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『たった6文字のHOPE ~神谷探偵事務所はぐれ事件簿~』  作者: 水由岐水礼
FILE・#4 涼介の心傷・前髪の理由
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 ……特殊能力の増幅性質。一語で言い表すなら、ブースター性質。

 そんな奇天烈な性質が自分にあると気づかされたのは、涼介がまだ小学二年生の時だった。

 それを知るきっかけになったのは、小さな異変……。


      ☆


 お向かいに住む仲良しの少女が、微かだが身体を震わせていた。

 つないだ手には、妙に力が込められている。

 涼介の隣で、美咲が立ちすくんでいた。

 どうやら何かに脅えているようだった。

 美咲の視線は、公園のブランコの奥にある桜の木に注がれている。

「どうしたの、美咲ちゃん?」

 首を傾げ、涼介は訊いた。

「こわいの。ねえ、涼ちゃん。どうして、あのおじさん、頭から血がいっぱい出てるのに笑ってるの? ねえ、おかしいよ……ねえ、こわいよ、涼ちゃん」

 今にも泣き出しそうな声で言いながら、美咲は涼介にしがみ付いた。

 けれど、美咲の指さす先には桜の木が一本あるだけだ。

 彼女の言うような、頭から血を流した男などどこにも居なかった。

「どこにいるの? そんなおじさん、どこにもいないよ」

「どこって、あそこだよ。ほら、あの木のところ。ねっ、いるでしょう?」

「…………」

 やはり、涼介には見えなかった。

「涼ちゃん、帰ろう」

 涼介の手を引っ張って、美咲は出口の方へ歩き出す。

 美咲が引くのに任せ、涼介も歩みを進める。

 気になって、公園を出る時にブランコの方を振り返ってみた。

 が、結果は同じ。やはり涼介の目には誰の姿も映らなかった。

 結局、訳のわからないままその日は家まで帰り、涼介は美咲と「ばいばい」をした。

 それから、ひと月。

 同じようなことが、たびたび起こった。

 なんでもない空間を指さしては、美咲が脅えるのだ。

 時には、大泣きすることもあった。

 頭から血を流したおじさんに、腕のないお姉さん。背中に矢の刺さった、変な格好(武者姿)をしたお兄さん。

 人間だけでなく、涼介には見えない犬や猫の姿も美咲には見えるようだった。

 ……幽霊。

 そのうち、まだ幼かった涼介の頭に自然とそんな単語が浮かぶようになった。

 そうだ、それしかない。

 涼介は子供心に確信した。

(きっと、美咲ちゃんには幽霊が見えるんだ)

 そして……それは正しかった。



 ……さらにひと月あまりが過ぎた。

 涼介は独り、ベッドの上で膝を抱え丸まっていた。

 明かりは消され、天井の蛍光灯に光はなかった。

 その上、カーテンも閉じられている。

 室内は薄暗く、陰気な空気が籠もっていた。

 ここ3週間近く、涼介は小学校に行っていなかった。

 黒いランドセルが、机の上で埃を被っている。

「……せいだ。ぼくのせいで、美咲ちゃんは……」

 涼介はぶつぶつと呟いていた。

 ひと月あまり前、美咲に幽霊が見えているらしいことを知った時、涼介は叔父の慎也に相談した。

 いつも美味しいケーキを焼いてくれる、大学生の叔父のことが涼介は好きだった。

 彼を実の兄のように、涼介は思っていたのだ。

 美咲と一緒に幽霊の話をしに行くと、慎也は微かに眉を顰めた。

 その様子に、

「信じてくれないの?」

 涼介は少し怒ったように言った。

「いいや、そんなことはないよ……。ただ、少し気になることがあってね……」

 そのまま、少し思案する風に黙った後、

「ねえ、美咲ちゃん」

 慎也は美咲に笑顔を向けた。

「なあに、おじさん?」

 やや舌足らずな調子で、美咲が訊く。

「あのね、美咲ちゃん。美咲ちゃんがいつも変な人たちを見るのは、どんな時かな? 分かるかい?」

 それは、明確な意図を持った質問だった。

「うーん、うーん……うーんとねぇ……」

 と、まだ幼い、幼稚園児の美咲は一生懸命に考える。

 一頻り考えて、

「あのね、涼ちゃんと一緒にいる時」

 彼女は元気よく答えた。

 こちらは何の意図もない、素直な言葉だった。

「それは本当かい?」

「うん、ホントだよ。あたし、嘘なんてつかないもん」

「うん、それは分かってるよ。美咲ちゃんは嘘つきなんかじゃないよね。なるほどね……涼と一緒の時なんだ」

「そうだよ。あのこわい人たち、いっつも……あたしが涼ちゃんと一緒の時にばっかり、出てくるんだもん」

 美咲は少し立腹気味に喋った。

 ぴくり、慎也の片眉と唇の片端が動く。

「……出てくるんだもん、か」

 呟き、おし黙る。慎也はそのまま「考える人」状態になってしまった。

 翌日から、慎也は大学から早く帰宅し、涼介と美咲をいろいろな場所に連れて歩いた。

 それが十日ほど続いただろうか。

 涼介は慎也の部屋に呼び出された。

 そこで初めて、特殊能力の増幅性質について聞かされることになる。

 この十日間、慎也は調査していたのだ。

 涼介にも分かるように、慎也はなるべく簡単な言葉で噛み砕いて説明してくれた。

 実は、慎也にも最近、明らかにこの世のモノではないものが見えることがあったのだ。

 美咲の言う、公園の「頭から血を流したおじさん」の幽霊のことも、彼は以前から知っていたらしい。

 子供の頃から、慎也は金縛りにあったりすることがよくあったのだという。だから、自分に少しばかり霊感があることは自覚していた。

 けれど、さすがに幽霊の姿を拝むことは半年くらい前まではなかった。それが突然、〈見える人〉になってしまったのである。

 ただ、奇妙なことに家の近所でしか、それは見えないのだ。大学や繁華街では、一度も幽霊を見たことはなかった。

 それがずっと疑問だったらしい。

 幽霊は騒がしい場所が嫌いなんだろう。

 とりあえず、適当にそんな風に思うことにした。が、それは間違いだと分かった。

 美咲の話を聞いて、慎也は閃いたのだ。

 そして。十日間調べあげた上で、特殊能力の増幅性質なんていう、およそ常識離れした結論に辿り着いた。

 ……俄かには信じられなかった。というよりも、小学二年生の理解の範疇を超えていた。

 けれど。逆に幼いからこそ、理解できずとも素直に受け入れてしまいそうにもなる。

 しばらく混乱していたが、落ち着いてくると思い当たる節もある。

 美咲以外にも、涼介は「幽霊」とか「お化け」と言って怖がる女の子を見たことがあった。

 クラスメートの男の子が、給食の時間にスプーン曲げを披露し、先生に怒られていたのは、何ヵ月前のことだっただろうか。

 その何日か後、そのクラスメートは、家から持参したスプーンで再度挑戦したという。でも、その時にはスプーンは曲がらなかったと聞いた。

 聞いたというのは、再チャレンジの日、涼介は風邪で学校を休んでいたからだ。

 自分がいない時に、失敗した……。

 そのことを思い出し、涼介は逃げ場はないと感じた。叔父の言う難しい言葉……ブースター、特殊能力の増幅性質を事実として受け入れた。

「……ぼくのせいなの? ずっと美咲ちゃんが怖い思いをしてきたのは、ぼくのせいなんだ……」


 次の日から、涼介は不登校になった。

 部屋の鍵を閉め、入浴とトイレの時以外、部屋から出てこない。食事も自分の部屋で摂った。

 美咲が来ても、絶対に会おうとしなかった。

 それでも毎日、美咲はやって来た。

「涼ちゃん、涼ちゃん」

 と、美咲が自分のことを呼ぶ。

 けれど、涼介はドアを開けなかった。

 美咲とはもう会わない。

(会っちゃいけないんだ)

「ねえ、開けてよ、涼ちゃん」

 ドンドンとドアを叩く音がする。

 そんなことがもう3週間も続いているのだ。

 やがて、美咲は帰っていく。

 ここ1週間ほどは、階段を下りる小さな足音とともに泣き声が耳に届いていた。

 その泣き声に、胸が痛んだ。

 それでも、ドアは開けられない。

(開けちゃいけないんだ)

 涼介は自分に言い聞かせた。

「ぼくと一緒にいたら、美咲ちゃんは……」



 ドア1枚を挟んでの攻防は、さらに2週間続けられた。

「開けて、涼ちゃん」

 美咲がドアを叩いている。

「ダメだよ、開けられない。開けちゃダメなんだ。ぼくと美咲ちゃんは、一緒にいちゃいけないんだよ」

 もう何度、同じことを言っただろうか。ドアの向こうへ涼介は言葉を送る。

「そんなのイヤだよ。開けてよ、開けて、涼ちゃん!」

 ドアの外からも、いつもと同じ内容が返ってくる。

 開けて、開けてったら!

 ドンドンドン!

 美咲はなかなか諦めない。

 泣きながら、「開けて」を繰り返している。

「ダメったら、ダメなんだ!」

 思わず怒鳴ってしまった涼介に、外の声が途切れた。

 ……ひっく、ひっく、ひっく。

 しゃくり上げる音だけが聞こえる。

 ひっく、ひっく。

 ひっく、ひっく……。

 美咲が立ち去る気配はない。

「だいじょうぶだよ。あたし、だいじょうぶだから」

 しばらくして、美咲の声がした。

 何が大丈夫なのか?

(美咲ちゃんは、何を言っているんだろう?)

 いつもと違う初めての展開に、涼介は戸惑ってしまう。

「涼ちゃん、だいじょうぶだから。あたし、こわくないから。ゆうれいもお化けも、こわくないよ。ううん、ホントはこわいけど……こわがらないように、がんばるから。それから、もう泣かないようにもする。だから、ここ開けてよ、涼ちゃん」

 必死に泣くのを堪えながら、言っているのが分かった。

 どうして幽霊が見えるのか。どうやら、美咲は知ってしまったらしい。

 彼女に分かる範囲で、慎也が教えたのだろう。

「ねえ、涼ちゃん。一緒に公園にいこうよ」

 公園というのは、桜の木の下に血を流したおじさんの幽霊が出る、あの公園のことだろう。

「ねっ、いこう。あたし、もうこわがらないから。こわいのなんて、がまんするから。一緒にブランコのろう(乗ろう)」

 涼介と一緒に居たいがために、我慢すると言っているのだ。

 幽霊を怖がらないし、めそめそ泣かない。

 そんな美咲の健気な訴えにも、涼介は言葉を返さなかった。

 一昨日。慎也からドア越しに聞かされて、涼介は知っていた。

 涼介が隣にいなくても、美咲は一部の幽霊が見えるらしいのだ。それは、「よほどひどい亡くなり方をした者や、この世に強い未練を残している霊たちだろう」と慎也は言っていた。

 涼介の増幅の力は、その場限りの一時的なものではないらしい。涼介の身近で何度も増幅を受けているうちに、能力保持者の持つ能力はレベルアップしてしまうようなのだ。

 つまり、基礎能力のアップ。涼介の増幅性質を借りている時の強い力を、能力者はそのうちに本当に自分のものにしてしまうのである。

 美咲はもう既にそれがかなり進んでいる。

 このまま行けば、美咲は涼介が側に居なくても幽霊が見えるくらい、強い霊感を身につけてしまうだろう。

 それは、美咲の日常に当たり前に幽霊が存在することを意味する。

 そのことは、小学二年生でもしっかりと理解できた。

 だから、なおさら美咲とは一緒にいることはできないと思った。

「ダメだよ、ダメだ。ぼくのせいで、美咲ちゃんが怖い思いをするなんて……ぼくが我慢できないもの……」

 ある意味、ものすごく勝手な言い分である。

 けれど、当時の涼介や美咲にそれが判るはずもない。

「だいじょうぶ。あたし、がまんする。ゆうれいもお化けも、こわくないもん」

 ……そんなはずがない。

「そんなの嘘だよ。怖くないわけないじゃないか」

 ……絶対に怖いに決まっている。

 美咲は嘘を吐いている……涼介は譲らなかった。

「うん、ホントはこわい。でも、こわくないよ、ホントだよ」

「なに言ってるんだよ。言ってることがムチャクチャだよ、美咲ちゃん。嘘はダメだよ」

「嘘じゃないもん。こわいけど、ホントにこわくないんだもん!」

 美咲は退かない。同じことを繰り返す。

(……もういいよ。ムダだから、もう止めなよ……)

 涼介は心の中で訴えた。

「……お化けなんか、こわくないもん!」

 美咲が大きな声を上げた。

「だって、あたし……お化けなんかより、涼ちゃんと一緒にいられなくなる方がこわいもん。もう涼ちゃんと一緒にあそべないなんて、ぜったいにイヤだもん!」

 ……真っ白で真っすぐな言葉だった。

 それは、今もしっかりと涼介の胸に刻み込まれている。

 そこには何もない……。ただあるのは、幼い少女の素直な想いだけ。

〝涼ちゃんと一緒にいられなくなる方がこわい〟

(ぼくと一緒に居られなくなる方が怖い? 幽霊より、お化けよりも?)

 美咲は何も考えず、ただストレートに自分の気持ちを言葉にしただけだろう。

 それが、涼介の心に届き響いた。

 瞳から温かいものが溢れ出していた。

 なぜだか、ホッとする。

 ……嬉しい。嬉しかった。

 薄暗い部屋の中で、ずっと涼介は孤独だった。

(……ぼくは火種なんだ)

 人にとって、危険な存在なんだ。

 美咲だけでなく、誰にも近づいてはいけない。

 そう、誰にも……。

(そうしなきゃ、ぼくのせいで……)

 ……たくさんの人が怖い思いをしてしまう。

 ……たくさんの人を泣かせてしまう。

 ……美咲のように。

 ダメだ。絶対にダメだ。

(……そんなのはダメに決まっている。でも、ぼくは……)

 どうしたら、いいんだろう。

 ──危険な奴。危ない奴。

 だから……。

(ぼくは、独りで居なきゃいけないんだ)

 ……独りだ。ぼくは独りきりなんだ。

 膝を抱え、一日中、涼介はそんなことばかり繰り返し考えていた。

 孤独だった。……居場所が消えた。

〝涼ちゃんと一緒にいられなくなる方がこわいもん〟

 真っすぐな想い。美咲の言葉がリフレインされる。

 真っ暗だった涼介の心に、光が射してくる。

(ぼくは……独りじゃない?)

 ……居てもいいの? 居場所がある。

 美咲の隣。……美咲ちゃんが一緒にいてくれる?

 涙が止まらなかった。

 ベッドから立ち上がり、ドアへと向かう。

 目許を、手の甲でごしごしと拭った。

 ドアノブに手を掛ける。

 ……かちゃ。

 微かな音とともに、ドアが開く。

 廊下の明かりが、そして……美咲が部屋に飛び込んできた。

「涼ちゃん!」

 美咲が涼介に抱きついた。

 その小さな身体を、涼介はぎゅっと抱き締めた。

 美咲が顔を上げる。ひと月以上ぶりに見る少女の顔は、涙でぐじょぐじょに濡れていた。

 けれど、嬉しそうだった。

「……ごめん」

 言って、涼介は美咲の頭をそっと撫でた。

「ううん……」

 どういう意味か。美咲は軽く首を横に振る。

 また、涼介の胸に顔を埋めた。

「ありがとう……」

 涼介は囁いた。それは、ほとんど独り言のようなものだった。

 よく聞こえなかったのだろう。

 なあに? という風に、美咲は顔を上げて涼介を見る。

 何も言わず、涼介はただ微笑んだ。

 美咲が、にっこりと微笑を返す。

 ――だいじょうぶ。

 その瞬間。目の前の少女は、涼介にとってとても大切な女の子になっていた。


      ☆


「……大切な人なんですね」

 意識が昔に飛んでいた涼介の耳朶に、静かに玲奈の声が触れた。

「えっ……」

 幼い頃の美咲の面影が消える。

 十年前の薄暗い子供部屋から、街灯の明かりの下へ引き戻された。

 目の前に、玲奈が立っていた。

「美咲さんのことです」

 惚けた様子の涼介に、玲奈が言う。

 大切な人……。

 美咲……。

 少し遅れ、玲奈の言葉が涼介の中に浸透してくる。

 また、幼い美咲の笑顔が脳裏に浮かんだ。

 それが、現在の……高校二年生の、いつもの美咲の笑顔に変わる。

 自然に、唇が動いていた。

「……ええ、オレにとっては大切な娘です。かけがえのない……」

 紡がれた言葉に、

「そうですか……」

 とだけ、玲奈は微笑みと共に返した。

 その瞳は、優しげな輝きを湛えている。

 けれど、どこか寂しげにも見える。

 …………なんだろう。

 一瞬、何かが心の琴線に触れたような気がした。

 でも……その正体は判らなかった。

 たぶん、気のせいだろう……。

「……そろそろ、行きましょうか」

 涼介は言うと、玲奈が頷くのを待って再び歩き始めた。


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