08
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テーブルの上に、20枚のタロットカードが扇状に並んでいる。
ムーンプリンスこと一条悠馬は、そこから1枚をゆっくりと抜き出し展開した。
導き出された絵柄に、悠馬の中性的な美貌が微かに歪む。
彼が引き当てたカードは、〈塔〉のカードだった。
雲を突き抜け、遥か天空にまで届かんとする高い塔を、神の怒り──雷が破壊する。
占いについて全くの素人が見ても、その絵柄が寓意することが良いことだとは思わないだろう。
実際、〈塔〉のカードは縁起のいいカードではなかった。
「塔とはまた……」
悠馬はぽつり呟いた。
かららん……。
カウベルの鐘が鳴り、扉が開いた。
暗めの室内に、数瞬、明るい光が射し込む。
「こんにちは、悠馬さん」
セーラー服姿でボブカットの少女が、鞄を胸ににっこりと笑っている。
が、その笑顔がどことなく陰っているように見えるのは、気のせいだろうか。
「いらっしゃい、優子さん。今日は少し遅かったですね」
三つ年下の恋人の訪れに、羽織っていたマントと共に、悠馬は占い師としての顔を脱ぎ捨てる。
「うん、ちょっと色々あって……」
恋人の沈んだ口調に、「ああ……」と悠馬は事情を悟った。
「川崎さんのことですね?」
優子は、川崎秋彦の妹・春菜とは同級生で友人である。秋彦の事故のことを既に知っていても、不思議はない。
きっと、いままで春菜と一緒にいて、彼女を元気づけてやったりしていたのだろう。
「えっ……悠馬さん、知ってたの?」
言いながら、優子は悠馬の向かいの椅子に座る。
「ええ、まあ」
とだけ、やや歯切れ悪く悠馬は答えた。
昼間、秋彦の恋人だという女性が訪ねてきて、知らせてくれたのだ。ただ、それを優子に言うわけにはいかなかった。
恋人に隠し事をするのは心苦しいが、水島玲奈と名乗った女性と悠馬は約束した。
玲奈のことは誰にも話さない、と。
幸い、事故の情報源について優子は訊ねてこなかった。
悠馬、秋彦、プラス優子の兄・涼介の三人は、母校の桜川高校で〈ミステリー研究会〉という同好会を創設した仲間だった。
そんなミステリー好きたちの交流は、今も絶えることなく続いている。
お互いの家へ行き来することも、しばしばだ。
だからだろう。
「それはそうよね。悠馬さんとお兄ちゃんのところへ、連絡が来ないわけないよね」
と、優子はなにやら一人で納得してしまったのだ。
「それで、春菜さんの様子はどうなんですか?」
悠馬は訊いた。
「うん……それが全然元気がなくて、ものすごく沈み込んでる。こっちが見てて、辛くなるくらいに」
「……そうでしょうね。優子さんほどでないにしても、春菜さんもかなりのお兄ちゃん子ですからねえ」
「ちょ、ちょっと悠馬さん。それはもう昔の話でしょう。今はもう、私はブラコンなんかじゃないんだから……」
悠馬の言葉に、優子が聞き捨てならないとばかりに反論する。
けれど、幼なじみの美咲と兄を取り合っていた頃のことを思い出してか、
「まあ確かに……昔のことを考えると、未だにそう言われるのも仕方ないとは思うけど……」
優子は小さな声で付け足した。
兄にいつもベッタリとくっ付いていた彼女が、ブラコンを卒業したのは悠馬と付き合うようになってからだ。
悠馬も、優子と出会った頃は、そのあまりのお兄ちゃん子ぶりに驚いたものである。
とはいえ、中学校の制服姿で兄に甘えている優子を見て、悠馬は彼女の可愛らしさに惹かれてしまったような奴だ。だから、ブラコンが悪いとは全然思っていないし、優子がブラコンであっても気にするつもりはない。まあ、少し涼介に妬けないこともないけれど……。
ただ、優子の方は、恋人にいつまでも自分がブラコンだと思われているのは嫌な様子だった。
「大丈夫ですよ、そんなに拗ねた声を出さなくても。ちゃんと分かっていますから……」
いったん言葉を区切り、悠馬は続けた。
「優子さんが僕に夢中なことは。だから、あなたはブラコンなんかじゃありませんよ」
――僕が保証します。
恥ずかしげもなく言って、悠馬は悪戯っぽく笑った。
「な、なっ……」
顔を真っ赤にし、優子は半ば絶句する。
何か言おうと頑張っているけれど、悠馬の言ったことは本当のことなので否定もできず、返す言葉が上手く出てこないようだ。そういうところが、優子は妙に素直にできている。
その辺は、兄の涼介もよく似ていた。
「ば、ば、悠馬さんの馬鹿っ!!」
やっと優子の口から飛び出したのは、そんな罵りの言葉だった。
耳まで赤くなっている恋人の姿に、悠馬は優しい気持ちになる。
(……本当に可愛いですね)
優子は、少し怒ったように悠馬を睨んでいた。
しかし、それが優子流の照れ隠しであることくらい、悠馬は承知している。
さらに彼は続けた。
「ああ、そうでした。すみません、まだ続きが残ってました。危ない危ない、言い忘れてしまうところでしたよ」
「続き……?」
鸚鵡返しに聞き返した優子に、
「もちろん、僕だって優子さんに夢中ですからね。大好きですよ、優子さん。これが続きです」
優しげに目を細め、悠馬は臆面もなく言ってのけた。
「あ、あの……」
これ以上ないというくらい、優子の顔が真っ赤っかになる。
たまらず、優子は顔を伏せてしまった。
「……本当に馬鹿なんだから」
微かに、囁くような声が聞こえた。その「馬鹿」に責めているような響きはない。声はしっかりと嬉しそうだ。
その証拠に、顔を上げた時、優子の表情は満面のニコニコ顔だった。
けれど、彼女の心の中で、嬉しさは恥ずかしさに負けてしまったようだ。
恥ずかしさが破裂寸前で、何が何だか分からなくなってしまったのだろう。
「あ、あの、悠馬さん。私、今日はもうこれで帰るね」
結果、優子は恥ずかしさから逃げることに決めたようだった。
嬉しさは帰る道々、一人で味わうことにするのだろう。夕暮れの街を含み笑いでスキップする優子の図が、悠馬にはなんとなく想像できてしまった。
「そ、それじゃあ、また明日ね!」
と、優子はさっと椅子から立ち上がる。
「ああ、待ってください、優子さん」
悠馬は彼女を呼び止めた。
「な、何……?」
「お兄さんに、言付けをお願いできますか?」
椅子から腰を上げ、悠馬は胸元のポケットから、2枚のタロットカードを取り出した。
カードは、〈法王〉と〈戦車〉だった。
テーブルの上の〈塔〉のカードも手に取ろうとしたが、途中で止める。
テーブルをぐるりと回り込み、優子の前に立つと、
「これを、涼介さんに渡しておいてもらえますか?」
悠馬は、2枚のカードを優子に手渡した。
そして、少し前屈みになって、素早く優子の額にキスをした。
悠馬の不意打ちに、優子はポカンとしている。
固まっている彼女に、
「言付けのお駄賃ですよ」
悠馬はにっこりと微笑んだ。
「お、お駄賃って……」
優子の顔は、またまた真っ赤っかのゆで蛸さん状態になってしまった。