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『たった6文字のHOPE ~神谷探偵事務所はぐれ事件簿~』  作者: 水由岐水礼
FILE・#3 〈塔〉&〈法王・戦車〉
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「故意に狙われた可能性って、どういうことですか!」

 声を張り上げて、涼介がソファーから身を乗り出した。

 がたん。膝がテーブルにぶつかり、衝撃で彼の前に置かれたカップから紅茶が零れた。

「まさか先輩の命が狙われている、とでもいうんですか!」

「落ち着け、涼!」

 興奮状態の涼介を一喝し、慎也は彼をソファーに座らせた。

「物騒なことを軽々しく口にするな。とりあえず、まずは話を聞け。質問はその後だ。わかったな」

「……はい」

 慎也の言葉に、涼介は素直に従った。

 思わず取り乱してしまったことを恥じているのか、それとも単に興奮のためか、その顔は耳朶まで赤い。

 涼介の隣では、テーブルに零れてしまった液体を美咲が布巾で拭き取っている。

 それが終わるのを待って、

「すみません、水島さん。見苦しいところをお見せしてしまって。どうぞ、お続けください」

 慎也は甥の不調法を玲奈に詫びた。

 すみません、と涼介も頭を下げる。

「いえ、気にしないでください。涼介さんの気持ちは分かりますから」

 玲奈は二人に微笑を返した。

 それから、表情を引き締め語りだす。

「実は、ここ最近、私の周りでおかしな事が続いているんです。初めは、二週間ほど前のことでした。大学のキャンパスを歩いていた時に、いきなり植木鉢が私の前に落ちてきたんです。といっても、落下地点は私の五メートルは手前だったので、これといって怪我も何もありませんでしたが。ですから、驚きはしたんですが、その時は『危ないなぁ』と思ったくらいで、特に気にも留めていなかったんです。けれど……」

「また、同じことが起こったんですね?」

 いったん言葉を切った玲奈に、慎也が合いの手を入れる。

「はい、そうなんです。その二日後のことでした。校舎沿いを歩いていると、また鉢が落ちてきて……今度は、一度目の時よりも私の側に落ちてきました。その後も、それはまだ三度続きました。その度に、鉢は私のより近くに落ちてくるようになって……最後の五度目の時は、地面に衝突して割れた鉢の破片が、私の靴に当たったほどでした。

 それからはもう怖くて……。なるべく建物の側は歩かないようにしています」

「なるほど、フィクションの中ではよく登場する事例ですね。ステレオタイプではありますが、相手を脅したりするには、なかなか効果的な方法ではありますね。ちょっとした演出も加えられているようですし……」

 慎也は静かな口調で意見を挿んだ。

 よく見ると、植木鉢が落ちてきた時のことを思い出しているのか、膝の上の玲奈の手は微かに震えている。

 話し振りはとても冷静で、一見気丈そうに見える。しかし、その実、玲奈の心中は口調ほどに平静ではないらしい。

「それで。他には、どんなことがありましたか? まだ何かあったんでしょう?」

「はい。大学の図書館の書架でも、同じようなことがありました」

「本棚の高いところにあった本でも、降ってきましたか?」

 慎也は先回りをして言った。

「神谷さんの仰るとおりです。まるでドミノ倒しのように、本棚の上段に並んだ本がバタバタと……」

「これまた、想像力が欠如しているというか……なんとも典型的なパターンですね」

「幸い、この時も軽い打ち身くらいで、私には怪我と呼べるほどのものはありませんでした。けれど、多恵子さんが少し……」

「多恵子さん? 松井さんもその時、ご一緒だったんですか?」

 慎也は、視線を玲奈から隣の多恵子の方へ移した。

「ええ、一緒でした。あたしは玲奈の前を歩いていたんです。それで、あたしも本の下敷きに。その時に、打ちどころが悪かったらしくて、ちょこっと小指に突き指を。でも、大したことはなかったですけど」

 多恵子は、左手の小指を立てて軽く動かしてみせた。

 今はもうほとんど治っている、ということだろうか。言葉どおり、本当に大した怪我ではなかったらしい。

「それはいつの事です?」

「ちょうど十日前のことです」

 答えたのは、玲奈だった。

「もちろん、犯人らしき人物を見た……とかいうことはありませんよね」

「ええ、残念ながら……」

「あたしも見ませんでした」

 玲奈と多恵子が続けて答える。

「ところで、その図書館の件ですが、本棚から本が落ちてきたのは何かの仕掛けによってでしょうか?」

「たぶん、そうだと思います。司書の方が調べてくださったところでは、本棚と崩れた本の中からテグスが見つかったそうですから。ただ、具体的にどんな仕掛けだったのか、それは分からないそうです……」

「テグス、ですか……それはまたミステリー的ですね。……となると、さすがに本が落ちてきたのは偶然や事故とは言えませんね」

「でも、仕掛けがあったからといって、それだけじゃ水島さんを狙ったとは言い切れませんよ」

 冷静な思考を取り戻したらしい。ずっと黙っていた涼介が、口を挿むべき箇所でしっかりとフォローを入れてきた。

「ああ、分かってるよ、涼。植木鉢の件は別として……図書館の方はまだ、対象を限定しないただの悪戯の可能性も残ってるよな」

「そんな……」

 涼介と慎也の見解に、多恵子が不満げに表情を歪めた。

「絶対に同じです! 図書館のことも、植木鉢と同じ奴の仕業に決まってます!」

 彼女はムキになって叫んだ。

「ねっ? 玲奈だってそう思うでしょう?」

「え、ええ、まあ……」

 熱くなった多恵子に、玲奈は少し困ったように答えた。ただ、慎也たちの意見に賛成できないのは玲奈も同じようである。

「まあまあ、松井さん。話は最後まで聞いてくださいよ」

 慎也は宥めるように言った。

「俺たちだって、植木鉢と図書館の件は十中八九、同一人物の仕業だと思っていますよ。ただ、可能性の問題としてそうじゃないことも考えられる、という話をしているだけです。最初から『こうだ!』と決めてかかるのは、あまり良くはありませんからね。

 ……というわけで、水島さん」

「はい、何でしょうか?」

「あなたは、大学の図書館をよく利用されるんですか?」

「ええ、週に三、四度は利用しています」

「……なるほどね」

 玲奈はなかなかに勉強家であるようだ。

「それで、あなたが図書館を利用される時ですが、いつも決まって立ち寄るコーナーなどはありますか?」

「はい、あります。講義用の調べ物のために大抵いつも、専攻している古典文学の書架には立ち寄りますが……それが何か?」

 最後の玲奈の問いには答えず、慎也は続けて訊いた。

「水島さん。本が落ちてきたのは、その古典文学のコーナーでしたか?」

「あっ……」

 ハッとしたように、玲奈は短く声を発した。

 どうやら、慎也の一連の質問の意図をようやく察したらしい。

「そうなんですね?」

「はい、古典文学のコーナーでした」

 玲奈はしっかりと答えた。

「これで、とりあえずは決まりかな」

「……みたいですね」

 慎也と涼介は頷きあった。

 植木鉢と図書館の件は、同一人物、もしくは同一グループの仕業でほぼ間違いはなさそうである。

「やっぱり、誰かが私を……」

「そのようですね。犯人の目的は分かりませんが、あなたに害意を持つ人間がいるのは確かなようです」

「害意、ですか……」

 とうに分かっていたこととはいえ、改めてはっきりと言われ、玲奈はいくぶんショックを受けたようだった。

 玲奈……と、多恵子が気遣わし気に親友の手を握る。

「図書館のことはもちろん、植木鉢の件からも、犯人が水島さんのことをきちんと調査していることは想像に難くありません。その辺りについて、何か心当たりはありますか?」

 慎也の問いに、「わかりません」と玲奈は首を横に振るだけだった。

「では、ストーカー的な人物などはどうですか? 最近、妙な男に付き纏われた、とかいうことはなかったですか?」

 ストーカーなどという言葉が飛び出し、玲奈はさらにダメージを受けてしまっらしい。

 俯き、肩を震わせる。

 それでも、「私が知るかぎりでは……心当たりはありません」と玲奈は顔を上げた。

「友人として、松井さんはどうです?」

 多恵子にも質問を振ってみる。

 けれど、結果は同じ。

「あたしも、心当たりはないです」

 という益のない言葉が、返ってきただけだった。

 玲奈と多恵子。一応、この二人の言葉を信じるとするならば、他は……。

(やはり、怨恨の線だろうか)

 これだけの美人ならば、知らず知らずの内に、誰かから何らかの恨みを買っていることも十分にあり得るだろう。

「失礼ですが、水島さん。あなたは、自分が誰かから恨まれているような覚えはありますか?」

「どうして玲奈が恨まれるんですか!」

 慎也の言葉に、多恵子が激昂した。

「玲奈みたいにいい娘が人から恨みを買うなんて、そんなことあるわけないでしょう! 変なこと言わないでください!」

 さっきといい、今度といい。どうも、多恵子は熱しやすい性格の持ち主らしい。いや、彼女にとって、それだけ玲奈は大切な友人ということなのかもしれない。

「いいのよ、多恵子さん。私はいいから、そんなに怒らないで」

 玲奈が多恵子を宥める。

「わかったわ、玲奈がいいんなら……」

 友人の言葉に、多恵子はひとまず怒りを静めた。が、その二つの眼はまだしっかりと慎也を睨んでいる。

「神谷さん。申し訳ありませんが、それも私には分かりません。私自身としては、そんな覚えはありませんが……」

「もしかすると、自分でも気づかないうちに他人から、ですか?」

「……はい」

 玲奈は小さく頷いた。

 まあ、それはその通りだろう。

 自分が他人から恨まれているかどうかなんて、100パーセント分かるはずがない。

 ましてや、玲奈のようなお嬢様ならば、余計にそうかもしれない。

 あとは彼女の両親の線も考えられるが、今は訊くのは止めておこう。……目の前に、多恵子の怖い眼もあるし。

 それに、訊いたところで、玲奈から有益な情報を得るのは無理だろう。両親のことは、後でこちらで調べればいい。

「そうですか……。とりあえず、水島さんが誰かに狙われている、そのことは了解しました」

 慎也は、確認の意味を込めて玲奈たちに言った。

 涼介へ視線をやると、

「OKです」

 彼の唇が短い言葉を紡いだ。

 付け足しの質問はない、という意味だ。

 慎也は、視線を再び玲奈たちに戻した。

「では、次は川崎君のことですね。今の水島さんのお話と今回の川崎君の事故ですが、この二つがどんな風に係わってくるんでしょうか? 今度はそれをお聞かせ願えますか」

 その問いに、玲奈の表情に浮かぶ愁いの色がより一層深く濃くなった。

 次はどんな話が飛び出してくるのか?

 慎也は静かに待った。


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