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『たった6文字のHOPE ~神谷探偵事務所はぐれ事件簿~』  作者: 水由岐水礼
FILE・#5 喜怒哀楽のセカンドデー
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 校内に女の子たちの声が溢れている。

 芸能やファッション、評判のお店から友達の噂、教師への悪口に至るまで、少女たちのトピックスは尽きることを知らない。

 透明感のある女性ボーカルが、アップテンポな旋律に乗って流れている。

 学校が最も賑やかになる時間帯の一つ。

 昼休みの桜川女子高校は、お昼の校内放送をバックミュージックに、今日もいつもと変わらずかしましい。

 けれど。例外というものは、どこにでもあるものだ。

 近頃の児童数減少に伴って、第2校舎の4階は去年から使われていなかった。お昼休みの雑多な音声も、この最上階まではなかなか上って来れないようだ。

 空き教室が並ぶ廊下に立つと、聞き慣れた喧騒が少し遠くに感じられた。

「ごめんね。せっかくのお昼休みなのに、呼び出したりして」

 一緒にここまで上ってきた少女に対し、美咲はまず謝った。

「あ、いえ、そんなことは別にいいです。それより、わたしに話って何ですか?」

 やや恐縮したように、美咲の向かいで小柄な少女が首を横に振る。

 いかにも男子が守ってあげたいと思うような、華奢で可愛い女の子だ。

「うん、実はね、玲奈さんのことなんだ」

「玲奈さん!? れ、玲奈さんって、水島玲奈さんのことですか!?」

 美咲の口から飛び出た名前に、少女は思いっきりビックリした顔をする。

 その反応に美咲は思う。

(玲奈さんのことって、本当にトップシークレットなんだ……)

 秋彦と玲奈の付き合いは、よほど厳密に秘密が守られているらしい。

「そう、その玲奈さん。あなたのお兄さんの恋人のね」

 美咲が言うと、

「ど、どうして、美咲さんがそのことを知っているんですか? ううん、それよりも何故ですか? なんで、美咲さんが玲奈さんのことなんて聞きたがるんです?」

 川崎春菜──秋彦の妹は、困惑を少しも隠さずに訊いた。

「うーん、それがね……ごめん、それはちょっと言えないんだ」

 その言葉で、春菜はとりあえず理解したらしい。

「ああ……守秘義務ですね」

 と、小さく呟く。

 美咲が自分を呼び出したのは、神谷探偵事務所絡みの用件でなのだ。

 それが分かれば分かったで、次に新しい疑問が湧いてくるのは当然のことだろう。

「だけど……何のために、神谷さんのところで玲奈さんのことを……」

 春菜が独り言のように言う。

 実際、半ば独り言のようだ。頭の中の思考が、口から零れ出たというところだろう。

 向かい合ってはいるものの、春菜の視線は美咲にピントが合っていない。焦点がぼやけている。

 けれど、それは数秒のことだった。

「あっ、まさか!」

 春菜が、ハッとしたように大きな声を上げる。

 焦点が回復し、彼女の眼差しがしっかりと美咲に向けられた。

「まさか、美咲さん! 神谷さんたちも警察みたいに、今度のお兄ちゃんの件で玲奈さんのこと……」

「違う、そんなんじゃない!」

 春菜が言い終える前に、美咲は否定する。

「そうじゃないよ。涼ちゃんや慎也叔父さんは、そんな人たちじゃないよ! 第一、依頼人は玲奈さんなんだから」

「……玲奈さんが?」

「あっ……!」

 しまった! という風に、美咲は自分の口を手で押さえた。

 春菜の言葉につい、美咲は守秘義務の基本中の基本、依頼人の名前を喋ってしまった。

「あ、今のはなし! 今の話、オフレコだからね、春菜ちゃん」

 言いながら、ひどく慌てた様子で美咲は顔の前で手を振る。

「と、とにかく、あたしから春菜ちゃんは何も聞かなかった……それでお願いね」

 ねっ? 春菜に手を合わせた。

「……はい、わかりました」

 一級上のドジな先輩に苦笑しつつ、春菜は軽く頷いた。

「でも、代わりにもう少し教えてください。玲奈さんは、神谷さんに何を依頼したんですか?」

「それはちょっと……」

 当然、美咲は渋る。

 玲奈の依頼は、今回の事故、兄・秋彦の件と何か関係があると思っているのだろう。口調は穏やかだったけれど、春菜の瞳は真剣だった。

 お兄ちゃん子の彼女にとって、今度のひき逃げ事故はかなり衝撃的なことだったと思う。

 可愛い顔の下には、犯人に対する強い憤りの気持ちもあるだろう。

 何か分かるのなら、少しでも知りたい。

 彼女の気持ちが分からないわけじゃない。けれど、やっぱり話せない。

 高校生バイトとはいえ、美咲も神谷探偵事務所の一員だ。慎也や玲奈の信頼は裏切れない。

 それに、今のところ、春菜と玲奈の関係は大変良好のようだ。

 春菜が大声を上げた時、「神谷さんたちも警察みたいに……」の部分には、憤りがこもっていた。彼女は、玲奈が疑われていることに対し本気で怒っていた。

 でも、もし玲奈の依頼のことを話せば、その怒りが別のものに変わってしまうかもしれない。

 春菜の心に、玲奈へのマイナスの感情を抱かせたくはない。

 今はまだ、秋彦の事故と玲奈への嫌がらせの因果関係ははっきりしていない。どころか、慎也も涼介もそれを否定する考えを採っている。

 春菜と玲奈の間に溝を作るような真似は、控えるべきだろう。

「ごめん……春菜ちゃん。悪いけど、それはダメだよ、話せない」

 美咲は、申し訳なさそうに告げた。

 春菜は美咲を見つめたまま、視線を逸らさない。

「どうしても、だめですか?」

「うん、ダメ」

 今度は即答する。

 二、三拍置いて、春菜が大きく息を吐いた。

「……仕方ないですね」

 彼女の表情が弛む。

「……分かりました。涼介さんたちが、お兄ちゃんの為にならないことなんて、するわけないですもんね」

「当たり前でしょう。川崎さんは、涼ちゃんにとっては大切な先輩なんだから」

 それは絶対に約束する、美咲は言った。

 暗に、玲奈の依頼が秋彦のことと何か関連があるかもしれない事だ、と仄めかしながら。それくらいなら、許されるだろう。

 子供っぽく見えても、兄に似て春菜には聡明なところがある。美咲のささやかな厚意に、彼女はちゃんと気づいたようだ。

 優しげに目を細め、「それで十分です」と微笑する。

「次はわたしの方が答える番ですね。それで、玲奈さんの何を聞きたいんですか?」

「ありがとう、春菜ちゃん」

 ひとこと礼を言ってから、美咲は訊いた。

「訊きたいのはね、玲奈さんのことっていうよりも……正確には、春菜ちゃんたちのことなんだ」

「わたしたち、ですか?」

「うん……というか、あなたと同じ立場に誰がいるか、ってことかな?」

「……?」

 要領を得ない顔で首を傾げた春菜に、美咲は付け加える。

「あたしと涼ちゃん、それから慎也叔父さんに一条さんも、昨日あなたたちの仲間入りをさせてもらったんだけどね」

「ああ……そういうことですか」

 美咲が何を聞きたいのか、春菜には分かったようだ。質問内容を確認することなく、指を折りながら答え始めた。

「美咲さんたちを除けば、えっーと……お父さんとお母さん、それからお婆ちゃん、あとは玲奈さんのご両親とわたし。お兄ちゃんと玲奈さんが付き合っているのを知ってるのは、この六人です。ああ……それと玲奈さんの友達で、松井多恵子さんって人ですね。ただ……」

「ただ?」

 と、そのまま返した美咲に、

「お兄ちゃんと玲奈さんがいつから付き合い始めたか、美咲さんは知ってますか?」

 春菜はいきなり話を変えた。

「えっ……? あ、ああ、うん……。はっきりとは知らないけど、去年の秋頃からだって……」

 唐突な話題転換に、美咲は少しばかり面食らってしまう。

「それが、どうかしたの?」

「ええ。同じことを一度、松井さんにも訊いてみてください。そうすれば、分かるはずですよ」

「多恵子さんに?」

「はい。あの人は『ひと月前』って答えると思いますよ」

「へっ……」

 ……なんで?

 春菜の言っている意味は分かる。

 端的に言えば、玲奈は多恵子に対し嘘を吐いている、ということだ。

 けれど……なぜ。どうして、玲奈は親友に対し偽る必要があるのだろう。

 秘密に嘘を交えて明かす……そんなことをするくらいなら、秘密のままにしておけばいいのに。

 ……なぜだろう。

 なんだか玲奈らしくない、美咲は思った。

「今月の初めでした。玲奈さんが、わたしに松井さんを紹介してくれたんです。その時、『秋彦さんのこと、多恵子さんにもお話したの』って、玲奈さんに言われたんです。でも、なんだか変なんですよね……。松井さんは、お兄ちゃんたちが付き合い始めてまだ間もない、って思ってるみたいで。何かの辻褄を合わせるためかもしれないけど……」

「……玲奈さんらしくない?」

「そう、そうなんです!」

 美咲の言葉に、春菜は我が意を得たりとばかり意気込んだ。

「わたしも、そう思ったんです。だから一度、お兄ちゃんに訊いてみたんです。だけど、理由は教えてくれなくて。ただ、そういうことにしておいてくれ、って」

「玲奈さんにも訊いてみた?」

「いいえ、玲奈さんにはちょっと訊きにくくて……」

 春菜は首を横に振った。

 彼女のどこか少し引っ掛かったような物言いに、美咲は感じとった。

(ああ、そうか……そうなんだ)

 春菜は知っているのだ。玲奈が中学時代に負った心の傷を。

 玲奈が秋彦とのことを周りに秘密にするのも、その傷が原因だ。もしかしたら、多恵子への嘘もその傷と関係が……と、春菜は思ったのだろう。

 だったら、訊けないだろう。

 訊ねることによって、玲奈の古傷に触れてしまう可能性があるのだから。

「そっか……そうだよね」

 しんみりと美咲は言う。

 その響きの中に含まれたものに、今度は春菜の方が気づいたらしい。

 一瞬、彼女は目を見開いた。そして、小さな声で痛ましげに吐き出す。

「美咲さんも知ってるんですね……」

「うん……まあね」

 二人の間に沈黙が落ちる。

 ……二、三分は経っただろうか。

 先に口を開いたのは、春菜の方だった。

「美咲さん、聞きたいことは、それだけですか?」

「あ、うん。とりあえずはね」

 美咲は頷いた。慎也に指示されたことは、玲奈と秋彦のことを知っている人間は誰か、その確認だけだ。

「じゃあ、今度はわたしの方から一つ。涼介さんに、お兄ちゃんが会いたがってる、って伝えておいてもらえますか」

「ん? うん、いいよ。でも、それって優ちゃんに言った方が早くない?」

 優ちゃんとは、涼介の妹・優子のことだ。

 美咲はもう一人の幼なじみのことをそう呼ぶ。同様に、優子の方も、美咲のことは「咲ちゃん」と呼んでいる。

「まあ、そうかもしれないですけど。やっぱり、美咲さんの方が確実そうですから」

「…………まっ、そうかもね」

 美咲は苦笑した。放課後、優子は毎日のように恋人の一条悠馬のところへ飛んでいく。

 対し、美咲の方は「涼ちゃん、涼ちゃん!」だ。

 確かに、春菜の言うことが正しそうだ。

「だけど、伝言の必要はないと思うよ」

 美咲は苦笑を微笑みに変えた。

「涼ちゃん、今日、玲奈さんと一緒に病院に行くはずだから」


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