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『たった6文字のHOPE ~神谷探偵事務所はぐれ事件簿~』  作者: 水由岐水礼
FILE・#4 涼介の心傷・前髪の理由
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 自宅へ帰り着いたのは、午後9時半を少し回った頃だった。

 見上げると、二階の自室に明かりが点っていた。

(……美咲か)

 美咲は涼介の部屋の合鍵を持っている。

 天野家では、美咲を家族の一員として扱っていた。涼介と小林家についても、それは同様だった。

 慎也曰く、二人は既に「両家公認の許婚みたいなもの」なのだ。

 そんな事情もあり、美咲はお向かいの天野家にいつでも自由に出入りができた。天野家の合鍵もあずけられている。

 二階に上がり自室のドアを開けると、案の定、美咲がベッドの上に座っていた。

 壁を背もたれ代わりに、推理モノのコミックを読んでいる。

「あ、涼ちゃん、おかえり」

 美咲がコミックから視線を上げた。

「ああ、ただいま」

 言いながら部屋に入ると、涼介はGジャンを脱いでクローゼットの中のハンガーに掛けた。

「はい、バンド」

 美咲が、ベージュのヘアバンドを投げて寄越す。

「サンキュー」

 涼介はそれを上手くキャッチし、簾髪をかき上げヘアバンドで素早く止めた。

 目許がすっきりとする。視界が開けた。

(あ……)

 視線が、小学生の時以来お世話になっているデスクへと向かう。

 ショルダータイプの鞄と紙袋が、デスクの上に載っていた。紙袋には城山書店の店名が印刷されている。

 それを見て、今更ながら、自分が叔父の事務所に荷物を置き忘れてきたことに気づく。

「ホント、涼ちゃんって、こういう忘れ物多いよね」

 涼介の視線を追いかけ、美咲が言った。

 鞄と紙袋は、彼女が届けてくれたのだろう。

「……悪い。すまないな、余計な手間を掛けさせてしまって」

「いいよ、別にそんなことくらい。届けるっていっても、お向かいさんなんだし。それより、涼ちゃんに謝られたら……あたし困るなぁ……。あたしが涼ちゃんに謝ろうと思って、待ってたのに……」

「はぁ?」

 謝る……何を?

 涼介は、間の抜けた声を出した。

「涼ちゃん、今日はごめんね」

 と、唐突に美咲が頭を下げる。

 …………なんだ?

 謝られるような心当たりなんてない。

「あの……美咲? いったい何のことだ?」

 学習デスクの椅子に腰を下ろし、涼介は眉を顰めつつ訊いた。

「だから、夕方の事務所でのこと」

 言われても、やっぱり、涼介には何のことだか……さっぱりだった。

 戸惑い気味の涼介に構わず、美咲は続ける。

「ほら……いろいろ喚いて、涼ちゃんのこと困らせちゃったでしょう。ごめんね、涼ちゃん。怒鳴ったりして、ホントにごめんなさい。今度会ったら、玲奈さんにも謝っておかないとね」

「なんだ……そのことか」

 とりあえず、美咲が何を謝ろうとしているのかは分かった。

 ただ……。

「そんなこと気にしなくていいよ。全然怒ってないから。だから、美咲が謝ることなんてないよ」

 涼介の方は、美咲に謝られる必要を全く感じていなかった。

 それどころか、なぜ美咲が「ごめん」と言ってくるのか、いまいち納得できていない。

 まあ確かに、玲奈にはきちんと謝っておいた方がいいとは思うけれど……。

「でも、涼ちゃん……」

 涼介の言葉に、美咲の表情が微かに曇る。

 しかし、涼介は気づかなかった。

「いいんだって、本当にオレは怒っていないんだから。それより、美咲……おまえ、オレに謝るためにずっと待ってたのか?」

 涼介は訊ねた。美咲はまだ制服姿のままだった。

「うん、そうだよ」

 なにかおかしい? とでも訊くように美咲は首を傾げる。

 ……やっぱり、理解できない。

 涼介は怒ってもないし、不機嫌にもなっていないのだ。

 それは、幼なじみの美咲にも分かっているはずである。

 なのに、なぜ謝るのだろうか。

 涼介からしてみれば、美咲に謝ってもらう理由などない。それでも、美咲は「ごめん」を繰り返す。

 こういうことは、今回が初めてではない。

 既に二人が小学生の頃から、時折あった。

〝……不安なんだよ〟

 ふと、そんな言葉を思い出す。

 前に一度、美咲のことについて、慎也に相談したことがあった。

〝美咲ちゃんは不安なんだよ〟

 それはその時、開口一番、慎也が口にした言葉だった。

 ──不安? 何が不安なんですか?

 涼介がすぐさま訊き返すと、慎也はため息を吐きつつ答えた。

〝だから……いつまた、おまえに拒絶されるか不安なんだよ、美咲ちゃんは……〟

 美咲は一度、これ以上ないというくらいに涼介に拒絶されている。それが今も美咲の傷になっているのだ。

 そして、その拒絶の原因はまだしっかりと涼介の中に残っている。少しも解消されていない。

 前髪で顔を隠し、草臥れた洋服を着、涼介は自分の周りに防壁を巡らせている。

 閉じ籠もり騒動以後、涼介は必要がない限り、なるべく他人を自分の周りに寄せ付けなくなってしまった。

 ──危険な奴。危険人物。

 自分は人にとって厄介な存在なんだ、という意識は涼介の中で今もなお生き続けている。

 ……人に近づいてはいけないんだ。

 その思いは、部屋に閉じ籠っていた時と何ら変わってはいなかった。

 涼介の心傷は癒えていないのだ。

 ただ、美咲の傍らに小さな自分の居場所を見つけたというだけで……。

 涼介の心は、いまだ外の世界に対し閉じている。特殊能力の保持者との接触を、ひどく恐れている……。

〝だから、美咲ちゃんは不安なんだ〟

 いつかまた、涼介に拒絶されるかもしれない……美咲は怖いのだ。

 不安ゆえに……怖いから、ひどく嫉妬する。

 過剰な嫉妬は、美咲の抱えている不安の表れなのだ。

〝おまえのことを信じつつも、美咲ちゃんは不安でたまんないんだよ〟

 記憶の中の慎也の声が、鼓膜の奥……脳裏に囁きかけてくる。

(美咲を拒絶するなんて……)

 そんなことないのに……。

(……あるわけないじゃないか)

 美咲の顔を見ながら、涼介は心の中で呟く。

 不安……相手が離れてゆく不安。

 それを感じているのは、むしろ……。

(オレの方だ……)

 美咲が離れていけば、涼介はたちまち居場所を失ってしまう。

 心の片隅で、涼介は常に脅えていた。

 心の奥に囲った不安と、涼介はもう何年も戦い続けてきた。

 でも……それは涼介だけではない、と叔父の慎也は言う。

『美咲、おまえも不安なのか?』

 思わず、そんな思いが口をついて出そうになる。

 声には出さなかったけれど、涼介の唇はしっかりと動いていたらしい。

「ん? なに、涼ちゃん?」

 美咲が訊いてきた。

「別に何でもないよ」

 涼介は首を小さく横に振った。

 そう……とだけ呟いて、美咲はベッドから腰を上げた。

 涼介が何を言おうとしていたのか、追求しようとはしない。

 手に持ったコミックを、ミステリー小説が並ぶ背の高い本棚に戻す。

「ホントにごめんね」

 もう一度言うと、美咲は涼介の頬にそっと口づけをした。

 いつもと同じ……。「ごめんね」の後、彼女は涼介の頬にキスをする。

 それは、閉じ籠もり騒動よりも前からの、二人の間での定番だった。

 きっかけは、昔、子供番組で放送されていた歌である。

 ……ケンカの後で、頬っぺたにキスして仲直りをする。

 というような歌詞の内容を、涼介と大喧嘩した時に、幼稚園児の美咲が無邪気にそのまま実践したのが始まりだった。

 それが、十年以上経った今も続いているのである。

(そういえば……昔は、美咲ともよく喧嘩したよな……)

 幼かった涼介が、美咲に腹を立てることも少なくはなかった。それが、閉じ籠もり騒動以降、涼介は怒らなくなってしまった。

(今のオレには、美咲を怒ることなんて……できない、無理だ)

「じゃあ帰るね、涼ちゃん」

 その声に我に返ると、美咲はいつの間にかドアの外にいた。

「ああ、また明日な」

「じゃあね、おやすみ」

 言葉を残し、美咲がドアを閉める。

 階段を下りていく足音が聞こえた。

 足音が遠ざかっていく。

 気を利かせて待ってくれていたのだろう。

 足音が消えるのと入れ替わりに、ドアがノックされる。

「お兄ちゃん、入るよ」

 ドアが開き、パジャマ姿の優子が部屋に入ってきた。

 左手に何か持っている。それが何なのか、涼介にはすぐに分かった。

「はい、これ」

 優子が左手の物を差し出す。

 タロットカードだった。

 それは、友人の一条悠馬が高校時代に使っていたものだ。

 カードは2枚……。

「……法王と戦車。悠馬からか?」

「うん。お兄ちゃんに渡してくれって」

「で、これだけか?」

 手許のカードに視線を落としたまま、涼介は訊ねる。

「ううん、まだあるよ。〝鍵はウォーターとアイランドです〟って」

 ウォーターとアイランド……水と島。

 つまり、水島。玲奈のことを指しているのだろう。

 玲奈たちが悠馬のところ、〈占いの館・運命の(ホイール・オブ・)(フォーチュン)〉を訪ねたことは承知している。水島邸へ向かう途中に聞かされていた。

 法王と戦車。2枚のカードは、今度の件についての占い結果ということなのだろう。

 どうやら、悠馬とは一度会う必要がありそうだ。

「それじゃあね」

 言付けを終えて優子が戻っていくと、涼介はベッドに寝転がった。

 夕食がまだだった事を思い出すけれど、全然食欲は湧いてこなかった。空腹感も感じない。

 ……涼介は疲れていた。

 人付き合いは苦手。いや、人付き合いをしない……人付き合いの経験値が低い、といった方が正しいだろうか。

 そんな涼介にとって、今日はいろいろとあり過ぎた。

 玲奈や多恵子たちとの行動は、彼にかなりの負担を強いていた。

 睡魔が、涼介に襲いかかる。

 ……考えることはたっぷりとあった。

 ……明日の準備もしなくてはいけない。

 けれど……もう疲れ切っていた。

 午後10時前、涼介は早めの眠りに就いた……。


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