二十四話 遭難
やがて、暖を取った後の火の後始末をしてから、遺跡に戻った二人は入り口の階段を下った先の金属壁の一室に居た。
筒状の硝子ケースが並ぶ空間の端には、麻袋に雷鳴鳥の羽が入った簡易の敷物が敷かれ、その上で、外套に包まってエルザは横になっている。
脱力しきった白い腕が外套の隙間から見え、銀髪に隠れた顔からは寝息が聞こえてくる。
また、近くには彼女の装備類がごちゃごちゃに置かれていた。
そしてその隣でネーレウスは座り込み、書いた手記を読み直す。
彼は眠る事をしない。
奥の方で光を放つ、透明な板の形をした機械の無機質なノイズ音だけが時の流れを表した。
翌朝になり、エルザは起き上がった後、再び寝ようとしたが、ネーレウスが起きている事に気付き、欠伸を噛み殺した。
「おはよう」
気だるそうに起き上がるエルザにネーレウスは声をかけた。
「随分早起きだな。なあ、今日中には次の町に着きそうか?」
眠そうに首を鳴らし、伸びをしながらエルザはもう一度欠伸をした。
台詞はぼやけて聞き取りにくい。
「上手くすれば着くと思う。どうしたんだい?」
「弾の補充がしたい。宿場町のアーミョクではあまり弾が売っていなかったからな。大方ガンマンの冒険者自体が珍しいからだろうよ」
エルザが苦々しい顔をしながらホルスターと拳銃、軽鎧を装備する横で、ネーレウスは敷物を畳むと、召喚した異空間に仕舞った。
「君が使っているのを見た限りでは便利そうに見えるけど…あまり普及していないんだね」
「私は慣れてるが、長距離を自分の脚で旅するには、何本も持ち歩く事が前提になる銃は重過ぎるんだろう。軽量化すると弾道が安定しなくなりそうだし、何なら撃った拍子に爆発するかもしれん」
「どうして何本も持ち歩かないといけないの?」
「実戦でリロードを一々やる時間は無い、それなら別の銃に持ち替えた方が早い」
「そういう事情なんだね」
興味深そうに話を聞き入るネーレウスにエルザは更に言葉を続ける。
「それだったら攻撃魔法を撃った方が早いと大体の連中は考えるだろうが…弾丸以外消費しない分、多分堅実だと思うぜ。命中率はこっちの腕次第だしな」
エルザは根拠が無い持論にそう結論付けた。
「魔法であれば体内の魔力を消費するからね」
この持論に対して、ネーレウスは魔法の構造について説明し始めた。
攻撃魔法との比較をし易くする為である。
「えーっとなんだその、体内の魔力ってのは一体どれくらいあるんだ?」
エルザは素朴な疑問を抱いた。
「一般的には、簡単な攻撃魔法を十五回前後撃てる程度の量かな。魔法技術と瞑想の熟練度によって魔力保持量は上昇して、王宮に仕えている高位の魔術師なら一般市民二十人分前後の魔力の保持量」
「お、おう…なんかしょっぱいんだな」
彼女の実直な感想にネーレウスは更に説明を述べた。
「でも魔力って時間経過と共に回復もするから意外とそうでもないよ」
「待て、初速と飛距離はどんなもんなんだ?」
「個人差があるから何とも言えないよ。でも流石に銃よりは遅いんじゃないかな。飛距離は術者の魔術能力次第だと思う」
「ほーん、 そういう仕組みなんか」
「もし良かったら君もやってみるかい?」
「今は銃で事足りてるからなあ、必要そうになったらまた聞く」
散弾銃が入ったホルスターを背負い、エルザは遺跡の出口に向かった。
その後ろ姿を後目に、ネーレウスは透明な板状の機械を指先で操作する。
そして機械がノイズ音と光を発しなくなると、彼も静まり返った遺跡から去っていった。
そして彼が泉の畔に着くと、エルザが遺跡の方を向き、黙り込んで待っていた。
日が昇ったにも関わらず、周囲は相変わらず閑静だ。
何かを考え込んでいた様子だったが、彼女は口を開いた。
「…なあ、お前は本当に古代人なのか?実は違うんじゃないのか?」
返事は無く、ネーレウスは困惑した面持ちだった。
エルザにはこの時間が異様に長く感じられた。
反応は無く、木々の葉が風で擦れる音が時折聞こえるばかりである。
「いずれ、きっと分かるよ」
彼が浮かべた微笑にはどこか陰があった。
彼女が佇むネーレウスに見入っていると、次の瞬間、何かが割れるような音と冷気が背後から襲い掛かる。
突如として泉は厚い氷に覆い尽くされていた。
「さあ、行こうか」
エルザは彼が何をしたのか完全に理解出来なかった。
呆然と泉を見る他無い。
しかし、やがて我に返り、エルザは凍った泉をおっかなびっくり歩き始めた。
本当にネーレウスは古代人なのか?もっと違う存在なのでは?この疑問は彼女の脳裏の片隅に残ったままだった。
遺跡と泉を後にしてから、勇者を先頭にして二人は先を進む。
二人が登っている道は急な勾配であり、複雑怪奇に曲がりくねるばかりか、片側は急な崖になっている。
また、迫り出した木の枝の下の、赤っぽい土に車輪の跡がある事から、やっと馬車道だと判別が着く程には整備されていない。
しかしながら頭上で鳥が囀るこの山道は、荒廃というよりもむしろ、緑に侵食されていた。
エルザが呑気に煙草を咥えながら、崖側を歩く一方で、ネーレウスは崖側を歩かないようにしつつ、慣れない足取りで赤土を踏みしめていく。
二人の間隔は少しずつ離れていく。
「もう少しゆっくり歩いてくれると嬉しいなあ…またあの洞窟の時みたいにはぐれそうだ」
彼の声にエルザは後ろを振り向いた。
「流石に一本道だし、平気じゃないか?」
「そうだけど、この先にまた道が分かれてるかもしれないよ?とにかく君一人の旅じゃないんだから」
「おう」
生返事ではあったが、エルザが徐々に歩く速さを緩め、立ち止まったのでネーレウスは安堵した。
「ありがとうね」
返事は無く、エルザはじっと崖の下を見つめている。
そして、どうにか追いついて真横に立つネーレウスに崖の下の方を指差した。
「崖の辺りで何かが光ったな。なんだろう?」
「まさかとは思うけど、崖を下ろうとか考えてないよね?」
「そのまさかだ。まあちょっと待っててくれ、その内戻ってくるから」
彼の制止は徒労に終わる。
エルザは崖から滑り降りていった。
木が疎らに生えた崖の下には沢が流れている。
やがて様子を見ていると、彼女の叫び声が聞こえ、ネーレウスは頭を抱えた。
「うわあ!!じゃなくてさあ…迎えに行けなくもないけど、それじゃあ為にならなさそうだ」
不安そうに彼は崖の下を眺めていたが、やがて観念した様子で目を閉じた。
まるで何かの声を聞いているかのように、時折頷いたり相槌を打ったりしていたが、やがて歩き出した。
「向こうにある妙な気配も気掛かりだし、進んでみようかな」
冷たい山の風が吹き、木の枝を揺らしながら音を立てて去っていった。
ネーレウスが誰かと連絡を取っている間に、崖に生えている細い木に、エルザは片手でぶら下がっていた。
肌の露出した部分には擦り傷が、服には赤土が付着しており、崖から落ちた事が分かる。
上を見上げた後に下を覗き込み、そのまま慎重に足場を確保した。
崖の下では淀んだ沢が流れている。
「なんだ、光ってたのって沢の水面かよ。クソ、登るには無理があるなこれ」
もう一度、上を見上げると彼女はゆっくり崖を降り始めた。
登るには険しく、先が長いと判断したようだ。
赤っぽい土壁はパラパラ剥がれつつあり、今にも崩れてきそうだ。
時折生えている木を掴み、柔らかく不安定な足場を器用に下る内に彼女は岩場に差し掛かった。
そしてもう一度下を覗き込み、高さがどれくらいなのか目視した後、そのまま飛び降りる。
沢の砂利の部分に着地したエルザはその場に立ち尽くした。
淀んだ沢を眺めながら、どうやってネーレウスと合流するか、彼女は途方に暮れていたが沢の上流の方へ歩いていった。
辺りには沢の水音と微かな野生生物の気配が漂っている。
ふと、子供の甲高い悲鳴が水のせせらぎに紛れて彼女の耳に入る。
方角は沢の上流の方だろうか。
エルザは聞き覚えのある声に走り出した。
風景は進む事に狭くなり、鬱蒼と生い茂った木々によって暗くなっていく。
障害物のように配置された岩を飛び越え、垂れ下がる枝や薮を短剣で切り裂いて、彼女は悲鳴の出処を探す。
やがて、岩陰から除く赤い髪らしき物がエルザの視界に映る。
その赤毛の主に徐ろに近づき彼女は溜息を吐いた。
赤毛の主はアーミョクで出会った、冒険者三人組の魔法使いの少女である。
ぐったり横たわった少女の服は土や泥で汚れ、所々破れていた。
「おい、大丈夫か?仲間はどうした?」
少女の返事は無い。
エルザは残り二人の冒険者が居ないか辺りを探したが、手掛かりは見つからなかった。
周囲には魔法使いの少女以外、人らしい気配は存在していない。
「なんだよ、クソ…」
悪態を漏らしながらもエルザは魔法使いの少女の柔らかい手首を掴み、脈があるか確かめた。
エルザの顔から、険しさがほんの僅かに消える。
「生きてはいるみたいだな」
少女を片腕で抱えて、この場を離れようとした途端、地鳴りと共に辺りは揺れる。
周辺にあった岩が一斉に起き上がり、鱗に覆われ、ずんぐりした太い手足と尻尾が生えてきた。
次には亀の頭が手足が生えた岩から現れる。
沢は魔物の巣になっていた。




