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「決まっているじゃないですか。川崎さんの事故も、玲奈に嫌がらせをしている人間の仕業だ、ってことです」
慎也の問いに答えたのは、多恵子だった。
まだ怒っているらしく、彼を見つめる眼差しは鋭い。
(なんだかなぁ……)
さすがに少しムッとしたが、慎也はポーカーフェイスを保っていた。
「これは、あたしの考えですけど……」
そう前置きをして、多恵子が話し始める。
「植木鉢にしても図書館のことにしてもそうだけど、どちらも少し間違っていれば、玲奈は大怪我をしていたかも知れません。でも、実際にはそうはなりませんでした。だから、あたしは思うんです。犯人はきっと、本気で玲奈に直接的な危害を加えるつもりはないんじゃないか、って。
だって、そうでしょう? 植木鉢だって、五回も落としているんです。犯人がもし本気なら、もうとっくの昔に……それこそ、二度目か三度目あたりにでも、玲奈に鉢が命中していてもいいはずです」
「つまり、犯人の狙いは水島さんの精神面にある、ってことですか。水島さんが恐怖したり、困惑したりするのを見て喜んでいるだけだ、と?」
多恵子の言わんとしていることを先読みしたらしく、涼介が口を挟み確認を入れる。
「ええ、そうよ。犯人の目的は、玲奈を不安がらせたり苦しめることだって、あたしは思うの。精神的苦痛ってやつね。だから、もしかすると、犯人はどこかサディスティックな性格の持ち主かもしれないわね。……もしくは、玲奈のことをよく解っている人間か。
ねえ、天野くん。君だったら、どうする?」
「えっ……」
「もし君が犯人で、玲奈に精神的な苦痛を与えようと思ったら、どんな方法を採る? どうすれば、いちばん効果的だと思う?」
「あの、その……」
例えばの話とはいえ、当事者の親友を隣にした多恵子の問い掛けに、涼介は戸惑い口籠もってしまう。
けれど、困惑しつつも、ちらっと玲奈の方へ視線をやった後、自分の考えを述べ始めた。
「そうですね……オレが犯人なら、水島さんが親しくしている人たちを狙うでしょうか。知り合ったばかりなんで、水島さんのことはよく解からないですけど……。でも、知らないなりに、水島さんを苦しめるとするならば、たぶんそれが一番効果的かなって……」
涼介の意見に、慎也も賛成だった。
自分が苦しむよりも、他人が苦しんでいる姿を見ている方が辛い。ましてや、それが自分のせいならば……。
善人タイプの思いやりのあるお嬢様、玲奈はそういうお人好しタイプの人間だと思える。
そういったタイプの善人を追い込むのならば、涼介が言ったとおり、周辺攻撃が最も効果的なやり方だろう。
「そう、そうでしょう! あたしも犯人なら、きっとそうするわ。玲奈は優しすぎるから、自分のせいで他人が傷つくなんて、耐えられるはずがないもの」
「へぇー……なかなかのものですね。立派な探偵振りじゃないですか」
ただの激情家と思いきや、そうでもないらしい。慎也は、多恵子に対し率直に感心を表す言葉を口にした。
「そんな……あたしなんて」
本職の慎也に褒められて、多恵子は少し照れたようだった。
そして、慎也へのお怒りも解けてしまったらしい。
「ただのミステリー小説の真似ごとです。本格推理モノ、あたし好きなんです」
「なるほどね……ミステリーファンですか」
「ええ。でもまあ、そのことは置いておくとして。あたしがいま言ったこと、神谷さんはどう思いますか?」
「ひどく悪質で陰険ですが……確かに、水島さんが相手ならそれが一番かもしれませんね」
「そうでしょう? だから、川崎さんの事故のことも、玲奈に嫌がらせをしている奴がやったことだって、あたしは考えたんです。どうですか、そうは考えられませんか?」
多恵子はやや得意げだった。
まるで親友のことなど忘れてしまったかのような彼女の熱弁に、
「……なるほど」
とだけ短く呟き、慎也はカップに手を掛けた。
コーヒーを啜りながら、横目で涼介を見る。
「どう思う、涼?」
慎也は甥っ子に意見を求めた。
考えをまとめていたのか、涼介は少し間を置いてから始めた。
「松井さんの言うことは、確かに考えられる仮定だと思います。とりあえずは、筋も通っているみたいですから。でも……今回の嫌がらせ犯が、松井さんと同じように考えているかどうか、それは断言できません。今はまだ情報不足ですね。だから、川崎先輩の事故と水島さんのことを結び付けて考えるには、根拠が足りないと思います」
涼介の見解に、多恵子は微かに眉を顰めた。
自信のあった推測に素直に頷いてもらえないのが、不満らしい。
「まあ、そうだろうな。残念ですが、松井さん。俺も涼と同じで、即座にあなたの意見には賛同できません」
言いながら、慎也はカップをソーサーに戻した。
「でも、神谷さん!」
多恵子は引き下がろうとしない。
自分の考えによほど自信があるのだろうか。それとも……。
「その様子だと、まだ何かあるんですね。川崎君の事故と水島さんの件を結び付ける、何か他の根拠が」
考えられるのは、それだけだ。
「ええ、そうです。あります」
案の定、多恵子は言った。
「お聞きしましょうか」
慎也は居住まいを正した。
「実は、ここに来る前……正確にはお昼過ぎですが、玲奈は十波署の警官に事情聴取を受けているんです」
「事情聴取、ですか……」
わざわざ熱弁を振るうくらいだ。ただの聞き込み程度ではなかったのだろう。聴く価値はありそうだ。
「詳しく話してもらえますか」
「それは、私からお話します」
黙っていた玲奈が、口を開いた。
「どうも警察は、私のことを疑っているらしいんです」
「……疑う? 川崎君の事故のことで、あなたをですか?」
「……はい。実は昨夜、私は秋彦さんと大喧嘩をしているんです」
玲奈は、膝の上で二つの手をぎゅっと握りあわせた。
辛そうに目を伏せて、視線を目の前のカップの辺りに固定する。
何かを思いつめているような。
そんな玲奈の様子に、
「喧嘩の理由は……訊かない方が良さそうですね」
慎也は、秋彦との諍いの理由を訊ねるのを止めにしようとする。
けれど。「いいえ、お話します」と、玲奈は慎也の気遣いに首を横に振った。
「警察の方には、お話しましたから……」
おそらく、警察はかなり強引に訊き出したのだろう。元警官として、慎也は申し訳ない気持ちになった。
「私が中学生の時でした……」
玲奈は、ゆっくりと言葉を吐き出した。
よほど辛いことを語ろうとしているのだろう。その声は少し震えている。
玲奈が語った内容は、なるほど……器量の良い人間ならではエピソードだった。