの数だったようだ。
それでも怯む事無く、短剣を手繰り、返り血を浴びながらもエルザは魔物を仕留めていた。
短剣を手繰る様子は細い銀色の紐を操っているようにしか見えない程早く、精密だった。
銀色の紐が触れてバタバタと血を吹き魔物が倒れていく。
外傷は急所の1箇所以外には無い。
コンマ一秒以内の出来事である。
「あはははっ、こんなもんか?もっと居るだろう?」
年相応な笑い声が聞こえた。エルザの物である。
逆上して後ろから襲いかかってきたゴブリンの攻撃を笑い声の主は容易く避け、首を掻き切り、空いた方の手で鳥型の魔物を全て撃ち落とした。
残りは動きの鈍そうなゴーレム数体だけとなり、散弾銃を構え、エルザは脚を目がけて乱射した。
それと同時にゴーレムも魔術式による光り輝く弾丸を放ったが、エルザの方が早かった。
ゴーレムの砲撃は虚しくも避けられ殆ど当たらないばかりか、下半身が粉砕され宙に浮き、動きがままならなくなった。
ふと、エルザの白い頬を一つの弾丸が掠め、血を滲ませた。
かすり傷の置き土産が残ったものの、勝利を確信したが、嫌な音が聞こえる。
カウントダウンの音だ。
彼女は走り、現在の位置から離れた木々の陰に身を伏せようとしたが、不審な影が飛翔して逃げていくのを見逃さず、拳銃に持ち替え狙撃した。
次の瞬間爆発音が立て続けに響き、パラパラとゴーレムの残骸が落下してきた。
「クソッタレ、逃げられた」
人影はゴーレムに隠れていたのだろうか?疑念が過り、忌々しげに顔に付着した魔物の血液をエルザは拭っていたが、どこからともなくネーレウスが現れ、拭う手を止めた。
「実力に胡座をかいているからそうなるんだよ。でも…随分強いね」
「なんだよ、お前。いつから居た?怪我は無さそうだが」
「あんまり無茶したら駄目だよ?それに敵意が無い魔物まで殺さないように」
そう言いながらネーレウスは怪我を治療し、説教をしながら更に血の汚れを浄化した。
「そういえば今日は野宿になりそうだな。中間地点はもう過ぎているから無理矢理行こうと思えば行けなくはないが到着は夜遅くにはなりそうだ」
「どうしようか。魔法を使えば次の町にすぐ着くけどどうする?」
「それを先に言えよ!まあいい、お前に任せる」
分かったと言うや否や、彼は詠唱もせずに魔法を使い、瞬く間に次の町へ到着した。




