十二話 勇者一行は隣の国に行くようです
廃城の隅の高く積み重なった瓦礫の上に座り込み、エルザは煙草を燻らせていた。
この様子から、右肩の調子は全快したらしい。
瓦礫の山は、いつ崩れてきてもおかしくはなさそうだったが、お構いなしである。
殺さずにそのままイーメン町の城にあの悪党を突き出せば、良かったのではないだろうか?
それとも、弁護されて自分達が反逆者の扱いを受けるのか。
考えるのは無駄か。ただ、この悪どい貴族がネーレウスに殺されたのは事実だ。
それにしても一体どうやってノヴァクをあの状態に?ああいった攻撃魔法は今まで見た事が無い。
エルザの内省はここで途絶えた。
日が傾き、とっ散らかり靄がかった廃城内部に長い影を落とし始めている。
ふと、冷たい風が吹き込んだ。
風はエルザの銀色の髪を靡かせ、煙草の灰をも落として湖を駆けていく。
ノヴァクが居なくなった事やヌオビブの悪政を伝える為に、ネーレウスはイーメンまで出掛けていた。
城下町にも修道院にも近づきたくないというエルザへの配慮の結果、彼女はかなり長く待ちぼうけしている。
最も、彼もだんまりを決め込む勇者に近づきたくないのかもしれない。
ネーレウスが廃城まで戻ってきたのは日が落ちた頃になった。
「長く待たせてごめんね、思ったより時間が掛かってしまった。ここから二十キロのところに次の国の村があるみたいだけど進む?」
「進もう。お前がどうかは知らないがこっちは夜目が効く方だ」
ネーレウスが声を掛けて、ようやくエルザは瓦礫の山から飛び降り、転ぶ事もなく着地した。
あの戦闘以来、ぎこちなさが残り、二人の間には距離感が生まれている。
二人はぎこちないまま、廃城を去って、伸び放題になったアカシアの並木道を無言で歩み続けた。
エルザは完全にだんまりを決め込み、ネーレウスが不安そうにその様子を伺っている。
踏まれた枯葉や枯れ木から発せられる湿った音と野鳥の鳴き声しか静寂を切り裂くものはない。
木々の隙間から見える薄明の空が、紫から紺色のグラデーションを描き、銀色の星がぼんやり姿を現し始めていた。
「呪いの効力が完全に消えて良かったね」
「そうだな」
ネーレウスに親しげに話しかけられてもなお、エルザは余所余所しかった。
並木道の勾配は険しくなっていき、木々がより深まり、夜行性の生物の気配が漂い始める。
お互いの表情があまり見えなくなる程、周囲は暗くなり始めていた。
歩くことに飽きたのか、疲れたのか、唐突に木の根に座り込むエルザの目の前に、ネーレウスはしゃがみこんで目線を合わせる。
「…エルザ。もしかして怒ってる?ねえってば」
無言の時が続く。
ネーレウスの魔術能力への恐怖心や緊張感をエルザはどうしても拭いきれなかった。
「無視しないで欲しいな…やっぱり怒ってるでしょ?廃城で君に醜い物を見せたくなくて、思わず目元を隠しただけなのに。急に触れた事は悪いとは思うけど…」
予想の斜め上の台詞が続いて聞こえて、エルザは思わず吹き出し、後に唸り始めた。
彼女の抱いていた緊張感は解けたようだ。
「…蒸し返すんじゃねえよ!…なあ、魔王ってのはお前よりも強いのか?」
「さあ、どうだろうね?」
「未知数か、そいつは楽しみだな。そもそも、その魔王は倒さないと何が起こるんだ?」
「ああ、そうか。君は何も知らないのか。方舟伝説は知ってる?教会や学校で教えてくれると思うんだけど…」
「えっ、何それ?神託で勇者が決まって魔王を倒すって話しか知らん」
「うーん。分かった、一通り説明するね。昔、千年以上前に魔王という存在が現れた。そして陸上の物が殆ど流されてしまう程、規模が大きい水害を起こした」
ネーレウスは信心深いらしく、熱心にエルザに語り始めた。
今のところ、彼女はそれに耳を傾けるつもりらしい。
「だけど、それを予知した神様が神託を下して善良な人々を避難させた。これが方舟伝説。ちなみに、今生きている人達は善良な人々の子孫という事になっているね。流されてしまった人達は災難だったけど…」
「んん?そーなのかー」
よく分からないという顔をするエルザになおも彼の説明は続く。
「それからも、魔王は人類が滅びる程の天変地異を起こそうとしている。再び天変地異を予知した神様が根源たる魔王討伐の為の勇者を選ぶ。過去にも勇者は居たようだけど、今回の神託の通り、今のところ誰も完全に魔王を倒せていない。魔王は最終的に必ず復活しているんだ」
エルザは大欠伸をして煙草に火をつけた。
「随分信心深いんだな。魔王もさっさと勇者を見つけ出して煮るなり焼くなりすればいいだろうに」
かなり退屈そうではあるが、一応話は聞いているらしい。
最も、理解しているかどうかは不明である。
エルザの隣にネーレウスは座り込み、ひたすら長く、熱弁を続ける。
最早、彼女が理解しているかどうかは彼にとってあまり関係なくなってきていた。
彼の話は長く、辺り一面が夜に侵食されるほど、時間が経ちつつある。
木々の陰の隙間から、星が見えている。
「つまり、方舟伝説からずっと魔王を倒そうとしているんだ。この伝説を信じない人達も今では居るけど」
「それだけ分かってれば神本人が直接魔王倒した方が早いな。まるで人柱だ」
苦虫を噛み潰したような顔をして、エルザは煙を吐き出した。
「神様に力がそこまで無いとか、何らかの事情があると考えるのが自然じゃないかな。神託しか下せないとか。これからの旅の中で方舟伝説の痕跡が見れると思う」
「神が万能とは限らないか。なるほど、わかった。学校や教会には通った事が無かったから今までまるで知らんかった」
エルザの生い立ちを再び考えさせられ、ネーレウスの方が今度は無言になった。
励ましたいが、陳腐な言葉では駄目だと思い込み、返答に困っているようである。
しかし、重々しい雰囲気をぶち壊しにするかの如く、エルザの腹の虫が合唱した。
「ああ、そういえば夕飯まだだったね。野営の場所を探してご飯食べようか」
野営の為に、二人は疎らに木が生えた林を散策した。
歩くにつれて気温は下がり、川のせせらぎが近づいてきている。
魔物の気配が増え、エルザは右手に短剣を持ったがネーレウスに制止され、退屈そうにしていた。
「なあ、お前はこの暗がりで物見えてんのか?これ以上暗くなると、流石に私ですら視界の確保は無理がある」
「見えるというか、気配さえ分かれば見えなくても大丈夫。明かりがそろそろ欲しいね」
ネーレウスは空間を指先で割くと、どこからともなく、発光する奇妙な硝子のような石が入った瓶を取り出した。
暗闇と奇妙な空間は同化して、エルザには何が起こったのか不可思議そうに見る事しか出来ない。
瓶は宙を浮きながら二人の三歩先前に行き周囲を照らした。
奇妙な瓶入りの照明に照らされた先には砂利だらけの河原が見える。
水面は月光を反射してぼんやり瞬いていた。
「露営には都合が良さそうだな。ちょっと食料狩ってくるから荷物番は任せた。照明は目印にしたいから置いといてくれ…ああ、腹減ったなあ…」
「分かった。あんまり遠くに行き過ぎないでね」
「へーきへーき!」
「どこが平気なんだか」
最後の返事が彼女に聞こえているかどうか怪しい物である。
エルザを見送り、ネーレウスは暖を取れるように薪を集め始めた。




