十話 会食
馬車はガタガタ物音を立てて、揺れながら走っていた。
乗り心地が良さそうな座席では、見るからに具合悪そうに丸くなるエルザの背中をネーレウスが摩っている。
乗り物酔いに悩まされ、エルザは吐きそうになりながら目を瞑った。
「あっ…酔ってきた…もう無理…」
「頑張って!あともう少しだから!」
「マジで吐きそう…ヴォエェェ…」
堪えきれなくなり、開けられた窓からエルザの吐瀉物が撒き散らされる。
いや、思いっきり吐いてるんだけど大丈夫かな。ネーレウスはエルザの背中を摩りながら、そう突っ込まずにはいられなくなった。
貴族の邸宅の広間に着いてもなお、エルザの顔面には血の気がなく白い肌を余計に白くさせていた。
金色の華美な燭台が壁際に整列しており、彫刻が施された円形の天井からは巨大なシャンデリアが吊るされている。
これだけ広いにも関わらず、召使いはノヴァク伯爵の隣に立つ鳶色の髪の中年の男に若いメイドしか居ない。
二人は何十人も着席出来そうな煌びやかなテーブルに案内されていた。
若いメイドによって豪華な食事が運ばれる中、ノヴァク伯爵の隣に立つ召使いが長々とした堅苦しい式辞を述べている。
やがて長ったらしい式辞も終わり、ヌオビブ村の広場にあったブロンズ像そっくりの青年が改めて二人に挨拶をした。
ブロンズ像では分からなかったが、見事な金髪をしており、端正な容貌がより明らかになった。
「遠方から遥々御苦労であった。先程この召使い、アロイスから説明があった通り、私がこの村の領主を務めているノヴァクだ。この度、神託の勇者と東方のエルフの者にお会いできて大変嬉しく思うぞ。今日は無礼講だ。礼法に捉われずに接してくれて構わん」
食事が運び終わり、メイドがネーレウスの後ろに控えている。
大皿にはツヤツヤした野鳥のローストチキンと、添え物に溶けたチーズが乗ったジャガイモの丸焼きがあった。
また、別の大皿に赤いソースがかかった肉団子のグリルがと茹でた野菜類が山ほど乗っており、焼け目のついた白いパンが大量に籠に積まれている。
各々のグラスには葡萄酒が注がれていた。
エルザは少し元気を取り戻して早速、自身の顔程もありそうな、野鳥のローストチキンにかぶりつき、葡萄酒を流し込んだ。
「うまい、うまい…。この葡萄酒変な味するな…うまいうまい」
嫌な間が空いた後、まるで何も気にせずご馳走を美味しそうに口に運ぶエルザを尻目にネーレウスはノヴァク伯爵に話しかけた。
「ご招待いただきありがとうございます。勇者もご馳走にありつけてとても嬉しそうです。それにしても…どのようにして、ここまでの食事を用意したのでしょうか?」
「気に召したようで何よりだ。隣の街から輸入した物とこの村で取れた新鮮な野菜を使わせてもらっている。中々入手には苦労したぞ」
パンの入っていた籠は気が付けば空になっている。
エルザが全て食べ切ったらしい。
馬車での乗り物酔いはなんだったのであろうか。
「うーん…うみゃい…このスパイスと塩分のバランスが絶妙で病みつき…パンと載せると最高…あっ、ちょっとそこのメイドさん、パンをいただけると嬉しい」
一切、領主との会話に入る気もなく、エルザはパンのお代わりをメイドに申し付け、添え物の溶けたチーズの乗った芋を皿によそった。
そんなにお腹空いてたの?
可哀想に…これからはもっとご飯をあげよう。
エルザのがっつく様子を見て、ネーレウスの頭にそんな邪念が一瞬過ぎったが、それを振り切り、ノヴァク伯爵との会話に徹した。
「それにしても半魔の盗賊が神託で勇者になった話は上部でかなり有名になっている。さぞ今まで辛かっただろう?勇者よ。魔法も使えないと聞いていたがどうやって魔王を討伐する気でいる?」
ベイクドポテトを必死で頬張っているエルザにもノヴァク伯爵は話を降った。
「…うまいうまい…このホクホク感と塩気たまらん…酒が進む…」
しかしまるで話を聞いていないらしく、エルザはベイクドポテトに夢中だ。
この時点で、エルザの興味は完全に料理に持ってかれ、伯爵はおろか、ネーレウスの方もまるで見ていない。
駄目だこいつ早くなんとかしないと。
ノヴァク伯爵とネーレウスは全く同じ意見を持った。
「特に城下町では半魔狩りが深刻であっただろう。どうやって通ってきた?」
めげずに、果敢にもノヴァク伯爵は食欲の化身となったエルザにもう一度別の質問を降った。
しかし、その思いも虚しく、エルザは必死でお代わりのパンと肉団子のグリルを頬張っていた。
「…挽肉のはずなのにこんなにも肉汁がジューシー…!言うならばとても素晴らしい」
「ねえ、エルザ。食レポはもういいから。あの、ノヴァク伯爵の質問に答えてくれると…」
「本当に美味ぇんだって!こんな美味い食事に会話はいらねーんだよ!」
「ねえ!誰も私の話聞いてくれない!つまんない!」
若干拗ね始めるノヴァク伯爵に警戒心を持ったままではあったが、ネーレウスは若干の申し訳なさを彼に覚えたのは言うまででもない。
「伯爵にお伺いしたい事がいくつかあります。何故私達があの修道院に居るとお分かりになられたのでしょうか?」
「風の便りという物だ。東方のエルフよ」
嘘だ。ネーレウスの直感はそう告げた。
空気を読まずに、エルザは野鳥のローストチキンの軟骨をバリバリ咀嚼して食べていた。
ちなみに葡萄酒はもう空である。
「風の便りではなく、私達を何らかの手段で見張っていたのでは?…ちょっとエルザ、真面目な話をしてるんだからご飯に集中し過ぎないで。拾ったロケットを見せてもらおうかと思ったのに全く…二つ目ですが、住民達についてどう思われますか?」
もう何個目かわからない、野鳥のローストチキンにしゃぶりつき、満悦そうなエルザと、飲み物にも手をつけず、険しい表情のネーレウスはかなり対照的であった。
「よく働き、よく収める。優秀な住民達だ。他にもまだ質問はあるか?」
ネーレウスの顔はその言葉を聞き、余計に険しくなった。
場の空気がピリつき始めている。
ネーレウスの後ろで控えていたメイドが逃げ出す程の沈黙は続く。
「…ぐえっぷ」
しかし、その空気はエルザのげっぷによって阻害された。
「…あのさあ…ご飯が美味しいのは君の態度でよく分かったから、せめて静かに食べてて…つまり、あの重税に何も問題が無いと?」
ノヴァク伯爵にネーレウスは怒りを感じていたが、燃え盛る感情はエルザによって鎮火される。
最早、このポンコツの勇者を見なかった事にして、ノヴァク伯爵は返答する。
「中々不躾な質問だな。愚民から搾取して何が悪い?事実、反乱も起きていない。ところで、勇者はともかく先程から食指が進んでいないようだが別の料理と酒を用意させようか?」
「このままで結構です。アルコールに弱いものでしてね」
葡萄酒を一口だけ口に含んだ瞬間、ノヴァク伯爵の口元が僅かに歪んだのをネーレウスは見逃さなかった。
「そうだ、良い物をお見せしよう。東方のエルフはこの会食を楽しんでいないようなのでな。勇者よ、立てるか?この葡萄酒には隠し味が入っている、さぞ美味かっただろう」
ノヴァクは含みのある笑いを見せ、二人に席を立つ様に促した。
エルザは素面に返り、銃に弾をひっそり仕込んでいる。
ふと、ノヴァクの後ろに立っていた、鳶色の髪の召使い、アロイスの短い詠唱が響いた。
四人を集めてどこかに転移するようだ。




