十六話 アーミョク町
二人は座り込み、壁にもたれかかって、ネーレウス特製の保存食の干し肉を齧っていたが、長い休憩を楽しんでいる内に、やがて雨音は徐々に小さくなっていった。
洞窟の出口から陽が差し始め、曇天に切れ間が現れる様子が分かる。
雨の間に発掘した僅かな彗光石をエルザは弄り回していたが、それをズボンのポケットに仕舞うと立ち上がった。
「そろそろ行こう。また雨が降ってきたら困る 」
返事の代わりにネーレウスも立ち上がる。
二人は瞬く間に洞窟内部から消え、転移魔法によって洞窟の外に出た二人は濡れた地面を歩く。
アーミョク町はまだ遠く、見えそうには無い。
雲に隠れているが、まだ日は高い位置にありそうだ。
そして、明るい内にひたすら歩き続け、日が傾き始めた頃になってようやくアーミョク町に着いた。
夕暮れの中、街灯が立ち並ぶ道沿いは賑やかで、様々な宿屋や土産物屋、敷物に広げた商品を片付けている行商人が居る。
ふと、道行く人々の話し声に二人は立ち止まった。
高い女の声と子供の声が優男風の声に混ざって聞こえてくる。
会話の親しげな様子から三人組の冒険者のようだ。
「本当に困りますよねえ…この先にある橋に盗賊団が出て隣の町に行けないなんて。折角ヘミジャ国を抜けたのに」
「あたしの魔法で全部何とかするから!攻撃魔法で盗賊団を倒せばいいじゃん」
「皆で倒して魔王城を目指していこう。ヘミジャ国の貴族達の噂だと神託の勇者は半魔の盗賊上がりで当てにならないみたいだし」
細っこい剣士の青年が、赤い髪をポニーテールに結った子供の魔法使いを取り鎮めながら、背の高い僧侶の女性と話している。
「もしかしてその盗賊団って神託の勇者が率いていたりしないですか?噂によると元々囚人だった身柄が、神託で勇者に選ばれた時に解放されたみたいですし」
これ以上の盗み聞きをネーレウスは止めた。
三人組の冒険者は歪められた噂話に盛り上がっており、立ち止まっている勇者一行に気付かず、去っていく。
「もう仲間なんて作らねえよ、ましてや盗賊団なんて。誰も信じてたまるか…お前も例外では無い」
眉間に皺を寄せ、エルザは外套のフードを被り、更に言葉を続ける。
「さっさと宿を探そう。不愉快な事は寝て忘れるのが一番だ」
何か言いたげにネーレウスは彼女を見つめていたが、それもやめて俯いた。
道行く人は誰も彼らの事は見ていない。
すぐ近くの宿屋に入ると、別々の部屋を二人は借りて離れ離れになった。
向かいの部屋に入っていくエルザの後ろ姿を見送り、ネーレウスは一人部屋に篭る。
そしてベッドの上に座り込み、エルザの言葉の意味について思索に耽った。
どうしてあんな酷い事を私に言ったのだろうか。
エルザがあまり身の上話をしてくれないのは、私を仲間だと思っていないから?
あの口振りから過去に、どこかの盗賊団に所属していたが、何らかの理由でその盗賊団と離れてしまった?
様々な疑問と憶測が脳裏を過ぎり、この夜をネーレウスは平穏に過ごせそうになかった。
彼が思索している間に、エルザは淡々と弾の充填をこなしていたが、やがて夕飯を食べたくなり、外へ出ていった。
街灯が周囲を照らし、酒場や大衆食堂には人が集まっている。
時刻はもう薄暗い時間だった。
美味しそうな匂いやアルコールの臭いがエルザを呼び込み、足取りを早めさせる。
しかし店の多さから目移りが激しくなり、店決めは困難を極めそうだ。
通りを歩き回って色々な店を見てから、オンボロであるものの活気づいた食堂にエルザは入っていき、夕飯をしこたま買い込んだ。
そして食品が入った紙袋二つを抱え、脇に蜂蜜酒の瓶を挟んで帰路を急ぐ。
来た道を辿り、宿屋に戻って一息もつかずに、紙袋を抱えたままエルザはネーレウスの部屋へ入り込んだ。
疲れが出たのか、彼はベッドで横になっていた。
艶のある豊かな黒髪は寝床を半分近く覆いながら、緩やかなウェーブを描く。
脱いだ導士服は珍しく畳まれず、隅に追いやられている。
「おい…ってあれ?寝てる?」
「起きてるよ。急にどうしたんだい?何も特別な用事は無いだろう」
素っ気なくネーレウスは返事をして起き上がった。
「やるよ、これ」
エルザは紙袋をネーレウスに渡したが、突っ返されてしまう。
紙袋を持ったまま立つエルザを彼は冷淡に見つめた。
「どうして買ってきたの?仲間じゃないんでしょう?誰も信じないんでしょう?」
「それは…悪かったよ、ごめん」
「何故あんな事を言ったの?」
口篭るエルザにネーレウスは追い討ちをかける。
紙袋の中の夕飯は冷めて、油が染み出してきている。
「…今は言いたくない。ただ、私はいつ見捨てられても良いと思っている」
紙袋をひとつ床に置いてエルザはネーレウスの元を去った。
そしてそのまま夜が更けてもなお、悶着は二人の関係に影を落としている。
鬱屈した様子でエルザは横になっていた。
油が滲みた紙袋がクシャクシャに丸められて放置され、空の酒瓶が投げやりに倒れている。
買った蜂蜜酒を飲み干しても気分が収まる気配は無さそうだったが、彼女は何かを思い立ったかのように再び外に出て行く。
行く宛は彼女しか知らない。
夜のアーミョク町は夕時と打って変わって人の気配は無くなり、静かであった。
宿場町らしく宿屋が立ち並ぶ街中を突っ切った先にある、巨大な石造りの橋でエルザは煙草を吸い、盗賊団の影を待つ。
噂の中にあった魔族の盗賊団に思い当たる節があり、街中で聞いた噂の真相を確かめる為だ。
彼女が過去に所属していた盗賊団は、半魔や知性を持った魔物が仲間に入っていた。
リーダーが殺された事により分断され、今では残党が居るのみである。
思案の沼に沈むエルザに吐き出された煙草の煙が細くたなびく。
橋の下を流れる川や辺りに生えた木々、石橋の先に見える連なった山は荘厳と佇み、沈黙した。
しかし、その沈黙は長くは続きはしない。
銃声が響き、吸い殻が落ちる。
常人では確認出来ない距離にいる標的を、エルザの目は認識したのである。
もう一度銃声が響き、後から詠唱の声が聞こえた。
何かに気付き、エルザはその場から距離を取って駆ける。
エルザの視界に映った遠くの標的は囮だった。
突然、爆発音と共に石橋が唐突に揺れた。
橋には硝煙が立ち込め、その煙った先に標的の影が写る。
その爆撃によってエルザの体は浮いて、更に矢によって追撃されたが彼女は怯みもせずに体を捩り避けた。
硝煙が晴れた先にはニヤリと笑う髭面の大柄な中年がサーベルを構えていた。
盗賊団の首領だ。
また、斧を持ち、顔をバンダナで隠した男達や、鋭い爪の魔物がエルザの着地地点を囲っている。
バンダナの下の表情はよく分からなかったが、目元からニヤついている事が分かる。
このまま彼女の体が落下すれば串刺しになりそうだったが、短剣に持ち替えてサーベルを払い、その反動で着地した。
真正面には首領である巨大な体躯の髭面をした男が立っている。
数本の妙な白い毛が付着した、嫌な柄の腰巻には短剣やリボルバーが装備されている。
「やっぱりてめえか、銀髪のガンマンなんざザラにはいねえ。元仲間とはいえ、随分派手な出迎えじゃあねえか」
可愛がってやるよと台詞を加える髭面の男にエルザは銃を向ける。
「お前、何故ここにいる?まあいい、今こそ前首領の仇、撃たせてもらう」
しかし、向けた銃口は地を向く。
銃を持ったエルザの手は手首ごと、盗賊団の首領に抑えつけられていた。
「てめえが居なくなってから、ノヴァク伯爵んとこに雇われていたがそれも死んで盗賊に逆戻りよ。死んだ前の首領も本当に間抜けだよなあ!っひひひ!!まさか側近の俺が王都に密告するとは思っていなかっただろう!」
下衆じみた声は刃と刃がぶつかり合う音と重なる。
宣戦布告だ。
斧による猛攻や魔物の爪による斬撃に囲まれて、回避しながらでもなお、エルザの糸のような太刀筋は精密だった。
背後、脇から迫り来る斧をエルザは短剣で受け止め、更に受け止めた斬撃の推進力を利用してより速い一撃を放つ。
その放たれた一撃は一筋の線を描き、斧を持った男達の首に入る。
声を上げる間も無くその線からは血が吹き出した。
最も、声帯は掻っ切られ、上げられるはずもない。
倒れゆく盗賊の血を被りながらエルザは散弾銃に持ち替え、ニヤリとした。
その醜悪さは盗賊団の首領と同程度である。
「撤退だ!!!おめえら!散れ!!!」
恐怖に染まった太い声と共に短い詠唱の声が聞こえ、盗賊団は石橋から姿を消した。




