二十五話 冒険者三人組再び
沢の砂利は再び揺れる。
岩に亀の頭と手足、鱗だらけの尻尾が生えた魔物は唸り声を上げ、動く度に地響きを立てた。
「クラッギータートルの群れか。おもしれえ、上等だ」
魔法使いの少女を地面に寝かせ、エルザは短剣で岩の亀の目を狙おうとしたが、剣先は空中を割く。
岩の様な亀の魔物、クラッギータートルは素早く首を引っ込めていた。
「よーし、今日は亀肉のシチューだな」
彼女の台詞も束の間に、クラッギータートル達は砂利を歩き始めた。
動きは緩慢ではあったが、群れは同じ方向を目指して進んでいる。
彼らが向かう先は沢の上流である。
エルザは訝しげにその光景を睨んだ。
「なんだ?どこに向かっているんだ?」
ふと、彼女の近くに居た個体が尻尾で赤土の崖に何かを描き始めた。
描かれた物は歪な矢印であり、群れが進む方向を明らかに指している。
それだけではなく、その個体はエルザの方に頭を差し出して、擦り寄ってきた。
「んん?着いて来いって事なのか?わからんな」
困惑した表情でエルザは立ち往生していたが、やがて外套の端をクラッギータートルに咥えられ矢印の指す方向に引っ張られていく。
「わかったわかった、行けばいいんだな。わーったよ」
魔法使いの少女を抱きかかえ、エルザはクラッギータートルの群れと共に沢の更に上流を目指した。
彼らが一歩踏み出すごとに、その重量によって水面は波打ち、赤土の崖からは砂がぽろぽろ落ちてきていた。
どこまでこの風変わりな行進が続くのか、彼女にはよく分かっていない。
砂利と沢を轟かせる群集は、木々が差し迫っていく沢の砂利道を登って行った。
より道が険しくなる中、魔法使いの少女を抱えたエルザは落石と土砂崩れに注意しながら進む。
バラついた大きさの石だらけの足元は、一歩踏み出す度にぐらついていた。
辺りに警戒しながら、彼女がそのまま着いていくと、徐々に沢の水は澄んでいき、やがて滝に辿り着く。
滝は低い位置、およそエルザの身長よりも少し高い程度の位置から溢れ出しており、苔むして湿った岩肌の傾斜は緩い。
滝が落ちて水しぶきが立つ水面には、皿のような水草が浮いていた。
滝まで案内して満足したのか、クラッギータートルの群れは一斉に手足と頭、尻尾を仕舞うと再び岩に擬態した。
エルザが状況を掴みきれないまま、周囲を眺めていると、岩肌の頂上から丸っこい物体がボールのように跳ねて降りてきた。
その丸みを帯びた物体は短い毛で覆われ、白と黄色の斑模様、子猫程度の大きさをしている。
甲高い小鳥のような鳴き声を発する事から生物であることが彼女には分かった。
その生物の黒いボタンの様な目が、エルザと気を失っている少女をじっと見た。
完全に愛玩向けな姿形をした生物に見つめられて、エルザは再び困惑する。
「んん?スライムの亜種っぽいな。まさか、これも着いて来いって事か?この先に親玉みたいなやつが居なきゃいいんだが」
この台詞を聞き、その生物は何かを伝えたそうに伸び縮みした。
「最悪の場合、まだ弾はギリギリ残ってるしなんとかなるだろう。着いて行ってみるか」
岩肌の頂上までスライムの亜種が跳ねて登り切った後、少女を片腕で抱えたまま、エルザは岩肌を駆け上がった。
そして再び赤土の崖が彼女の視界に再び入る。
岩場はだだっ広く、青空が良く見えた。
跳ねているスライムの亜種の横で、彼女が崖の高さを目測していると、魔法使いの少女は目を覚ました。
「あれ…?イーメンの勇者?」
少女は顔を歪め、呻いた。
どうやら怪我をしているらしい。
「無理に喋るな。立てるか?」
抱き抱えられたまま少女は首を横に振る。
「どうしてまた助けたの?」
「さあな」
それだけ返事をして、エルザは暫く閉口したが、やがて少女に問いかけた。
「何があったんだ?」
「討伐依頼でトロールの群れと三人で戦っていたら、詠唱を間違えて沢まで飛ばされた上に、魔力切れで気を失った」
「残りのあの冒険者二人は?」
「わかんない。あの魔物、すっごく手強かったから駄目かも」
二人は無言になった。
辺りは重々しい空気に支配される。
「ねえ、勇者のお姉さん。どうしてあたしが孤児だって分かったの?」
「普通、お前ぐらいの年齢の子供なら家に居て学校に通ったりするもんだ。あと勇者を名乗るつもりは無い」
「じゃあなんて呼んだらいいのよ?」
「おいおい、人に名前を聞く時は自分から名乗るもんだぜ?」
ニッと唇は伸びて口角が上がる。
悪戯っぽい笑みをエルザは浮かべていた。
「うぅっ…ごめんなさい。あたしはシャロン、没落貴族の娘」
魔法使いの赤毛の少女、シャロンは勇者の腕の中で、彼女の顔貌を見上げた。
「エルザ、ただの盗賊上がりで元囚人だ。」
それから、二人は黙り込んで顔を見合わせたものの、エルザは辺りを見渡して、口を開く。
「なあ、なんか揺れてないかこれ?まあ、わかんねえか」
不思議そうな顔をしたシャロンだったが、次の瞬間短い悲鳴を漏らした。
会話は猛烈な地面の縦揺れによって遮られる。
聳え立っていた赤土の崖が急激に低くなったかのような錯覚を二人は覚えた。
崖の上の馬車道が迅速に近づいており、落差は一階建ての建物程度しか今は無い。
立っていた地面からは、エルザの身の丈の何倍もありそうな手足が生えており、やがて同じ位大きい頭がひょっこり生えた。
二人が地面だと思っていた物は、クラッギータートルの甲羅だったようだ。
「よーし、しっかり掴まっていてくれ。今から馬車道に戻る」
ふと、スライムの亜種が慌ててエルザの肩に乗った。
「なんだ、このスライムもどきも一緒に行くのか?」
スライムの亜種は囀っている。
返事をしているつもりのようだ。
「しゃあねえなあ…」
「あたしが持ってるよ、そのスライムもどきちゃん。肩だと落ちちゃいそう」
シャロンはスライムの亜種を引っ張り抱っこした。
「ああ、悪いな」
こうして一匹と一人を両腕でしっかり抱き直すと、エルザはゴツゴツした甲羅の上で助走をつけて、思いっきり跳んだ。
目指すは赤土の崖の上である。
馬車道に着地したエルザは周囲を注意深く観察した。
しかし、この行為は無駄に終わる。
ネーレウスを探す為だったが何も手掛かりは見当たらない。
ふと、抱えられていたスライムの亜種が腕をすり抜けて、馬車道を跳ねながら進んでいった。
去っていくスライムの亜種に、エルザが気を取られていると、シャロンはある方向を見て目を丸くした。
「なにあの魔力量…宮廷魔術師を遥かに超えてるけど…雰囲気が魔物でも人間でもない、もっと恐ろしい何かにしか…」
ある方向とは、スライムの亜種が進んでいった方角である。
「どうした」
エルザの台詞がシャロンに向いた次の瞬間、遠くから魔力の残影が漂う。
その濃度はシャロンだけでなく、エルザにもはっきり感じ取れた。
「ネーレウスはあっちか、なるほど」
エルザは馬車道を駆けた。
向かう先は魔力の残影の出処であり、スライムの亜種が跳ねていった方である。
枝が垂れ下がり、草だらけで曲がりくねった馬車道を駆けるエルザの腕の中で、シャロンは恐怖のあまり震える。
魔術を扱う少女には、この凄まじさがより伝わっていた。
エルザがカーブを抜けて、数十歩先から見た物は、佇むネーレウスと倒れているトロールの群れである。
辺りにはトロールの所有物と思わしき、棍棒や斧等の武器が転がっている。
そして彼の後ろには、気を失って倒れている僧侶の女性と介抱する剣士の青年が居た。
二人の服は赤茶色に所々汚れていた。
「わっ!」
この二人の姿を見つけて、シャロンは声を上げたが直ぐに静まり返った。
豚の鳴き声のような雄叫びが斜面の木々の中から聞こえたからである。
そのまま、エルザとシャロンが様子を伺っていると、馬車道の脇にある木々が密集した斜面から、別のトロールの群れがネーレウスと冒険者二人に襲い掛かる。
しかしその群れも虚しく、彼に触れるコンマ数秒前にはバタバタ倒れ始めた。
トロールの内、数体はゼンマイ人形の様に手足を動かし立ち上がろうとしていたが、やがて泡を吹いて動かなくなった。
濃く、魔力が残留している。
その場を見てエルザは立ち止まり、愕然と呟く。
「…おいおい、冗談だろう?あいつ何してんだ?」
「無詠唱?あんな魔法初めて見た。どうなってるの…?良く考えてみると敵じゃなさそうだけど」
シャロンは疑念を呟いて再び身震いした。
「私にもよくわからん。とにかく行ってみよう、お前の連れも生きてるかもしれん」
シャロンを抱き抱えたまま、彼女が数歩進んだところで、ネーレウスはこの気配に気付き振り向いた。
「良かった、こっちまで戻ってこれたみたいだね」
そして歩く素振りも見せず、二人の目の前に現れる。
まるで息を吐くかのように彼は移動魔法を使っていた。
ほんの僅か、一瞬の出来事である。
湯水の如く魔法を使ってもなお、魔力切れを起こさず平然としているネーレウスに、シャロンはただ、凍りついたのだった。




