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『たった6文字のHOPE ~神谷探偵事務所はぐれ事件簿~』  作者: 水由岐水礼
FILE・#6 砲撃・姿なき逆さの戦士
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(そのすぐ後に、今度は川崎先輩が現われたんだよな……)

 ……あれから、もう3年か。

 一向に報われない事件の推理に、涼介の思考はいつの間にか思い出の回想に変わっていた。

 それにしても……分からない。

 どうして、悠馬はあれほどしつこく涼介に付き纏ったのだろう。

 なぜ、あんなに自分と友人になりたがったのか。

 未だに、涼介にはそれが謎だった。

 今年の2月下旬、高校の卒業式を前に涼介はもう一度それを訊いてみた。

 ……答えはもらえなかった。悠馬はにっこり笑いながら、

〝さあ、どうしてだったんでしょうね……。もしかすると、僕が優子さんと出会うためだったのかもしれませんね〟

 などと、ふざけた言葉を返しただけだった。

 ……なんとも食えない奴である。

 涼介の方はどうか。なぜ、あの時、悠馬に素顔を見せられたのだろう。

 悠馬は能力者だった。なのに、なぜ自分は彼を受け入れてしまったのだろう。

 特殊能力を持つ者と友人になるなんて、考えられないことだったのに……。

 やっぱり……あの言葉が大きかったのだろう。

〝僕は占いで、人が幸せになるお手伝いをしているつもりなんです〟

 これが、涼介の心から悠馬に対する厚い壁を取り除いたのだ。

 ほとんど無意識の内に思った。

 ……人を幸せするお手伝い。

 悠馬の側にいれば、彼の占いを通し自分にもそれができる。

 人を傷つけ泣かせるだけだと思ってきた自分の性質が、人の役に立つかもしれない。

 間接的とはいえ、人に幸せをもたらすかもしれないのだ。

 そう思うと、心が少しだけ軽くなったような気がした。

 ……もちろん、分かっている。所詮、そんなものはただの自己満足だ。悠馬に対してだって失礼すぎる。

 けれど、真実だった。それが、悠馬と友人をやっていけている土台の一つになっていることは……間違いなかった。

 悠馬には悪いとは思うものの、仕方がない。涼介にとって、特殊能力の保持者はやはり特別な存在なのだ。

「……さん、涼介さん!」

 気づくと、悠馬が涼介の名前を連呼していた。

「あ……すまない。ちょっと自分の世界に入り込み過ぎてた」

「いえ、それは別にいいですけど。僕も涼介さんの気持ちは分かりますから……。でも、深刻になりすぎるのは良くないですよ。あまり焦りすぎても、良い結果には繋がらないものですから」

 悠馬がどこか諭すように言う。

 涼介の長い沈黙は、事件の推理にのめり込んでしまったが故のことと悠馬は思ったようだ。

 まあ、普通はそう思うだろう。

 まさか、思い出に浸っていたなんて言えない。……どこか照れ臭い。それに、不真面目な気もする。

「あははは……そうだよな、気をつける」

 誤魔化し笑いとともに、友人の忠告に涼介は頷いた。

「それから……事件のことで、もう一つ。ピッチングマシンの電気供給源になっていた教室だけど、今日は夕方の講義まで使われる予定はなかったらしい。とりあえず、今のところ、オレの方から提供できる情報はそれくらいかな」

「……なるほど、調査済みだったというわけですか。Xはなかなか用意周到な人間のようですね。確かにそんな人間が相手では、涼介さんが焦るのも仕方がないかもしれませんね。なるべく早く、事件を解決した方が良さそうですね。

 ……わかりました。川崎さんも絡んでいることですからね、僕だって放っておけません。微力ながら、僕も考えてみますよ」

 頷いた側から事件の話をする友人に苦笑しつつも、悠馬の方も前言を翻すようなことを口にする。

「ああ、頼む。じゃあ、次はそっちの番だな。さあ、話してくれよ」

 涼介は、Gジャンのポケットから取り出したカードをテーブルに並べた。

 向かって右に〈戦車〉のカード、左に〈法王〉カード。共に正位置の方向を向いている。

「ちゃんと届けてもらえたようですね」

 言いながら、悠馬は右のカードをくるっと回した。

 カードの上下が、反対に引っ繰り返る。

 戦車に乗った若い戦士の頭が、涼介の方を向いた。

 つまりは……。

「逆位置です。このカードは、こちらが正しいです」

 悠馬は涼介を見つめた。

「戦車のカード。それが何を示すのか、知っていますよね?」

 ……占いはできない。けれど、悠馬と付き合っている内に、涼介はカードの基礎的な意味くらいなら覚えてしまっていた。

 いわゆる、門前の小僧というやつだ。

「勇気や勝利だろ」

 涼介はすぐに答えた。

「ええ、その通りです。そして、このカードは今回の事件の犯人を表しています」

「犯人……戦車が?」

「はい」

「戦車の逆位置か……」

 ……なんか、いかにもって感じだな。

 涼介は心の中で呟いた。

 戦いへ赴くもの……戦車。

 戦士の満ち溢れた力、勇気や勝利……。

 ただし、タロットカードは正位置と逆位置で示すものが変わる。

 犯人を示す戦車は逆位置だ。従って、カードの意味合いも逆転する。

 せっかくの勇気や力も、無分別や自己中心的、ただの乱暴やオーバーワークなど悪い意味に変化してしまう。

 戦車の逆位置が示すものを、次々と思い浮かべていく。

(それから、確か……)

「あ……」

 ある意味に当たったところで、涼介の中で微かに閃くものがあった。

 けれど……。その閃きはたちまち引っ込んでいく。

 涼介の無意識が、それを否定してしまったのだ。

「どうかしましたか?」

 悠馬が訊く。

「いや、何でもない」

 答えた時、小さな閃きは既に涼介の中にはなかった。

「それで、次は法王だけど、これはこのままでいいのか?」

「あの、それが……」

 涼介の問いに、悠馬が困り顔になる。

 少し驚く。占いのことで、悠馬がそんな表情かおをするなんて珍しいことだ。

「すみません、涼介さん。わからないんです」

「えっ……」

 今度はちょっとどころではなく、思いっきりビックリしてしまう。

「お……おい、分からないって……」

「そのカード、実は落としてしまったんですよ」

「はあ……?」

 ……なんだそれ?

 涼介は眉を「ハ」の字にした。

「二枚目のカードは、今回の件の鍵を教えてくれるように願いながら選んだのですが……失敗してしまいまして。カードを展開する時に手が滑ってしまって、ひらひら……と、床へ」

「カードを落としてしまったわけか……」

「……面目ないです」

 情けなさそうに、悠馬は頭を下げた。

「まあ、時にはそんなこともあるさ」

 涼介は明るく言った。

「カードがどっち向きにしろ、鍵は〈法王〉が握っているわけだ?」

「はい。そうです」

 涼介は、テーブルの〈法王〉のカードへ目をやった。

 法衣に身を包んだ法王が表すものは、援助や助言、慈悲・寛大さ。

 正位置ならば、誰かのアドバイスによって物事が成功することを暗示したりもする。

 しかし、逆位置ならば、助言は誤った道を示したり、嘘や悪意を含むものに変わる。慈悲や寛大さも、冷淡や虚栄心へと変化する。

 今回のことは、事件が事件だ。

(やっぱり……逆位置なんだろうな)

 そう受け取るのが正解だろう。

 どう考えてみても、正位置のイメージが掴めない。

 ……何らかの援助を得ることによって、事件が解決する。と、そういう暗示にも取れないこともないけれど……。

「まあ、逆位置と考えるのが無難だろうな」

「さあ、それは……僕には断言できません」

 涼介が視線を上げると、悠馬は否定的に首を横に振った。

「ん……それは?」

 いつの間にか、悠馬の手にはもう一枚のカードが現われていた。

「どうぞ、これが最後のカードです」

 彼がそれを差し出す。

「塔……」

 受け取ったカードは、涼介が個人的に一番嫌いなものだった。

 破滅や思い上がり、思いがけない不幸やアクシデントを〈塔〉のカードは暗示する。

 稲妻に破壊された塔の絵柄が示すように、いい意味のカードではない。

 おまけに、正位置・逆位置を問わず、カードが伝えるものは暗い。

 嫌われ者の〈死神〉のカードであっても、逆位置の時は、最底辺の状況からの上昇を意味したりするのだ。

 けれど、塔のカードは違った。

 ……どちらにしろ、いい意味ではない。

 それが最後のカードとは……。

 涼介の心の中に嫌なものが生まれる。

「そのカードが何を示すのか、それは分かりません。ただ、なんとなく〝もう一枚カードを選べ〟という声が、心に響いてきて……。それに従ってみたら、その〈塔〉のカードが……」

 悠馬の言葉が、静かに涼介の耳を通り抜ける。

「僕の方も、話せることは全部話しました。これで、おしまいです」

「そうか……」

 涼介は頷いた。

 ……それで終わりだった。

 3枚のカードについて、悠馬は読解したりしない。

 涼介もそれを依頼することはない。

 これは、二人の間で自然と決まった約束事だった。

 悠馬がどういうつもりなのかは知らない。

 ただ、涼介は、悠馬には事件のことなんて占って欲しくなかった。だから、最後まで占わせない。たとえ、悠馬の中で読解がなされていたとしても、それを口には出させない。

〝推理はオレの楽しみだから、邪魔しないでくれ。でも、カードの方は参考にさせてもらうから〟

 そう言って、涼介は悠馬の読解を断るのだ。

 彼には、「人を幸せにするお手伝い」をやっていて欲しかった。

 事件など解決しても、必ずしも人を幸せにするとは限らない。だから、悠馬にはそんなものを占って欲しくなかったのだ。

 彼がどれだけ自分の占いを大切にしているか、涼介はそれを知っているから……。

「とりあえず、このカードはしばらく借りとくぞ」

 涼介は、1枚増えたカードをGジャンのポケットに戻した。

 そして。

「じゃあな」

 椅子から立ち上がった時……。


 ――バン!

 かららん、かん、かららん、からら……。

 乱暴なカウベルの音色と共に、扉が激しく開け放たれた。

「涼ちゃん!」

 もの凄い勢いで、美咲が飛び込んでくる。

「お兄ちゃん!」

 続き、優子まで室内に駆け込んできた。

「さあ、病院に行くよ!」

「ちゃんと保険証も持ってきたからね」

 優子が、某時代劇の葵の御紋の印籠のように、保険証を涼介に突き出した。

 美咲が、涼介の右腕をしっかりと掴む。

 優子が、反対の左腕を担当した。

「お、おい……美咲、優子……?」

 いきなりご登場の少女二人に、涼介は戸惑いを隠せなかった。

 幼なじみと妹、二人を交互に見やる。

「ダメだからね。病院に行かないなんて言わせないから!」

 美咲が、下から怖い顔で涼介を睨む。

「咲ちゃんの言う通りだよ」

 優子も、幼なじみと同様の表情をしていた。

(……叔父さんの仕業だな)

 病院嫌いの涼介のことである……大人しく病院になど行くわけがない。

 慎也には、可愛い甥っ子の行動などお見通しだったらしい。

 ちゃんと対応策を用意していたのだ。

 さすが探偵というべきか、慎也に抜かりはなかった。

 それにしても、優子の方は事件のことは知らないはずだ。何をどう、慎也は妹に伝えたのだろう。

「さあ! 行くよ、涼ちゃん!」

 美咲が腕を引っ張った。

「いや、美咲……大丈夫だから。こんなの、ただの軽い打ち身だし……」

「だーめ!」

 優子が睨む。

「でも、本当に大したことないんだって」

 言いながら、涼介は身を後ろに引いた。

 しかし、美咲&優子は、涼介に逃げることを許さなかった。

「それは、涼ちゃんが決めることじゃないでしょう」

「そうよ、お医者様が決めることよ」

 二人して、涼介の腕を強く引き戻す。

「うっ……痛てっ」

 引っ張られた右腕と肩に痛みが走る。思わず、声を上げてしまった。

 美咲と優子が顔を見合わせた。

「ほら、やっぱり痛いんじゃないの!」

「諦めなさい、お兄ちゃん!」

 責めるような眼差しが、それぞれ左右から涼介を射る。

「ちょっと待て。今のは、おまえたちが引っ張ったから……」

「「うるさい!!」」

 見事に、二人の少女の声がハモった。

 涼介の反論は、聞く耳を持たれなかった。

(いったい……叔父さんはどんな風に二人に話をしたんだ?)

 きっと、かなり大袈裟に話したに違いない。

「ほら、さっさと行くよ涼ちゃん!」

「もう、本当に往生際が悪いんだから……」

 射すような視線が痛い。

「なあ、おい悠馬……」

 助けを求め、涼介は振り返った。

 すると、悠馬はくすくすと笑っていた。

「悠馬さんも、何か言ってやってよ!」

 と、優子が機先を制す。

 ……親友と恋人の2択。

 悠馬はどちらを採るだろう。

「涼介さん、心配してくれる人がいることは幸せなことですよ」

 何の迷いもなく、彼は恋人の方を選んだ。

「そうだよね。さすがは悠馬さん、良いこと言うよね。そういうことだから、悪いけど悠馬さん、今日は病院に行くね」

「ええ、どうぞ。僕のことは、お気になさらずに……。涼介さん、お大事に」

「この、裏切り者……」

 お大事に……涼介にはそれが「お気の毒に」と聞こえた。

「涼介さん」

 悠馬の口から、大きめの声が飛び出す。

「僕も、心配していますから……」

 彼は悪戯っぽく微笑んだ。

「僕も、ちゃんと……あなたのことを心配していますからね」

 冗談めいた響きの中に、涼介は本物の心配を感じ取った。

 怪我のことだけでなく、事件のことも含め悠馬は真剣に言っているのだろう。

 美咲……優子……悠馬……それから慎也。

 涼介の周りは、本物の心配と思いやりで溢れていた。

 それを無下にすることなんて……。

(……出来るはずないじゃないか)

 …………叔父さんの卑怯者。

 涼介はため息を吐きながら、項垂れた。

「わかったよ……行くよ、行けばいいんだろ」


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