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二十八話 その男、所在不明

 裏手は庭になっており、芝生で覆われた一面にグミの木が疎らに生えていて、子供達が駆け回ったり、ボール遊びをしている。

 ふと、一人の少年が遠くからエルザに手を振ったかと思えば駆け寄ってきた。

 脇にはボールを抱えており、活発そうな印象である。


「エルザお姉ちゃん!!高速ジャグリングまたやってよ!もっと見たい!」

「曲芸師じゃねえんだぞ!今はちょっとこいつを修道院の空き部屋まで連れてかないといけないんだ」


「なーんだ。ところでこのお兄さん誰?もしかして…フィアンセってやつだ!本で読んだぞ」


 少年は自慢げに胸を張る。

 本で読んだ知識を披露出来て嬉しそうだ。

 エルザは全力で首を振った。


「ちげえよ!魔王討伐の為に一緒に旅をしているだけだ。マセた事ばっか言ってるともうジャグリングはやらんぞ?」

「ちぇっ!なんだよー」


 拗ねる少年に手を振りエルザは修道院の空き部屋へ案内を続けた。

 修道院はもうすぐそこである。

 ネーレウスは庭で遊んでいる子供達を面白可笑しそうに観察していた。


「それにしても、随分子供が多いね」

「なんでも孤児を引き取って育ててるらしい。遠くの町で紛争が起きているそうだ」


 はにかんでいたネーレウスの表情は、エルザの台詞によって、一変して苦々しい面持ちになる。


「そっか…」

「なんだよ?まあ確かに戦争の類が今まで起こったという記録はあまり無さそうだが…いつかは起こる物だ。人の数だけ考え方も違う」


 そう言いながら、エルザは修道院の扉を開けた。

 簡素な廊下が二人を出迎えている。

 そのまま、修道院の廊下中央の階段を登り、二階に出て、いくつも並んだ扉を通り過ぎていって、角にある扉の前でエルザは立ち止まった。


「ああ、言い忘れていたが相部屋になった」

「珍しいね、教会でこんな分け方をするのは」

「なんでもここしか空いてなかったそうだ」


 そう言いながらエルザは部屋の中に入っていき、ネーレウスもそれに着いて行った。

 部屋には布製のハンモックで出来た二段ベッドがあり、鉄の机と椅子が窓際に一つあった。

 何の変哲も面白味も無い、ごく普通の部屋である。


「とりあえず呼ばれるまで寝てようと思うんだが…お前はどうするんだ?」

「外を散策していようかな。少し様子が気になる。夜になったら戻ってくるよ」

「わかった」


 二人の会話はここで途切れる。

 二段ベッドの上段に登るエルザを後ろに、ネーレウスは外に向かった。


 そして、庭では相変わらず、子供達がはしゃぎ回っていたが、ふと、鐘の音が大きく聞こえるや否や、修道院の入口に向かって走り始めた。

 子供達を避ける為に、何食わぬ顔で彼は庭に生えたグミの木に身を寄せる。

 無詠唱の転移魔法によるものだ。

 子供達の話し声が彼の耳を掠めていく。


「そろそろ夜の祈りの時間だ!遅刻すると怒られる!」


 慌ただしい群衆の中、一人の少女が突然立ち止まった。


「あれっ…さっきの背の高い人、エルフだ」

「うそつき!こんなへんぴな田舎に居るわけねーよ!」

「うそつきじゃないもん!エルフいるもん!」


 子供の話し声が彼の耳元を掠めていく。


「だから私はエルフじゃないってば…確かに耳が尖ってるけどさあ」


 彼の呟きは騒がしい声に掻き消され、誰にも聞こえていない。

 子供達が去ってから、ネーレウスはグミの木から離れ、教会の敷地を後にした。

 教会と修道院以外の建物は疎らにしか点在していなかった。

 黄金色の空は徐々に濃紺のグラデーションを描き、その右端には大きな薄紅色の月が出ている。

 大きな放牧地には生物の影は無く、代わりに疎らに警備に出向く人々の影が細く伸びていた。


「アーミョクの死食鬼の片割れか。本当に誰が仕組んだんだろう」


 彼はそう言いながら、姿を消した。


 やがて夜は更けていき、放牧地では冒険者三人組と勇者が、司教であるバネッサに呼び出されていた。

 見渡す限り生い茂る牧草は風に靡き、少し離れた所では畜舎が夜の紺色に紛れている。

 支給された弾丸と憧れの散弾銃を手に入れたものの、どこか上の空な勇者とは対照的に、ランタンを手に持った冒険者三人組は神妙な面持ちを拭いきれていない。


「向こうにある家畜小屋によく出没しているわ。姿が見えないから注意して欲しい」


 姿が見えない、というバネッサの言葉にエルザ以外の三人は目を合わせた。

 アーミョク町での出来事を連想させる言葉にぎょっとしていたのである。


「私は修道院に戻って辺りを警備するわ。昨晩、教会にもそれが出没したようだから。たまたまその時、居合わせていて、大事にはならずに済んだけれど…今夜はよろしく頼むわね」


 バネッサは四人にそう伝えると、教会と修道院がある方向に踵を返した。

 吹き荒ぶ夜風の中で、歩きながら四人はヒソヒソ話し始めた。


「絶対にアーミョク町に出た魔物の亜種か何かだよなあ、姿が見えないって事は」


 不安げに憶測を語るリヒトに、ユーリアは頷いた。


「まあ多分そうだろうよ…弟か」


 我が弟者の食欲に気をつけるが良い、か。

 あの死食鬼が言った事は恐らくハッタリでは無さそうだ。

 上の空のまま、エルザはアーミョク町の死食鬼の記憶を反芻(はんすう)する。


「ネーレウスさん、どこ行ったんだろう。あれだけの腕利きの魔術師が居てくれると頼もしいのに。大丈夫かしら?」


 シャロンの手を握りながら、心配そうにユーリアはエルザに話しかけた。


「あいつ、外に出て行ったきり戻ってきてないんだが…まさか食われてないよな。食べても美味しく無さそうだし多分平気だろうとは思うが…」


 重々しいエルザの返事に三人の不安はより掻き立てられる。


「…でも、エルザもかなり強いし大丈夫だよきっと。シャロンとユーリアは後衛を頼む。万が一、攻撃を受けそうになったら逃げて欲しい。俺達は前衛をやる」

「まあ精々流れ弾にでも注意しとけ。女子供は下がってりゃいい」

「はあ…貴方も女子供じゃないの」

「ユーリアの言う通りだよ!エルザお姉ちゃん」


 エルザの軽口に、シャロンは口を尖らせ、ユーリアは呆れて溜息を吐いた。


「余裕こいてられるのも今だけだぜ?精々後ろでぴーぴー言ってりゃいいんだ」


 このままだとまずいと思い、険悪に姦しむ三人にリヒトは割って入った。


「三人共、喧嘩しないで。ひとまず家畜小屋に入るよ」


 話している内に、四人はバネッサの言っていた現場に辿り着いていた。

 両開きの扉が、風で軋み、嫌な音を立てた。

 ランタンに照らされた家畜小屋内部では、薄桃色のふわふわした体毛の馬程の大きさをした動物が、身を寄せ合って眠っている。

 内部の柵の中に居る事から、家畜だという事がわかった。

 また、端の方に水溜まりが一つあり、地面には散った牧草と僅かな血痕がバラバラに残っている。


「何も無いな…んん?なんだこの水溜まり…雨漏りの跡か?」


 散弾銃を構えて、エルザは周囲を警戒した後、ゆっくり扉の方を向く。

 畜舎こそ閑静であったものの、彼女の視界の端に写った風景では何かが一瞬、動いていた。


「なんだ、大丈夫そうじゃない。怖がって損した」


 エルザの後ろでシャロンはユーリアに握られていた手を解いた。


「油断はしない方がいい。どこかから出てくるかも」


 リヒトはそう呼び掛け、緊張感を保ったまま辺りを注意深く伺った。


「修道院の方に出没してなければいいんだけど」

「まさか、司教様が居るし大丈夫だろう」


 ユーリアに不安を煽られ、リヒトは青い顔をした。


「そうだな…二手に別れるのも悪くないかもしれん。外に出て一服してきていいか?」

「大事な時に行かないでよ!」


 エルザは扉から覗く放牧地を眺めると、シャロンの呼び戻す声も聞かずに畜舎を出ていった。


「えっ、なあおいちょっと!あーもう…」


 慌ててリヒトはエルザを引き留めたが、もう既に遅い。

 困惑した様子で三人は顔を見合わせ、軋む扉の方を向いた。

 放牧地には風が強く吹き荒んでいる。

 リヒトが慎重に、エルザを呼び戻しに行こうとした瞬間、畜舎は強く揺れた。


 そして、銃声が唸る。

 エルザの視覚は標的を捉えていた。


「まさか…もう退治しているのか?」


 リヒトは呆然と呟く他無かった。


「嘘でしょ…?」


 ユーリアに後ろから抱き締められながら、シャロンは身震いする。


「見に行こう。二人は待っていてくれ、危険だ」

「そんな!あたしも行く!」


 去っていくリヒトの後にシャロンも続き、ユーリアは胸騒ぎを覚えつつ、着いて行った。

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