二十三話 短剣漁
「おい、それっぽい物はこれしか無かったぜ?」
胸に石版を抱えながら戻ってきたエルザの第一声である。
「多分これだとは思うんだけど…ちょっと 貸して」
蜂の死骸から離れてネーレウスは石版を受け取り、掘られている奇怪な文字を眺めた。
「おめでとう。掘られている術式から考えてこれが石版だと思うよ」
「そりゃどうも。ところで何故術式から例の石版だと分かるんだ?」
怪訝そうな顔をエルザは見せた。
「魔術に使う術式って時代や国が違っても大体同じだからね。これが必要な石版である証拠に、魔王城の鍵を開ける術式が掘られている」
訝しむエルザにネーレウスは大まかな説明をする。
「んん?そういうもんなのか」
「謂わば術式は共通言語の様な物なんだ。石版だけど預かっておくね。重いだろうし」
まだ腑に落ちない様子だったが、彼の説明の続きを聞いてエルザはようやく納得して頷き、煙草に火を点けた。
「ああ、すまんな。ところで今日はここで野営か?ここなら夜風程度は防げそうだ」
ここで彼女の腹の虫が呻く。
金属の壁の広い空間では、腹の虫の鳴き声は切なげに大きく響いた。
「そうだね。でも先に食料の調達をしようか」
漂う紫煙に目を細めつつ、ネーレウスは返事をした。
「お前は下の階で寝床の準備でもしていてくれ。私が探す方が効率が良い」
「分かった」
二人はこの広間を出て階段を降りて行った。
煙草の煙が尾の様に細くたなびいている。
遺跡の下の階にある、硝子ケースと奇妙な機械が立ち並ぶ一室から出て、彼女が向かった先は泉の畔だ。
周囲は暗く、冷たい風が吹いていたものの、エルザは煙草を咥えたまま水面を眺めている。
周囲からは木々の葉が擦れる音と微かな野生生物の気配しか感じ取る事は出来ない。
短くなった煙草を消すと、エルザはポケットから取り出した紐で髪を結い、装備していた銃器類や外套と軽鎧、グローブを外して地面に置く。
次にブーツとシャツを脱いで、ズボンに括りつけていたゴーグルを着け、気配を消して泉に入水した。
さらしとズボンだけになった彼女の片手には短剣が握られている。
泉を泳ぎ、エルザは何かを探す。
水面から頭を出したかと思えば、再び潜る事を繰り返していたが、やがて深く潜り込みそのまま姿を消した。
静寂が続く様に思われたが、水中が薄煙の様に徐々に赤く滲み始める。
そして突然、水面は激しく波打ち、けたたましい水音を発したと同時に、真っ赤になった。
ニヤリとした彼女の顔が水面から覗き、両腕には短剣が鼻柱に刺さった大型魚、ピラルクを抱えている。
獲物、もとい夕飯を捕まえる事に成功したエルザは満足そうに陸まで泳いでいった。
畔に辿り着くと、脱ぎ散らかった装備類を眺め、困惑しているネーレウスの姿があった。
「えぇ…」
泉からピラルクを抱えて戻ってきたエルザに、彼は驚きを隠しきれない面持ちをした。
「一か八かだったが…思ったより楽に仕留められたぜ」
そう言いながらも、よく見れば彼女の身体のあちこちには噛み傷や擦り傷、また、一つの不自然な切り傷が腕にあった。
「あのさぁ…」
「なんだ?不満なのか?」
「溺れたのかと思って心配したんだよ。ところでそこの切り傷は?水中なら余程深く潜らない限り出来ない筈だ」
そう言いながら、ネーレウスは詠唱も無く治癒魔法を怪我に掛け、更に濡れた服と身体を乾かした。
「中々獲物が見つからなくてピラルクをおびき寄せる為に切った」
不貞腐れた様子で獲物を地面に置き、エルザは脱ぎ捨てられた装備を着る。
「関心出来ないね、それは」
その言葉を聞いて、ネーレウスが怒りを顕にしたのは言うまでもない。
「私が自分の身体をどう使おうが自由だろう?」
「そういう問題じゃない」
「じゃあどういう問題なんだ?わからない」
不毛なやり取りにうんざりしながら、エルザは煙草を咥えている。
どの言葉を掛けて説明するべきなのか、ネーレウスには最早良く分からなくなっていた。
「ご飯にしようか。出来るまで休んでてくれる?」
「悪いな、恩に着る」
エルザは座り込み、夕飯の支度に掛かっているネーレウスの後ろ姿を見つめていた。
この沈黙の中で彼は黙々と火を起こし、どこからか取り出した調理器具と小型の折り畳み式の台を使って魚を捌き始めた。
彼の勇者に関する推測は止め処なく広がっていく。
彼女が今まで居た環境は本人から聞いた物より、もっと荒んだ物だったのではないか?
どうやってエルザに倫理観を教えていったらいいだろうか?
いつか分かってくれればいいけど。
ネーレウスは深い溜息を吐き、薄い切り身になった鮫に下味を付けて串に刺すと火を囲うように串を地面に差し込んだ。
「そろそろ出来るよ」
「なんだ思ったより早いな」
彼の呼び掛けの声に、エルザは伸びをしながら返事をした。
「なあ、そういえばあの古代生物だかなんか結局どうだったんだ?」
彼女の台詞は続く。
ネーレウスはしゃがみこんで串焼きを回しながら答えた。
「過去の文明で人工的に作られた昆虫の幼生で、今までは卵の状態で休眠に入っていた。君が遺跡を壊した事を起因に暴れたと捉えられなくもないけど…妙なんだよね」
「何がだ?」
「あのくらいの刺激であれば、本来は休眠から目覚めない。つまり、誰かが過去に人為的に孵化させた可能性が出てくる」
「そうだな…私には何も関係が無い話っぽいな。あの蜂はなんだったんだ?あれも古代生物か?」
エルザは呑気に感想を述べ、更なる疑問を尋ねた。
「蜂に関して言えば今まで見た事も無いよ、あそこまで強力な神経毒を持った生物は。どうやら奇跡的に君の身体にはあまり効いていなかったようだけど。何故餌が無いあの場所に居たのか」
「ほーん、つまり…どういう事だってばよ」
「この建物は過去の文明に存在していた研究所。察するに何者かが、何かを目的に侵入したみたいだ。そして恐らく、死食鬼の一件と何らかの関係がある」
適当な相槌を打つエルザに、ネーレウスは結論を出した。
彼女の視線は焼き色が付いた串焼きに釘付けになっている。
気が付けば、周囲には香ばしい匂いが立ち込め始めていた。
「真偽を確かめる方法は無いだろうよ…なあ、そろそろ焼けたんじゃないか?」
「そうだね、そろそろ食べても大丈夫そうだ」
滲み出す脂によってツヤツヤした鮫の串焼きを取り、ネーレウスはエルザに渡した。
完全にご飯に意識持ってかれてるんだけど…食後に話した方が良かったかな。
彼がそう思ったのは言うまでもない。
エルザは鮫の串焼きを頬張る事に夢中になっていた。
パリパリムシャムシャと音を立て、がっつく彼女とは対照的に、相変わらず物静かにネーレウスは串焼きを口に運んでいる。
串の残骸が地面には散らばっていた。
「…うーん、ピリっとした香辛料と塩分が脂の甘みをより引き立てているし、骨まで柔らかくて食べやすいな…なあ、お前は古代人か何かなのか?」
彼女の問い掛けは唐突だった。
「さあ?どうだろうね?」
食事の手を止め、ネーレウスは返事をした。
「何故遺跡が研究所である事が分かった?」
「知っているからだよ。何が行われてきたのか」
「なんだ、やっぱり古代人じゃねえか。えらい寿命の長さだな、おい。無詠唱の魔法も実はロストテクノロジーか?」
エルザは思わず突っ込まずには居られなかった。
「まさか!それは違うよ」
「えっそうなの?」
「そうだよ」
ネーレウスの返事に、彼女の頭は余計にこんがらがった。
「あっ串焼きだけど、明日に取っておく?」
「どっちでも…あっやっぱり、もう一本だけいいか?」
考える事を放棄して、エルザは何本目か分からない串焼きに手を伸ばした。
「どうぞどうぞ。よく食べるね」
「それは違う、お前が少食過ぎるだけだ」
彼女がもごもご返事をしながら、食事をしている間にネーレウスは残った串焼きを竹製の器に移し始めた。
もう夜は更けて、焚き火だけが煌々と周囲を照らしている。




