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十三話 初めての野宿

 川辺に移動して、エルザは気配を消して水面をじっと観察していた。

 片手には短剣を持っていて、どこかから採取したらしい細い蔓が柄の部分に巻き付けられている。

 視線の先には大きな魚影が見え隠れしており、エルザの興味を大いに誘った。


 ふと、彼女の短剣が風を切り、水面を切る音がほぼ同時に聞こえる。

 魚影が最も大きくなった瞬間の出来事である。

 短剣が刺さった事により、獲物が力強く水面を跳ねる音を聞いてエルザはニヤリとしたが、それも束の間である。


 蔓を引いたものの手応えは無く、短剣は抜けた。

 何故なら、短剣には反しが無かった。


「やっぱり無理があったか…ってんん?」


 場所を変えて林の方に踵を返したエルザは、何かが羽ばたく音を聞いた。

 再び気配を消して、彼女が物陰から様子を伺うと、僅かな血の匂いに誘われて、川におびき寄せられる鳥型の魔物が目に付いた。


 鳥型の魔物はエルザの胴体より一回り大きく、灰褐色の体に紫の長い尾が特徴的だ。

 鳥型の魔物はさっきエルザ狩り損ねた魚を足で掴んで飛び去ろうとしている。

 砂利の上を飛ぶ瞬間にヘッドショットされた鳥型の魔物は、魚と共に鈍い音を立てて砂利の上に落下した。

 鳥型の魔物の頭を切り落として魚と共に回収すると、満足げに彼女はネーレウスの元に向かう。

 両手に花ならぬ両手に獲物だ。


 一方で、ネーレウスは火を起こし暖を取れるようにしていた。

 枯れ枝が音を立てて燃え、白い煙を立てる。

 空の麻袋を砂利の上に敷いて、完全に露営を楽しんでいるらしい。


「早かったね…ってかなり獲ってきたね」

「今日はご馳走だぜ」


 エルザは誇らしげに慎ましやかな胸を張った。

 両手が血塗れな事に、彼は突っ込みたかったが固く堪えている。


「一度には食べきれないから、分けて保存食にしたらいいと思うよ。…それにしてもこの鳥型の魔物、雷鳴鳥って言うんだけど、どうやって捕まえたの?かなりすばしっこい上に威嚇行動で電撃を放つのに」

「捕え損なった魚を持っていかれそうになって思わず射殺した。魚の方は任せた。多分月影魚だと思うんだが…」


 血塗れ砂利まみれの魚を目の前にかざされ、ネーレウスは困惑しながらも受け取った。

 片手が空くや否や、エルザは羽を毟り始めている。


「えぇ…。雷鳴鳥の方はどうする…って聞く前に羽毟り始めてるし。紫の尾羽だけまだ帯電してるかも」


 やっぱり物凄くお腹が空いていたんだね…。昼間あんなに食べてたのに。

 心の中でそう思い、ネーレウスは吹き出しかけた。

 砂利の上には無残にもふわふわした羽が散らばり始めている。

 紫の尾羽は既に毟り取られていた。

 奇跡的に帯電していなかったらしい。


 ふと、何か閃いたらしくネーレウスは散らばった羽を掻き集めて、砂利の上に敷いてあった麻袋に詰めた。


「この麻袋に羽を集めて敷物にしたらいいと思うよ」

「色々持ってるな、お前。限度ってもんがあるだろうに」


 そう言いながらも、エルザは律儀に毟った羽を麻袋に詰めた。

 その様子を横目に、どこからともなく包丁とまな板を取り出すと、ネーレウスは水辺で魚を捌き始めた。

 捌くついでに血や臟も洗い流すらしい。



 暫くして完全に下処理を終えた食材は串刺しになり、焚き火を囲っている。

 三枚下ろしにされた月影魚は更に食べやすそうな大きさに切り分けられ、雷鳴鳥は一口大の大きさにされていた。

 脂がツヤツヤ染み出し、香ばしい匂いがエルザの空腹の虫を大暴れさせている。

 調理に使う道具は例の如く、ネーレウスが召喚した奇妙な空間から引っ張り出された物だ。

 保存食にする予定の分は調味料と共に瓶に詰められ、火の当たらない場所に置かれていた。


「案外器用だな。料理まで出来るとは思わなかった。…うーんこれは病みつきになる…若干小骨が多いけどうまい…」


 エルザは焼けた月影魚の串焼きを皮ごと頬張り、パリパリ小気味よい音を立てた。

 串焼きの残骸の量から、彼女がどれだけ空腹だったかが目の当たりになる。

 微笑ましげに乳白色のシャツ姿のネーレウスはその様子を眺めている。

 汚さないように、脱いだ導士服はどこかへ仕舞われたらしく、見当たらない。


「気に入ってくれて嬉しいよ」


 そこから、彼は言葉に詰まり、川のせせらぎとエルザの咀嚼音しか聞こえなくなった。


 訝しげに食事をやめて、エルザはネーレウスに視線をやる。


「…次の村に行く前に寄らないといけないところがあるんだけどいい?石板の入手に関係がある。それに、見せたい物もある」

「んん…?石版ってなんだっけ…」


 雷鳴鳥の串焼きを頬張りながらもごもごと返事をされ、ネーレウスは頭を抱えた。


「宝玉含めて魔王城の入り口を開けるのに必要なんだけど…今まで会話に出てこなかったから忘れるのも無理は無いね。食べ終わったら早く寝る支度をしておこうか。明日中には、なるべく次の村に着いておきたいし」

「もうちょっとしたら水浴びだけ行ってくるけどいいか?」

「そのくらいなら大丈夫だよ。ゆっくり行っておいで」



 食後、暫くして串焼きの残骸を片付けて、寝る支度を済ませてもなお、エルザが寝付く様子はなかった。

 彼女の装備は端の方に乱雑に置かれ、外套のみ、雷鳴鳥の羽入りの麻袋の上に敷かれていた。

 食後に水浴びを済ませて、身体が冷え切ってしまったらしい。


「思ったより上流は冷たかった。いっそ水浴びしない方がマシだったかもしれん…」


 敷かれた外套の上に座り込んでネーレウスの導士服を羽織り、焚き火の暖をとっても未だに彼女の身体は震えている。


「可哀想に。眠れそう?寒くない?」


 唇が紫に変色していて見ているだけで痛々しいとネーレウスは思い、奇妙な空間を呼ぶと、そこから陶器製の筒状の器を取り出した。

 器は掌に乗る程度しかなく、藤の花がよく見ると描かれている。

 その器は瞬く間に湯気の立った白湯で満杯になった。

 相変わらず、詠唱は無い。


「これでも飲みなよ」

「…へくちっ、放っときゃ治るって」


 そう言いながらも、エルザは白湯の入った器を受け取り、中身をちびちび飲んでいる。

 子供の様にふうふう冷ましながら飲む姿にネーレウスの頬は綻んだ。

 照れ臭そうにエルザは飲み終わった器を渡し、横になって暫くすると、穏やかな寝息が聞こえ始める。

 彼女は寝付いてしまったようだ。


「おやすみ、エルザ」


 眠りは深く、彼の独り言が発せられても、目覚めなさそうだ。

 遠くから感じられる野生生物や魔物の気配が茶化しているように彼には感じ取れた。



 やがて夜明けを迎え、余った肉を保存食にし終えてから、ネーレウスは焚き火の明かりを頼りに本を読んでいた。

 完成した保存食はまたもや、どこかに仕舞われてこの場には見当たらない。

 薪が燃える音と川の音しかなく、殆ど静寂に近い。

 しかし、眠っているはずのエルザの呻き声に、ネーレウスの意識は向いた。

 心配そうに彼が様子を伺おうとすると、エルザは勢いよく起き上がった。

 手には拳銃が握られ、悪夢を見ていた事が分かる。

 彼女のシャツは冷や汗で濡れて、身体に張り付いていた。


「大丈夫?酷くうなされていたけど…」

「ちょっと昔の事が夢に出てきただけだ」


 煙草に火をつけ、エルザは何事も無かったかのように振舞ったが手が震え、動揺は隠せていない。

 彼女の生い立ちについてもっと触れたいという欲求に、ネーレウスは突き動かされたが、適切な言葉は出てこなかった。


「寄らなきゃいけない所に行くんだろう?早く行こうぜ」


 心配そうなネーレウスを余所にエルザは煙草を咥えながら軽鎧を着け、外套を羽織った。


「…うん。そうだね」


 二人は林の先にある馬車道へ戻る為に野営地を片付け始めた。

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