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ss #010  作者: 柳田喜八郎
8/9

ss #010 < Chapter,08 >

 目を覚ました瞬間、誰かが自分の顔を覗き込んでいた。

 けれどもその人が誰か、本当にその人なのか、すぐには理解できなかった。

 その人はもういない。

 最期の別れも言えぬまま、冷たい亡骸となって本部に帰還したはずで――。

「マルちゃん! あぁん! もう! 心配させるんじゃないわよ! なんであんたって子は、いつもいつも無茶ばっかり……っ!」

 お世辞にも綺麗とは言えない濁声。そのくせ、それが妙に可愛く聞こえる女言葉。

 繊細なネイルアートが施された爪も、男性としては非常に華奢な手も、長い睫毛も形のいい唇も、何もかもがあの日のまま。マルコの記憶の中にいる、在りし日のグレナシンそのままの姿だった。

「副隊長……そんな……どうして……?」

 動揺するマルコの手をしっかりと握り、グレナシンは優しい声音で話しかける。

「マルちゃん、いい? 落ち着いて聞いてね? ここは貴方のいる世界とは別の、並行世界のほうなの。並行世界のことは、アンタも把握しているわよね?」

「……はい、わかります。過去世界を改変する以前の『未来の記憶』も、私は保持していますから。そちらは、あの記憶の通りの世界ですか? みんなで笑って、にぎやかに過ごしていた、あの……」

「ええ、そうよ。こっちの世界では、アタシも隊長も、ロドニーもチョコも、誰も死んでいないの。みんないつも通り、元気にド突き合いながら、馬鹿みたいに笑ってるわ。アタシの体温、ちゃんと感じるでしょ? ね? アタシは、こっちの世界では生きてるの。オバケでもニセモノでもないわよ?」

「副隊長……ですが……ですが、こちらの世界では、もう誰も……」

「そうね。そっちでは、確かにみんないなくなってしまったかもしれない。でもね、聞いて。そっちの世界ではピーコックが生きているでしょう? 彼はこっちの世界にはいないの」

「えっ!? ピーコックさんが? なぜです? 彼にはバアルが憑いているのに……バアルは他のどの神よりも強いのに……なぜ?」

「さあ、なんでかしらね。それはアタシにもよくわからない。けど、今日、こうしてアタシたちが会えたのはバアルの力のおかげよ。そっちの世界にピーコックが生きていなければ、二つの世界が繋がることは無かったの。それだけは確かな話よ」

「……ピーコックさんが……二つの世界を……?」

「そっちの世界のことは分からないけど、これだけは言わせて。お願い、希望を捨てないで。アタシたちはね、ピーコックがそっちで生きていることに希望を見出してるの。離れた場所にいても元気にやってるんだ、まだ完全に『終わった』わけじゃないんだ、って。ね? どう? これって、ものすごく大きな希望だと思わない? もう二度と会えないと思っていた人に、もう一度会えるかもしれないのよ? だって、アタシたちはこうして生きているんだから……」

「……副隊長……」

 この時、グレナシンはマルコの目に光が宿る瞬間を見た。

 何もかもが終わってしまったマルコの世界に、『これから先』の時間が生まれたのだ。

 マルコは何かを決意したような顔でグレナシンの手を強く握り返し、はっきりとした声で言った。

「副隊長、ありがとうございます。私からも、副隊長にお伝えしたいことがあります」

「なにかしら?」

「貴方は誰よりも深く愛されています。副隊長ご自身がお考えになるより、何倍も、何十倍も大切に想われています!」

「……は?」

「ですから万一の事態に備え、本人直筆の遺言状をご用意ください! 副隊長のドッグタグもご愛用の化粧品も下着もネグリジェも、どれもこれもいつの間にかどなたかが持ち去ってしまって、何も残っていません! 形見分けは大失敗です! 元カレたちの間で、妙な探り合いと嫌がらせが横行しています!!」

「え……えぇ~……? アタシ、そんなに愛されちゃってんのぉ~……??」

「はい。皆さん、それまでは口にも態度にも出されませんでしたが、副隊長がお亡くなりになったとたんに『本命は俺だったはずだ』と……」

「やっだ、なにそれ、ひっどぉ~い! そんなに好きなら死んでからアレコレ言わずに、生きてるうちにちゃんと告ってくれれば良かったのに~! どんだけ純愛こじらせてんのかしら、あの中年男ども!」

「ええ、もう、本当にそう思います。なぜ亡くなってから、と……。私とメリルラント兄弟を中心に特務部隊を再編するという話も、元カレの皆さんがそんな有様だったために立ち消えになってしまって……」

「んもう、あいつらったら……ごめんなさいね、うちの馬鹿ダンナたちが迷惑かけちゃって。そっちのアタシがちゃんと遺言状書いてなかったばっかりに……」

「いえ、これは副隊長のせいでは……というか、結局どなたが本命ですか?」

「あら、それ聞いちゃう? トップシークレットなんだけど……誰にも言わない?」

「はい。神に誓って、どなたにも口外いたしません」

「そ。じゃあ教えてあげる。アタシ、男相手に本気で恋愛したこと無いの」

「え?」

「セックスはするわよ? だって気持ちいいし。でも恋愛感情じゃないの。だから元カレの中に本命はナシ。誰が一番とか、そういうの、本当に無かったんだけどなぁ~……」

「ええと、それは……救いがありませんね……?」

「ねー、アタシもそう思うー。アタシ、ちゃんと『遊びの関係』って念押しして付き合ってたはずなんだけど……面倒くさいわねぇ、男心って。本気になったら泥沼決定って分かってないのかしら?」

「その……同性カップルには結婚や出産がありませんから、どこからが『本気の関係』か、ハッキリさせづらい気もしますが……」

「あー、そう言われるとそうかもしれない。本気でも遊びでも、やってることは同じなのよね。あとからいくらでも思い出補正できちゃうわぁ……」

「その思い出補正の結果が、特務部隊の事実上の解散です」

「ったく、もぉ~、ホント救いがなさすぎ。オカマ相手に本気になって部隊解散とか、何の冗談よ。マルちゃん、アンタは過去にすがり付く思い出補正オジサンになっちゃ駄目よ? ちゃんと前向いて生きてちょうだい?」

「はい。肝に銘じておきます」

「ん、素直でよろしい」

「あの、副隊長」

「なぁに?」

「私に何か、副隊長の私物をくださいませんか? 元カレの皆さんが歯軋りして悔しがるような、特別な何かを」

「あら、どうして?」

「並行世界で貴方に会って、こうして話をしたことを自慢してみます。皆さんにも、この『希望』をお裾分けしたいので……」

「希望……というより妄執の塊みたいになりそうだけど、まあいいわ。何がいいかしら? 私物といっても、今は何も持ってきてないし……?」

 グレナシンはしばし考え、ポンと手を打った。

「ビデオメッセージにしましょ♪ マルちゃん、偵察用ゴーレムの呪符持ってる?」

「あ、はい。確か一枚持っていたと思います」

 マルコはポケットをゴソゴソと探り、アル=マハが使っていたのと同じカブトムシ型ゴーレムの呪符を取り出す。

「ちょっと貸して。これね、実はここをこうして……こうやって、こう……ん、できた♪ こんな感じで書き換えて使うと、オスの見た映像がメスのほうに録画されるようになるのよ。その場で映写する機能は使えなくなっちゃうんだけどね」

「え、あの、これだけで機能の書き換えが!? 初めて知りました。こんな裏技があったなんて……」

「使い捨て呪符でしか使えないお手軽改造技って結構あるのよ。アークも色々知ってるはずだから、暇なときにでも訊いてみたら? アタシからのメッセージを見せるついでに」

「はい、そうさせていただきます」

「じゃ、ちょっとだけ静かにしててね?」

 それからグレナシンは呪符を起動させ、並行世界のマルコへのメッセージを読み上げた。

 台本もリハーサルも無しの一発撮り。にもかかわらず、グレナシンの口調は全くよどむことがなかった。最初から最後までいつも通りの抑揚で、まるで世間話でもするような声音でゴーレムに向かって話しかける。

「マルちゃん、もしも一人で頑張るのが辛くなったら、いつでもアタシに会いに来て。王子様だからって無理することは無いの。アタシ相手だったら、いくらでも弱音を吐いてくれて構わないのよ。何かあったら、遠慮しないで遊びに来てね。……あ、でも、こっちの世界とそっちの世界を接続できるのはピーコックだけなのよね? あいつ性格悪いから、正直に頼んだって断られるだけよねぇ? ん~、どうしようかしら? あいつが意地悪なこと言ったら……あっ! そうだわ! もしも断られたら、アークに泣きついちゃいなさい! アークってね、怖い顔してるくせに、すっごく面倒見のいい奴なのよ。アタシが困ってるときも、なんだかんだ言いながらちゃんと傍にいて、勝手にあれこれ手伝ってくれるんだから。アタシのカワイイ部下の頼み事なら、絶対に断ったりしないはずよ。アンタの代わりに意地悪猫を張り倒してくれると思うわ♪」

 グレナシンはここで一度言葉を切り、はにかむように笑って言う。

「そっちの世界には、もうアタシはいないのよね? だったら、そっちのアタシの代わりに言わせてちょうだい。これが誰あてのメッセージかは言わない。でも、彼なら絶対分かってくれる。……大好きよ。同じ世界で生きている貴方には絶対に言えないけど……性別とか、そんなの関係ない。貴方が好き。……ねえ、マルちゃん。もしも誰あてのメッセージか気付いちゃっても、誰にも言わないでね? 絶対よ? 約束だからね? それじゃ、またね。もう一回言うけど、こっちの世界のアタシでよければ、いつでも会いに来てちょうだいね♪」

 バイバーイ、と手を振り、ゴーレムを停止させるグレナシン。

 本命はいないと聞いた後では、このメッセージは業が深すぎた。

「これは……『希望』どころではない『何か』ですね……!」

「いいでしょ~? オカマ相手にマジになって瓦解した連中なんだから、オカマ目当てで王子に忠誠誓ってもらいましょうよ~♪ 上っ面だけでもさぁ~♪」

「色々酷くて、ツッコミが思い浮かびません!」

「オホホホホ! まだまだねマルちゃん! アークなら無言でアタシの口にガムテープ貼るわよ!」

「その域に達するには、あと何年かかることか……!」

「単純計算で三万年くらいかしらね!」

「長すぎませんか!?」

「あら、短いくらいよ。アーク以外の人間がアタシを理解しようと思ったら、そのくらいかかって当然♪」

「それだけアル=マハ隊長を信頼されていらっしゃるのですね?」

「ええ。ま、そのせいで気安くセックスできるような関係じゃなくなっちゃったんだけど……そっちのアークによろしくね? あいつ、本当にいい奴だからさ」

「はい……副隊長がそうまでおっしゃるのでしたら、私も、あの方を信じてみたいと思います」

「あ、それとマルちゃん! アンタそんな激ヤセしちゃって大丈夫なの!? ちゃんとご飯食べなさい! 目の下にも隈ができちゃってるじゃない! もっときっちり睡眠時間を確保できるように、式部省の担当官と話し合ってスケジュール調整を……って、コラーッ! ピーコックゥゥゥーッ! なんでまだアタシが喋ってるのにマルちゃん消しちゃうのよーっ!! ゥオラアアアァァァーッ! 出て来いやあああぁぁぁーっ!」

 というグレナシンの雄叫びを聞き、ベイカーが顔をのぞかせる。

 グレナシンがマルコと話をしている間、ベイカーは所持していた医療用ゴーレムの呪符で簡易検査と最低限の応急処置をおこない、一応は目を開けられるようになっていた。

「終わったか?」

「ええ、元の世界に帰ったみたいよ」

「しかし、時間停止状態は続いているな。なぜだ……?」

「まだ何かあるのかしら?」

「特にこれといって思い浮かばないが……」

 首をかしげるベイカーの後ろから、ロックとトロフトが声をかける。

「サイト、このシャッター、もう全部開けていいんだよな?」

「地味に重いね、これ」

「あ、はい。すみません先輩方、力仕事をお願いしてしまって……」

 マルコに気取られぬよう、ベイカーらは分厚い防火シャッターの裏で待機していた。通常は開閉に電力を使用するため、手動で開けるにはかなりの力が必要である。

 二人がかりで持ち上げていたシャッターを全開にした状態で固定し、トロフトとロックはマルコがいた場所を《大量》で確認する。

「あー……やっぱり、時空間が操作された箇所には熱量変化があるね。何の対価もなしで世界を繋げられるわけじゃないってことなのかな……?」

「王子のいた場所だけ温度が低いな。人間が座っていたなら、コンクリートでも十度くらいはあるはずだが……」

「プラスマイナス、ゼロ。真夏の中央市でコンクリートの床が零度になるなんてありえないよ」

「ということは、時空間操作自体は感知できなくとも、痕跡だけはサーモセンサーで拾える可能性があるな。法則性を見出せれば、こちらからの干渉も可能になるのでは?」

「ああ、それ、ありそうだね。まずはデータ収集のために、並行世界からの干渉が日常的に行われているかどうか、モニタリングしてみる価値はあるんじゃないかな? 騎士団本部内ならサーモセンサーくらい仕掛けられるでしょ? 異常な急冷現象を観測したら記録されるように設定すれば、わりと正確にデータ取れるんじゃない? どう、サイト君?」

「本部で抱えているゴーレム使いに観測用ゴーレムを作らせれば、特別予算の計上も不要だと思うが?」

「あー……検討させていただきます……」

 有能すぎる部下ほど扱いづらいものは無い。この二人が特務部隊入隊を希望したら、テスト結果を不正操作してでも落としておこう。そう心に誓うベイカーであった。

「しかし……この状態から抜け出す方法が分からないのでは、どうにも……アル=マハ隊長、どうします?」

「さっぱり思い浮かばない。悪の大王を倒せば万事解決するヒーローショー程度に考えていた」

「ひょっとして、ジルチってずっとそのノリですか?」

「俺に隊長やらせる時点でお察し案件だ」

「聞いた俺が馬鹿でした」

 新旧特務部隊長がポンコツぶりを発揮している間に、有能すぎる先輩二人は《大量》の探査領域を広げて問題点の洗い出しを始めている。

「ロッ君、データの見方とか大丈夫?」

「ああ、だいたい分かる。スキャンできるのはこのフロアだけか?」

「いや、上の階もいけるよ。ざっくりとした探査なら半径二キロくらいまでいける。嵐の神バアルがあっちの世界の『最強の神』なら、移動した痕跡は嫌でも残ると思うんだ。時空間操作で隠したつもりかもしれないけど、《大量》の性能ならたぶん……」

「トロ! いた! 貴賓席だ! マルコ王子がいるあたりにそれらしい反応がある!」

「斬り開け! 《神戸之剣》!!」

「うわっ!?」

 トロフトは《大量》のデータウィンドウに向けて神の光を放った。するとその光はトロフトに反射し、一瞬で姿が消えてしまった。

 空中に残されたデータウィンドウには、貴賓席に移動したトロフトの情報が表示されている。

「……あの光、瞬間移動もできたのか……」

「どんだけチート技なんだっつーの……」

「さすがはトロフト先輩。まだ隠し玉を持っていたとは……」

「てゆーか、本気で遠距離攻撃型の俺に喧嘩売ってますよね、あの人の能力……」

 ロック、ロドニー、ベイカー、カルアの感想である。

 その間、グレナシンはトロフトが瞬間移動したことなどさして気にも留めず、アル=マハの顔を覗き込みながら腕をつんつん突いている。

「ねえねえアークぅ? こんだけ大好きオーラ出してんだからさ、たまにはその気になってくれても良くない?」

「男を抱く趣味がない」

「じゃあ魔法薬で性転換すればいいわけ?」

「そういう問題でもない」

「てゆーか食堂でのアレってさぁ、『俺の女』とか言おうとした? したでしょ? 『ヤッベ、女じゃねーし!』とか思って言い直そうとして、妙なことになってたでしょ? ぶっちゃけアタシたちぃ、両想い的なぁ~?」

「なぜそうなる……」

「んもう! そんな照れなくてもいいじゃな~い!」

「いや、照れてないし……」

 心底面倒臭そうなアル=マハの顔を見て、ロドニーは納得した。

 両想いには違いないが、恋愛ではない。ではなにかと問われると明確な回答はできないが、これはおそらく、家族愛や兄弟愛に近い感情だ。

 互いを信頼し、大切にしているからこそ、気晴らしの性交渉の相手にはできない。グレナシンはそのことを理解した上で、あえて挑発するような言動をとる。アル=マハはそれを拒絶するような素振りを見せることで、必要以上の依存関係に陥らぬよう、適度な距離を保っている。

 ある意味では熟年夫婦以上に深い関係の二人に、ロドニーは心の中で拍手を送っていた。

(全世界の恋愛至上主義者に教えてやりたい関係だな、これ……)

 肉体関係を結べば心まで繋がるわけではないのだが、世の中にはそれをイコールで結び付けてしまう人間もいる。そういう考え方の人間が見れば、この二人の間には『何もない』ことになってしまうのだろう。だが、ここには間違いなく『見えない糸』が結ばれていた。


 まったくもって信じがたいことだが、それは一片の穢れも無い、純粋な『愛』と『信頼』によって結ばれた糸で――。


 そこまで考えて、ロドニーはハッとした。

 そんな理想的で素晴らしい関係が、この世界にはいくつもある。

 血の繋がりはなくとも、確かに父と子として愛し合っている騎士団長とゴヤ。淡々としているように見えて、実は妹や後輩たちを誰よりも大切に思っているシアン。個性的で好き勝手に生きていながらも、不思議と仲の良い特務の面々。

 それ以外にも、数えていったらキリがないくらいいくらでも思い浮かぶ『見えない糸』の存在。

 すべての並行世界から『理想の世界』にふさわしい出来事だけを抽出し、統合した世界。それが今、自分たちのいるこの世界だ。ならば、『理想の世界』にふさわしくないと判断され、統合されなかった出来事はどこに行ってしまったのだろうか。そこにあったはずの『見えない糸』の数々は、プツリと切れたまま、どことも繋がっていないのだろうか。

 ピーコックが生存している並行世界に関する情報は、自分たちの記憶には一切統合されていない。運命の女神によれば、不要な可能性はすべて消去したという話だった。だがピーコックのいる世界は消えておらず、今日もこうして、あちらからの接触があった。


 『理想』と呼ぶには程遠く、しかし、『理想の世界』にとっては不要でないもの。


 今のピーコックらが『そういうもの』として存在し、こちらの運命と繋がっているのだとしたら――。

「……冗談じゃねえぞ、おい……」

 ロドニーは駆け出した。

 自分の予想が正しければ、あちらの世界の存在は『希望』などではない。あちらの世界で生きるピーコックも、彼に憑くバアルも、自分たちの役割を自覚している。だからこそ、他の神々に何も知らせず行動しているに違いない。

 その証拠に、向こうのマルコはバアルが時空間操作能力を有していることを知らなかった。アル=マハは自分が不死者にされた理由も、それに使われた能力のことも知らされていなかった。

 廊下の角に消えていくロドニーを見送り、グレナシンとアル=マハは短く言葉を交わす。

「ホント、冗談じゃないわよねぇ?」

「信頼されすぎるのも考え物だよな……」

 二人もベイカーたちも、ロドニーを追うつもりはない。

 トロフトとロドニーはピーコックに会うことはできるだろう。しかし、あの二人ではピーコックを止められない。

 いや、この場の誰であっても、ピーコックの計画を止めることなどできないのだ。

 なぜなら彼は、もう『こちら側』の人間ではないのだから――。




 一人残らず静止した闘技場の中で、彼だけがゆっくりと歩いていた。

 猫のように足音を立てず、しなやかに、けれどもどこか近寄りがたい気高さを漂わせて。

 彼は《神戸之剣》によって斬り開かれた空間と、そこから現れたトロフトを見て、どこか残念そうな顔をした。

 どうやら自分は『ハズレ』らしい。

 トロフトはそう思った。

 彼にとっての『アタリ』はアル=マハか、グレナシンか、それともベイカーか。トロフトはその答えを探るべく、慎重に話しかける。

「はじめまして……では、ありませんよね? 貴方とは学生時代に手合わせした覚えがあります。お久しぶりです、ケイン・バアルさん」

「やあ、お久しぶりだね、トロフト君……と、言いたいところだけれど、一応、今の歴史では『はじめまして』だよ。今の俺は王立高校に講師として出向けるほど、優秀な騎士団員じゃあないからね」

「でも、貴方は以前の記憶も保持されていますよね? そちらの世界と運命が分岐する以前の、リセット前の『未来の記憶』を」

「もちろん。みんなと楽しく過ごした記憶は、大切にとっておかなくちゃね?」

「今日は一体、どのようなご用件でこちらに?」

「あれ? さっきまで戦ってたでしょ? 闇堕ち王子と、闇堕ちアークと、愛国革命軍の彼と、想定外に開いてしまった時空間の穴。それらを何とかしてもらうのが今日の用件」

「でしたら、もう用事はお済ですよね? なぜまだ時空間操作を続けているのですか?」

「ああ、それはねぇ……」

 ピーコックが不自然に言葉を切ると、直後にロドニーが現れた。

 バックヤードと繋がる扉を乱暴に蹴破りながら、ピーコックを怒鳴りつける。

「てめえコラ! 勝手にラスボス役取るんじゃねえよ! 全部俺が引き受けるつもりだったのに!!」

 ピーコックは腕を組み、呆れたような目でロドニーを見る。

「あっれあれぇ~? 君、ラスボスできるほど強かったっけぇ~? 第一、君が『修正・削除』の力を使いこなせてるってことは、こっちの世界のマガツヒは、もう脅威とは呼べなくなっちゃってるんじゃないのかなぁ~? オオカミナオシとも話がついちゃってるんだろ~?」

「そ、それはそうだけども! でも! わざわざ別の世界からモンスターとか送り込んでこなくても……!」

「無理だね。君たちが正義の味方、つまりこの世界にとっての『正しい存在』であり続けるには、君たちと互角か、それ以上の『敵』が必要だ。でも、君にはそれだけの力も覚悟も、何より悪の大魔王的な素養が無い」

「大魔王的な素養って何だよ!?」

「ん~、残忍さとか狡猾さかな? あとはヒーローショー的な演出力がある事?」

「演出力って何だ、演出力って! これが何もかも『お芝居』だとでも言いてえのか!?」

「アッハハ~♪ 何もかもとは言わないって~。でも、ある程度は演出も必要だと思うよ。世の中ってのはいい加減なモンで、いつだって自分たちに都合のいい『正義の味方』を求めるモンなの。その時々でコロコロ変わる『常識』や『正義』に合わせて、みんなの望む通りに立ち回ってくれる英雄様がね。で、俺は今、二つの世界を行き来して、それを創り出そうとしている、と。分かる? そっちに送り込んだ愛国革命軍の彼も、こっちの世界にとっては必要な人材なの。王子を殺すつもりで単身突っ込んで行って、彼の覚悟を見た王子が心打たれて改心するっていうクサい筋書きを通すために、君たちに浄化を手伝ってもらったワケ。いや~、ホント助かったよ、王子の闇はこっちじゃ処理しきれないレベルになってたからさ~。どうもありがと~♪」

「あぁっ!? 何様のつもりだよ、てめえは!」

「何って……今更それ聞く? 俺はピーコック。ただの情報部員さ。国家の安寧のためならどんな裏工作も請け負う立場のヒトだけど?」

「違えよ! そうじゃねえ! てめえ自身は誰なのかって聞いてんだよ!」

「俺自身?」

「ああ、そうだ! 立場とか、芝居とか、役割とか、そういうんじゃねえ! お前自身は何がしたいんだよ! 未来をどうしたいんだよ! 俺はベイカー隊長とか、マルコとか、トニーとかチョコとか……仲間たちを守りたいから、かき集められるだけのこの世の『闇』を全部抱えて、『世界の敵』になって殺されるつもりだった! お前の目的は何だ!? 守りたいものとか、欲しいものとかあるんだろ!? 俺はまだ、お前が何を望んでいるのか聞いていない!」

 ロドニーの言葉に、ピーコックは虚を突かれたような顔をした。

 この男に向かって、こうまでストレートに言葉をぶつける人間はいない。少なくとも、並行世界のほうには誰も残されていないのだ。

 ピーコックは視線を外し、ほんの少しだけ唇の端を引き上げた。

「……欲しいものを素直に言葉にできるほど、若くはないんだけどなぁ、俺は……」

「あ? なんだって? 今なんつった??」

 人狼の耳にも聴き取れぬほどの小さな呟き。けれどもピーコックは、妙にさっぱりした顔で続ける。

「まあいいや。とにかく、俺がやっていることはどちらの世界にとっても必要なことなワケ。お前が『世界の敵』として殺されたところで、表面的に見えている『闇』を一時的に消すことしかできない。それはうちの世界の王子サマを見て理解できただろう? 重要なのは、永続的に、地味で堅実な浄化作業を続けていくことなんだよ」

「けど……だからって、お前ひとりが頑張らなきゃなんねえって事ぁねえだろ!? みんなでなんとかしようぜ!?」

「してるよ。もう十分、みんな何とかしてくれてる。ロドニー、ありがとな。けど、これは俺にしかできないことだから。次に会うときも俺は『悪の大魔王』を演じてるだろうけど、まあ、それはそれとして、それなりに仲良くやっていこうよ♪」

「……でも……でも、なんか、それ……っ!」

 手を振りながら背を向けるピーコック。


 話はここまで。


 彼の背中がそう言っていても、ここで押し黙るわけにはいかなかった。

「ケインさん! 最後に一つだけ教えてください! 僕は貴方と対戦した時、貴方にこう言われました!」

 トロフトの声に、ピーコックはピタリと動きを止める。

 振り向きはしない。しかし、話を聞く気はあるようだ。

「『守ることを考えるな。常に奪いに行くつもりで剣を振るえ』と。あなたの剣は、今でも『奪うために振るわれるもの』ですか!?」

 ピーコックは少し考えるような間を開けて、おどけたように両手を広げる。

「さあね。そんなこと言ったっけ? でも、守るべきものが誰かに奪われた後だったら、守ることも奪うことも、結局は同じことなんじゃないかな? 奪い返すことがそのまま守ることになるんだから。少なくとも、俺は常に奪い取る気満々だよ? だって今の俺は……」

 くるりと振り返り、道化の笑みを浮かべてみせる。

「武器も仲間もなぁ~んも持たない、裸の王様みたいなものだからさ?」

「っ!」

「消えたっ!?」

 一瞬で掻き消えるピーコックの姿。同時に動き出す世界の時間。

 ただし、その動きは逆回しである。

「な、なんだ!? みんな後ろ向きで歩いてる!? しかもメッチャ速い!?」

「僕たち以外、時間が巻き戻ってるのか!?」

 今いる場所は貴賓席の近く。貴賓席にはマルコと、マルコによって倒された戦闘用ゴーレムがいる。

 逆回しの時間の中で、手足を千切られて倒されたゴーレムは元通りの姿になって起き上がり、マルコを拘束。そこからさらに巻き戻り、ゴーレムは呪符に戻され、抽選箱の底に張り付いた状態に。

 抽選箱は運営スタッフに変装した愛国革命軍の男によってバックヤードに持ち出され――。

「もしかして、これ、『何も起こっていない状態』まで戻されてるんじゃないかな……?」

「何も……って、え? どの時点だ? あの男、いったいいつからこっちの世界に入り込んで……?」

「えぇ~と……ものすごく嫌な予感がしない? 貴賓席にいる王子のところに抽選箱を運んで来られるんだから、当日集合の臨時スタッフじゃないよね? 大会の準備期間からずっと雇われてる期間雇用スタッフだとしたら……一カ月前とか……?」

「マジかよ……」

「いくらなんでも、そういうのは、ちょっと……おぉ~い! ケインさーん! 巻き戻すなら、できるだけ最短期間でお願いしまーす!」

「そ、そうだっつーの! 何日も前からおんなじことやり直すなんて、面倒臭すぎて発狂モンだぜ!?」

「ケインさん!? まだどっかにいますよね!? 聞こえてますよね!?」

「ピーコォーック!! うおおおぉぉぉ~いっ! 聞こえてんなら返事しやがれえええぇぇぇ~っ!」

 早回しで巻き戻る時間の中、右往左往することしかできないロドニーとトロフト。

 そんな二人の姿が見えているのか、どこからともなく、世界の中にピーコックの笑い声が響き渡る。

 本人の自己申告通り、ピーコックは『悪の大魔王的な素養』で満ち溢れているようだった。


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