04
3
「うん、今日のも上出来だね! とっても美味しいよ、雪乃ちゃん!」
美咲のご機嫌な声が、事務所内に響く。
「ああ、ホントに美味いよ。甘さの加減もいい感じだし。イケるよ、これ」
チョコレートケーキをパクパクとやりながら、涼介も美咲の感想に同意する。
ケーキを美味しそうに食べている二人の姿に、製作者の雪乃はにこにこと嬉しそうに微笑んでいた。
「よかったら、もう一つどうぞ」
雪乃はケーキのお代わりを勧めた。
応接セットのテーブルの上には、大皿に載った半円形のケーキ(要は半分)がまだ残っている。
涼介に雪乃の声は届かない。
美咲は、雪乃の言葉を皿を空にした涼介に伝えた。
雪乃は美咲と同年代の少女だった。髪はおかっぱ風のショートで、朝顔をあしらった空色の浴衣姿が清楚で初々しく、華奢で可愛らしい。
そんな雪乃の姿が、美咲の目にははっきりと映っている。
けれど、彼女はいわゆる幽霊というやつだった。霊感の強い美咲はともかく、霊感ゼロの涼介には雪乃の声を聞くどころか、その姿を見ることさえもできない。
という訳で、美咲はこの事務所では通訳的な役割を負っている。
「ありがとう、雪乃さん。それじゃあ遠慮なくいただきます」
涼介は、大皿から一切れ、ケーキを自分の皿に移した。
再びケーキにパクつき始めた涼介を横目に見、「あたしは遠慮しとく」と美咲はフォークを皿に置いた。
どうやら、多くの女性が気にする、カロリーというものを計算してのことらしい。その証拠に、その視線は大皿のケーキにちらちらと未練ぽく向けられている。
(女の子というのも、大変だなぁ……)
などと思いながら、慎也は誰にも遠慮なく、「んじゃ、あとは全部、俺が貰うな」と大皿ごと残りのケーキを自分の方へ引き寄せる。
ぱくり、慎也は新しいケーキをフォークで切り、口に放り込んだ。
と、自分を見つめる視線に気づき、フォークを咥えたまま、彼はそちらへ顔を向けた。
雪乃が期待いっぱいの瞳に不安をほんの少しだけ混ぜて、慎也を見ている。
慎也も雪乃の姿を見ることができる。
美咲ほどではないが、彼も霊感を持っていた。ただ、涼介と同様、雪乃の声を聞くことまではできない。
感想を待つ雪乃に、慎也はコーヒーをひと口飲んでにっこりと微笑む。
「GOOD! とっても美味しいよ」
右手の親指と人差し指で輪を作り、慎也はウインクをしてみせた。
「上に振るったココアパウダーがちょっとだけ多いかな……って気もするけど、これなら十分に合格だね」
ケーキ作りの師匠、慎也に太鼓判を貰い、雪乃は一際嬉しそうに相好を崩した。
慎也は甘いものが好きなだけでなく、ケーキやタルトなどの洋菓子を自分でも作れる人だったりもする。その腕前は趣味レベルには止まっておらず、手作りケーキを売りにしている喫茶店のマスターに、「うちで働かないか」と誘われたこともあるくらいだった。
大学生の時、慎也は姉(涼介の母)夫婦の家に下宿させてもらい、そこから大学に通っていた。その四年間だけのこととはいえ、天野家のおやつや食後のデザートには、慎也作のケーキが登場することが少なくはなかった。
自分自身が食べたかったのが一番の動機ではあったものの、世話になっているお礼の気持ちも込めて、慎也はいろんな洋菓子を天野家のキッチンでよく作っていた。
そのおかげで、洋菓子──特にケーキに関しては、涼介と美咲の舌はかなり肥えてしまっている。幼い頃から慎也の作ったケーキを食べ慣れている二人の舌は、その辺でお手軽に買えるような量産品の類では満足しない。
そんな涼介と美咲、加えて二人の舌を豊かにした慎也、この三人みんなが口を揃えて美味しいというのだ。それは、雪乃の作ったケーキがかなりの美味であることを示している。
雪乃は幽霊で、ものを食べられない。だから、調理をする上での基本、味見というものができない。
それで、これだけのものを作ってしまうのだ。
自分では、味見なしでこうはいかないだろう。内心、慎也は雪乃に感服していた。
それにしても……と、フォークと口を動かしながら慎也は思う。
(こんなはずじゃ、なかったのにな……)
刑事を辞めて探偵事務所を開こうと決心した時、確かハードボイルドな探偵を目指していたはずなのに……。
テーブルの上には、チョコレートケーキ&ティーセットがあり。それを囲んでの、若者たちとのちょっと遅めの夕方のティータイム。
ああ、なんてアットホーム感のある光景なんだろう……。
ハードボイルド……。その響きとは、似ても似つかない。あまりにも掛け離れすぎている。
ハードボイルドは、どこへ行った?
やはり、煙草も吸えないような超甘党童顔男には、端からハードボイルドなど無理だったんだろうか。
(でも、まあ……これはこれでいいか)
結構楽しいし……。本当のところ、今ではもう、慎也の中にハードボイルドへの拘りはあまりなかったりする。
それどころか、幽霊の女の子までいる、一風変わったこの事務所の温かな家族的な雰囲気を慎也はとても気に入っていた。
刑事だった頃にはなかった安らぎが、今の生活にはあった。
ハードボイルドの夢は破れたが、ユーモアミステリーの世界も悪くないものである。
ソファーに背をあずけ瞼を閉じると、半年前の出来事が脳裏に甦ってきた。
(あの日は、そう……雪が降っていたんだよなぁ……)