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十九話 正体

 そしてエルザの予感は的中して、二人がアーミョク町に来てから十日も経ちつつあった。


「盗賊団が出なくなったのはいいが、なんだ、今度は人攫いか?」


 盗賊団はエルザと接触して以来、忽然と姿を消した。

 そしてそれ以降、当然ながら盗賊団への手掛かりを掴む手段は無い。

 しかし二人が執念深くこの町に留まっていると、ある日、何者かによって十数名もの人々が忽然と姿を消したのである。

 盗賊団の調査が難航した上に、今度は人攫いの影が二人の頭を悩ませていた。

 復讐劇が進む様子は無く、十日前と同じ宿屋の一室で変化した事といえば、エルザのシャツが新しくなった事くらいしかない。


 窓からの風景は暗闇に包まれ、燭台が室内をぼんやり照らしている。

 床に彼女の外套が乱雑に放置され、部屋の隅ではネーレウスが床に座りこみ新聞を読んで唸っていた。

 ほぼ確実に盗賊団と人攫いが関係していると、二人は踏んでいたが一向に尻尾を掴めていない。

 人攫いは盗賊団が出没を止めた翌々日の夜から現れているらしいが、その姿を見た者は人間であれ半魔であれ居なかった。

 時刻は深夜を迎えてもまだ、エルザは眠らずに外の様子を眺めながら煙草を吸った。


「ああ、今日も上手くいかんかもな。こいつを吸い終わったら外に」


 エルザに咥えられた煙草が落ちる。

 唐突に外套も羽織らずに彼女は窓から飛び降りた。

 装備を付けている事だけが唯一の救いだろうか。


「せめてドアから出て行ったらどうなんだろうね」


 律儀にもネーレウスは落ちた煙草の火を消してエルザの後を着いて行く。

 エルザの視覚が捕らえた物を、彼も気配で察知していた。



 ネーレウスが宿屋を後にした一方、エルザは馬よりも早く、街灯と石壁の建物が建ち並ぶ石畳の大通りを駆ける。

 彼女の目は宙に浮く奇妙な数本の白い毛の存在を追いかけていた。

 常人では認識出来ない程、それは細く存在感が無いばかりか、石畳の上で不規則かつ性急な浮動を繰り返している。

 また、エルザが良く観察すると白い毛が浮いている部分だけ、石畳や先の風景が歪んでいた。

 奇妙な白い毛は、時折十字路を曲がり、一本ずつ分散していく。

 全神経を視覚に集中させなければエルザですら見失ってしまいそうだ。

 目撃情報が何も無いのも無理はないと、エルザが理解したのは言うまでもなかった。


 ふと、数本の白い毛の先に、十日前に遭遇した噂好きの三人の冒険者の背中が、彼女の視界に小さく映る。

 剣士の青年が先頭を歩いているらしく、僧侶の女性と魔法使いの少女の背中が目立っている。

歩く早さの違いによって、三人組は縦一列になり始めた。


「おかしいな、これだけ被害が出ているはずなのに。どうして見つからないんだろう。」


 剣士の青年は後ろを歩く二人に話しかけている。


「夜中の方が人目に付きづらいとはいえ、流石に不自然よね。」


 静まり返った石畳では話し声は筒抜けだった。

 冒険者側からはまだ、後ろを歩く勇者の姿は確認されていない。


 数本の白い毛の動きは性急さを増し続けて、エルザから逃げるような動きを示したが、彼女も足を速めて距離を詰め続ける。

 しかしそれでもまだ、エルザと数本の白い毛の距離はかなり離れていた。


 やがて数本の白い毛が冒険者一行に接近した。

 魔法使いの少女との隔たりが秒読みでゼロ距離になった瞬間、甲高い子供の悲鳴が聞こえる。

 魔法使いの少女はそれに突き飛ばされ、藻掻き、獣に咥えられているかのように浮いた。


 まだ、エルザは数本の白い毛との距離が数十歩も離れていたが、躊躇い無く魔法使いの少女に向かって跳ぶ。

 仲間の悲鳴に振り返った冒険者二人の叫び声と共に、石橋で聞いた物と同じ詠唱がはっきり、数本の白い毛がある辺りから発せられる。

 その詠唱が終わる直前に、エルザは数本の白い毛が生えた怪物を突き飛ばしながら着地して、魔法使いの少女を腕に抱いて庇った。


 少女は動かず、恐怖のあまり失神していた。

 詠唱は止み、白い毛が浮いた位置から掠れた低い笑い声が聞こえる。

 この怪物こそが盗賊団の魔術師だと、エルザは確信した。

 詠唱の声のみならず、盗賊団の首領の体に付着していた白い毛まで同じである。


 失神した少女から前方にずれると、一か八か賭けに出たエルザは銃を撃つ。

 放たれた弾丸は命中したらしく何も無い空間からは、蛍光紫色のドロドロした液体が勢い良く噴出した。

 笑い声はより大きくなり、エルザは首を掴まれたような姿勢で宙に浮く。

 息苦しさを感じながらも、首筋を掴む物を短剣で闇雲に切り離して間合いを取った。

 吹き出た怪物の体液が彼女の頬とシャツを汚れさせた。

 怪物に当て損なった短剣によって、切り傷を負ったのか、紫の体液に混じってシャツからは赤い血が染み出してきている。

 さっきまで首を締め付けていた物は切り離された事で変色して姿を現し、暗い灰色の人間の手である事が分かる。


「おい、そこの三人組、早く逃げた方がいい。こいつは手強いぜ?」


 この台詞が終わる前に、更なる迷彩化した追撃が鞭の様な鋭い音を立ててエルザを狙う。

 しかし打撃は目標に当たらず、石畳を叩き割って破片を宙に浮かせた。

 風切り音を聞き横に滑り込み、一触即発でエルザは攻撃を回避していた。

 怪物の次の攻撃と同時に、間髪入れず前方へ街灯よりも高く跳ね、怪物の背に飛び乗る。

 彼女は迷彩化した怪物のおよその位置を予測していたのだった。


 白い毛を頼りに背に乗って膝立ちになり、エルザは紫の体液を被りながらも短剣で滅多刺しにしていく。

 再び背後から鋭い音が鳴りエルザは怪物から飛び降りた。

 その怪物の抵抗の意味は無く、刺傷から溢れ出した体液が姿を浮かび上がらせる。


 一階建ての建物程度の背丈で、上半身は地に腕を突いていた。

 禿げた犬のような胴体からは、体液で汚れた白いたてがみ、巨大な人間の腕が生えている。

 下半身は塊状の粘土の中に赤黒い人間の顔や手足が埋まったような形姿(なりすがた)だった。

 また、同じ形に留まる事は無く、手足が付いた細長い紐の様になったかと思えば、ぐにゃぐにゃした奇妙な塊に戻っている。

 首から上はまだ浮かび上がっていないが、両腕と肉塊で自重を支える姿は異形、としか言いようが無かった。


「化け物だ……化け物が居る」


 怪物から気配を逸らして、攻撃の機会を伺う剣士の青年の台詞は最早どっちを指しているのか分からない。

 慄いた状況下では、青年の後ろで脇目も振らずに、僧侶の女性が気絶した魔法使いの少女を介抱していた。

 この怪物の姿が視界に入らず幸運とも言えた。

 漸く怪物が低く、掠れた声を上げる。


「くっくくくくくく!迷彩化した私を単独でここまで追い詰めるとは!たてがみが隠れ切っていなかったかな?だが、我が分身はもう全てを喰らい切っているだろう。」


 エルザは背中から散弾銃を抜き、銃口を怪物に向けた。


「これだけ見えりゃあ上等だ。」


 怪物の下半身の肉塊は紐状に形を変え、鞭の様にしなり襲い掛かる。

 鞭の様な肉塊の風切り音は増加した。

 密集しつつある攻撃を短剣で切り裂き、躱しながら彼女は再び背に飛び乗る隙を伺った。

 ふと、猛撃を減らすにつれて、エルザの目は怪物の下半身の肉塊から見知った顔を見つけた。

 石橋で再会を果たした盗賊団の首領である。


 身体の力が抜けるような感覚に陥り、エルザは吐き気を催した。

 よく観察すると、怪物に取り込まれた盗賊団の首領は何かを途切れ途切れに口走っている。


「た、助けて、くれ。餌を渡す代わりに、隠れ家から、転移魔法を、掛けてもらったが、餌が足りなくて皆、食われた。ノヴァクめ、この怪物をどう」


 銃弾が盗賊団の首領の声を遮った。

 銃口を首領の額に向けたまま、立ち竦むエルザに巨大な拳が襲い掛かる。

 しかし、我に帰り、エルザはそれを避けて怪物の手に飛び乗り腕を駆けた。

 攻撃出来る程の肉塊は怪物の下半身には残っていなかった。

 怪物が彼女を振り払おうと腕を伸ばしても既に遅い。



 白いたてがみを左手に握り、頭の部位があると思しき位置に右手の散弾銃を突きつける勇者の姿を、援軍の機会を伺う剣士の青年は見た。

 次の刹那、地鳴りのような銃撃音と共に、怪物はおどろおどろしい叫び声を上げて倒れ、狼のような顔貌を表した。

 続いて彼の目には、怪物の真横に音も無く現れる、白い導士服を着た黒い長髪の青年が映る。


「エルザ!ああ、やっぱり酷い事になってる。怪物の分身が道中に沢山いて早く着けなかったけど、間に合って良かった」


 ネーレウスの声に耳を貸さずに、エルザは怪物のうなじから飛び降りて、下半身の肉塊に埋まっている仇を探し出した。


「……勇者よ……精々我が弟者の食欲に気を付けるがいい………盗賊団を食べた私よりも……」


 呻き、息途絶える怪物にも目もくれず、銃口が肉塊に埋まった仇に向く。

 銃口を向けられた人物こそが、エルザが言っていた盗賊団の謀反者であり、復讐の相手であると、ネーレウスは直感的に理解した。


「もう終わったんだ、もう終わったんだよ。一緒に帰ろう。」

「……うん」


 彼の声を聞き、銃口が下げてエルザは俯いた。

 そして惨状を背に、戦闘でヒビ割れた石畳の上を二人は歩いていった。

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