二十六話 賑やかし
「なあ、おい、そこの倒れてる僧侶の女は無事なのか?あと、トロールの群れはどうした?」
エルザは不安げにネーレウスに尋ねる。
「怪我で気を失っていたようだけど、もう治しておいたから少ししたら目を覚ますと思う。群れは多分もう居ない。そこのお嬢さんは」
彼の台詞はシャロンの震えた声によって遮られる。
「…あなたは一体?あたしはシャロンって言います」
ネーレウスは中腰になり、エルザの腕の中で収まっているシャロンと目を合わせた。
「私は今回の勇者の魔王討伐の旅で魔術師を務めている、ネーレウスという者です。君は…どうやら足を怪我しているみたいだね」
そう言って彼は治癒魔法をシャロンに掛けた。
その魔力は尽きる事を知らない。
「あ、ありがとうございます。ねえ、どうして無詠唱で出来るの…?」
その彼の無詠唱の行為にたじろいたが、シャロンはやがて足首を曲げて動きを確認すると、エルザの腕から降りた。
「君達とやり方が違うだけで、魔法発動の条件に必要な術式の提示はしてるよ」
「えっどこに?」
「さあ?」
エルザは二人の会話をどうにか聞いていたが、いよいよ理解に苦しむという顔をした。
「話にまるでついていけねえ…なんだ、その魔法発動には術式?ってやつを唱えないといけないのか?」
「そうだね。この地域だと口に出すのがメジャーかな。術式に魔力を込めて、声を媒体にして提示している」
眉間に皺を寄せるエルザにネーレウスは簡潔に、分かりやすく説明をした。
シャロンは彼の話に聞き入っている。
この話が興味深いようだ。
「つまり声に出さなくても、魔力を通す物であれば、出力の媒体はなんでもいいのね?何があるかなあ…」
話を理解するシャロンの横で、エルザの眉間には余計に皺がよった。
「なるほど、全く分からん」
「君の身近なもので例えると、魔力が弾丸の火薬で術式は弾丸の弾頭。銃そのものが出力の媒体で、この話では声になる」
「んん?なんとなくは分かった?…ような気がする。ところであの僧侶の女、起きたっぽいぜ」
エルザの視線の先には、起き上がろうとする僧侶の女性に、手を貸す剣士の青年の姿がある。
シャロンは何も言わずに向こうに居る二人に駆け寄った。
はしゃぐシャロンの姿を遠目に見ながら、ネーレウスはエルザに小声で囁いた。
「それにしても、やけにあの少女に優しいじゃないか。どうしたんだい?」
「…昔の私とよく似ていた。ただそれだけだ。ゴタゴタは嫌だ、早く行こう」
外套のフードを被りその場からエルザは立ち去ろうとした。
「待ってくれ!そこの二人!」
しかし、その意思も虚しく、剣士の青年が遠くから勇者一行に声を掛けた。
「せめて話だけでもしたらどう?」
「しゃあねえなあ。まあ確かに事情も気にならなくはない」
ネーレウスの鶴の一声に、若干不満げにエルザは頷くと、冒険者三人組の方に向かっていった。
「俺達は貴方に酷い噂をしていたのに、パーティの危機を二度も救って貰って本当に申し訳ない。ありがとう。それに、後ろの魔術師の方にも感謝しきれない。あの群れは俺達だけじゃ倒せなかった」
剣士の青年はじっとエルザの目を見て礼を述べた。
「出来る事、その場での最善を尽くしただけだ、別に大した事はしていない」
エルザはそっぽを向き、煙草に火をつけた。
「ねえ、エルザ。どんな事情があったのか知りたいんだろう?人見知ってないで聞いたら?」
「うるせえよ!てめえはすっこんでろ」
エルザの台詞は妙に巻舌である。
凄くガラが悪いんだけど、大丈夫かなこの勇者。ここに居る冒険者三人組はそう心の中で思った。
エルザの疑問には、先程目を覚ました僧侶の女性が返事をした。
まだその顔色からは血の気が引いていたものの、意識ははっきりとしているようだった。
「この先のベコ村にある教会から依頼を受けたのよ。トロールの凶暴化によって食肉用の狩猟が困難になってるみたい」
「なるほどなあ」
エルザは適当な相槌を打つ。
「本当に何度も助けてくれてありがとう。シャロン、お礼は言ったの?」
「言ったよ!」
シャロンは僧侶の女性の誤解に憤慨したらしく、上目遣いに彼女を睨んだ。
「何はともあれ、勇者一行に助けられた事は教会に伝えないといけないわ。良かったら着いてきて欲しい」
「断る。厄介事はごめんだ」
エルザは無愛想に煙を吐いた。
「来てくれたら、報酬も出るかもしれないし、宿と食事を提供するけど…それでも?残念ね」
僧侶の女性は漂う煙に目を細め、無念そうに踵を返す素振りを見せた。
内心ではこの勇者に呆れ返っているのかもしれない。
「なるべく手短に済ませてくれよ?少しだけだからな」
勇者はすかさず即決する。
神託の勇者と言えども、寝るのと食うのには密かに困り切っていたのである。
僧侶の女性の方が一枚上手であったのは言うまでもない。
「決断早っ」
剣士の青年は思わず突っ込みを入れた。
「今からベコ村の教会に転移するわ」
僧侶の女性の短い詠唱と共に五人は姿を消した。
辺りには倒れているトロールの群れしか残されていない。
詠唱が終わって瞬きをする間もなく、教会の入口の扉の前に五人は出た。
扉の上にはカラフルなステンドグラスの窓が陽の光を反射している。
五人の立っている位置には直径六メートル程の魔法陣があった。
エルザは物珍しそうにしげしげ足元を眺めている。
「なんだこれ?」
「これは転移魔法のアクセスポイントよ。もしかして、魔法について何も知らないの?」
「知る訳ねえだろ、ただの盗賊上がりだぜ?」
「そう。歴代の勇者様達は皆魔法を使えたのよ。振り返ってみると無魔法の勇者は初めてかも」
感心したような面持ちで僧侶の女性はエルザの装備を見た。
「なら、その歴代の勇者ってのは全員頭が良いんだな」
心底どうでも良さそうな返事に僧侶の女性はムッとなった。
「イーメンで貴方の噂を聞いた時に良い予感はしなかったけど、まさかここまで関心が薄いとは思わなかったわ。ああ、そういえば自己紹介がまだだったわね、私はユーリア。貴方達は?」
「エルザ。一応勇者らしいが、勇者を名乗る気は無い」
「もう知っている人も居ると思うけど、今回の魔王討伐の旅で魔術師を務めているネーレウスです。そちらの男性は?」
「申し遅れたけど俺はリヒト、このパーティで剣士をやっています。立ち話もそろそろ切り上げて、司教様のところに話をしに行こう」
そしてリヒトは教会の巨大な扉を開けた。
教会内部はステンドグラスから取り入れられる色とりどりの陽光に照らされていた。
左手の廊下の先には階段があり、広い廊下の先には入口と同じくらいの大きさの扉がある。
立ち往生するエルザをネーレウスが見つめていると、リヒトが声を掛けた。
「こっちだ、二人共着いてきて」
リヒトは階段の方に向かい、数歩進んだところで振り向いている。
ユーリアとシャロンが彼の後ろには居た。
階段を昇り、そのまま二階の廊下を歩いて行くと、簡素な扉が見えた。
その戸をリヒトは叩く。
暫くして、修道服を着た小柄な老女が戸を開けた。
白髪は丸く結ってあり、年の割には背筋は伸びている。
また、窪んだ目元の眼光は鋭かったが、前に立つ冒険者三人組を見て頬を緩ませた。
「失礼します、司教様。トロール討伐の件について報告があります」
「あら……もう終わったのかしら?そこの後ろの人達は神託の勇者様と……随分変わったエルフ様ねぇ」
小柄な老女は視線をずらし、ネーレウスと見つめあったまま、微動だにしない。
ネーレウスが口を開こうとした瞬間、老女は言葉を続けた。
「中にお入りなさいな。何があったのかとても興味深いわ」
柔和な笑みを浮かべ、老女は部屋の中に入るように促した。
室内は一風変わっていた。
木の壁面には大量の銃器類が飾られ、敷かれた絨毯の上にパイン材の机が置かれている。
机を挟む様に、チェック柄をした布地の四人掛けのソファーが二つある。
その奥にある、古びてニスが所々剥がれた事務用の机の上には、崩れかけている書類の山と金属の万年筆、ランタンがあった。
窓からは外の日差しが採り入れられ開放感がある。
この一室は司教の老女の事務室と客間を兼ねているようだ。
エルザは大量の銃器に目を輝かせた。
「……!!すっげえ!あれ、見てみろよ、コルッグM1865だ…!レプリカじゃねえやつ、初めて見た!しかも魔弾対応のカスタムでミスリル製の銃身…かっけえ……かっけえ」
コルッグM1865とは銃器を作っている職人の名を冠した銘の散弾銃である。
エルザは興奮を抑えきれない様子でネーレウスに小声で話しかけた。
「とりあえず、君が凄く銃が好きなのは分かった。分かったから落ち着こうね」
ネーレウスは、熱狂が醒めずにはしゃぐエルザを窘める。
「なんだよ、連れねえ奴だなあ」
「今回の勇者様は銃器に精通しているのねぇ。さあ、皆さんそちらにお掛けになって」
老女は微笑み、席に着くように五人に促した。




