ss #010 < Chapter,07 >
地下二階の倉庫には、食堂とは比べ物にならない数のモンスターが発生していた。
この倉庫は闘技場の形状と同じ楕円形をしていて、一番広いところでは壁と壁の間が百メートル以上も離れている。天井は高いところで十五メートル、低いところでは二メートル強。満員御礼の闘技場ではすべての仮設スタンド席、アリーナ席用のパイプ椅子が使用されているため、それらの予備資材を収めるこの倉庫は、今は何もないがらんどうである。
巨大空間に闘技場を支える基礎杭が無数に立ち並び、まるで古代神殿のような不思議な雰囲気を漂わせている。そしてその中に、満員電車に匹敵する密度でモンスターがひしめいているのだ。ロックとカルア、ベイカーとトロフトがどれだけ奮闘したところで、これだけの数のモンスターの中を駆け抜けて『本体』を叩くことはできなかった。
「クソ! こっちも駄目か! ロックさん! 三号エレベーターからも本体らしきものは確認できません! モンスターの発生源は特定不能です!」
「分かった。カルア、いったん戻れ。作戦を練り直そう」
「了解! 戻りましょう、トロフトさん!」
「OK!」
カルアとトロフトは踵を返し、出てきたばかりの扉に滑り込む。
この倉庫の出入り口は一つではない。仮設スタンドやパーテーションなどを最短ルートで運ぶため、設置場所の近くに倉庫への直通エレベーターがあるのだ。カルアとトロフトはそれらを順に回り、このモンスターが『どこ』から、また『何』から発生しているのかを特定しようとしていた。
しかし太い柱が視界を遮り、どの角度からもそれらしいものは見えなかった。満員電車級の密度で密集したモンスターがそれぞれ勝手に吼えているため、音を聞いて方向を判断することも難しい。
かくなる上は、地下倉庫内部を丸ごと焼き払うしか――。
誰もがそう考え始めたとき、援軍が現れた。
「隊長! ご無事ですか!?」
「よう、サイト。状況は?」
「ロドニー! アル=マハ隊長!」
と、思わず名前を呼んでしまったベイカーだが、その瞬間ロックが振り向いた。
「アル=マハ!? まさか、Namelessの正体は先代特務部隊長殿!?」
「あ……」
「サイト、お前なぁ……」
「すみません、つい……」
「まあいい。ロック、詳しい話はまた今度だ。とりあえず、俺が生きていることは他言無用で頼む」
「は、はい……!」
「サイト、状況は?」
「御覧の通りです、としか……。モンスターが多すぎて、《防御結界》で押し留めておくだけで精一杯です。発生源が何か、どこにあるのかなど、現状では何も把握できていません」
「そうか。あと二人いるはずだよな?」
「カルアとトロフト先輩は別の搬入口へ偵察に向かいました。ですが、先ほどの連絡ではどの搬入口からも発生源らしきものは発見できなかったと……」
「なるほど。そういうことなら、すべての扉から死角になるポイントを特定すればいいわけだな?」
アル=マハは懐から一枚の紙を取り出す。
ガサガサと広げたそれは、この地下倉庫の見取り図だった。
「さすがはアル=マハ隊長。管理事務所に立ち寄られたのですか?」
「いや、俺が持ってきたわけじゃない。ピーコックから受け取ったものだ」
「え? ピーコックと接触を?」
「一方的にあっちの事情をまくし立てて消えちまったがな。しかし、今はあいつの話を信用するしかない。ピーコックの説明が全て正しいと仮定して話を整理すると、まず、この『時間停止状態』は嵐神バアルの能力によって作り出されたものだ。なぜこんな空間を用意する必要があるかと言うと、並行世界の戦力では対抗できない厄介な闇堕ちが発生し、その始末を俺たちに手助けさせるためで……ええと……ロックは、並行世界についてはどのくらい予備知識がある?」
「フォルトゥーナという女神から概要は聞いています。ただ、俺たちには関係ないところで進行する計画だから、気にする必要は無いと言われていましたが……」
「ああ。これは本来、破壊天使アバドンとその『器』には無関係な話だ。だが嵐神バアルは並行世界の敵を今日、この場所に出現させ、お前たちを戦闘要員に組み込んだ。つまり、お前たちの力がどうしても必要ということだろう」
「アバドンの能力が有効な敵と言うと、彼と同じ天使ということになりますが?」
「そうだな。おそらく敵は、天使としての特性も持ち合わせている」
「その言い方ですと、天使そのものではないのですね?」
「確証はないが……敵は天使を食らい、その能力を取り込んだ炎属性の神である可能性が高い」
「炎の神、ですか……」
アル=マハは神の名を口にしなかった。
それは意識的に行ったことではなかったのだが、ベイカーはそこからアル=マハの動揺を感じ取り、敵の正体を察した。
ベイカーはロドニーに視線を送る。
ロドニーはベイカーの視線の意味を正確に理解し、ちらりとアル=マハのほうを見たあと、視線を戻して小さく頷く。
ヘファイストスの可能性が濃厚です。
無言の報告に、ベイカーは目を伏せた。
本当はさらに上の『真のラスボス』が存在しそうなのだが、今それを言う必要は無いと判断し、ロドニーはアル=マハのほうを向く。
アル=マハは広げた見取り図の上にペンで何本も直線を書き込み、それぞれの搬入口から見える範囲、見えない範囲を塗り分けていた。
「……おそらく、この場所だけはどこからも見えないはずだが……」
アル=マハが指し示したのは今いる場所から見て倉庫の右奥、『作業重機・駐機場』と書かれた場所だった。
「重機か……サイト、お前、こういうバックヤードの視察も男爵家の公務で来ているよな? 闘技場で使う作業重機と言うと、どんなものだ?」
「すぐに思いつくのはフォークリフト、牽引車、高所作業車、クレーン車、人工芝やゴムシートの敷設・巻き取りに使う機械などです。この闘技場の場合はグラウンド舗装にラバーチップを使用していますから、舗装面を平らに保つためのロードローラーや、コーティング剤の吹き付け作業車も置かれている可能性があります」
「そうか……。なにか、こう、超次元的なゴッドパワーで最強合体ロボになっていたらどうしよう……」
「その可能性を笑い飛ばせないのが辛いところですね……」
「嫌な予感しかしないな……」
鍛冶屋の神ヘファイストスは機械部品の製造工場でも守護神として信仰されている。機械の開発・改造・用途別チューンアップなど朝飯前だ。
そして天使ルシファーは、その名が示す通り『光をもたらすもの』である。どんな物にも祝福を与え、その能力を最大限に引き出してしまう。
合わせ技が来るとしたら、超弩級の大災厄に違いない。
四人はカルアとトロフトが戻るのを待ち、二人にも事情を説明したのち、改めて装備や能力を確認し合った。
「俺の武器は二丁一対のガンソード、アンフィスバエナ。短銃・長剣・魔導式銃剣にモードチェンジする。二丁を連動させて、全く同じ個所に連続攻撃をかけることも可能だ。『神の器』としての能力と魔法属性はどちらも炎。だが、敵も同じ炎属性である可能性が高い。ひとまず遠距離からの銃撃で様子を見たい」
アル=マハに続いてベイカーが言う。
「俺の装備品はレイピアと火薬式の短銃、魔導式可変機構銃砲。『神の器』としての能力は魔剣、魔法属性は雷。しかし敵の属性が炎であるならば、俺の電撃は熱で弱められる可能性がある。俺も魔弾を主力として考えている」
ベイカーの言葉を受けて、カルアが手を挙げた。
「俺の武器は剣と魔導式クロスボウです。ニョルズの能力もエルフの魔法もどちらも光。魔法でも物理でも、遠距離からの攻撃が得意です」
そうなると、残る三人だ。
人狼族のロドニーは、困ったような顔で言う。
「えぇ~と、俺の武器は剣と魔導式短銃です。人狼族の魔法属性は風。『神の器』としての能力で属性チェンジも可能なので、その気になれば氷とか炎でも戦える……と、思うんですけど、ぶっちゃけガチの戦闘では使ったことがないので、なんとも……。オオカミナオシ由来の『修正・削除』能力は、直接ぶん殴らないとうまく発動できません」
続くロックも難しい顔である。
「武器は剣と魔導式短銃。魔法属性は防御と身体強化。アバドン由来の能力は、他の天使の能力を一切合切封じること。射撃の腕は期待しないでくれ。試合では《ティガーファング》をチャージして見せたが、あれはブラフだったんだ。俺の命中率では当たらない」
最後にトロフトが、誰よりも困った顔で言う。
「僕の武器は剣とナイフ、魔導式短銃二丁。魔法属性はロッ君と同じ身体強化と防御。『神の器』としての能力は神剣《大量》と《神戸之剣》で……ぶっちゃけた話をすると、僕は自分の安全を確保したうえで一方的に攻撃するチート技タイプだよ。でも今は《白金の鎧》が使えない。防御魔法なしでどこまで戦えるかは分からないな……」
見事に分かれた『遠距離攻撃組』と『近距離攻撃組』。考えられる作戦は、この時点で三つに大分された。
一つ目は近距離組が突撃し、遠距離組がそれをサポートする作戦。
攻撃の主力を定めることで、アタッカーとサポートのコンビを三組設定できる。それぞれ別々のエレベーターから突入すれば、敵を三方から囲い込むことも可能だ。
二つ目は遠距離組が最大火力で撃ち続け、敵の力が削がれた時点で近距離組を投入する作戦。
前半戦、後半戦と完全に役割を分けることで、攻撃力の高いロドニーとロックを温存できる。この作戦なら、今日すでに二回も《白金の鎧》を使用しているトロフトに回復の時間を与えることも可能である。
そして三つめは、全員で撃ち、全員で斬りに行く作戦。
一応、この場の全員が飛び道具と剣を装備している。敵の大きさと形状次第では射撃の腕は問題にならない。この作戦ならば全員で負担を分け合えて、誰か一人が集中攻撃された場合、即座に対応しやすいという利点もある。
「いずれにせよ、まずは敵の形状を確認してからだな。先ほど別の搬入口まで移動して偵察を行っていたようだが、誰も偵察用ゴーレムの呪符を装備していないのか?」
アル=マハの問いに、ベイカーが答える。
「武術大会の真っ最中ですから。非常時に備えて医療用ゴーレムの呪符は持っていますが、それ以外は……」
「そうか。俺だけか」
「えっ!? お持ちなんですか!?」
「ああ、一応な」
「携帯端末はロッカーに入れてきたのに!?」
「ん? 控室を見てきたのか? ……余計なモノは見ていないだろうな?」
「ハイ、まったく全然、なあぁ~ぁんにも見ておりませんが?」
「微塵も信用できんが、まあいい。見ての通り、この服には端末用のホルダーもポケットもないんだ。誰が何を考えて設計したのか、なぜかブーツにだけ隠しポケットがあって……どういうわけか、はじめからコンドームが入っているんだが……」
「コンドーム!? え? そこ、開くんですか? あ、本当に入って……あの、それは本来、何用の服なんですか??」
「分からん。俺は用意された衣装を着ているだけだ」
「んんん~? ……妙にボディラインが強調されているし、部分的にラバースーツになっているし……これはもしかしたら、SMプレイ用のコスチュームかもしれませんよ? 腰のカラビナ、貞操帯を固定するものと同じ形状ですし……」
「て、貞操帯っ!? どういうことだ?? プレイ用のコスチュームとは……??」
「いえ、こういう趣味の女子とは何度か遊んだことがあるのですが、細部のパーツがどれもこれも見覚えのあるデザインで……おそらく、同じメーカーの服です。というか、アル=マハ隊長? この衣装、誰が用意したんです?」
「ラ、ラピスラズリが……あのクソ野郎……」
「五万人の観衆の前でSMプレイ用の衣装とは、なんという羞恥プレイ。さすがはSMキング、容赦無きドSぶり……」
「ふ、普通の人は、そういうの、分からないと思うし、顔も名前も出してないし……恥ずかしくないもん……大丈夫だもん……」
たどたどしい棒読みセリフになるアル=マハに、ベイカーは心底同情する顔で言った。
「みつるん、ファイト♡」
「あ、ごめん、やっぱり駄目。無理。心折れた。サイト、これ頼む……」
「そうですか。了解です」
自分で止めを刺しておきながら、ベイカーは他人事のような顔で偵察用ゴーレムの呪符を受け取る。
起動した呪符は二体一対の昆虫型ゴーレムで、オスのカブトムシが見ている映像を、メスがリアルタイムで映写するタイプである。
甲虫特有のもっさりとした離陸と、鈍い羽音の響く飛行。森の中で使用する分には何の違和感も無く景観に溶け込んだであろうが、屋内での使用には全く適していなかった。
「見た目も羽音もリアルですが……地下倉庫にカブトムシ……」
「これを落とすか、落とさないか、それも含めて様子を見よう」
「そうですね」
カブトムシはモンスターたちの頭上をゆっくりと進み、こちらからは死角になる柱の影を一つずつ確認して回る。不審物は無い。視認可能な範囲同様、満員電車のような密度でみっちりとモンスターが詰まっている。
「やはり『本体』は駐機場ですね」
「そのようだな。いるとしたら、この耐火壁の裏に……いた!」
「って、これは……?」
「いったいなんだ……??」
嫌な予感ほどよく当たるものである。
ヘファイストスはその辺にある機械類を手当たり次第に吸収し、正体不明の巨大メカを創り出していた。
謎の機械は高さ十五メートルの天井が低く見えるほど巨大化していて、今は動きを止めている。損傷を受けているような印象は無い。壊れて止まっているのではなく、自らの意思でその場にとどまっているのだろう。
このメカは特撮ヒーロー映画のロボットのように、中に乗り込むタイプではないらしい。ヘファイストスは巨大メカの上にいて、うつろな表情で呟き続けていた。
「何と言っている……? アル=マハ隊長、このゴーレムの集音性能は?」
「これが限界だ。安物だからな」
「それなら……ロドニー、こちら側から風を送ってくれ。カブトムシを風下側に移動させる」
風下に回れば小さな音も拾える可能性がある。
一同は空中投影された『神』の挙動をじっと見つめる。
「……? 早く逃げろ……?」
「こいつは俺が?」
「頼む、逃げてくれ……?」
小さな音声を必死に聞き取っていると、ヘファイストスは偵察用ゴーレムをグッと睨みつけ、はっきりとした声でこう言った。
「早く逃げろ、人間たち。俺はもう動けない。ここで自爆する」
ヘファイストスの目は闇堕ちのそれではない。確かな意思を持っている。
改めて画像を確認してみれば、ヘファイストスと巨大メカからは闇の噴出が認められなかった。闇のモンスターが発生しているのは巨大メカの下、ヘファイストスが抑え込んでいる別の『何か』からだ。
「いや……おい、待て! ここでヘファイストスが自爆したら、闘技場の中にいる観客たちはどうなる!?」
全員、一斉に上を見た。
この場所から見えている柱は闘技場の基礎杭である。これだけの数のモンスターを爆殺する超火力に、築半世紀が経過した鉄筋コンクリートが耐えられるとは思えない。
「駄目だヘファイストス! よく見ろ! ここにいるのは俺たちだけじゃない! 上には五万人の観客がいる!!」
「っ!?」
アル=マハの叫びに、ヘファイストスはバッと上を向いた。
これまで周囲の状況に注意を払う余裕などなかったのだろう。驚いた顔の後、悪鬼の如く憎しみに満ち満ちた表情を浮かべ、忌々し気に吐き捨てた。
「クソ……バアルめっ! 何が『最高のバトルフィールド』だ……っ!」
拳で足元の機械を叩くヘファイストス。だが、その拳と力強い腕の動きを見て一同は確信する。
ヘファイストスはまだやれる。
ただ一人でも彼を信じ、声援を送る者がいるならば。
誰からともなく頷き合い、腹の底から声を出す。
「あきらめるなヘファイストス!! 今だけは、タケミカヅチよりお前を信じる!!」
「お前は一人じゃない! 俺たちは皆、お前と共に戦う!」
「援護射撃は任せろ! 俺はお前の勝利を信じて矢を射る!!」
「僕は君を信じる! だから代わりに、君の力を貸してくれ! 火の神の加護があれば、僕らも闇堕ちと戦えるはずだ!」
「一緒にやろうぜヘファイストス!! そっちの世界じゃどうなってるのか知らねえが、少なくとも、こっちの世界じゃ俺たちは仲間だぜ!」
「ヘファイストス!! 俺はお前の相方じゃあないが、そっちの世界の俺の代わりに言わせてくれ! 俺にとって、お前以上の神はいない! 一緒に戦おう! お前と一緒なら、俺たちはどんな敵とも戦える!」
「っ! こ、これは……っ!?」
声援は力になる。『ただの人間の声』でも勝負の行方を左右することは、先ほどまでの試合で嫌というほど感じてきた。
ならば、ただの人間ではない者の声援ならばどうなるか。
ここにいる六人は『神の器』なのだ。言葉に『言霊』を乗せる方法も、その力もよく知っている。
彼らが心を籠めて全力で発した言霊は、神的存在にとって最強のエネルギー源、『信仰心』としてカウントされた。見る間に元通りに――いや、それ以上の力がみなぎっていく。あまりの力に、ヘファイストス自身が驚きを隠しきれないほどだ。
「なぜ……なぜなのだ? お前たちは……いや、こちらの世界の俺は、お前たちにとっては『敵』ではないのか……? どうして俺を信じるなどと……」
「敵なワケねえだろ馬鹿野郎! だってお前、アル=マハ隊長の相方なんだろ!? 俺ルールじゃあ仲間の仲間はみ~んな仲間って決まってんだよ!」
「そちらの世界の事情は分からんが、こちらでは諸々の問題は解決済みだ! ここにいる六人は誰一人お前を恨んではいない!!」
「お前が先陣を切ってくれないと援護のしようがない! 早く立て!」
「お……お前たち……そんな……本当に……?」
「信仰心は素直に受け取れ! それでも神か! この腰抜けが!」
「っ!!」
神相手でも上から目線のベイカーに一喝され、ヘファイストスはようやくいつもの調子を取り戻す。
「この……顔だけでなく、中身までタケミカヅチのようになりおって! 分をわきまえろ、人間風情が!!」
ヘファイストスにとっての『いつもの調子』とは、誰に対しても尊大で横柄、わがままで暴力的、周りと足並みを揃える気など毛頭ない、あの言動のことである。
「フン! そうまで言うのならば仕方があるまい! 未鶴! 世界は違えども、其方が我が器であることには変わりない! 手を貸してやろう! 人間たちよ、雑兵の始末は貴様らの仕事だ! 我が器の命に従え!」
「よしみんな! さっきまでの作戦会議は忘れよう! 敵は正体不明の何か! こちらの主力はヘファイストス! 俺たちは全員、害虫共の駆除作業に回る!」
「了解です!」
「やってやろうじゃねえか!」
「さあ、やろう、ヘファイストス!」
力を使い果たして座り込んでいたヘファイストスは、再び立ち上がる。そして機械の山に力を注ぎ、沈黙した巨大メカを再起動させた。
その時、動き出したメカの下から這い出した者があった。それは確かに『闇堕ち』だったが、ロドニーとアル=マハが想定していた敵、シアンとアシュラではなかった。
「ええと……? 誰だ、あれは!?」
「んんん~? ……あ! 隊長! あいつですよ! さっき捕まえた頭おかしい奴!」
「うん? ……あ! そうだ! 愛国ナントカ軍の!」
そう言っている間に、闇堕ちはヘファイストスに向かって闇の衝撃波を撃ち始めている。
「人間ども! 雑魚は任せた!」
叫びながら艶紅色の炎を投げてよこすヘファイストス。
この意味が分からぬ者はいない。
全員、剣を掲げてその刃に神の炎を受ける。
「うおっ!?」
「重……っ!」
「いや、重いだけじゃなくて、これ……っ!」
剣から体に流れ込む『神の力』のプレッシャー。血管に流れる血液は炎のように熱いのに、頭は妙に冴えている。
これではまるで、火事場の馬鹿力を自在に使いこなせるようなもので――。
ヘファイストスの『器』と同じ超覚醒状態を体感し、一同は顔を見合わせる。
「チートすぎるだろ、これっ!」
「アル=マハ隊長、いつもこの状態なんですか!?」
「ん? 『神の器』なら、だいたい同じじゃないのか……?」
「自覚無し!?」
「鬼ヤベエ……!」
「うちの軍神がハイパー塩対応に思えてきたぞ……!」
ヘファイストスの力に慄きつつも、それと同じくらい、心は熱く奮い立っていた。
これならやれる。
超過密状態のモンスターを見据え、六人は剣を構える。
「《防御結界》の解除と同時に突っ込むぞ。呼吸を整えろ」
結界を構築しているベイカーはアル=マハの隣に並び立ち、解除の合図を待つ。
新旧特務部隊長、二人の背中。そこにはそれぞれ異なる種類のカリスマ性があった。己が付き従うべきはいずれの背中か、おのずと察して別れるチーム。アル=マハの後ろにはパワータイプのロックとロドニー、ベイカーの後ろには技巧タイプのトロフトとカルアがつく。
「準備はいいな? 結界解除五秒前、四、三、二、一……」
「結界解除!」
「総員突撃!」
《防御結界》の消失と同時に雪崩のように押し寄せるモンスターたち。モンスターは突進したくてしているわけではない。あまりの密集度に、まっすぐ立っていることもできない有様なのだ。
「片っ端から切り刻め!」
「同士討ちにだけは注意しろよ!」
狙いを定める必要は無い。どこを斬っても必ず当たる。
六人はそれぞれの特性を活かした攻撃を繰り出し、ものの数秒で五十体以上のモンスターを消滅させる。
斬って殺せば消えてなくなる。
相変わらずの奇妙な特徴に、アル=マハは次第に確信していく。
やはりこれはシアンの分身と同じ、武神アシュラ由来の能力だ。
幻覚や劣化コピーではなく、分身にも本体同様の実体と思考能力がある。分身を何体倒しても本体へのダメージにはつながらず、本体の体力が尽きるまでは何度でも分身を創り出す厄介な相手だ。
だが、この場にシアンは現れていない。これが意味するところは何なのか、アル=マハは思考を巡らす。
(アシュラ以外にも、同じ能力の神がいる……? いや、アバドンとニョルズの『器』がこの場に呼ばれたのだから、神ではなく天使のほうか……?)
目の前のモンスターを薙ぎ払い、開いたスペースに炎の魔法を叩き込む。
と、すかさずロドニーが風を操り、アル=マハの炎を大きく煽り立てた。
「そのまま維持してくれ!」
叫んだのはロックである。
ロックは自分の前に《物理防壁》と《魔法障壁》を出現させ、二人の熾した炎に向けて突っ込んでいった。
「うおおおぉぉぉーっ!」
魔法の盾の表面に炎を纏った状態で、力任せにモンスターに突進するロック。進行方向にいるモンスターたちは問答無用で圧し潰され、どんどん焼かれて消えていく。
もともとパワーで押し切るタイプのアル=マハとロドニーは即座にロックの意図を理解し、後を追いつつ炎と風を追加投入する。
「オラオラオラァーっ! 燃えろおおおぉぉぉーっ!」
「退きやがれクソがあああぁぁぁーっ!」
「死ね死ね死ね死ね死ねえええぇぇぇーっ!」
力押しを好まないベイカー、トロフト、カルアの三人は、マッチョ思考な三人を生ぬるい目で眺めていた。
「防壁にああいう使い方があるとは知らなかったな。炎の暴走特急か……」
「これが本気の電車ごっこ……」
「僕らはもうちょっと上品にやろうよ」
「そうですね」
「賛成です」
トロフトは神剣《大量》の索敵能力を応用し、闇の濃度が高い箇所を重点的に攻撃。
ベイカーはトロフトの行動をサポートしつつ、簡易型の《物理防壁》でチームの安全を確保。
カルアはベイカーの作った『安全圏』の中から貫通力の高い光の矢を放ち、直線軌道上にいる数十体を一度に攻撃してみせる。
最小の労力で最大の戦果を。
ベイカーの部隊運用方針に見事にマッチした能力の二人は、特務に欠員が出たら昇進試験を受けてみるのも悪くないと思い始めていた。だがベイカーの戦いぶりを見る限り、しばらく欠員は出そうにない。
戦闘要員の能力特性を正確に把握し、状況に応じてアタックにもサポートにも回る。後方指揮が必要ならばあっさり前線から退く。ベイカーは剣士として、武将としての才覚以上に、経営や領地運営で培ったマネージメント能力が先に立つのだ。彼が特務部隊を率いている限り、欠員どころか長期療養を要する傷病者も出ないだろう。
「あーあ、年下の上司ってのも悪くなさそうなんだけどなぁ~」
「何の話です?」
「特務部隊に増員の話とか出たら、その時はよろしくねって話だよ♪」
「申し訳ありませんが、ちっともヨロシクできません! トロフト先輩が部下になったら三日で胃潰瘍を発症します!」
「ちゃんと胃に優しい薬膳食にしてあげるよ~♪」
「お願いですから、もう意味不明サンドイッチはやめてください!」
「でも、ちゃんと美味しかったでしょ?」
「味の問題ではなく!」
攻撃を続けながらのこの会話に、カルアが割って入る。
「トロフトさん! さすがにあのサンドイッチは許されざる罪ですよ! 見た目がBLTなのに中身がヴィーガンフードだなんて! あんまりです!」
「やはりそちらも被害に!?」
「はい! 俺は! ベーコンが! 食べたかったんです!!」
麗しきエルフ族の戦士はデスボイス全開で「ギブミー・ベーコン!」と叫びながら、猛然と光の矢を連射しはじめた。昼食のBLTサンドを心底楽しみにしていたらしい。
「あ、うん。なんか、本当にごめん……」
「見た目に反して熱い男だな、カルアは……」
ブチ切れたカルアの即興必殺技『ギブミー・ベーコン』が想定外の破壊力を発揮し、モンスターは見る間に数を減らしていく。やはり闇のモンスターには光属性の攻撃がよく効くらしい。
「よし! 俺たちはカルアを主力に左回りで行こう! だから先輩! ちゃんと謝ってください!」
「カルア君、変ないたずらしてごめんね! 全部終わったら、カリカリ焼きベーコンでお酒が飲めるお店に行こう! もちろん僕の奢りだよ!」
「マッシュポテトもつけてください! チーズの盛り合わせも!」
「OK! ポテトもチーズも、なんだったらコーンチップスもスティックサラダもつけるよ!」
「さ・い・こ・う・です……っ!!」
一音ずつ発音したその言葉と同時に、カルアは自分専用の特注魔導式クロスボウ、ギンヌンガガプを完全展開する。
ギンヌンガガプは原始世界に存在した時空間の裂け目を意味する名だが、この武器はその名にふさわしい能力を有している。ギンヌンガガプは亜空間にストックした矢に魔法でコーティングを施し、通常兵器以上の速度で射出する武器である。矢の数は最大一千万本。魔法コーティングはカルアの魔法属性に準じるため、どんな敵にももれなく通じる『光属性を持つ物理攻撃』が可能となる。
「うおおおおおぉぉぉぉぉーっ! ベエエエェェェコオオオォォォーンンンーッ!!」
ゲリラ豪雨のような勢いで降り注ぐ光の矢。叫んだ単語の内容はともかく、この攻撃によって地下倉庫の左側半分は一挙に千体以上のモンスター討伐に成功する。まだまだ万単位のモンスターが残されてはいるが、カルアの広域攻撃のおかげで動ける範囲が広がった。三人は攻撃を続けつつ、少しずつ場所を変えていく。
防災用耐火壁の向こう側、ヘファイストスの様子が窺える場所へ。
それはアル=マハたちも同じ考えだった。
しかし、楕円形の地下倉庫を右回りに突き進んでいたロックは唐突に足を止める。
後ろに続くアル=マハとロドニーも、全く同じタイミングで防御態勢を取っていた。
「っ!?」
「なんだ!?」
「今のは……っ!?」
咄嗟に《防御結界》を張るアル=マハ。三人で背中合わせに立ち、周囲を警戒する。
何もいない。
何も起こっていない。
前にも横にも後ろにも、相変わらず真っ黒なモンスターがうごめいている。
「……気のせいじゃないよな?」
「気のせいだったら、三人同時に立ち止まったりしませんよ……」
「なんか、気色悪い空気が……何の気配だっつーの……」
モンスターたちも同じ気配を感じているらしい。きょろきょろと辺りを見回し、落ち着かない様子でヒステリックに叫んでいる。
これまでとは明らかに異なる挙動。そしてその対象が自分たちでもヘファイストスでもないとしたら――。
「……俺たちには知覚不能な神……なのか?」
「ただの神なら、自分から姿を見せていると思います」
「俺たちにとってもモンスターにとっても嫌な感じってのが、やっぱり……」
「半堕ち状態か……っ!」
このときアル=マハが結界を二重にしたのは『念のため』だった。しかし結果として、この結界が三人の命を守ることになった。
「うっ!?」
「あ゛っ……」
「く……!」
全方位から浴びせられる闇の衝撃波。大部分は防ぐことができたが、数発は結界を突き破り、うち一発がロドニーの頭に直撃した。
昏倒するロドニーを支え、ロックは新たに《防御結界》を展開する。
「こいつは俺が!」
「任せた!」
そう言うとアル=マハはアンフィスバエナを銃剣モードに変化させ、《ブラッドギル》を乱射する。
ベイカーたちのいる方向さえ避ければ、あとは全方位敵しかいない状態だ。新たに出現した敵がどこから現れようとも、モンスターと一緒に攻撃できる。
アル=マハが見えない敵への攻撃を試みる間、ロックは携帯端末でベイカーを呼び出していた。
「ベイカー、状況に変化があった。こちらは今、半堕ちと思しき神的存在から攻撃を受けている。敵は我々には知覚不能。ハドソンが頭に衝撃波を受けて昏倒、俺が結界内で保護している。現在はNamelessが《ブラッドギル》による無差別攻撃を行っているところだ。そちらは?」
「万事順調、モンスター以外の敵性存在は確認できません。こちらから索敵を試みます」
「すまない、頼んだ」
通話音声はオープンにしてある。ベイカーが端末を仕舞い終えた時には、すでにトロフトが《大量》による索敵を開始しているところだった。
「改めてお尋ねしますが、その剣はどのような手法で索敵を?」
「ん~、ちょっと言葉では説明しづらいんだけど……」
そう言いながら、トロフトはベイカーにも視認できるよう力を具現化する。
トロフトの周囲に現れたのは、非常に高精細なデータ表示ウィンドウだった。
騎士団でも魔導式、科学式それぞれの情報投影システムを使用している。先ほど使用した偵察用ゴーレムもその一種で、メスのカブトムシが空中投影したホログラム映像には被写体までの距離や現場の温度・湿度を示す簡単なデータが表示されていた。
しかし、トロフトの周囲に現れたデータウィンドウはカブトムシゴーレムの比ではない。対象物の熱量、質量、水分量、判明している限りの構成元素の含有割合などを《大量》のほうで自動的に分析し、危険度や攻撃優先度、ターゲットとした場合の攻撃命中率を瞬時に表示している。
目視では発見できない死角の敵も、サーモセンサーや超音波探知機以上の索敵能力を誇る『神の眼』によって楽々発見できるようだ。
これではまるで、攻略本片手にゲームをプレイするようなもの。
アル=マハとは異なる種類の『チート技』に、ベイカーとカルアは思い思いの感想を口にする。
「なぜうちの軍神のチート技は『善玉菌いっぱい』なんだ!? 日本軍はそんなに下痢に苦しめられたのか!? 腸内細菌とスメハラ対策とナンパ以外に考えるべきことは無かったのか!? なんなのだあのパリピは!」
「狙いやすい敵かどうか、自分で判断する必要がないなんて……ロングレンジ系に喧嘩売ってるような能力ですね……。ターゲットポイントまで表示されるなんて、後は引き金を引くだけじゃないですか……ストレスフリー、ずるい。そっちの神様ホワイト企業すぎる……!」
それでも目に見える敵が多すぎて、索敵対象を『見えない敵』に絞り込むのが非常に難しいらしい。トロフトは渋い表情で《大量》の出力を微調整している。
「だからちゃんと自己申告したじゃない、チート技だって。僕自身は防御魔法で安全を確保して、敵の情報を《大量》で丸裸にしたうえで《神戸之剣》で強襲。神の力を使って良い状況なら、僕ってだいたい無敵なんだけどなぁ~! ……っと、これかな?」
トロフトはベイカーたちに見せていた立体映像を消し、『器』である自分にのみデータウィンドウが見えるようにした。
理由はもちろん、攻撃に集中するためだ。
「斬り開け! 《神戸之剣》!!」
剣からあふれる光に照らされ、周囲に群がるモンスターが一瞬で浄化される。そして次の瞬間光はぐっと凝縮し、ある一点をレーザー砲のように撃ち抜いた。
《神戸之剣》は防御結界や魔法障壁を強制解除する。その力を応用すれば、神的存在が使うステルス系の技も無効化できるようだ。
光に撃ち抜かれ、姿を見せた半堕ち。その正体は一同の予想を裏切るものだった。
「……え?」
「いや、これってどういう……?」
「……マルコ?」
モンスターの群れに紛れてそこにいたのは、誰がどう見てもマルコだった。ただし、その風貌はこちらの世界のマルコとは似ても似つかない。頬はやつれ、顔つきは荒み、うつむき加減のまま睨むような目つきでアル=マハを見ている。
「……さない……ゆるさない……許さない……」
言葉を発するたび、マルコから際限なく噴き出す闇。それは闇の衝撃波となり、結界の中にいるアル=マハを狙う。
「みんな死んでしまったのに! なぜあなただけが! 許さない! 私は、あなたの存在を許さない!」
マルコがそう叫ぶと、せっかく減らしたモンスターが見る間に量産されていった。
その様を見て、三人は「あっ!」と声を上げる。
「そうか! どこから潜り込んだのかと思っていたが、先ほどの単独テロ犯は!」
「そもそもこっちの人間じゃなかったから、警備をすり抜けて呪符を持ち込めたのかも!?」
「あの時点で並行世界との接続が始まっていたということでしょうか?」
「だとすれば、あの男の主張も理解できるな。確かに向こうの世界では、王子が原因でモンスターが現れるようになったわけだ……」
特務部隊が解散していて、王子が半堕ちの状態で放置されている。その事実から導き出される答えは一つだ。
「ひょっとしなくとも、あちらの世界の王宮は……」
三人は顔を見合わせた。
特務部隊が無いのなら、マルコの居場所は騎士団本部ではなく王宮だ。騎士団長とアル=マハ、ピーコックとほか数名の『神の器』が正気を保っていたとしても、彼らは王宮内を自由に歩き回れる立場ではない。マルコと接触し、その闇を祓うことは不可能である。
そして半堕ち状態のマルコが闇を発することで、女王も側近も、近衛隊や女官、侍従たちも、誰もが瘴気に当てられておかしくなっているのだとしたら――。
「控えめに言っても、悪夢か地獄か……」
「どう考えても圧政敷かれてそう……。でも、なんとかしようにも女王や王子には近付けない、と」
「王子が人前に出てくる武術大会の日だけが、諸悪の根源を叩く唯一のチャンスだったのか」
「そして接続先であるこちらの世界にとっても、今日は僕らが勢ぞろいしている日なワケで……?」
戦う前提で装備を整えた『神の器』が七人と、誰もいない広大な地下空間。おあつらえ向きと言うべきこの状況に、三人は頷き合う。
ここはまさに『最高のバトルフィールド』だ。
倒すべき敵の正体が分かったことで、こちらの三人には精神的な余裕が生まれた。
マルコは自分たちにもモンスターにも『敵』と認識される不安定な半堕ち状態で、神とは接続が切られている。トロフトの《大量》で何度調べ直しても、この空間に玄武・青龍・白虎の存在は感知できない。そしてマルコはアル=マハへの攻撃に固執し、こちらに対する警戒はおろか、ステルス状態を強制的に解除された際に振り向くことすらしていない。
ノーマークの今が浄化のチャンス。
三人は手短に話をまとめる。
「ありったけの『光』を食らわせよう」
「《防御結界》は? サイト君も攻撃に回るなら、結界の維持は難しいでしょ?」
「いえ、露払いは俺に任せてください。ギンヌンガガプの残弾をすべて使って、光の雨を降らせます」
「使い果たしちゃって大丈夫なの??」
「はい。クロスボウはその辺に落ちている矢を拾って再装填できますから」
「あ、なるほど。それじゃあ……」
「カルアの攻撃後、状況確認のために三秒置く。問題がなければ攻撃開始」
「OK」
「では、いきます!」
カルアは背面に展開されていたギンヌンガガプに魔力を注ぎ、連続速射モードに切り替える。
「しばらく耳を塞いでいてください!」
撃ち出される光の矢。ベイカーとトロフトはその射出音のことかと思って耳を塞いだのだが、そうではなかった。
回避不能の光の雨に打たれ、断末魔の声をあげるモンスターたち。その数、少なく見積もって五千。それだけの数の口から飛び出した叫び声は、生への執着そのものだった。
鼓膜以上に心に突き刺さる嫌な音に、全身の皮膚が粟立つ。
そして悲鳴の洪水の直後、一斉に消失していくモンスター。
周囲を見渡し、ベイカーは叫ぶ。
「浄化開始!!」
各々『神の器』として与えられた魔剣、神剣、天弓の力を使い、半堕ち状態のマルコに光を浴びせる。
神の光が人間の身体を傷付けることは無い。直撃を受けたマルコはほんの数秒悲鳴を上げていたが、体内の闇が浄化されるにつれ、まるで憑き物が落ちたように穏やかな様子を取り戻していった。
「よし! これでこちらの戦力に……」
「いや、待ってサイト君! なんかおかしい!」
こちらの世界のマルコであれば謝罪と決意の言葉を口にして、すぐさまロドニーの治療をしてくれただろう。だが、あちらの世界では事情が違った。
「……無理ですよ……何をしたって、もう、皆さんは戻ってこられないのですから……」
両手で顔を覆い、その場に座り込んでしまった。
仲間の死、部隊の解散、神々が共食いをした事実。
マルコはそれらを受け入れることも、立ち向かうこともできなかった。
状況に流されるだけの無力な自分を嘆き、呪い、心はすっかり闇に呑まれていた。今はわずかに残った理性で『王子としての務め』をこなすことで、どうにか自殺を思い止まっているにすぎない。
「あの時、私が助けに向かっていれば……規則も法律も無視して、現場に駆けつけていれば……そうすれば、みんな……何もかも私のせいなのに……悪いのは決断できなかった私なのに……」
「マルコ……マルコ! よせ! 自分を責めるな! お前は何も悪くない!」
ベイカーの声に、マルコは幽鬼のような顔で振り向く。
「隊……長? ああ、良かった。やっとお迎えにいらしてくださったのですね……」
「馬鹿! なにを言っている! 俺がそんなことをする人間だと思うか!?」
「隊長……そうですか、やはり、私をお恨みに……」
「そんなわけが……っておい! 待て待て待て! そのナイフは何だ!? 何をする気だお前!」
「隊長が天国へお連れくださらないのでしたら、やはり私は、地獄に落ちるべきなのですね……」
「やめろ! ひとまず落ち着け! 頼むから俺の話を聞いてくれ!」
マルコが手にしているコンバットナイフは、どう見てもゴヤのために特注されたナイフだった。よくよく見れば首には複数個のドッグタグをぶら下げているし、手首に巻いた飾り紐はチョコのヘアエクステの一部を切り取ったものだ。仲間の遺品をすべて身に着け、それを心の支えに生きながらえていることが窺い知れた。
マルコの足元からは、ジワリ、ジワリと黒い霧が発生している。
何度祓っても、マルコの心が前を向かない限り、この闇は無限に湧き出でる。
絶望的な現実を目の当たりにし、ベイカーの後ろに立つカルアとトロフトは目だけで意見を交換した。
それは言葉に直せばこういうことである。
「ひとまず眠らせようか」
「そうですね」
やることが決まれば行動は早い。二人はマルコに向けて神の光を放ち、同時に《バスタードドライヴ》を発動。光の直撃を食らって呆けているマルコの手からナイフを叩き落とし、二人がかりで《宵闇》の魔法をかけた。この魔法は対象を丸一日眠らせておく効果を持つ。対となる《明星》を使わない限り、途中で目を覚ますことは無い。
三人は近づいてくるモンスターを迎撃しつつ、眠ったマルコを連れてアル=マハらと合流した。
「ロック先輩! ロドニーの容態は!?」
「ただの脳震盪だとは思うが、後で医者に診てもらったほうがいい。数秒間は完全にブラックアウトしていた」
「すみません隊長。少し飛んでたみたいで……」
「今はどうだ?」
「直撃した箇所の外傷は処置してもらいました。痛みも違和感もありません」
「それは何よりだ。立てるか、ロドニー」
「はい!」
周囲のモンスターを一通り片付けたアル=マハは、耐火壁の向こうから聞こえる音に耳を澄ませる。しかし、音だけではどうにも戦況が分からない。先ほど使用した偵察用ゴーレムの呪符は使い捨ての安物であるため、彼らにはヘファイストスの様子を窺い知る術がない。
「……何が起こっているんだ……?」
「作業重機のような排気音だけは聞こえてきますが、魔法攻撃特有の衝撃はありませんよね?」
「結局のところ、ヘファイストスが交戦中の神的存在は誰なんだろうな? あっちからもモンスターが発生し続けているようだが……」
「トロフト先輩、《大量》では何が見えていますか?」
「いや、それが変なんだよ。動き回っているヘファイストスと機械は感知できるのに、それ以外はヘファイストスが捕まえてる単独テロ犯しかいなくて……」
「あの男がモンスターの発生源ではない?」
「うん。今は浄化された状態でヘファイストスに保護されてる。ヘファイストスの足元に何かがある事は確実なんだけど、《大量》ではうまく質量感知できないな……。おそらく、その辺が敵の正体を知るヒントになると思う」
「『神の眼』に感知されない何か、ですか……。やはり、行ってみるしかないようですね。ですが、マルコをその辺に放置していくわけにもいきません。誰か一人はマルコを連れて倉庫の外で待機ということにしたいのですが、先輩にお願いできますか?」
「いいよ。ここに残ったところで、あと一二発で魔力切れだしね」
「では、よろしくお願いします、トロフト先輩」
トロフトがマルコを背負って駆け出すのを見守りながら、残りの五人は装備を整え直す。
アル=マハはアンフィスバエナを短銃モード、長剣モードに形態変化させ、連続使用による動作不良が無いことを確認する。
カルアはロドニーに協力を仰ぎ、風の魔法で矢を回収、ギンヌンガガプへの再装填を行う。
ロックは懐に入れた防御呪符がまだ使える状態である事を確かめ、ベイカーは『ボス戦』に備え、魔導式可変機構銃砲への魔力チャージを開始する。
「先ほどまでの戦いで、闇の浄化能力が一番高いのはカルアということが分かった。武器特性からもカルアは後方に置きたい。異論は無いな?」
アル=マハの意見に全員が頷いた。
カルアの次に浄化能力の高いトロフトが抜けた穴は大きい。それぞれ自分の能力適性に応じた立ち位置を自己申告していく。
防御力と突破力のあるロックが先頭、その後ろにアル=マハとロドニー、最後尾にカルアとベイカーという並びである。
五人はなおも発生し続けるモンスターを攻撃しつつ、徐々にヘファイストスのほうへと近づいていく。
そしてあるところで、五人はとんでもない間違いに気付いた。
ヘファイストスは誰とも戦っていない。
彼が行っていたのは『戦闘』でなく『修繕』である。ヘファイストスは、床に開いた『穴』を鉄板で塞ごうとしているだけなのだ。
地下倉庫の床に開いた時空の歪みから際限なく湧き出るモンスター。ヘファイストスはそれを焼き祓いながら作業を続けている。巨大メカはヘファイストスが作業しやすいよう、モンスターを払い除けるために用意されたものらしい。
武具や道具を焼成する能力を応用し、鋼鉄製のパーツを生成。それを現場でつなぎ合わせて一枚の大きな蓋とする作業計画のようだ。穴は外周から少しずつ塞がれつつあり、直径は五メートルほどまで縮小されている。鉄板で覆われた面積を見る限り、元は直径三十メートル近くある。
「ヘファイストス! この穴は何だ!?」
アル=マハの問いに、溶接工のような鉄面をつけたヘファイストスはこう答える。
「何かと聞かれれば、見ての通りの『穴』だ! 固有名詞は無い!」
「どこと繋がっている!?」
「隔絶された世界だ! 未鶴、もう少し下がれ! その辺は時空間が安定していない! 危険だぞ!」
素直に二メートルほど下がった一行の前で、空間がグニャリと歪んだ。
歪みはすぐに戻ったが、一度空間がねじ曲がった影響か、床のコンクリートには油染みのような妙な汚れが付着している。そして表面が汚れただけでなく、コンクリート自体がひどく劣化したように見える。その部分だけ、まるで築数百年が経過した建造物のような、風化した建材特有の粉っぽい質感に変わっているのだ。
安定しない時空間。それがほんの一瞬で数百年分の『経年劣化』を生じさせるものだとすれば、人間などひとたまりもない。あっという間に白骨化してしまうだろう。
「隔絶された世界というのは、天使たちが堕とされているあの場所か? こちらの世界ではすべての天使が救済された後だが、そちらでは違うのか!?」
ベイカーのこの問いに、ヘファイストスは舌打ちをしてから答える。
「俺はその場所を知らん! バアルも自分がゴミ捨て場代わりに使っている亜空間がどこなのか、正確には分かっておらんのだ! 何か知っているなら記憶を寄こせ! この空間は何だ!? 放り込んだ闇が勝手に人型に化けやがる! この空間には何がいる!?」
ベイカーとロドニーは顔を見合わせる。
そこにいるのは三百体を超える堕天使とそのバディたちだ。中でも特に力の強いイオフィエル、ツァドキエルと戦うには、タケミカヅチやニケのような軍神がいなければ万に一つの勝ち目も無いだろう。
ベイカーはヘファイストスが操る巨大メカのアームの上に飛び乗り、溶接作業を続けるヘファイストスのもとに運ばれる。
ヘファイストスはベイカーの身体を抱き寄せ、大きく武骨な手で乱暴に髪を掻き回した。
「チッ! 並行世界の記憶が統合されているせいで、肝心の記憶がどこにあるのか……」
「さっさと済ませてくれ。オッサンの胸毛に顔を突っ込んでいる時間が長くなるほど俺のメンタルには深刻なダメージが……はーやーく! はーやーく!」
「急かすな! おい貴様、エロシーン以外の記憶はどこに追いやった!? どこを探っても女の裸しか出て来ないぞ!?」
「申し訳ないが、人生に潤いをもたらさない記憶は可能な限り深層に封じ込めることにしている。ところでヘファイストス。神のくせに汗臭いなんて最悪だぞ。大和の神くらいスメハラ対策に注力しろよ。ただでさえ胸毛モジャモジャ男で見た目からしてヤバいのに……」
「だまれクソガキ。胸毛が嫌なら下の毛に顔を突っ込ませてやろうか?」
「何を偉そうに、この短小フニャチン早漏野郎」
「フン! 以前の俺と同じと思うなよ! ルシファーの力を取り込んだ俺は、もうかつての俺ではなぁーい!」
「……え゛っ……?」
懐に抱え込まれたまま、ベイカーはとんでもないモノを見せつけられた。
逃げ場がない状態でのゼロ距離ワイセツブツ陳列罪、それもサイズがレジェンドクラスだ。男ばかりの騎士団で見るともなしに色々見ているベイカーですら、絶句してフリーズした。
「お? この記憶か……? ふむ……なるほど、堕天使ばかりが……。道理でこんな有様になるわけだな。バアルめ。また場当たり的対処をしおって……」
必要な情報が得られれば用済みである。ベイカーは先ほど飛び乗ったアームに襟首をつかまれ、クレーンゲームの景品のような動作でアル=マハたちの元に戻された。
ぞんざいに放り出されたベイカーをお姫様抱っこでキャッチし、アル=マハは首をかしげる。
「どうした? 顔色が悪いぞ?」
ヘファイストスとのやりとりはここからでは死角になっている。何も知らないアル=マハに、ベイカーは動揺を隠すことも無く言う。
「む……向こうの世界のヘファイストスが本気を出したら、世界一かもしれません……っ!」
「なに? 何を見せられたんだ?」
「全然本気を出していないのに、あんな……すごすぎて、なんと言ったらいいか……! アレが大天使を食らった結果とは……」
「天使ルシファーの力とは、それほどのモノなのか?」
「ええ……すっごいモノでした……」
互いの心が通じずとも、会話はなんとなく成立するものである。誰一人として話が噛み合っていないことに気付くことなく、状況は次の局面を迎える。
鉄板の溶接作業を再開していたヘファイストスが大声で叫んだ。
「何か来るぞ! 構えろ!」
五人は陣形を組み、敵の出現に備えた。
そして数秒後、彼らの前に現れたのは――。
「隊長! あいつ!」
「ああ! あの顔はツァドキエル……いや、違う! なんだあれは!?」
漆黒の翼を広げて現れた堕天使は、隔絶された世界でマルコと戦った天使ツァドキエルで間違いない。ただ、それは最初に見えた上半身に限っての話だ。床の穴から徐々にせり上がるように現れた下半身には、その他大勢の天使たちが出鱈目に融合していた。
一塊の巨大な怪物と化した堕天使たちは、ヘファイストスが作り上げた蓋に引っかかってジタバタともがいている。鉄の蓋はミシミシと嫌な音を立ててはいるが、これは鍛冶屋の神が作り上げた構造物である。そう簡単に破壊されたりしない。攻撃するなら、動けない今こそ絶好のチャンスである。
「総員、最大火力でぶちかませ! 武具焼成! タラリア、アイギス、ファランクス! 魔弾装填、《ブラッドギル》!」
「魔弾、《クリームパイ》!!」
「食い荒らせ! 《ロウカスト》!!」
「カルア! 援護頼むぜ!」
「ああ、任せてくれ!」
アル=マハは神話級の武具・防具に身を固めてのガンソード二丁撃ち。
ベイカーは性的刺激を与えるあの魔弾。
ロックは破壊天使アバドンの得意技、雑食性蝗の食害攻撃。
ロドニーとカルアは能力の相性が良いことを活かし、二人一組での攻撃を試みる。
時空間の歪みがあるため、『修正・削除能力』を持つロドニー以外は遠距離攻撃しかできない。特にベイカーの魔弾は通用するかどうかが非常に怪しい。《クリームパイ》は膣内射精の隠語。着弾した魔弾は敵の体内に留まり、エネルギーが尽きるまで性的刺激を与え続ける。どんな猛者でも賢者でも、勃起しながら失神、もしくは嬌声を上げながら発狂するという社会的死を与える弾だ。人間とは体の構造が異なる天使に性的興奮を味わわせることなどできるのか、また、その天使が闇に堕ちた状態ではどのような効果が表れてしまうのか、誰にも予想がつかない。
堕天使はヘファイストスの炎、千本槍、魔弾、蝗の食害、ロドニーの強制削除パンチとカルアの光の矢を同時に食らうという、非常に難解で深刻なダメージを受けた。悲鳴を上げているのだから、攻撃は効いているのだろう。どの攻撃がどの程度効いているのかは誰にも分からないが、彼らはとにかく攻撃を続けた。
しかし堕天使のほうも、黙ってやられているわけではなかった。
「ミンナ……イキカエッテ……生命ノ木ノ実、ワタシガ、ソダテルカラ……」
ツァドキエルは両手で大切そうに抱えた木の実を口にした。それはザクロともイチジクとも違う、見たことも無い木の実である。
「コンドハ、ワタシ……デ……ソダテル……カラ……カナラズ、ウマクイク……」
大きくのけぞるツァドキエル。するとその腹を突き破り、何かが生えてきた。
「なんだありゃあ!?」
「木……ですよね!?」
「えっ!? ちょ……なんだっつーの!?」
幹も枝葉も真っ黒な樹木。それがあっという間に育っていくと、堕天使たちはシナシナと萎み、干からびていった。
堕天使を養分にして育っていることは間違いない。この木は誰がどう考えても『危険な何か』だ。ヘファイストスは火炎攻撃を続けながら巨大メカを組み替え、高枝切り鋏のようなアームを創り出した。植栽の枝を剪定するような動作で、ぐんぐん伸びる枝をバッサバッサと切り落としていく。
しかし、成長速度のほうが早い。
「チッ! なんだこの木は! キリがない!」
「みんな気をつけろ! 実のようなものがつき始めた!」
「ロドニー! いったん戻れ!」
「実が落ちるぞ! 避けろ!」
地下倉庫の天井を覆いつくす勢いで伸びた枝。そこに実った謎の果実は、先ほどツァドキエルが口にしたものと同じだった。
熟して落下していく数百、数千の木の実。床に叩きつけられ、ぐちゃりと潰れた木の実の中から、何かがモゾモゾと這い出して来る。
「う……うわあああぁぁぁーっ!?」
「ひっ……」
「ギャアアアァァァーッ!?」
血肉のような果汁と果肉。その中から這い出してきたのは、白目と黒目の区別がない真っ黒な目をした赤ん坊だった。
ただ、その赤ん坊にはあるべきはずのものが何もない。
耳朶も鼻骨も唇も、臍も性器も見当たらない。
妙にのっぺり、つるんとした人間の出来損ない。それは黒い木と同様に恐るべき成長速度で大人になり、次々とこちらに向かってくる。
いや、ただ襲い掛かってくるだけではなかった。
彼らは皆、泣いていた。
「なんで……なんでこんな体に!」
「僕は人間なのに! 人間なのに!」
「殺したくない殺したくない殺したくない殺したくない殺したくない……」
「殺して! 私を殺して! でないと私は貴方を殺してしまう!」
「食べたくない! 人間なんて食べたくないよぉっ!」
「いやだいやだいやだいやだいやだあああああぁぁぁぁぁーっ!」
ベイカーたちには、もはや何かを考える余裕はなかった。
襲い掛かってくる闇堕ちのような何か。それは口々に『人間らしい悲鳴』を上げながら、自分たちを食い殺そうとしてくる。
堕天使たちの能力によって創り出された『まがい物の身体』に、人間の魂が入れられている。それは容易に想像できた。そしてその魂がかつてのバディや、バアルによって『隔絶された世界』に放り込まれた闇堕ちの人間たちであろうということも。
彼らを救う術はない。
殺さねば殺される。
だから殺す。
それだけの『作業』を淡々とこなすベイカーたちは、自分が今どんな顔をしているのか、誰一人分かっていなかった。
時折視界が揺らぐのだから、おそらく泣いているのだろう。
けれどもこの涙の理由は何だろう。
恐怖だろうか。悲しみだろうか。哀れみだろうか。それとも、こんなひどいことをした堕天使たちへの怒りだろうか。
心は人間のまま、堕天使に与えられたまがい物の身体で目の前の人間を食い殺そうとしている彼らの姿。そこに何を感じているのか、自分でもうまく理解できなかった。
黒い木の養分となったツァドキエルたちはカラカラに干からびて死んでしまった。愛するバディを生き返らせるためなら、自らの命を投げ出すことに何のためらいも無かったのだろう。
心が闇に染まっても、天使たちは生真面目で献身的な存在のままだった。
出来損ないの生命の木の実でまがい物の身体を与えられた人間たちも、こんな状態になってもまだ、相手のために『逃げろ』『私を殺せ』『君たちは生きてくれ』と声を上げている。
ここにあるのは愛と優しさと思いやりだけ。それなのになぜ、こんなにひどい殺し合いが繰り広げられているのだろう。
あちらの世界のマルコも、ヘファイストスのメカに保護されている単独テロ犯も、純粋な使命感と正義感を持っていたはずだ。それなのに、彼らは闇に堕ちている。
何かが決定的に狂っている。
それがあちらの世界の『標準設定』なのだとしたら、その中で闘い続けるピーコックたちは何を希望に士気を維持しているのか。
それについて、アル=マハの心には『それしかない』と断言できる回答が浮かんでいた。
「……畜生……っ!」
次から次へと襲い掛かってくる出来損ないの人間たち。アル=マハはその首を刎ね飛ばし、惰性で走る体を盾代わりに次の敵を攻撃する。
その時、隣で闘うベイカーのほうに一人では対処不能と思われる数の敵が殺到した。アル=マハはすかさず《ファランクス》で援護。ベイカーはこれによって生まれた数秒の余裕を使い、可変機構銃砲を別の魔弾に設定し直す。
もしも隣に立つ者がベイカーでなくグレナシンであれば、《ファランクス》の槍の一本を引っ掴み、そこから勝手にコンボ技を組み立ててしまったことだろう。そして自分は「勝手に使うな!」と怒鳴りつつも、結局は彼の援護に回り、二人で一緒に戦うことになるのだ。
そんな様が目に浮かぶ。また、その場合の連携方法まで具体的に思いついてしまう。
自分が守りたいものは彼との関係だ。
恋とも愛とも、単なる友情とも違う。彼は最高のライバルであり、最も信頼のおける戦友なのだ。今は別々の部隊になってしまったが、それでも彼と自分の関係は変わっていない。
けれども、あちらの世界ではグレナシンは死亡しているという。ならばあちらの世界で、自分は何を守ろうとしているのか。何をもってモチベーションを保っているのか。
その問いの答えが、『あちらの世界』だけで完結しないのだとすれば――。
「く……っ!?」
「クッソ! 誰か……っ!」
「っ!? ロック! ロドニー!!」
ベイカーの援護に回っている間に、ロックとロドニーのほうに敵が殺到していた。アル=マハもベイカーも直ちに援護を試みる。だが、敵の動きが速すぎてうまくいかない。動物的な動きをするモンスターたちと違い、この『出来損ないの人間たち』は身体能力だけは並の人間以上なのだ。無駄な動作や動きのクセが一切無く、最短最速で正確に急所を狙ってくる。
個の能力が高いうえに、数が多い。
敵も仲間も入り乱れたこの状況では、大技に頼るロドニーは満足に動くことができないようだった。竜族とも対等に渡り合える攻撃能力を持ちながら、それを使えば仲間にもダメージがある事が分かっていて、何もできずにいるのだ。
サンドバック状態のロドニーが見えていても、この混戦の最中では助けに行くことも離れることもできない。
「ロドニー!! 待ってろ! すぐにそっちへ……!」
「クソ! この……このオオオォォォーッ!」
「そこを退けえええぇぇぇーっ!!」
ロドニーに注意を向けたことで動作に粗が出た。後方で守りに徹するカルア以外、次第に敵の攻撃を食らう場面が増えていく。
そしてあるとき、ついにベイカーが膝をついた。
「つ……っ! うっ!? やめろ! この……うわあああああぁぁぁぁぁーっ!」
床に押し倒したベイカーに馬乗りになり、その首に食らいつく敵。次々に群がる敵の姿も、必死の抵抗を試みるベイカーの声も、何もかもが見えて聞こえている。それなのに、誰もが自分の身を守るだけで精一杯だった。
ボロボロになっていく仲間たち。
次第に弱く、小さくなっていくベイカーの声。
気が狂いそうなこの状況で、カルアは自分のスタイルを貫くことができなかった。
「みんな……みんなあああぁぁぁーっ! クソオオオォォォーッ!」
速射モードでは矢を雨のように降らせることになるが、それではベイカーにも当たってしまう。カルアはギンヌンガガプを手持ち武器に変形させ、ベイカーに矢が当たらぬよう、圧し掛かる敵を横方向から攻撃する。
だが、手持ち武器では弾数が減る。これまでのように己の身を守る弾幕を維持することは不可能だった。
「カルア! 後ろ!」
「っ!?」
ロックの声に振り向くと、そこには歯をむき出した敵がいた。
避けられない。
直後に走るであろう激痛を覚悟し、カルアは反射的に目を閉じた。
しかし――。
「……え?」
痛みの代わりに訪れたのは、鼓膜が破れるのではないかと思うほどの爆発音だった。
目の前にいたはずの敵の姿は無く、代わりに周囲には、つい数秒前まで敵だったものの残骸が散らばっている。
「……これは……」
「ちょっとぉ~っ! なによ! アタシ抜きでクライマックス突入してんじゃないわよ!」
ド派手な爆発とともに現れたのは、ゴーレムホースに乗ったグレナシンである。
この現場で起こったあれこれを知らないグレナシンは、いつもの強気なオカマ喋りで五人に檄を飛ばす。
「なにショボくれた顔で半ベソかいてんの!? シャキッとなさい! こんなワケ分かんない裸族に苦戦してんじゃないわよ!」
グレナシンが連射しているのは魔導式ランチャーだ。途中で警備班の詰め所に寄り、使えそうな武器を調達してきたようだ。
この武器は魔導式短銃と同じくチャージ式で、主に催涙弾や煙幕の発射に使用される。しかし、非殺傷型武器というわけではない。その気になればクラスター弾やマスタードガス弾も発射可能である。
グレナシンは野外照明用の小型発電機を背中に背負い、太腿にはエネルギー変換器をくくり付けている。外部電源と有線接続することで、チャージタイムゼロでのクラスター弾連続発射という無茶をやってのけているのだ。
何の遠慮も無くドッカンドッカンぶちかまされる爆撃。その爆発音に悲痛な悲鳴はかき消され、心が折れそうになっていたアル=マハたちも、幾分か持ち直していた。
「ハッ! ったく、お前って奴は……っ!」
最強の戦友は、今日も最高にぶっ飛んでいた。
アル=マハはグレナシンと並び立ち、自分とグレナシン、二人分の《アイギス》を展開する。
「合わせるぞ! やれるか!?」
「誰に言ってんのよ! バーカ!」
二人で同時に使う《ファランクス》と《墜星》。爆撃と銃撃は相変わらず続けている。槍衾、隕石、爆撃、銃撃という四段構えの高破壊力攻撃に、敵は見る間に数を減らしていった。
「発生源がそのままでは埒が明かない! まずはあの木だ! 俺とセレンで道を開ける! ロドニーとロックは合図で突っ込め!」
「ですが、時空間の歪みは!? 俺はともかく、ロック先輩が……!」
「これまで見ていた限りでは、お前が通ったルートは一時的に時空間の歪みが解消されている! ほんの数秒のようだが、木の根元まで行くには十分だ! ロック、行けるよな!?」
「もちろんです!」
「カルアはベイカーを!」
「はい!」
グレナシンの登場で一気に空気が変わった。
そう、彼さえいれば流れはいくらでも変えられるのだ。あちらの世界の自分とピーコックも、それを知った上で彼を――こちらの世界のグレナシンを守ろうとしている。
統合された並行世界の記憶をどれだけ探ってみても、月神ツクヨミとその『器』は必ずどこかの時点で死亡している。状況は違っていても、その死にざまはどれもが同じ。グレナシンは誰かを守ろうとその身を盾にし、世界の中から消えていく。もうどこの並行世界の記憶を引っ張り出しても、セレンゲティ・グレナシンという人間は存在しない。今この世界にいるグレナシンだけが、最後に残されたたった一つの希望なのだ。
そしてそれはグレナシンに限ったことではなく――。
「今だ! 行け!」
ロドニーとロックが突入。黒い木の根元にアバドンの『能力停止』を叩き込むと、木は実をつけることをやめた。あとはオオカミナオシの『修正・削除』で黒い木を消していくことになる。ロックはロドニーの背中側に立ち、なおも穴から湧き出るモンスターを迎撃する。
「ヘファイストス! 今のうちに特大サイズの蓋を用意しておけよ!!」
「言われなくとも!」
こちらが出来損ない人間と黒い木、モンスターに対処している間に、ヘファイストスは穴を完全に塞げる大きさの鉄板を用意する。これまで自分のサポート役として使っていた巨大メカも、金属部品を鋳溶かして蓋の部材に作り変えていく。
「セレン!」
「分かってるわよ!」
ヘファイストスに近付くモンスターたちにクラスター弾を撃ち込むグレナシン。遠距離攻撃に切り替えたことで生じた隙はアル=マハの《ファランクス》で埋める。
このとき撃破した敵で、アル=マハらを襲撃した連中は全員仕留められた。残る敵はベイカーとカルアが戦う十六体と、穴から這い出すモンスターのみ。アル=マハとグレナシンはこのままヘファイストスの護衛につこうとしたのだが、そのヘファイストスが言った。
「未鶴! 俺のことは気にするな! 仲間を救え!!」
「でも……」
「なめるな! これでも神だぞ!!」
「……ありがとう、ヘファイストス!」
二人は苦戦するベイカーとカルアのもとへ駆けつける。
「いい加減にしろよ、この野郎ども! はあああぁぁぁっ!」
「うちの子イジメてんじゃないわよオオオオオォォォォォーッ!」
近距離戦、なおかつ素早く動き回る相手にカルアの矢は当たりづらい。なかなか急所に当てられず長引いていた戦闘だが、最強タッグの参戦により、残る十六体の敵は次々と仕留められていった。
「カルア、ベイカーの状態を見る間、モンスターへの警戒を!」
「了解!」
「サイト! 無事か!」
「隊長! んもう! アタシの許可なく他の男に押し倒されてんじゃないわよォッ!」
「アル=マハ隊長、副隊長……すみません。あまり無事とは言えなさそうです……」
ベイカーは咄嗟に《雷装》を纏っていたらしく、どこも食いちぎられることなく原形を保っていた。しかし圧し掛かった敵は触れた瞬間に感電し、そのままの姿勢でベイカーの上に山積みになっていたのだ。開けっ放しの口から垂れる涎、カルアの矢で射貫かれて流れた血などが顔にかかり、目が開けられない状態のようだ。
「自覚症状は?」
「眼球及び周辺粘膜に激痛。敵の体液に触れた箇所に、軽度のやけどとよく似た痛痒さがあります」
「ということは、酸の類か? セレン、水で洗い流せると思うか?」
「成分次第では化学反応が起こるわ。迂闊なことはしないほうがいいんじゃないかしら?」
「だよな……すまんサイト。しばらく我慢していてくれ。こいつらをどうにかしたら、すぐに医者の所に連れて行ってやる。そのまま動くなよ」
「はい……」
「ありがとうカルア、あとは俺たちがやる。お前はベイカーについていてくれ」
「隊長と一緒に休んでなさい。顔色ヤッバイわよ」
「はい! すみません!」
カルアと位置を入れ替わり、二人は黒い木の根元に向けて猛攻をかける。
狙いは這い出すモンスターではない。それは『ついで』だ。本命は木に養分を吸われつくし、カラカラに干からびた堕天使たちである。
ロドニーとロックとも足並みをそろえ、四人がかりで同じ個所を攻撃する。
だが、硬い。
黒い木は簡単に攻撃できるのに、穴をふさぐのに一番邪魔なモノ、堕天使たちの集合体だけはなかなか破壊できない。ロドニーのパンチも、堕天使たちの亡骸には効いていないようだった。
「ロドニー! まさかと思うが、これは『不具合修正』の対象外なのか!?」
「そうみたいです! 『こういうもの』として存在が固定されてるみたいで、全然消せません!」
「セレン! 《天之尾羽張》では!?」
「効いてないわ! もう死んでる以上、闇堕ちとして浄化することはできないみたい!」
「ロックは!?」
「アバドンの蝗でも食い荒らせません! 岩みたいに硬くなってますよ!」
「クソ! ここまで来て、超火力で焼き溶かせってのか!?」
残りの魔力で《可鍛の豪焔》は使えるだろうか。
ヘファイストスもギリギリのところで踏みとどまっている。今無理をさせて、穴が塞げなくなったのでは困る。
と、そこに届いたのはベイカーの声だった。
「魔弾装填! 《デスロール》!!」
「えっ!?」
「サイト!?」
「隊長、目は!?」
一斉に振り向く仲間たち。
彼らの目に映ったのは、可変機構銃砲Beauty & Stupidの引き金に手をかけるベイカーと、ベイカーを後ろから抱きかかえるように手を添え、照準を定めるカルアの姿だった。
「一撃で決めます! 皆さん! 残りの魔力を!」
カルアの呼びかけに、皆、ためらいなく動いた。
ベイカーの銃は特注品。魔力を込めれば込めただけ、その大きさも破壊力も増す。ましてやチャージ中の魔弾は《デスロール》である。着弾点を爆砕する《デスロール》を最大火力で撃ち込めば、岩でも鉄でも錬金合成された超硬度合金でも、難なく破壊できるだろう。
六人がかりでありったけの魔力を注ぎ込むと、可変機構銃砲はレガーラントブリッジでの戦いと同じく、戦艦主砲クラスの巨大銃砲へと形態を変えていった。
「……95、96、97……100%! チャージ完了!」
「照準は!?」
「OKです! いつでもどうぞ!」
「行くぞ! 《デスロール》、発射!」
引き金を引くベイカー。その瞬間、銃口からあふれる光。そして轟音。
ターゲットとの距離が近い分、跳ね返る爆風も桁外れに大きい。六人は爆風に吹き飛ばされ、ゴロゴロと地面を転がる。
「うぐ……っ!」
「わあああぁぁぁーっ!?」
「イデデデデデッ!?」
身体の軽いベイカーとカルアで三十メートル、重量があり受け身のうまいロックでも五メートルほど転がった。
アル=マハに抱きかかえられてほぼ無傷のグレナシンはいち早く体を起こし、仲間たちに状況を知らせる。
「着弾確認! 標的撃破! やったわ! あとは穴をふさぐだけよ!」
「ぐ……そ、そうか……ヘファイストス! 早く……!」
「今やっている!!」
下から突き上げるモンスターたちを鉄蓋の重みで抑え込み、手早く溶接作業を行うヘファイストス。その背中は、まるで『働くお父さん』のような頼もしさで満ち溢れていた。
一般的な人生において、鍛冶屋の神を頼もしく思う場面はそうそう頻出するものではない。はじめからヘファイストスを信頼しきっているアル=マハ以外、生まれて初めて、心の底から『鍛冶屋の神はすごい』と感じていた。
神への率直な称賛は、他のどんな言葉よりも強い『信仰心』としてカウントされる。人間たちの一点の曇りもない信仰心を得て、ヘファイストスの仕事はより完成度の高いものとなっていく。
「これで……仕上げだあああぁぁぁーっ!」
溶接を終えた鉄蓋の上に両手を置き、ヘファイストスは自身が持つ『創造』の能力を発動させた。
「うおおおおおぉぉぉぉぉーっ!」
ヘファイストスは武器や防具以外にも、様々なものを生み出す力を持っている。これまではその力を自分のため、他の神を陥れるために使っていたが、本気で世のため人のために使おうと思えば、彼はいくらでも素晴らしいものを生み出すことができる。
ヘファイストスはこの場の人間たちから受け取った信仰の力を惜しげも無く使い、鉄板で蓋をした『穴』を、元のコンクリートの床として『創造』し直していった。
「……終わった……のか?」
見た目だけは元通り、何の変哲もない地下倉庫の床にできた。しかし、これで本当に時空間の『穴』を塞げたのだろうか。
不安げに見守る人間たちに向かって、ヘファイストスはフンと鼻を鳴らす。
「神を疑うとは何事だ。不遜が過ぎるぞ、人間ども」
いつも通り偉そうに言い放ち、ふんぞり返る。
そこまではヘファイストスの姿が見えていたし、声も聞こえていた。しかし次の瞬間、ヘファイストスが消えた。
「……あれ?」
「ヘファイストス、どこ行った?」
「巨大メカも消えたな……」
「元の世界に帰ったのか??」
「なんだ? 何が起こってる? 目が開けられないんだ、誰か説明してくれ。ロドニー? その辺にいるか?」
「あ、はい、すみません。えーと、ヘファイストスと巨大メカが一瞬で消えました。メカに捕まえられてた単独テロ犯も一緒に消えました」
「そうか。それならこれで、めでたく事件解決……とはいかないよな?」
「はい。まだ時間停止状態は続いています」
「何をどうすればここから脱出できるんだ……??」
一同はしばし考え、それから同時に倉庫の入り口を見た。
「あれか!」
「あれですね!」
「それしかないよな!」
解決すべき最後の問題、それは絶望の闇に堕ちたマルコの存在だ。
仲間も、自信も、生きる気力も何もかもなくしたマルコを立ち直らせねば、あちらの世界は救われない。
六人は簡単に打ち合わせを済ませ、トロフトの端末を呼び出した。