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『たった6文字のHOPE ~神谷探偵事務所はぐれ事件簿~』  作者: 水由岐水礼
FILE・#9 THE CHARIOT
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「まさか、あなたも……なんですか?」

 自分でも驚くほどに、冷たい響きを持った声だった。

 簾髪の下から、涼介は真っすぐに多恵子を見つめる。

「…………」

 多恵子は答えない。無言で、震える唇を噛み締めている。

「松井さん」

 静かに1歩、涼介は踏み出した。

 対し、多恵子は後退さる。

 2歩、3歩……涼介が進むのに合わせ、多恵子は同じ歩数だけ退いた。

 状況が飲み込めないらしく、涼介の後ろで唖然としていた美咲も、戸惑った様子で涼介の後から続いた。

 ……8、9、10。

 たん……。ちょうど10歩目で、涼介の足は止まった。

 対峙場所は既に、外から神谷探偵事務所内に移っている。

 美咲が遠慮気味にドアを閉めた。

「松井さん、もう分かっているんですよ。『まさか、あなたも……』の後には、〈念動力〉や〈サイコキネシス〉なんて言葉が続くんでしょう?」

「なっ……」

 涼介の言葉に、多恵子が目を見開く。

「えっ……」

 涼介の後ろで、美咲が息を飲んだ。

 必死に押えようとしているみたいだけれど、その動揺は上手く隠しきれていない。

 多恵子の瞳には、明らかに脅えの色が浮かんでいた。

「あなたは、こう言いたいんでしょう?」

 涼介はひと呼吸置くと、言った。

「『まさか、あなたもサイコキネシスが使えるの?』」

 ……違いますか、松井さん?

 やはり、多恵子は口を開かない。

 全身を小刻みに震わせながら、「負けるもんですか!」とでも言わんばかりに、涼介から視線を逸らさない。

 なんだか、自分がいじめっ子にでもなったような気分だった。脅える多恵子を見ていると、自分がとても非道いことをしているように思えてくる。

 できるならば、早く終わらせたかった。

 けれど……勝気な多恵子のことだ。彼女は徹底的に抵抗してくることだろう。

「因みに、答えはNOです。残念ながら……オレには、あなたみたいな能力はありません」

 その言葉にホッとしたのか、

「天野くん」

 そこで、やっと多恵子が言葉を発した。

「いったい何をいってるの? 念動力とかサイコキネシスだなんて、君……ちょっとおかしいんじゃないの? サイコキネシスって、超能力のことでしょう。君は、そんなイカサマを信じているの? しかも、あたしにその能力があるだなんて……馬鹿馬鹿しい」

 まあ、当たり前といえば当たり前か。多恵子は予想通りの反応を示した。

 涼介は小さくため息を吐いた。

 どうやら、いじめっ子のお役目はまだまだ解いてはもらえそうにない。

「まさか本気じゃないわよね?」

「いいえ、本気ですよ」

 間髪を入れず、涼介は返す。

「フッ……なによそれ。川崎さんから君は優秀だって聞いていたけど、どうやら全然違ったみたいね」

 多恵子は、呆れたように首を横に振った。

「選りにも選ってサイコキネシスだなんて、いまどき小学生でも信じないわよ、そんなもの」

「そうですか? でも、オレは信じてますよ」

 涼介は何の躊躇もなく言い切る。

 その自信たっぷりな態度に、多恵子が少し怯んだ様子を見せる。

「それに信じるも信じないも、いま目の前であなたが見せてくれたじゃないですか」

 言うと、涼介は後ろを振り返り、美咲にダーツを拾ってくれるように頼んだ。

 美咲が床に落ちたダーツの1本を拾い、涼介に渡す。

「サンキュー」

 涼介はダーツを受け取ると、

「さて、松井さん……」

 ゆったりとした口調で、多恵子の呼び掛けた。

「このダーツ、さっき変な動きを見せましたね。いや、動きというよりも停止ですか。あれは一体……どういうことでしょうね?」

「そんなこと、あたしに分かるわけないでしょう! それとも君は、あたしがサイコキネシスとやらでそのダーツを操った、とでも言いたいわけ?」

「そうです。それ以外に何があるって言うんですか?」

「ふざけないで! いい加減にしなさいよ、天野くん! ダーツはあたしに向かって飛んできたのよ。どうして、あたしが自分をダーツの的なんかにしなきゃいけないのよ!」

 多恵子は激昂した。

「でも結局、当たらなかったでしょう」

 対照的に、涼介はさらりと受け流した。

「もちろん、最初にダーツが松井さんを襲ったのは、オレが仕掛けたことです。でも、その後のダーツの空中停止はあなたがやったことです。あなたはとっさに……」

「ちょ、ちょっと待ちなさいよ!」

 涼介の言葉を遮り、多恵子が叫ぶ。

「ダ、ダーツに、あたしを襲わせたって……天野くん! 君はいったい何を考えているよ! もし、ダーツがあたしに命中していたら……」

 蒼い顔で言う多恵子に、

「大丈夫ですよ」

 と、涼介は何の緊張感もなく返す。

「そりゃあ、当たれば少しは痛いかもしれませんけど、野球の硬球をぶつけられるのよりは全然痛くないはずですよ」

「…………」

「だって、このダーツ……偽物ですから」

 言いながら、涼介は手に持ったダーツの矢先をポキッ……と、いとも簡単に手折ってしまった。

「ほらね」

「なっ…………」

 絶句する多恵子に、涼介はさらに手品めいたものを披露する。

 折れた3センチほどの矢先から、銀色が無くなっていく。

 たちまちの内に、矢先は銀色の外皮を脱ぎ捨ててしまった。

 おそらく初めて見たであろうダーツの脱皮に、多恵子は惚けた顔になる。

 銀色の正体は、特殊な光沢感を持った銀紙だった。

 そして、矢先の正体は……。

「これ、叔父さんの大好物なんですよね」

「…………ポッキー?」

 幸い、それは床に落ちたショックで折れたりはしていなかった。

 ……先端の少し削られたポッキー。それが、ダーツの矢先の正体だった。

 ポキッ!

 涼介はポッキーをかじる。

「…………」

 黙って見つめる多恵子の前で、彼はダーツの矢先を食べてしまった。

「よく出来てるでしょう、これ? 叔父さんがね、こういうの得意なんですよ」

 涼介の手の中には、ダーツの尻、もち手の部分が残っている。

 ダーツの尻は、ポッキーのチョコがついていない方から黒いゴムを螺旋状に巻きつけ、模造品の羽根を取り付けただけのものだった。

 銀紙とゴムと模造品の羽根、そしてポッキーが1本。たったそれだけの材料で作られたとは思えないほどに、それは見事な出来映えの作品だった。

 実は以前、この〈ポッキーダーツ〉には、涼介もまんまと騙されていたりする。

「どうですか、少しも危なくなんかないでしょう? このダーツで人を傷つけることなんて出来ませんよ」

 涼介はダーツの尻を近くの机に置いた。

「まあ、驚きや一瞬の恐怖なんていう、軽い精神的ダメージくらいなら、与えられるかもしれませんけどね」

 付け足しのひと言に、多恵子の眉がピクリと吊り上がる。

「フン……それで、君は何が言いたいの? そのふざけたダーツが空中停止したからって、それで何かを証明したつもり? 悪いけど、そんなの何の証明にもなっていないわよ。

 こんな子供騙し……。どんなトリックを使ったかは知らないけど、なかなか面白い手品だったわ。だけど、これ以上、こんな馬鹿馬鹿しいお遊戯には付き合ってられないわ!」

 多恵子はドアに向けて歩き出した。

「残念ながら。トリックなんて上等なものはありませんよ。松井さん、あなたが落下させた図書館の本と同じです」

 涼介の横を通り過ぎかけた、多恵子の足が止まる。

「あの時、現場に残っていたっていうテグス、実はあれは使われていないんでしょう? あの事件にトリックなんてなかった……あれは、あなたが念動力を使って行ったものです。テグスは、然も何か仕掛けが施されていたかように見せ掛けるため、どさくさ紛れにあなたが落としておいた。

 そうですよね、松井さん?」

「天野くん。君はどうしても、あたしにサイコキネシス……念動の能力があることを認めさせたいわけね?」

「ええ、それが事実ですから」

 言うと、涼介は美咲の方を振り向いた。

「美咲、いま雪乃さんはどこにいる?」

「えっ……ああ、うん……」

 いきなり話を振られ、美咲はまごついた。

「正面。雪乃ちゃんなら、涼ちゃんの真正面、叔父さんのデスクの前にいるよ」

 答える美咲を、多恵子が不審げに見る。

「怖い顔で、多恵子さんのことを睨んでる」

 その言葉に、多恵子は後ろを振り返った。

 が、しかし、そこには人の姿などない。慎也のデスク前は、どう見ても無人だった。

「なに言ってるの? ゆきのって誰? 他にも誰かいるの?」

 訊いた多恵子を無視し、涼介は答えとは全然別のことを言った。

「松井さん、あなたをまだ帰すわけにはいきません」

「な、なによそれ!」

 涼介の無視はさらに続く。

「雪乃さん、松井さんに席を用意してもらえますか?」

 涼介の指示通り、所長席の手前にある雪乃用のデスクから椅子が引かれ、涼介たちの方へ向けられた。

「ど、どどど……どうなってるのよ、これ!」

 くるくるとキャスターを回転させて、椅子が独りでに多恵子の方に近づいてくる。

 椅子が、涼介の4、5歩前あたりで動きを止めた。

「ありがとう、雪乃さん」

 見えない幽霊に礼をいい、「さあ、どうぞ」と涼介は多恵子に椅子を勧めた。

「さて……紹介が遅れましたが、雪乃さんっていうのは、この事務所の正所員で幽霊の女の子です。ケーキ作りがとっても得意な娘なんですよ」

「…………」

「あなたを襲ったダーツは彼女の仕業です。いわゆる怪奇現象、あれですよ、ポルターガイストってやつです」

「…………」

 多恵子は沈黙している。引き攣った表情で固まっている。

「あれ、もしかして……松井さんって、幽霊とかが駄目な……」

「ち、違うわよ! 勝手に決めつけないで!」

 わずかに震えを含んだ声で、多恵子は思いっきり否定した。

「あたしはただ呆れ果てて……声が出せなかっただけよ。まったく……今度は幽霊にポルターガイストですって! 天野くん、ホントに君、いい加減にしなさいよ。おまけに、美咲さんまで一緒になって……」

「何か、おかしいですか?」

「当たり前でしょう! 幽霊なんて、馬鹿馬鹿しいったらありゃしない。どこの世界に、幽霊の所員がいる探偵事務所なんてあるっていうのよ!」

「だから、ここにあるって言ってるじゃないですか。それに、サイコキネシスが使える人がいるんです。幽霊や、幽霊の見えるくらい霊感が強い人間がいたところで、何の不思議もないと思いますけど?」

「まだそんなこと……」

 多恵子は呟き、最高に不快げに顔を歪めた。

「多恵子さん、あなただって知ってるでしょう? この城山ビルが、少し前までなんて呼ばれていたか?」

「…………あっ。幽霊、ビル」

 多恵子の顔色がさっと蒼くなる。

「つまり……あの噂は本当だったってこと?」

「まあ、そういうことですね」

「でも、あれは悪質な地上げ屋の仕業だったんじゃ……」

「ああ、確かにそんな噂も流れているらしいですね」

 神谷探偵事務所がこのフロアのテナントになって以来、ポルターガイスト現象はピタリと止んだ。そのため、幽霊ビルの噂は次第に鳴りを潜めていった。

 入れ替わるように登場したのが、〈悪質な地上げ屋の仕業説〉の噂だった。

 噂の内容は、ごく単純なものだ。

 城山ビルでのポルターガイスト現象は、怪奇現象なんかじゃなかった。あれは完全に人為的なもの、狂言だったと。つまり、城山ビルを手に入れたがっていた地上げ屋がいて、城山氏に嫌がらせをしていたのだと。当時入れ替わり立ち替わりしていたテナントは、その地上げ屋が送り込んだものだった……という風に。そういう噂が流れているのである。

「だけど、地上げ屋がこのビル一つだけを手に入れて、何になるっていうんです。それに今時、地上げなんてもう流行りませんよ。地上げ屋や土地ブローカーがどうとかいうよりも、幽霊ビルの噂を信じた方が素直ってもんですよ。この事務所がいま平和なのは、ここの先住人だった雪乃さんにちゃんと許可を得ているから……と、ただ単にそれだけのことです」

「で、その許可を得る時、霊感の強い美咲さんが、雪乃とかいう幽霊との交渉役を務めたっていうわけ?」

「正しくは通訳です。交渉の方は、叔父さん自身がやりましたから」

 涼介の回答に、多恵子が笑い声を上げる。

 高らかな嘲笑だった。けれど、いま一つ強さが足りない。高らかではあるが、笑い声はやや引き攣っていた。

「それを信じろっていうの? あははっ、法螺話もそこまで来れば大したもんね。でも、ふざけるのも大概にしなさいよ。誰がそんな与太話、信じるもんですか!」

「そうですか? その割には、オレにはあなたが怖がっているように見えますけど?」

「な……なに言ってるのよ! そんなこと、ある訳ないでしょう!」

 しかし、多恵子が強がっているのは明らかだった。オカルトが苦手とは……意外な弱点があったものだ。

「だったら、座ったらどうですか? それとも……幽霊が用意した椅子になんて、気味が悪くて座れないですか? 自分に念動力があるだけに、やっぱり幽霊も信じてしまいますか?」

「──っ!!」

 多恵子は、キッとまなじりを吊り上げた。

「天野くん」

 怒りの眼差しが涼介を睨みつける。

「念動力がある……それを、君は意地でもあたしに認めさせたいわけね?」

「いいえ、意地なんかじゃありません。さっきも言ったように……」

 ――それは事実です。

 涼介は強い口調で言い切った。

「そうでしょう、松井さん? いいえ、嫌がらせ犯Xさん」

 多恵子をはっきりと「嫌がらせ犯」呼ばわりしたことで、事務所内の緊迫感が一気に増した。

 ぶつかり合う多恵子の怒気と、涼介の悲しみと苛立ち。

「松井さん。水島さんへの嫌がらせは全て、あなたの仕業ですね?」

 ……無言。ひたすらに無言。

 ただ鋭い眼差しで、多恵子は涼介のことを射続けている。

 簾髪の下から、涼介も負けずに多恵子を見つめ続けた。

 双方ともに沈黙し、静寂が場を支配する。

 やがて……。

「どうやら、このままだと本当に帰してはもらえないみたいね」

 多恵子が大きくため息を吐いた。

 身体の向きを変え、雪乃の用意した椅子の方へ歩み寄る。

 どかっ!と、半ば自棄くそ気味に椅子に腰を下ろすと、

「わかったわ……聴いてあげる。もう少しだけ、このお遊戯に付き合ってあげるわ」

 脚を組み、多恵子は挑発的に言った。

「さあ、迷探偵さん。君がどんな滑稽な推理を組み立てたのか、じっくりと聴かせてもらいましょうか」

 敵意丸出しの二つの瞳が、挑みかかるように涼介を見た。

「まあ、時間の無駄だとは思うけどね」

 多恵子の言葉に、心の中が諦めの気持ちでいっぱいになる。

 やはり、彼女は徹底抗戦を挑んでくるようだ。

 涼介は静かに嘆息し、瞼を閉じた。

「……わかりました」

 そして。ゆっくりと、自分のGジャンのポケットへ手を差し入れた。


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