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十五話 失われた文明

 洞窟を出て、草木が密集した土砂の塊の上を二人は歩きづらそうに下った。

 足場は誰も踏み入れた痕跡が無く、ふかふか柔らかい。

 一定の大きさに切り出された小さな石材が土砂の中に埋まっており、土や砂利の山から草木が生えている。

 進むに連れて土砂に覆われた石材や鉄材の山をエルザは発見した。

 彼女が見渡した限り、この一角には木々は若い物しか生えていない。

 更によく観察すると、蔦に塗れた巨大な建築物が土砂の塊に混在している。


「おい、ここは一体なんだ?災害の跡地にしか見えないが…」


 エルザはハッとして続きを言わなかった。


「そうだよ。ここが方舟伝説の災害跡だ。過去にこの村はあの洞窟にあった青い石、彗光石の発掘が盛んに行われていた。今では住む人も居ないし、彗光石の存在も殆ど忘れ去られているけど。遥か昔に起きた洪水で住民は居なくなってしまった」


 ネーレウスがどんな表情をしているのかは長髪に隠れていて、彼女にはよく見えなかった。

 声のトーンは暗く、注意して聞かなければ、聴き逃してしまいそうな程小さい。


「ネーレウス?どうしたんだよ」


 正面を向き、彼はずっと遠くを眺めている。

 地平線まで、この惨状は広がっていた。


「君はどう思った?この場所を見て」


 エルザは考え込んでいたが、やがてネーレウスへの返答に困ったような顔をした。


「本当にあったんだな、伝説ではなく史実なのか。眉唾だとは思っていたが…」


 この災害跡を見て、そうとしか言いようがなかった。

 見せて何になるんだ、そしてお前はこの廃村のなんなんだよ。とすらこの勇者は思っているのかもしれない。

 ふと、雨が降り始める。


「私は許されると思う?エルザ」


 彼女の思索は唐突な懺悔の言葉に遮られた。


「どういうことだ?」


 訝しげにエルザに直視されて、ネーレウスの顔貌には長い睫毛の影が落ちた。

 雨足が徐々に強くなり始めている。

 雨の中、悲しげに微笑むネーレウスにエルザは困惑を隠しきれなかった。



 やがて小雨は豪雨に変わり、二人は地底湖のある洞窟へ戻った。

 外では雨音が地鳴りのような音を立てている。

 あるいは本当に土砂が崩れてきたのかもしれない。

 雨で霞み、出口から見える外の風景は色褪せていた。


「ヌオビブの時の嵐よりはマシだな、そこまで雨で体温を奪われていない…なあ、元気出せって」

「元気だよ?」


 困惑した様子で煙草に火を点けるエルザに励まされてもなお、ネーレウスは悲しげにしている。

 その隣で煙草を吹かしながらも、エルザは信心深く感受性の強い魔法使いに手を焼いていた。


「…まあいい、とにかく雨の内に発掘だ。そこの隅のツルハシが使えるといいんだが」


 少しして、結晶が疎らについた石壁を砕く耳障りな音が雨音よりもはっきり聞こえる。

 彗光石を採取する為にエルザが、立て掛けてあったツルハシで洞窟を削り始めたからだ。

 手に負えないと判断されたのか、繊細な魔法使いは放置されている。

 外套や軽鎧は外され、乱雑に置かれていた。

 二人共話す気配は無く、気の滅入りそうな雨音と岩肌を砕くツルハシの音が辺りを支配した。


 ひたすら黙りこくって、発掘に没頭するエルザに、ネーレウスはようやく話しかけた。


「…あまりこの鉱石を外に出さないで欲しい、売るのも控えて。この洞窟でしか採取が出来ないんだ」


 白い岩肌をツルハシで削っていたが、エルザは手を止めて彼を睨みつけた。

 足元には彗光石の欠片が転がっている。


「なんでだ?もっと早く言えよ」

「…君が個人的に持つのはいいけど、絶対に手放してはいけない。彗光石には与えられたエネルギーを倍にして放出する特性があって、その性質を誰もが渇望するあまり、戦争の火種になった事がある」


 まるでそれが事実であるかのような口調にエルザは苛立ちを覚えた。


「本当かどうか分からないだろう。それに大規模な戦争があったという話は聞いた事が無い」

「でも、もし…戦争が方舟伝説の前に起こっていたとしたら?」

「辻褄は合うかもしれんが、それが真実であるかは誰にも分からない。この石に本当にそんな力があるのかも疑問だ」

「あるよ。だから私の語った事は事実だ。この石を握っていてくれる?」


 そう言いながらネーレウスは落ちていた彗光石の欠片を拾ってエルザに渡す。

 そして彗光石が骨張った手に翳され、エルザは手の周りに心地良い冷気を感じたが、それは束の間に終わった。

 握られた彗光石が煌めいた途端、一変して辺りは音を立てて凍てつき、鍾乳石からは氷柱が伸びる。

 そして氷柱の隙間から掌ほどもある雪の結晶が振ってきた。

 土砂を叩く雨の音は止み、洞窟には冷気が吹き込んだ。


「痛い!!!」


 思わずエルザは叫び、彗光石から手を離した。

 突然の気温の変化は彼女の冷覚のキャパシティを超え、皮膚感覚に痛みを与えたのである。

 彗光石はネーレウスの魔力に耐えきれず割れた。

 ふと彼女が、大口を開けた出口を見ると雪が降っている。


「ごめんね、思ったより放出されちゃった。直ぐに元に戻すね」


 辺りから忽然と痛みに近い寒さや氷柱、雪の結晶が消えた。

 また、まるで何事も無かったかのように、洞窟の外からは地鳴りのような雨音は再来している。

 雪や氷柱が一瞬の幻であったかのようだ。


「分かったよ、お前の話は信じる事にする。それにしてもたまげたなあ、大した威力だ」


 エルザの指先の皮膚は凍傷を起こしかけている。


「ああ、よく見ると霜焼けになってる」


 凍傷寸前になり、赤くなった皮膚はネーレウスに治される。

 更に彼は言葉を続けた。


「でも、どうして彗光石を売ろうとしてるの?」


「理由は無いが、強いて言うなら自分の生活費は自分で稼ごうと思っただけだ。誰の手も借りる気は無い」

 そっぽを向き、エルザは紫煙を漂わせた。

「そうだったんだ…気にしなくていいのに。とにかくこの石は売らずに君が大事に持っていた方がいい」


 拗ねた様子のエルザをネーレウスは諭す。

 気がつけば彼はエルザを理解しつつあったし、彼女はネーレウスを慕い始めていた。


「さて、雨が止んだらこの先にあるアーミョク町を通ってそのままフールイ連峰にあるアタリヒ山にある祠を目指そう。君の居たヘミジャ国と違って、ここキアナ共和国は殆ど山脈に位置していて進みずらいけど…」

「実感に乏しいが、そうだ、そうだった。ここって外国か。言葉通じるかなあ、外国語とかわからん」


 完全にまだ自国に居たつもりだったらしく、驚きのあまり、エルザから独り言が漏れた。


「そうだよ。共通語はヘミジャ国と同じだから言葉は通じると思う」


 洞窟内に二人は座り込み、天候の回復を待った。

 雨音は止む気配をまだ見せなさそうだ。

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