表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

ねむる、おきる

作者: 湯納


 体を揺すられ、夢心地の境界から意識が浮上する。

 耳から侵入するのは聞き覚えのある声。右肩にかかる誰かの手から、優しい温度が伝わった。

 

 未だ緩やかな濁流のように整然としていない思考を働かせ、その人物がきっと隣の席の神崎さんである事を推測する。彼女は素晴らしい人物で、私の中で生きる目覚まし時計としての評価から栄えある「地味に助かるで賞」を授与したいクラスメイト二ヶ月連続第一位の女子である。

 そして彼女が居るという事は、つまり。

 がばっと上体を起こし、勢いのまま見上げれば壁にかかった時計はお昼を回った時刻を指している。

 次いで右隣を向けば、やはりこちらを困り顔で見つめる委員長の姿がそこにあった。


「おひゃようございます」

 

 私は口元に垂れた涎を拭い、感謝の意を込めて挨拶をする。

 委員長の昼休みは、私を起こす事に始まる。


 登校したのが朝の8時。湿気った机の匂いに体を委ね、丸めた体操着にセーターを被せた枕で実に4時間の惰眠を貪っていた事になる。実に有意義だ。それでもなお、この身体は睡眠を欲して止まない。

 幸い、今日のカリキュラムに教室移動を伴う授業はない。火曜日は午前も午後も通しで睡眠に当てることができる素晴らしい日である事を、食前の祈りのように私は感謝を捧げながら幸せを噛み締めて毎週寝ている。それならいっそ、休日にしてしまえば良いのではないか。そうだ、もし私が法律なら火曜日は休みになるだろう。……まだ寝ぼけているのか私は。


 今から一ヶ月ほど前、つまりは私がまだ若く入学したてほやほやだった頃。新学期早々から垂らされた意識の糸を容易く切って爆睡を決め込んだ私に、注意を促した教師は7人もいた。

 更に一ヶ月経つ頃には、みな白雪姫は毒林檎を食べたのものと諦めたようで、唯一めげずに残ったのは担任の京子先生のみだった。理由も持ち受けているクラスの生徒であるという一点にのみ起因しているだけだろう。

「学校は寝るところじゃないのよ?おうちで寝てきなさい?」

 幼稚園児に言い聞かせるレベルでの注意は週に2度は聞いているが、寝ぼけている時の私にはそれが異国の言語に聞こえている。胎児に語り掛けるように優しくお願いしますばぶぅ。


 気付けばクラス内でネムというあだ名がついていた。眠そうな顔で、眠っているから。という端的にしてシンプルなもので、無い胸に由来してるわけでは無いそうなので構わないけど、なんかこう他に無かったんだろうかとは思わずにいられない。まぁ友達もいない私には可もなく不可もない普通寄りのあだ名で、イジメの発端にもならなそうな無難さに安堵すべきだろうが……。


 午後のチャイムにあわせ、適当なテキストを簡易枕の下に引いて高さを調整し、ゆっくりとキスするかのように机に突っ伏した。机の木目は王子様ではなく毒林檎だった。

 春を過ぎ、少しずつ暖かさを増す日差しとカーテンを揺らす爽やかな風を感じながら、次に気がつけば放課後だった。

 授業内容とか以前に、もはや授業が本当に行われたかも懐疑的だ。認知していないものは存在していない、とかなんとか聞いた事があったな。実はテロリストがクラスにやってきて、どこかのヒーローが危機的状況から密かに私を守ってくれていたとしても、私はお礼を言うことも出来ない。


 まぁそんな事はさておき、授業(すいみん)が終わったとなれば当然、次は部活の時間だ。

 部活は私の1日の始まりでもある。私は体を動かす事が好きで、部活動は数少ない学校へ来る理由の…


「ネ、……ゆらしさん」


 昼下がりの目覚まし、ではなく神崎さんの問いかけに、カバンを肩に引っさげ立ち上がりかけた私は逆再生するかのようにゆっくりと腰を下ろし彼女を見上げた。

 何となく畏まった対応をしてしまうのは、少なからず彼女に迷惑を掛けていると感じているからか。申し訳なさを感じるくらいなら、最初から寝ずに……は無理なんだけど。

 

「えっと…はい」


 何事かと聞いてみれば、流石はクラス委員長。優しい呼びかけを端的に説明すれば正論オブ正論の教師顔負けの説教だった。隣の席になったのが運の尽き…いや、彼女の事だから、例え教室の端と端の距離があったとしても障害にはならないかもしれない。


「あー、うん」


 いつもの生返事で、ついでに白目を剥いてみる。思いきり。

 大体こうすると教師はため息をつくか、怒鳴り出すかの二択であるのだが、神崎さんはなおも諦める様子はない。さりとて、いくら生真面目で正義感の強い人格者である好印象な神崎さんであっても、面倒で執拗い話は億劫だ。早々に切り上げようと思ったところで、思わぬ言葉を耳にした。


 誰にも話したことはないはずの、私の妹たちの話。

 なぜ? 何でこの女は知っている?

 私のやさぐれた不良少女の演技は、まぁ半分は素なのだが、いまいちだったのか?

 困惑を浮かべる私に、彼女は種明かしをする。


「ごめんね、当てずっぽう。でもその反応で分かっちゃった」


 ……やられた。

 いつも通り眠そうな顔をしていれば良かったものを、部活への切り替えのタイミングを突いてきたわけだ。えげつないな、委員長。


「あー。で、なに?」


 そうは言っても、私もスタンスを変えるつもりは無い。

 気怠そうに、より気怠く。要件を促す。言外に、放っておけと言わんばかりに。

 あまり人のプライベートな所を覗かないで欲しい。それも闇に閉ざした部分ならば、尚更。

 

 だから、拒絶を態度で示すべくそっけなく言った。もしもこれで「力になるよ、何でも相談して」などと無責任な言葉を吐こうものなら、いくらか軽蔑してしまうかもしれない。そうなるのは……嫌だな。


 しばらく黙り込んだまま、じっと彼女は私を見つめていた。

 その後、ため息と共に彼女はこう言ってのけたのだった。


「それでも私は、毎日あなたを起こすよ」


 約束よとでも言わんばかりに、彼女は背を向けたまま手を振り、そうして部活道具を手に教室を出て行った。耳には「また明日」の声が残っている。


「……頑固なヤツ」


 神崎 熾(かんざき おき)。何が楽しくて人にそうもお節介を焼くのか。

 まぁでも。学校に行く理由が一つ出来たようで。

 心無しか私は、少し肩が軽くなったように感じた。


私のあだ名の一つでした、実際に。学校で一日寝通す日々は、幸せだったように思います。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] ふわりとのほほんとした、微笑ましい光景が浮かびました。 [気になる点] まるで狸寝入りだったかのように割と意識がはっきりしている風に思えました。一人称で書かれているからというのもあるかもし…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ