二十二話 一つ目の石版
疑念を抱いたまま、エルザが階段を駆け上がり石版を探す一方で、古代生物と対峙するネーレウスは疑問を呟く。
「それにしても…凍らせて休眠させていたのに…誰の仕業だろう」
蒸散した物質が再び形を成したと同時に冷気が周囲を支配した。
再生能力により、行く手を阻んでいた古代生物は凍りつき、廊下と壁の隙間を塞ぐ悪趣味なオブジェと化す。
「死食鬼の件といい、見過ごせる話ではない」
氷漬けの古代生物の前から彼は姿を消した。
無詠唱の転移魔法によって向かった先は、L字型に折れた金属の壁の向こう側である。
転移先はより突飛であった。
発光する天井に照らされた、だだっ広い空間の半分は割れた巨大な水槽で埋め尽くされ、毛むくじゃらの芋虫が壁際を無数に這い回っている。
緑味を帯びた金属製の二枚の板が階段の様に浮いており、その隣に彼の身の丈程もありそうな透明な板が大量の管に繋がれて隅に立つ。
また、床は管や金属片で散らかっていた。
ネーレウスは床から顔程の大きさの透明な板を見つけ出し、細長い側面に付いた突起を押してから指先で操作し始めた。
操作された板は点滅を繰り返した後、言語らしき記号を横並びに映し出している。
「おかしいな…やはりデータが一部抜き取られてる。不味い事になった…とにかくこの状況をなんとかしよう、外に逃げ出されたら現在の生態系が崩れてしまう」
苦虫を噛み潰したような顔をして、ネーレウスは段型に浮く金属の板に透明な板を置いた。
「他に無くなっているデータが無いか確認しないと」
そして予備動作も無く、魔力が暴発する。
壁を張っていた芋虫達は壁ごと凍て付き、その場から動かなくなり、コンマ数秒後には粉々に砕け散った。
時間は遡り、疑心を抱えながらも長い階段を昇り切った後、先にある広間に足を踏み入れたエルザは立ち尽くしていた。
彼女の視線の先には壁に密集した抜け殻、床に散らばった謎の金属片があった。
しかし、それも束の間であり、床から視線を逸らす。
疎らに剥がれたアーチ状の天井には、触手を模した彫刻が掘られ、広間の中央では天井まで届きそうな乳白色の偶像が存在感を放っていた。
偶像のフォルムは極めて奇妙であり、触手に象られた光背と、人型の生物が合体した物をモチーフにしている。
光背を持った生物も特殊で、鱗だらけの二本の脚の先に尾ビレ、骨盤がある部分には蝙蝠の様な巨大なヒレとヒラヒラした触腕が一対ずつ生えていた。
上半身にはエラがあり、頭の部分には二つに分けた前髪の様な形状をした、長い触覚の様な物と細長い耳を持っており、頭髪の代わりに触手が生えている。
「なんだろうこれ?」
この偶像が何の生物を示しているのか、全く想像が付かなかったが、エルザは既視感を感じた。
そして、石版を探す為に祭壇の近くを調べていると、唐突に低い羽音が彼女の耳を掠めていった。
音を辿った先には、芋虫の古代生物に負けず劣らずの巨体をした蜂がホバリングしている。
すかさず銃声が鳴り響き、蜂は落下した。
蜂は撃ち抜かれたものの、まだ息の根は止まっておらず、甘ったるい嫌な臭気を放つ。
またもや、天井から重低音が聞こえた。
それを羽音だと理解したエルザが銃口を向けるのと同時に、巨大な蜂の群れが丸い天井の隙間から現れ、歯を鳴らす。
半死半生の蜂は援軍を呼び込んだのである。
本来なら昆虫にしか分からない物だったが、その巨体によるフェロモンの量は臭気として感知出来る程だった。
蜂の群れはエルザに襲いかかる。
「おいおい、害虫駆除業者に職替えした覚えは無いぜ?」
蜂の群れを跳躍して距離を取り、エルザは空中で拳銃を二丁構え、放たれた弾丸が蜂の群れを確実に狙う。
宙を浮きながらも精密な射撃が狂う様子は無い。
着地した彼女の二つの銃口は近接される蜂よりも早く照準を定めた。
そして立て続く銃声と共に蜂の群れは壊滅していった。
しかしそれだけでは終わらず、更に大きく低い羽音が天井の隙間から聞こえ、瞬く間に更に巨大な蜂が一匹現れた。
女王蜂と思わしき巨大な蜂はギザギザした鋏の様な歯を鳴らしていたが、やがて彼女に向かって低空飛行した。
「そろそろ弾が切れそうだ、クソ」
猛接近してくる蜂を躱しながら、エルザは拳銃をホルスターに仕舞い、短剣を右手に持つ。
そして駆けて蜂の背後に回り、その背に飛び乗る隙を探そうとしたが、濃い塩素の臭いに彼女の注意は向く。
臭気の元は女王蜂であり、羽を震わせて周囲に拡散させていた。
その臭いと共に身体の痺れをエルザは覚え、しゃがみ込んだ。
噎せ返る様な臭いに咳き込みながらも、完全に身体が動かなくなる前に背中から散弾銃を取り出し、片手で銃口を向けた。
短期決戦である。
しかし、その抵抗も虚しく、女王蜂は彼女を押し倒した。
今にも白い皮膚を噛み千切りそうな様子で獰猛な歯がカチカチ鳴っている。
ふと、蜂の顎が開いた瞬間、短剣がそこに差し込まれて一太刀の線を描いた。
切り口からは緑色の体液が撒き散り、彼女の軽鎧や肌を汚していく。
死してもなお、脊髄反射によって動く手足がシャツから露出した手首を掴み、離す気配は無かったが、エルザは蜂の胴をどうにか蹴り飛ばして間合いを取る。
そしてふらふら立ち上がり、石版を探す為に再び祭壇の方へ向かった。
女王蜂が発した毒により、足元に散らばっている巨大な蜂の死骸を避ける事にも難儀し、石版の捜索は難航極まりつつあった。
暫くして、微かな悪臭が立ち込める大広間に足を踏み入れたネーレウスが見た物は、祭壇にもたれて座り込む勇者の姿と虫の残骸だった。
この現場を見て、彼の憶測は留まる事を知らない。
一体何が起こったんだろうか?
どこからどう見ても、過去に誰かが侵入したようだけど。
そうでなければ古代生物が活動していた事と床の奇妙な昆虫の死骸について説明がつかない。
不可解な光景に彼は唇を真一文字にして訝しんでいたが、先にぐったりしているエルザの介抱をした。
「大丈夫?」
「んん…あれ、お前またいつの間に?痺れは無いのか?そこの蜂に毒を撒き散らされたばっかなんだが…」
「私は平気だけど…動けそう?」
心配そうなネーレウスを他所に、エルザは呻きつつも立ち上がった。
「峠はもう過ぎた。とりあえず石版だな、この部屋には無さそうなんだが」
「どうしようか、あの蜂も少し調べたいんだけど…」
「別行動だな、またこの様子だと隠し部屋かなんかありそうだし。」
壁際を観察しながら、うろうろと注意深く隠し部屋を探すエルザの様子をネーレウスは暫く眺めていたものの、やがて昆虫の死骸の方へ向かった。
蜂はもう動く予兆を見せていない。
このまま、淡々と時が過ぎていきそうな気配を見せていたが、彼の調査は唐突なエルザの短い悲鳴と、金属が擦れる音によって遮られた。
「うわっ!たまげたなあ…」
ネーレウスが蜂から視線を移した先には、大口を開ける金属の壁のすぐ横で立ち竦んでいるエルザの姿があった。
「なんか知らんが勝手に開いたぜ。セキュリティどうなってんだよ…まあいい、善は急げだ」
エルザは振り返ってネーレウスに不可解そうな顔を見せていたが、やがて先に進んだ。
「下に行った時にシステムの改変を加えておいて正解だったみたいだ」
広間から去っていく彼女の後ろ姿を尻目にそうぼやき、ネーレウスは蜂の体液を採取し始めた。
薄緑色の金属で囲われ、人が複数名入れそうな広さの奇妙な空間にエルザは進んだ。
中央には四角く囲う様に四本の金属の柱があり、その柱は天井に近い位置から木綿のロープで囲われていた。
また、薄紫色をした細長い飾りがロープから連なり、垂直に垂れ下がっている。
そっと飾りを掻き分けて、エルザが柱に囲われている箇所に踏み入ると、顔程の大きさの石版が宙を浮いていた。
「んん?これが石版か?」
不可思議そうな呟きが零れる。
そして慎重に石版を手に取って、エルザは物珍しそうに摩ったり叩いたりしてみた。
叩く度に乾燥した小気味よい音が鳴っている。
石版には幾何学的なモチーフと奇妙な言語が彫られており、光の屈折によって色が変わる石が四隅に埋め込まれていた。
「中々良い音がする。とりあえずネーレウスに見せるべきだな」
その内、石版を玩具にする事に満足したらしく、それを胸に抱えてエルザはこの奇妙な空間から出ていった。
祠がある遺跡内部には彼女の足音が硬く響いた。




