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『たった6文字のHOPE ~神谷探偵事務所はぐれ事件簿~』  作者: 水由岐水礼
FILE・#1 神谷探偵事務所の諸事情
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      4


 ……去年の12月初旬。

 慎也たちが初めて城山ビルの三階フロアに足を踏み入れたのは、雪のちらつく寒さの厳しい冬の日の午後のことだった。

 幽霊ビルの噂は、もちろん知っていた。

 フロアに一歩入ったとたん、

(ああ……これは何かいるな)

 某妖怪マンガの主人公みたいに、便利なアンテナ代わりの髪の毛などはなかったが、慎也はすぐに得体の知れない気配を察知した。

「うわぁ~!!」

 隣から声が上がる。

 美咲の霊感も、何かを感じ取ったらしい。

 慎也と目が合うと、美咲は頷いた。

 どうやら、噂どおりのモノがこのフロアにいることは確かなようだ。

 ただ一人、霊感を持たない涼介は、大人しく二人の後ろに控えている。

 部屋の片隅に大きめの段ボールが三つ置かれていた。それ以外、何もない殺風景な空間だった。

 幽霊はどこにいるのか?

 気配はするものの、その姿はどこにもなかった。

 三人は、肝試しやお祓い(除霊)をしに来たわけではない。幽霊と話し合いに来たのだ。

 テリトリーを侵されることを嫌がっているらしい幽霊をなんとか説得して、ここに事務所を開くことを承諾させる。それが今回の目的だった。

 そのためにはまず、このフロアの主に登場してもらわなければ、話にならない。

 どうにかして、幽霊を話し合いの席に着かせなければならなかった。

「おーーい、幽霊さん!」

 とりあえず、馬鹿みたいだがストレート且つシンプルに呼びかけてみる。

 けれど、幽霊は姿を現わしてはくれなかった。

 ただ虚しく……あるいは間抜けに、慎也の声が広いフロアに響く。

「お願い、幽霊さん。ちょっとでいいから、出てきてよー!」

 少し間を置いて、今度は美咲が大きめ声を出した。

「………………」

 やはり、何の応答もなかった。

 フロアは静かなまま、ガタガタと風が窓を揺らす音ばかりが聞こえる。

「おーい、頼むから話を聞いてくれー」

「幽霊さん、どこにいるのー?」

「おーい、聞こえてますか、幽霊さーん!」

「お願いだから、出て来てったら! ほら、涼ちゃんもボケっとしてないで、一緒に……」

「えっ、あ、ああ……わかったよ。あ、えーっと、幽霊さぁぁーーん……」

 とそんな感じで、呼びかけを繰り返すけれど、幽霊はずっと沈黙を守っていた。

 無視を決め込む気だろう。

 三人が何もない空間に虚しく呼び掛ける、そんな滑稽な状態が10分近くも続いただろうか。

 とうとう、一番気の短い美咲が爆発した。

「こら、馬鹿幽霊! いい加減に出てきなさいよ! じゃないと、もう勝手にここに居ついちゃうからね!」

 カタン……。給湯室の方から何か物音が聞こえた。ドアの向こうから、空色の浴衣姿の少女が現われる。

 その姿に、慎也は思わず口笛を吹いた。

「へぇー、可愛い娘じゃないか……」

 ……それが慎也たちと雪乃との出会いの瞬間だった。


      ☆


 その表情には一片の好意もない。そこにあるのは、ただ怒りだけだった。

 その時。幽霊さんこと雪乃はひどく怒っていた。

 眼差しはどこまでも冷ややかに、闖入者たちである慎也たちを射抜く。

 ……幽霊に敵意を向けられている。

 そんな緊迫した場面だというのに、慎也の取った行動は短く口笛を吹き、

「へぇー、可愛い娘じゃないか……」

 と、幽霊の容姿を褒めることだった。

 自分のことを指して言っているであろう言葉に、雪乃が驚いたように目を見張る。

 じきに、慎也だけでなく、美咲にも自分が見えていることに気づいたようだった。

「私のことが見えるの……?」

 と半ば呆然とした様子で、雪乃が言う。

「うん、見えるよ」

 美咲は答え、続けて、

「そこの涼ちゃん以外はね」

 一人だけ雪乃が見えず視線の定まらない涼介を指さした。

「…………」

 問いかけではなく、おそらく独り言の呟きだったのだろう。それに答えが返ってきて、雪乃はさらに困惑したようだった。

 動揺を隠し切れず、美咲を見つめる。

「聞こえるの?」

「聞こえるよ。あたしだけだけどね」

 何でもないことのように、美咲がさらりと言う。

「ど、どうして……どうして聞こえるの?」

 自分の姿が見えて、尚且つ自分と会話できる人間がいる。雪乃は、そのことをすんなりと受け入れられないようだった。

「うーん……どうして、って言われても困るんだけど……。簡単に言うと、あたしの霊感が強いのと、涼ちゃんが側にいてくれてるからかなあ……」

「涼ちゃん? なにそれ?」

 雪乃は訝しげに首を傾げ、美咲の隣に立つ涼介に視線をやった。

「どうして、その人が側にいると私の声が聞こえるのよ」

 ──そんなの関係ないじゃない!

 からかわれたとでも思ったのか、雪乃の口調がまた尖ったものに戻る。

「えーっとね、それはね……」

 ちょっと、ややこしいんだけど……と、前置きをして美咲は説明を始めた。

 美咲や慎也と違い、涼介には霊感のような特殊な能力はなかった。けれど、二人以上に奇妙な特性を、涼介はその身に宿していたのである。

 ……特殊能力の増幅性質。

 言い換えるなら、「特殊能力専用のブースター」といったところだろうか。涼介はそう表現できてしまう存在だったのだ。

 原因も因果関係も何もわからない。なぜだかは全く分からないけれど。

 涼介は、なんらかの特殊な能力を持つ人間の側にいると、それだけでその人間の持つ能力を高めてしまうのだ。

 たとえば、今この場から涼介がいなくなれば、どうなるか?

 美咲と慎也の霊感、感知能力はダウンするだろう。その結果、美咲は雪乃の声を聞くことができなくなり、慎也の双眸からは雪乃の姿が消えてしまうだろう。

 慎也に元々備わっている霊感は、幽霊の姿を見ることができるほどには強くはない。幽霊の気配を感じるくらいが、せいぜいなのだ。

 それを高め、慎也に雪乃の姿を見せているのが、涼介のブースター性質なのである。

 美咲に至っては、涼介と一緒にいるだけで、幽霊と会話をすることも可能になってしまう。

 そんな本人的には何の役にも立たない、かなりデタラメな性質を涼介は宿していた。

 霊感ゼロの涼介がこの場にいるのは、そういう事情のためでもある。

 話を聞き終えて、雪乃はあからさまに疑いの目を美咲に向けてきた。

 そのまま視線を横にずらし、胡散臭そうに涼介を見る。

 ポルターガイスト現象を起こせる幽霊からしても、涼介に関する話は現実離れしすぎていて、すんなりとは受け入れてもらえなかったようだ。

 けれど。それが嘘であれ真実であれ、美咲と雪乃との間で会話が成立することには変わりはない。

 美咲の仲介を通し、慎也と雪乃の話し合いが始まった。

 ものの、「このフロアを借りたい」と言う慎也に、雪乃は頑として首を縦に振らなかった。

 城山書店の倉庫だった三階フロアは、雪乃にとっては静かな住処だった。

 それがいきなり、見ず知らずの人間たちに荒らされ始めた。それをフロアで大暴れ(ポルターガイスト現象)を繰り返し、やっとこさ元の静けさを取り戻したばかりである。

〝また騒がしくなるのは嫌だ〟

 雪乃はそう主張して譲らなかった。

「どうしてもダメかい?」

 慎也のため息まじりの声にも、雪乃は頷かない。

「もちろん、君に出ていけなんて言わないからさ、頼むよ雪乃さん」

 慎也もなかなか諦めない。この通り、と手を合わせた。

 肉体はないとはいえ、彼のしつこさに精神的に疲れてきたらしく、雪乃は呆れ顔でのろのろと首を横に振った。

「まいったなぁ……」

 頭を掻きながら、慎也は微笑んだ。

「本当の本当にダメ?」

 笑顔のまま、雪乃の顔を覗き込む。

 それは、慎也的には、ただ無意識にやっただけの行動だっただろう。

 しかし、意外な効果をもたらした。

 すぐ側で二人の様子を見ていた美咲には、それが分かった。

 ……はにかんでいる。冷たかった雪乃の表情に、微かだがある種の温かみが射してくる。

 それは、美咲もよく知っている温かみだった。それが見る見るうちに広がっていく。

 雪乃の顔が女の子の表情かおになる。

 幽霊といえど、雪乃も立派にお年ごろ(?)の女の子だったらしい。

 慎也当人は気づいていないようだけれど、彼の笑顔は女性に対し、かなりの威力を発揮するのである。

 彼が童顔と気にしている顔。その顔は、年齢とのバランスさえ気にしなければ、爽やか系の美形なのだ。

 童顔、童顔……と、本人には不評の顔も、女性たちの間では大好評だったりした。彼自身は知らないけれど、慎也が警察を辞めた時、どれほど多くの女性警官たちがそのことを悲しんでいたことか。

(……落ちた、かな)

 美咲は思った。

 ……罪な男である。

 もし雪乃が幽霊ではなく、血の通った肉体を持っていたならば、彼女の顔は耳朶まで真っ赤になっていることだろう。

(ちょっと卑怯な気もするけど……。まっ、いっか……)

 雪乃は、慎也の笑顔に見惚れているようだった。

 このまま行けば、雪乃はじきに首を縦に振ることだろう。

「やっぱり、ダメか……」

 慎也はため息を吐き、がっくりと肩を落とした。落ち込んだ様子で背中を丸める。

 どこか哀愁が漂う彼の落ち込みに、場に哀しげな空気を含んだ静寂が生まれる。

(……やっぱり、これも計算じゃないんだよね。でも……ホントにそうなのかな?)

 あまりにもマニュアル的な行動に、美咲はちょっとばかり慎也のことを疑ってしまう。

 せつなげに雪乃を見つめる彼に、とうとう雪乃が折れた(落ちた?)。

「あ、あの、わかりました。どうぞ、ここを使ってください」

 あらら……。美咲は慎也にそれを伝える。

「えっ、本当に。本当にいいの?」

 慎也の表情がパッと明るくなった。

「ただし……条件があります」

 世の中、そう甘くはなかった。

 慎也の表情が引き締まる。

「条件は二つ。一つは、事務所としてだけでなく、ここを住居としても使うこと。もう一つは、私も探偵事務所の仲間に加えてください。その二つを受け容れてもらえるのなら、ここを自由に使ってもらっても結構です」

「つまり、それって……君と一緒にここで暮らせってこと?」

「……あ、えっ、その……」

 慎也の言い回しに、雪乃は狼狽えたように言葉を詰まらせた。もちろん、彼の言葉に深い意味はないだろう。

「……そ、そうです。だって、夜になって急に人がいなくなったら、寂しいじゃないですか」

 おおよそ幽霊らしくない主張だ。

 さっきまでとは違う矛盾する雪乃の発言に、美咲は思わず吹き出してしまう。

 仲間の件に関しては、「なんだか面白そうだから」と雪乃は無難な理由を返した。

「うーん……それもそうだな。わかった、そうするよ。通勤がなくて、俺もその方が楽だし。うん、ちょうどいいや」

 すんなりと納得してしまった慎也に、雪乃は嬉しそうに微笑んだ。

 なんだか微笑ましくて、美咲も自然と笑みを浮かべてしまう。

「もう一つの条件もOKだ。じゃあ、これで契約は成立でいいね?」

「はい」

 雪乃は頷いた。

 その翌日、ビルのオーナー、城山祐一郎氏との契約も済んだ。

 こうして、クリスマスの3日前。城山ビルの三階に、神谷探偵事務所は無事開設された。

 そして、半年後の現在に至る……。


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