二十一話 その勇者、脳筋
やがて辺りが徐々に暗くなり始める頃になって、ようやく二人はシダが芽吹く岩山に挟まれた大きな泉を見つけた。
沈み込んだ枯れた大木と鋭い牙の大型魚が深い水底から見える程、水面は澄み渡り、木々の間から差し込む夕日を反射している。
足元から数歩先にある奇妙な人工物と、巨大な泉の対岸の先に小さく見える遺跡のような物がエルザの興味を誘った。
数歩先の人工物の姿は独特で、彫刻が施された六角柱の形をした石の塊に、丸い飾りが先端に付いた石の屋根と細い三本足を取り付けた形をしていた。
そして、六角柱の石の部分には鍵穴のようなものが付いている。
「こんな所にまさかここまで巨大な泉があるとは思わなんだ。この先に進むのか?」
その人工物を眺めるネーレウスにエルザは呑気に感想を述べた。
「そうだよ。でも、泳ぐには大型の肉食魚がいるし、転移不可の呪いが掛かっていて簡単には進めなさそうだ。ところで、こっち側にある人工物はなんだろうね?」
「となると、この泉の先に例の祠があるのか。あーどうすっかな。確かに泳ぐには厳しいなこれ、いや?いけるか…?」
向こう岸を眺める彼女の言葉の語尾は、独り言のように発せられた。
「ねえ、そこにある人工物、何か仕掛けがある気がするんだけど」
彼の助言を聞いても、まだエルザは無言で向こう岸を見つめていた。
懐から鍵を取り出す様子は無い。
泉の水面は微動だにせず、時間が止まったように見えた。
「まあいい。行くぜっ…!」
無言の時は彼女の熱い決心によって打ち破られる。
泉から数十歩程度、エルザは離れて、背負っていた銃器類を徐ろに外すと全速力で走り始めた。
長い銀髪を靡かせて疾走する様子はネーレウスが今まで見たどの生物よりも早い。
「あの、だから、そこにある人工物に鍵を…ねえ聞いてる?おーい」
「うおおおおおっ!!!」
彼の問いかけも虚しく、健脚によって水面ギリギリまで踏み込むや否や、向こう岸に目掛けて彼女は跳躍した。
そして高く飛んだ数秒後には向こう岸に滑り込み、遺跡まで進むエルザの姿が彼の視界に映る。
飛距離は優に三、四十メートルは超えていた。
呆れた様子でエルザの置いていった装備をネーレウスが回収したのは言うまでもない。
「あのさぁ…やっぱり変わってるね、君は。 こうなるとは予測出来なかったよ」
何事も無かったかのように水面を歩きながら、発せられた独り言はエルザには聞こえず、木々の掠れる音だけが返事をした。
ネーレウスが泉を通り過ぎると、遺跡の前で入口の鍵穴に細い針金のような物を使い、鉄製の扉を開けようとするエルザの姿が見えた。
遺跡は特徴的な外観をしており、積み上がった灰青色のレンガによって半球体を成した外観からは細い木が数本生えている。
「あれ、お前どうやって来たんだ?やっぱり飛び越えて…」
背後から近づいてくるネーレウスに気付き、エルザは手を止めて振り向いたが、すぐにピッキング作業に戻った。
普段の言動からは想像がつかない程、白い指先が繊細な動きで針金を手繰っている。
「まさか!泉にちょっと細工をして歩いてきただけだよ。君が洞窟で拾った鍵を持っているからそうするしかなかった」
「えぇ、どういうことなの…」
解せないという顔をしながらも彼女が淡々とピッキングを進める内に金属音が遺跡の扉から聞こえた。
「おっ、開いたぜ。思ったより楽勝だったな。で、祠はこの中か?」
さも容易げに遺跡の扉を開け、煙草を咥えるエルザの姿は勇者というよりは現盗賊である。
「確かにこの中だけど、開いたぜじゃなくてさあ…良くないよそういうの」
「まあいいだろ。ところでこの鍵どうするんだっけ?」
エルザは洞窟で拾った鍵をネーレウスに見せた。
「恐らく畔にあった人工物の鍵穴に差し込む筈だったんじゃないかな?泉を渡れるようになって、ここも開くような術式が鍵に彫られていたんだと思う。大体、この場所に細工をした人の気持ちをもっと考えて…」
説教と共に回収した装備を渡され、うんざりしながらエルザは煙を吐き捨てた。
彼の説教はしばらく終わらなさそうだ。
重々しい金属の扉が開いた先は下り階段であり、先は仄暗い。
二人は石版を探す為に遺跡に潜り込んだ。
「なんだこれは…?まさかまた方舟伝説の水害前の文明か…?」
遺跡の地下に入り込み、立ち竦んだエルザの第一声である。
だだっ広い空間の床や天井、壁は微かに緑味を帯びた得体の知れない金属で作られており、グネグネした黒い紐の様な物が床の四隅を囲んでいる。
右端には、金属の板の上に設置された天井まで届きそうな筒状の硝子ケースが並び、奥の方では背の高い透明な板が大量の管に繋がれぼんやり光っていた。
明らかに今の時代の物ではない事だけ、エルザは理解する。
「とりあえず、石版を探すか」
しかし呼び掛けられても、ネーレウスがその場から動く様子は無い。
「この場所…どんな用途に使われていたと思う?」
彼の琥珀色の瞳がじっと勇者を見つめた。
「さあな。想像もつかんよ」
唐突な問い掛けにエルザは怪訝な顔をした。
だからお前は過去の文明の一体何なんだよ。とすら彼女は考えているのかもしれない。
「分からないならいいよ、分からなくていい。石版を探そう」
「えぇ、なんだそれ」
勇者は小首を傾げ、釈然としないまま遺跡内部を観察する。
やがて、彼女の目は左側の金属の壁に人が通れる程の大きさの四角い継ぎ目を捉えた。
「これ…もしかすると通れるかもな。石版はここに無さそうだし確実に向こうなんだが…」
そう言いながらエルザは左端の継ぎ目に近付いた。
そして壁を叩き、扉があると思わしき部分と違う部分の音を確認した。
甲高い金属音と低い金属音が波打って交互に遺跡内に響く。
「それにしても何をしたら開くんだ?でもまあいい、物は試しだ」
「エルザ、ちょっと?」
透明な板の前に立つネーレウスの助言を無視すると、エルザは数歩下がって助走をつけて、壁の継ぎ目に囲われた位置に思いっきり体当たりした。
次の瞬間、重々しい打撃音と共に壁が歪み、子供が通れる程度の隙間が壁に出来る。
「これで進めるな」
「限界という物を君は知らないみたいだね」
エルザがニヤリとする横で、発光する透明な板を指先で弄っていたネーレウスは呆れ顔を見せた。
透明な板には継ぎ目のない衣装の女性が映し出され、聞き慣れない奇妙な言語を発していた。
金属の壁を両手で押してどうにか大人が通れる程の隙間を確保した先は長い廊下だった。
廊下の端には上り階段があり、壁際には等間隔に四角い継ぎ目が見える。
白く発光する天井が床と壁を照らしつける中、二人は先を進んだ。
「見つかんねえなあ…石版。どうも手当たり次第に探すには無理がありそうだ」
「探せばきっとあるよ。向こうの階段の先を見てみよう」
会話は無機質な廊下ではかなり反響して、声質の違いを強調させていた。
ふと、足音に紛れて壁から物音が聞こえている事に気付き、エルザは立ち止まった。
「なんだこの物音」
「本当だ。どうしたんだろう?」
二人が様子を伺うにつれて、壁の四角い継ぎ目は膨張と収縮を繰り返し始めた。
それもつかの間に、継ぎ目に隙間が現れる。
現れた隙間からは毛むくじゃらの粘土の様な物が覗く。
そして壁の継ぎ目がL字型に折れて、耳障りな金属音が響くと同時にエルザは拳銃を抜き、発砲した。
銃口が向けられた先は、折れた金属の壁から出現した、三本の触覚を持った毛むくじゃらの芋虫の様な巨大生物である。
弾丸は粘液にまみれた体躯にダメージを与えておらず、行く手は阻まれていた。
「エルザ、後ろに下がっていて。君の手には負えない代物だ」
ネーレウスは先頭に躍り出た。
エルザは文句を垂れようとした瞬間、途方もない濃度の魔力が爆散する。
壁と天井は揺れ、慄然の余り彼女から文句の声は出てこない。
毛虫の様な巨大生物は蒸散したが、再び形をゆっくりと成し始めた。
「今のうちに階段の先に行っててくれる?少し調べないといけない事が出来た」
ネーレウスは後ろに居るエルザに声を掛けた。
「分かった。それにしてもこの生物は一体?」
「古代生物だ、人によって改造された。また後で説明するから早く!」
エルザは頷き、階段に向かって駆けた。
一抹の疑念が彼女の頭を過ぎる。
ネーレウスは一体何者なんだ?




