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……もの凄いプレッシャーだった。
好奇心、羨望、嫉妬、嫌悪、嘲笑……いったい何種あるのだろう。雑多な視線の針が、あちらこちらから身体に突き刺さる。
ある程度は慣れているとはいえ、さすがに今の状況は歓迎できない。晒し者のようで、あまり良い気分ではなかった。
前日に引き続き、涼介は玲奈の警護の役目に就いていた。
さすがミス十波学園大というべきか。それとも、隣を歩くのが妖怪男の涼介だからだろうか。昨日からわずか一日あまりで、二人はもう学内中で噂と注目の的となっていた。
「すみません、涼介さん。私のせいで……」
周囲から向けられる注目の視線に、玲奈も居心地の悪さを感じているのだろう。
申し訳なさそうに、涼介に謝る。
「いいえ、お互い様ですよ。オレがもう少しちゃんとしてたら、ここまでの晒し者にはならなかったでしょうし……」
「さあ、それはどうかしら?」
涼介の言葉に、二人の前を行く多恵子が振り返る。
「天野くんがピシッと決めてたら決めてたで、やっぱり今の状況は変わらないと思うけどなあ」
居心地の悪いのは、多恵子も同じなのだろう。その表情は少し不機嫌そうだ。
「確かに……」
「……そうかもしれませんね」
涼介と玲奈は顔を見合わせて、一緒に大きくため息を吐いた。
「そうそう。美女と野獣カップルが、絶世の美男美女カップルって感じに変わるだけよ。やたらと美女とか美少女なんて単語を使いたがる、どっかのゴシップ雑誌の見出しみたいにね」
多恵子は後ろ向きに歩きながら、肩をすくめた。
玲奈が諦めの苦笑を涼介に向ける。
周りからは、それがどう見えたことだろう。きっと、苦笑には映らなかったに違いない。
苦笑一つでも噂に新たな尾鰭を付けてしまうことに、玲奈は気づいていないようだ。
今度は、多恵子と涼介が同時に苦笑した。
(それにしても、本当に参ったなあ……)
少しばかり愚痴りたい気分だった。
これでは、いざという時に困る。自分たちに向けられている視線があまりにも多すぎて、何かが起こっても嫌がらせ犯Xの視線を特定できそうにない。
昨日感じたような悪意の視線が、今日は四方八方からといった感じで涼介に寄せられている。
嫉妬、中には憎悪に近い視線まで、背中に突き刺さる強い負の視線には事欠かない。
この中にXの視線が交じっていたとしても、察知することはまず不可能だ。
護衛の効率にも係わってくる。
(良くない状況だよなあ……)
簾髪の奥で視線をさっと巡らして、自分たちを窺う人の多さに改めてげんなりする。
――バン!
鈍いような乱暴なような、短くも大きく響く音が背後から耳に届く。
「危ない!」
多恵子が叫び声を上げた。
とっさに彼女の視線を辿り振り返る。
(ボール?)
思った時には、右肩に衝撃を受けていた。
「天野くん!」
激痛とまではいかないものの、軽くはない痛みと痺れが肩から肘にかけて走る。
視界の端に、校舎の陰から飛び出してくる二球目のボールが映った。
バン!
別の校舎の壁にボールが衝突し、反射された。球道が変わり、ボールが真っすぐこちらに向かってくる。
とはいえ、跳ね返りの際に球速は少し落ちている。最初からきちんと見えていれば、十分に対処できる早さだった。
涼介は痺れていない左手を軸に、飛んできたボールを受け止めた。
掌から衝突音が響き、左手にも痺れが走る。
バン!
続けて、さらに三球目が涼介を襲う。
これも痛みとともに受け止める。
手の中のボールは、野球の硬球だった。
身構えて、次を待つ。
「………………」
けれど、それ以上、ボールの襲撃はなかった。
いきなりの変事に静まり返っていたその場の空気が、一転ざわざわと騒めき始める。
視線だけで周囲を確認するが、Xらしき人物を見つけ出すのは到底無理な話だった。
……どうする?
わずかに迷ったけれど、涼介は追跡と調査を優先することにした。
周りにこれだけの人間がいるのだ。Xもまさか、ここで直接行動に出たりはしないだろう。今の砲撃が、涼介を玲奈から切り離すための囮だとも思えないし。
「松井さん! 水島さんをお願いします!」
涼介は振り返り、多恵子に向けて言った。
玲奈は放心気味に立ち尽くしている。
多恵子はそんなの玲奈の隣に立ち、親友の身体を支えていた。
「わかったわ、玲奈のことは任せて!」
緊迫した面持ちではあるものの、彼女はしっかりと答えた。
任せても大丈夫、と判断を下す。
涼介はボールを持ったまま駆け出した。
(くそっ……)
ボールが撃ち出された校舎の裏……校舎と校舎の間の狭い中庭的スペースに、ひと目でXと分かるような人物はいなかった。
十人には少し足りないか。学生たちが警戒するように、一本の木の周りをかなり遠巻きに囲んでいる。
その木陰には、襲撃の凶器であろう物体が正々堂々と鎮座していた。
ボールを撃ち出すための二つのローラーが、高速で回転している。
野球部の練習風景には付きものの、ローラー式のピッチングマシン。それがなんとも場違いな場所で作動していた。
涼介はマシンに近づき、まずはスイッチを切った。
ただの放置状態と思わせないためか。はたまた、こんな場所にこんな物が置かれているのを、不審がらせないためか。
いずれにせよ、ピッチングマシンの設置状態の不自然さを誤魔化すためだろう。マシンの側面には、「実験用機材 設置・十波学園大学工学部」と印字されたプレートが、目立つように張り付けられていた。
マシンの電源はすぐ横の教室にあった。
開け放たれた窓の一つから、マシンから伸びたコードが教室内に進入している。延長コードのプラグが、黒板脇のコンセントに差し込まれているのが見えた。
ローラーーの止まった機械を調べるけれど、別にこれといって変わったところはない。
遠隔操作ができそうな仕掛けはなかった。
タイマーのようなものも、見つからない。
マシンの周囲、地面に視線を落としてみても、手掛かりになりそうな物は見当たらなかった。
傍らに立つ木の幹や枝にも、これといって不審な点は何もなかった。
後には何も残さず、何の手掛かりも発見させない。鮮やかな仕事と言わざるを得ないだろう。
物質的な手掛かりは、この一台のピッチングマシンのみ、これだけのようだった。
「すみません、このマシンを誰が動かしたのか見てた人はいませんか?」
涼介は自分の様子を遠巻きに見ているギャラリーに問い掛けてみた。
しかし、得体の知れない妖怪男の問いに答えるものはいない。
お互い、顔を見合わせるだけだ。
自分が言わなくても、誰かが言うだろう。
自分には関係ない……誰も彼も、表情でそう言っていた。
そんなギャラリーの態度に、少しムッとする。
「誰かいませんか!」
涼介はもう一度、焦れたように言った。
「誰も見てないぜ」
「えっ……」
意表を衝かれる、思ってもみないところから声が聞こえた。
涼介は頭上、校舎を振り仰ぐ。
長めの茶髪に銀のメッシュ入り、細身の黄色いサングラスを掛けた男が、2階の窓から涼介を見下ろしていた。手には缶コーラを持っている。
「誰も見てないぜ」
茶髪グラサン男はまた同じ言葉を口にした。
これだけの人数がいるのだ。
誰も目撃者がいないだなんて……。そんな馬鹿なことがあるものか。
おそらく変装姿に決まっているだろう。が、それでも誰かがXの姿を見ていたはずだ。
野次馬の面白半分の言葉に、涼介の中で猛然と怒りの感情が湧き上がる。
いつもなら、こんな奴のことなんて無視していたことだろう。けれど、今の涼介に、お馬鹿な野次馬を冷静にシカトするだけの心の余裕はなった。
「ふざけるな、こっちは真剣なんだ! これだけ人がいて、目撃者がいないわけないだろ!」
簾髪の下から、涼介は男を睨んだ。
「……ん? ああ……そうか、そう受け取ったのか」
一瞬キョトンとした後、茶髪グラサン男は呟き、喉を小さく震わせ笑う。
「違う違う、そうじゃない。おれが言ってるのは、そういうことじゃなくて……うーん、そうだな……そこの眼鏡の姉チャンにしようか」
さっと地上を見渡し、茶髪グラサン男はギャラリーの一人を指名した。
「なっ、姉チャンもそうだよな。誰も見ていないよな?」
涼介は振り返り、男が言ったと思われる眼鏡を掛けた女性を見る。
突然のご指名を受けて、戸惑いつつも眼鏡の姉チャンは答えた。
「あ、えっ……あ、その……ええ、その人の言うとおりよ。私も……誰も見なかったわ」
「俺も見なかった……。不思議でたまらないんだけど……絶対に誰もいなかった」
眼鏡の女性に続き、その隣に立つ男性も茶髪グラサン男の言葉を肯定した。
さらに、それは続き。オレも、あたしも……と。あと3人、茶髪グラサン男の「誰も見てないぜ」を肯定する人間が、ギャラリーの中から現われた。
視線を2階に戻す。
「なっ、言った通りだろう? ホントに誰も見てないんだよ。いいか、よく聞けよ。そのマシンは勝手に……独りでに動き出したんだ。だから、おれは誰の姿も見ていない。そのマシンに触った奴なんて、誰一人いなかったんだよ」
さすがにここまで言われれば、自分の早とちりにも気づける。「誰も見てないぜ」の意味も正しく理解できた。
「なっ…………」
茶髪グラサン男が言った内容に、涼介は絶句した。
そんな馬鹿な……。
(マシンが勝手に動き出したなんて……)
そのまま素直に信じられる話ではない。
マシン本体にも周囲にも、仕掛けの痕跡らしきものは全く見られないのだ。なのに、マシンに触れた人間がいないなんて……。
……機械を作動させられるはずがない。
涼介は、ピッチングマシンに視線をやった。
……何かを見落としているのか。
それとも、よほど巧妙なトリックが使われたということか。
ミステリー小説の中には、連続する殺人事件のすべての目撃者が全員共犯……なんていう奇天烈な内容の本もある。
その奇妙奇天烈なミステリーに倣えば、今の状況に説明を付けることも可能だ。
でも……まさか、そんな奇想天外なことが現実の中で行われるはずがない。
ここにいるギャラリー全員が嘘を吐いている……なんて考えるだけ無駄だ。
しかし、ならば……どうやってマシンを動かしたというのだろう。
手の中のボールは、ただ単にポンと撃ち出されたわけではない。ボールを壁にぶつけ、軌道を変えるような手段をとっている。直接狙うよりも、その難易度は高い。
場合によっては、ボールの予定軌道上に、ターゲット以外の人間(障害物)が存在した可能性だってある。
ボールを壁にぶつける角度の計測や発射タイミングの計算、障害物の有無の確認、そしてボールの撃ち出し。
それらを、このマシンが全て自動で行ったというのか?
もちろん、その答えはNOだ。
目の前の古い機械に、SF世界の未来機械のような真似ができるはずがない。
(……どんなトリックを使ったんだ?)
いくら考えてみても、思考がまとまらない。考えれは考えるほど、分からなくなる。
まるで、ミステリー小説の中の道化役、ヘボ刑事にでもなったような気分だった。
考えるための最大最高の手掛かり、凶器のピッチングマシンが残されているというのに……。
それが却って、最大最悪の謎となっていた。推理の役に立つどころか、涼介を精一杯困らせ混乱させていた。
気づくと、茶髪グラサン男は消えていた。
コーラの缶だけが、ぽつんと2階の窓辺に置かれている。
「天野くん!」
「涼介さん!」
自分を呼ぶ声が聞こえた。
多恵子と玲奈がこちらに駆けてくる。
涼介は手を挙げて、二人に答えた。
「うっ……」
手を挙げた拍子に、忘れていた肩の痛みが復活する。
とりあえず、ここは……。
慎也に連絡を取っておいた方が良さそうだ。
涼介は、Gジャンのポケットから携帯電話を取り出した。




