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『たった6文字のHOPE ~神谷探偵事務所はぐれ事件簿~』  作者: 水由岐水礼
FILE・#6 砲撃・姿なき逆さの戦士
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「なるほど……確かにそれは不可解ですね」

 ムーンプリンスこと一条悠馬は、口許に手を当てて呟いた。

 高校時代から変わっていない。それは、彼が何かを考える時の癖だった。

「それで、そのピッチングマシンですが、どこから? やはり、大学の野球部のものだったんですか?」

「ああ。工学部は欠片も関係なくて、普通に野球部の備品だった。で、うちの大学はキャンパスが広いだろ。野球部専用のグラウンドも、その広い構内の北側にあるんだけど、普段はそこの隅に置かれているものらしい」

 悠馬の問いに、涼介は答えた。

「グランドから、涼介さんたちが襲われた場所までの距離は?」

「およそ、百六十メートルってところかな」

「運べない距離じゃないですね」

 ああ、と涼介は頷いた。

「野球部員の話によれば、少なくとも昨日の午後6時半までは、マシンはまだちゃんとグランドにあったそうだ。だから、運ばれたとしたら、その後だな。マシンに黒い布でも被せて、夜中にグランドから運び出したってところじゃないか。夜中なら、構内には研究室に泊まり込んでいる院生くらいしか居ないだろうし。誰にも見られずに運ぶことは、可能だと思う」

「そうですね、その辺りが妥当なところでしょうね」

 涼介の意見に、悠馬も賛成の一票を投じる。

「ただ、それが分かったところで……」

 涼介は軽くため息を吐いた。

「……事件の解決には繋がりませんよね」

 悠馬も困ったように言う。元桜川高校ミステリー研究会会員の美形占い師にも、ピッチングマシンの謎は皆目見当が付かないらしい。

「で、神谷さんはどう?」

 悠馬が訊いた。

「それが、叔父さんにも全然。叔父さんが改めて調べなおしても、何も新しい発見はなかったし……。『これは、かなり手強いぞ』だってさ。叔父さんも厳しい顔をしてた」

 玲奈の警護をしつつ、慎也は今も大学の方で調査を続けていることだろう。

 現在、涼介は一時的に玲奈の警護役の任を解かれていた。

 ピッチングマシンの砲撃による打撃。それによって痛めた肩の具合を、「念のため、医者に看てもらってこい」と、慎也に半ば強制的に大学から帰されてしまったのだ。

 けれど、病院嫌いの涼介はまだ病院には行っていない。……というか、行くつもりはない。

 ……一昨日のタロットカードの件もある。

 代わりに空いた時間を利用して、涼介は親友のところへとやって来ていたのだった。



 涼介と悠馬。二人は高校時代の3年間、ずっと同じクラスだった。

 ……天野と一条。

 涼介が出席番号1番で、悠馬が2番。これが付き合いのきっかけだった。

 涼介の後ろの席になった悠馬が、涼介の何が気に入ったのか、入学早々から妖怪簾男にアプローチを開始したのだ。

 オレに近づくな。その防壁をものともせずに、悠馬は何かと涼介に話し掛けてきた。惜しみなく好意の笑顔を向けてきた。

 涼介はひどく戸惑った。

 その中性的な美貌と人柄の良さ。加えて、タロットカードの占いで、悠馬は女子の間で評判の人気者だった。

 だからといって、男子からの受けも決して悪くはない。

 そんな人気者がなぜ、自分みたいな人間に付き纏うのか。さっぱり分からなかった。

 以前、中学時代にも、クラス委員長という肩書きを持った同級生に、同じように付き纏われた経験はあった。

 しかし、悠馬の涼介への接近はそれとは明らかに違っていた。

 あの時の委員長に、自分への好意なんてものはなかった。あったのは、好意を持とうとする努力と好意を装っただけの芝居。

 クラス委員長としての責任感や義務感はあっても、相手に決して本物の好意はなかった。

 けれど、悠馬は……。

〝どうして、オレなんかに構うんだよ!〟

 ――鬱陶しい、目障りだ!

 ある日とうとう、涼介は悠馬を怒鳴りつけた。戸惑いと苛立ちが、最高潮ピークに達してしまったのだ。

〝カードが教えてくれたからですよ〟

 悠馬は笑顔で答えた。

〝あなたが僕の最高の友人になると、タロットカードが教えてくれたんです〟

〝カードが、教えてくれた……?〟

〝はい〟

 頷いた悠馬に、涼介はのろのろと首を左右に動かす。

(占いの結果で友達を決めるのか、この占いバカは……)

 ひどく呆れてしまい、何も言う気がしなかった。

〝……変な奴〟

 呟いて去ろうとした涼介に、悠馬は続けた。

〝それに涼介さんが近くにいると、調子がいいんですよね。なぜか不思議と頭が冴えて、占いのリーディングの感覚が良くなるんですよ〟

 その言葉に、涼介は目を見開いた。

(まさか……こいつ……)

〝どうしてかなぁ……やっぱり、僕と涼介さんは相性がいい……〟

 呑気に話す悠馬の前で、涼介は固まっていた。

 ……リーディングの感覚が良くなる、だって。

 悠馬にも、何かの能力があるのだろうか。

 占いのリーディングの感覚……それが、どういうものだかは知らない。差し詰め、〈魔力〉とでも言うべきものなんだろうか。

 魔女……という単語が頭に思い浮かんだ。

 有名なミステリー作品に、占いの名手であり魔女である女性が活躍するシリーズがある。その作品の中で、魔女とも呼ばれる主人公の女性は占いを駆使し、難事件を次々と解決する。あの虚構の中のヒロインのように、悠馬にも何かしらの能力が備わっているんだろうか。

 だとしたら……。

(こいつに……一条に近づいちゃ駄目だ)

 悠馬に対し、涼介の心はより強固な防壁を築き上げる。

 それ以降、小学生の時のように登校拒否にこそならなかったものの、涼介は徹底的に悠馬を避けるようになった。

 休み時間には、屋上やグランドへと避難する。悠馬がタロットカードを手にしたら、その場から速やかに去って、必ず彼から離れるようにした。

 そして、どれだけ話しかけられても、悠馬とは絶対に口を利かなかった。

 それでも懲りず、彼は涼介に話しかけ、その後を追いかけた。

〝いい加減にしろよ、一条!〟

 再び涼介が爆発したのは、さらに三週間後のことだった。

 自分の態度の方が悪いのは、重々分かっていた。それでも……。

〝迷惑なんだよ! お前のカードがどう言おうが、オレには関係ない! もう止めてくれ、オレに付き纏うな!〟

 ――占いなんて下らない!

 涼介は、吐き捨てるように言った。

 その瞬間、悠馬の目がカッ!と見開かれた。

〝──取り消してください! その言葉、今すぐに取り消してください!〟

 いつもの穏やかな口調ではない。

 占いを馬鹿にすることは、悠馬の怒りの地雷を踏んでしまうことだったらしい。彼は涼介以上に怒りを爆発させた。

 悠馬が真っすぐに涼介を見つめる。

〝……涼介さん。僕にとって占いは大切なものなんです。僕は一度だって、いい加減な気持ちで占ったことなんてありません〟

 憤り含んだ哀しげな声が、静かに涼介に訴える。

〝占いは相手にただ、吉凶を告げるだけのものじゃないんです。占う時はいつも、僕は相手の幸せを願っています。この人に幸運が訪れますように……そうカードの精霊たちに願いを込めるんです。少しでも、相手のためになることを教えてもらえるように……。

 だからって、もちろん悪い結果が出たとしても、適当に相手を喜ばすような嘘なんかは吐きません。悪い結果が、イコール不幸じゃありませんから。

 占いは決して、下らないものなんかじゃありません。少なくとも、僕にとっては……〟

 その時、涼介は何も言い返せなかった。

 悠馬の真摯な思いに触れて……言いようのない恥ずかしさが、涼介の心の中に広がっていく。

〝あの、涼介さん。こう言うと恥ずかしいのですが……僕は、占いで人が幸せになるお手伝いをしているつもりなんです。……わかっては貰えませんか?〟

 どこか淋しげな眼差しが、涼介を射抜く。

(……なにが恥ずかしいだ……立派じゃないか)

 ……恥ずかしいのは、こっちの方だ。

 占いなんて下らない……軽々しくそう言ってしまった自分に腹が立った。

〝すまない、悪かった……〟

 涼介は素直に頭を下げた。

〝ありがとうございます〟

 顔を上げると、悠馬は微笑んでいた。

 いつもの何倍も優しげな笑顔だった。

〝やっぱり……思ったとおりだ。涼介さん、あなたはいい人ですね〟

〝な……なんだよそれ〟

 いきなりいい人などと言われ、涼介は面食らってしまう。

 さっきまでとは違う恥ずかしさで、耳朶を赤く染めた。

〝涼介さん。僕は何も占いの結果だけで、あなたと友人になりたいと思ったわけじゃありませんよ。確かに、カードはあなたについて色々と教えてくれました。僕のカード解釈が合っているかどうかは分かりませんが……。

 カードは、僕にあなたと友人になれと言いました。でも、それだけじゃないですよ。僕はちゃんと、あなたのことを見ていましたから。自分自身の目で見て思ったんです。あなたと友人になりたいと……。涼介さん、あなたについての占いが当たっているかどうか、それを僕に教えてくれませんか?〟

 ……まるで告白のようだった。いや、ある意味、それは告白とも言えただろう。

 かなりこっ恥ずかしいことを、悠馬は何の照れもなくごく自然に言ってのけた。

(やっぱり……恥ずかしい奴かも)

 だけど……凄い奴だ。

 美咲の時もそうだった。真摯な訴えや一途な思いに、涼介は弱かった。

 顔を真っ赤にし、そろそろと前髪の簾を書き上げる。

 まともに悠馬と瞳が合った。

 一瞬、彼は驚いたように目を見張った。

 驚き顔がすぐに、嬉しそうな笑顔に変わる。

 涼介は、ぷいと顔を横に向けた。その横顔には思いっきり照れが滲み出していた。

〝もう、これでいいだろ?〟

 涼介は簾髪を下ろした。

〝もしかして、この学校で涼介さんの素顔を見たのは僕が一番最初ですか?〟

 悠馬が弾んだ調子の声で訊く。

〝……そうだよ。何か文句があるか?〟

 涼介はぶっきら棒に答えた。

〝いえいえ、たいへん光栄です〟

 おどけたように言う悠馬に、涼介はなんとなく吹き出してしまった。

 夕暮れの屋上に、弾けた笑い声が響く。

 以来、二人は親友への道を歩き出した。

 特に共通の趣味であるミステリーは、二人の仲を急速に深めていった……。


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