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『たった6文字のHOPE ~神谷探偵事務所はぐれ事件簿~』  作者: 水由岐水礼
FILE・#6 砲撃・姿なき逆さの戦士
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 ……もの凄いプレッシャーだった。

 好奇心、羨望、嫉妬、嫌悪、嘲笑……いったい何種あるのだろう。雑多な視線の針が、あちらこちらから身体に突き刺さる。

 ある程度は慣れているとはいえ、さすがに今の状況は歓迎できない。晒し者のようで、あまり良い気分ではなかった。

 前日に引き続き、涼介は玲奈の警護の役目に就いていた。

 さすがミス十波学園大というべきか。それとも、隣を歩くのが妖怪男の涼介だからだろうか。昨日からわずか一日あまりで、二人はもう学内中で噂と注目の的となっていた。

「すみません、涼介さん。私のせいで……」

 周囲から向けられる注目の視線に、玲奈も居心地の悪さを感じているのだろう。

 申し訳なさそうに、涼介に謝る。

「いいえ、お互い様ですよ。オレがもう少しちゃんとしてたら、ここまでの晒し者にはならなかったでしょうし……」

「さあ、それはどうかしら?」

 涼介の言葉に、二人の前を行く多恵子が振り返る。

「天野くんがピシッと決めてたら決めてたで、やっぱり今の状況は変わらないと思うけどなあ」

 居心地の悪いのは、多恵子も同じなのだろう。その表情は少し不機嫌そうだ。

「確かに……」

「……そうかもしれませんね」

 涼介と玲奈は顔を見合わせて、一緒に大きくため息を吐いた。

「そうそう。美女と野獣カップルが、絶世の美男美女カップルって感じに変わるだけよ。やたらと美女とか美少女なんて単語を使いたがる、どっかのゴシップ雑誌の見出しみたいにね」

 多恵子は後ろ向きに歩きながら、肩をすくめた。

 玲奈が諦めの苦笑を涼介に向ける。

 周りからは、それがどう見えたことだろう。きっと、苦笑には映らなかったに違いない。

 苦笑一つでも噂に新たな尾鰭を付けてしまうことに、玲奈は気づいていないようだ。

 今度は、多恵子と涼介が同時に苦笑した。

(それにしても、本当に参ったなあ……)

 少しばかり愚痴りたい気分だった。

 これでは、いざという時に困る。自分たちに向けられている視線があまりにも多すぎて、何かが起こっても嫌がらせ犯Xの視線を特定できそうにない。

 昨日感じたような悪意の視線が、今日は四方八方からといった感じで涼介に寄せられている。

 嫉妬、中には憎悪に近い視線まで、背中に突き刺さる強い負の視線には事欠かない。

 この中にXの視線が交じっていたとしても、察知することはまず不可能だ。

 護衛の効率にも係わってくる。

(良くない状況だよなあ……)

 簾髪の奥で視線をさっと巡らして、自分たちを窺う人の多さに改めてげんなりする。

 ――バン!

 鈍いような乱暴なような、短くも大きく響く音が背後から耳に届く。

「危ない!」

 多恵子が叫び声を上げた。

 とっさに彼女の視線を辿り振り返る。

(ボール?)

 思った時には、右肩に衝撃を受けていた。

「天野くん!」

 激痛とまではいかないものの、軽くはない痛みと痺れが肩から肘にかけて走る。

 視界の端に、校舎の陰から飛び出してくる二球目のボールが映った。

 バン!

 別の校舎の壁にボールが衝突し、反射された。球道が変わり、ボールが真っすぐこちらに向かってくる。

 とはいえ、跳ね返りの際に球速は少し落ちている。最初からきちんと見えていれば、十分に対処できる早さだった。

 涼介は痺れていない左手を軸に、飛んできたボールを受け止めた。

 掌から衝突音が響き、左手にも痺れが走る。

 バン!

 続けて、さらに三球目が涼介を襲う。

 これも痛みとともに受け止める。

 手の中のボールは、野球の硬球だった。

 身構えて、次を待つ。

「………………」

 けれど、それ以上、ボールの襲撃はなかった。

 いきなりの変事に静まり返っていたその場の空気が、一転ざわざわと騒めき始める。

 視線だけで周囲を確認するが、Xらしき人物を見つけ出すのは到底無理な話だった。

 ……どうする?

 わずかに迷ったけれど、涼介は追跡と調査を優先することにした。

 周りにこれだけの人間がいるのだ。Xもまさか、ここで直接行動に出たりはしないだろう。今の砲撃が、涼介を玲奈から切り離すための囮だとも思えないし。

「松井さん! 水島さんをお願いします!」

 涼介は振り返り、多恵子に向けて言った。

 玲奈は放心気味に立ち尽くしている。

 多恵子はそんなの玲奈の隣に立ち、親友の身体を支えていた。

「わかったわ、玲奈のことは任せて!」

 緊迫した面持ちではあるものの、彼女はしっかりと答えた。

 任せても大丈夫、と判断を下す。

 涼介はボールを持ったまま駆け出した。

(くそっ……)

 ボールが撃ち出された校舎の裏……校舎と校舎の間の狭い中庭的スペースに、ひと目でXと分かるような人物はいなかった。

 十人には少し足りないか。学生たちが警戒するように、一本の木の周りをかなり遠巻きに囲んでいる。

 その木陰には、襲撃の凶器であろう物体が正々堂々と鎮座していた。

 ボールを撃ち出すための二つのローラーが、高速で回転している。

 野球部の練習風景には付きものの、ローラー式のピッチングマシン。それがなんとも場違いな場所で作動していた。

 涼介はマシンに近づき、まずはスイッチを切った。

 ただの放置状態と思わせないためか。はたまた、こんな場所にこんな物が置かれているのを、不審がらせないためか。

 いずれにせよ、ピッチングマシンの設置状態の不自然さを誤魔化すためだろう。マシンの側面には、「実験用機材 設置・十波学園大学工学部」と印字されたプレートが、目立つように張り付けられていた。

 マシンの電源はすぐ横の教室にあった。

 開け放たれた窓の一つから、マシンから伸びたコードが教室内に進入している。延長コードのプラグが、黒板脇のコンセントに差し込まれているのが見えた。

 ローラーーの止まった機械を調べるけれど、別にこれといって変わったところはない。

 遠隔操作ができそうな仕掛けはなかった。

 タイマーのようなものも、見つからない。

 マシンの周囲、地面に視線を落としてみても、手掛かりになりそうな物は見当たらなかった。

 傍らに立つ木の幹や枝にも、これといって不審な点は何もなかった。

 後には何も残さず、何の手掛かりも発見させない。鮮やかな仕事と言わざるを得ないだろう。

 物質的な手掛かりは、この一台のピッチングマシンのみ、これだけのようだった。

「すみません、このマシンを誰が動かしたのか見てた人はいませんか?」

 涼介は自分の様子を遠巻きに見ているギャラリーに問い掛けてみた。

 しかし、得体の知れない妖怪男の問いに答えるものはいない。

 お互い、顔を見合わせるだけだ。

 自分が言わなくても、誰かが言うだろう。

 自分には関係ない……誰も彼も、表情でそう言っていた。

 そんなギャラリーの態度に、少しムッとする。

「誰かいませんか!」

 涼介はもう一度、焦れたように言った。

「誰も見てないぜ」

「えっ……」

 意表を衝かれる、思ってもみないところから声が聞こえた。

 涼介は頭上、校舎を振り仰ぐ。

 長めの茶髪に銀のメッシュ入り、細身の黄色いサングラスを掛けた男が、2階の窓から涼介を見下ろしていた。手には缶コーラを持っている。

「誰も見てないぜ」

 茶髪グラサン男はまた同じ言葉を口にした。

 これだけの人数がいるのだ。

 誰も目撃者がいないだなんて……。そんな馬鹿なことがあるものか。

 おそらく変装姿に決まっているだろう。が、それでも誰かがXの姿を見ていたはずだ。

 野次馬の面白半分の言葉に、涼介の中で猛然と怒りの感情が湧き上がる。

 いつもなら、こんな奴のことなんて無視していたことだろう。けれど、今の涼介に、お馬鹿な野次馬を冷静にシカトするだけの心の余裕はなった。

「ふざけるな、こっちは真剣なんだ! これだけ人がいて、目撃者がいないわけないだろ!」

 簾髪の下から、涼介は男を睨んだ。

「……ん? ああ……そうか、そう受け取ったのか」

 一瞬キョトンとした後、茶髪グラサン男は呟き、喉を小さく震わせ笑う。

「違う違う、そうじゃない。おれが言ってるのは、そういうことじゃなくて……うーん、そうだな……そこの眼鏡の姉チャンにしようか」

 さっと地上を見渡し、茶髪グラサン男はギャラリーの一人を指名した。

「なっ、姉チャンもそうだよな。誰も見ていないよな?」

 涼介は振り返り、男が言ったと思われる眼鏡を掛けた女性を見る。

 突然のご指名を受けて、戸惑いつつも眼鏡の姉チャンは答えた。

「あ、えっ……あ、その……ええ、その人の言うとおりよ。私も……誰も見なかったわ」

「俺も見なかった……。不思議でたまらないんだけど……絶対に誰もいなかった」

 眼鏡の女性に続き、その隣に立つ男性も茶髪グラサン男の言葉を肯定した。

 さらに、それは続き。オレも、あたしも……と。あと3人、茶髪グラサン男の「誰も見てないぜ」を肯定する人間が、ギャラリーの中から現われた。

 視線を2階に戻す。

「なっ、言った通りだろう? ホントに誰も見てないんだよ。いいか、よく聞けよ。そのマシンは勝手に……独りでに動き出したんだ。だから、おれは誰の姿も見ていない。そのマシンに触った奴なんて、誰一人いなかったんだよ」

 さすがにここまで言われれば、自分の早とちりにも気づける。「誰も見てないぜ」の意味も正しく理解できた。

「なっ…………」

 茶髪グラサン男が言った内容に、涼介は絶句した。

 そんな馬鹿な……。

(マシンが勝手に動き出したなんて……)

 そのまま素直に信じられる話ではない。

 マシン本体にも周囲にも、仕掛けの痕跡らしきものは全く見られないのだ。なのに、マシンに触れた人間がいないなんて……。

 ……機械を作動させられるはずがない。

 涼介は、ピッチングマシンに視線をやった。

 ……何かを見落としているのか。

 それとも、よほど巧妙なトリックが使われたということか。

 ミステリー小説の中には、連続する殺人事件のすべての目撃者が全員共犯……なんていう奇天烈な内容の本もある。

 その奇妙奇天烈なミステリーに倣えば、今の状況に説明を付けることも可能だ。

 でも……まさか、そんな奇想天外なことが現実の中で行われるはずがない。

 ここにいるギャラリー全員が嘘を吐いている……なんて考えるだけ無駄だ。

 しかし、ならば……どうやってマシンを動かしたというのだろう。

 手の中のボールは、ただ単にポンと撃ち出されたわけではない。ボールを壁にぶつけ、軌道を変えるような手段をとっている。直接狙うよりも、その難易度は高い。

 場合によっては、ボールの予定軌道上に、ターゲット以外の人間(障害物)が存在した可能性だってある。

 ボールを壁にぶつける角度の計測や発射タイミングの計算、障害物の有無の確認、そしてボールの撃ち出し。

 それらを、このマシンが全て自動で行ったというのか?

 もちろん、その答えはNOだ。

 目の前の古い機械に、SF世界の未来機械のような真似ができるはずがない。

(……どんなトリックを使ったんだ?)

 いくら考えてみても、思考がまとまらない。考えれは考えるほど、分からなくなる。

 まるで、ミステリー小説の中の道化役、ヘボ刑事にでもなったような気分だった。

 考えるための最大最高の手掛かり、凶器のピッチングマシンが残されているというのに……。

 それが却って、最大最悪の謎となっていた。推理の役に立つどころか、涼介を精一杯困らせ混乱させていた。

 気づくと、茶髪グラサン男は消えていた。

 コーラの缶だけが、ぽつんと2階の窓辺に置かれている。

「天野くん!」

「涼介さん!」

 自分を呼ぶ声が聞こえた。

 多恵子と玲奈がこちらに駆けてくる。

 涼介は手を挙げて、二人に答えた。

「うっ……」

 手を挙げた拍子に、忘れていた肩の痛みが復活する。

 とりあえず、ここは……。

 慎也に連絡を取っておいた方が良さそうだ。

 涼介は、Gジャンのポケットから携帯電話を取り出した。


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