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ss #010  作者: 柳田喜八郎
5/9

ss #010 < Chapter,05 >

 三回戦の前に一時間の昼休憩があった。選手と付き人は食堂か控室、どちらか都合の良いほうで食事をとることができるのだが、特務部隊は食堂では落ち着いて食事できないと判断し、控室でサンドイッチを頬張っていた。

 食事中の話題は、当然二回戦までの反省会だ。

「やっぱりアル=マハ隊長は強いですよ。全然隙が無いんですから。もう、どこから攻めればいいんだか……力量不足を痛感してます」

「アンタはまだいいじゃない。アタシなんか気絶させられたのよ? ホント最悪ぅ~。目が覚めたら対戦相手が自分の身体拭いてるとか、ショックすぎて泣きそう……」

「まあいいじゃないか。はじめて裸を見られたわけでもあるまいし」

「だ・か・ら・よ! アーク相手にはバッチリ勝負パンツ穿いてるときに見せたいの! わかる? この乙女心!」

「副隊長、ロンさんと付き合ってるんじゃなかったんですか?」

「それはそれ、これはこれ。学生時代からずぅ~っと一緒にいるのに一度も落とせてないとか、状況的にあり得なくない!? アタシそんなに可愛くない!?」

「いえ、客観的に見て可愛いと思います。顔とか普通に可愛い系ですし……」

「最大の問題は、アル=マハ隊長がノーマルということだな……」

「でもあいつ、ノーマルっていう割に全然女っ気ないわよね? ギリで可能性あると思わない? もうちょっと押せばイケる気がするんだけど!?」

「アリ……寄りのナシ?」

「あの人はブス専だからな」

「それもただのブス専じゃなくて、どっちかって言うとデブ専寄りの性癖なんですよね。土偶っぽい女っていうか、パグ犬っていうか……なんだろう? 洞窟壁画系?? ちょっと表現が難しいジャンルの顔が好みなのかなー、と……」

「だが、副隊長の体重が今の三倍になれば、あるいは……?」

「でもそれ、騎士団員としてやっていけなくない?」

「そんな気がします」

「そうなったら俺たちが困るな」

「あぁ~、もぉ~う! アークってどうしてこんなに攻略難度バカ高いわけぇ!? 全然攻略法が浮かばないじゃなぁ~いっ!」

「……あれ? 俺たち何の話してましたっけ?」

「アル=マハ隊長の攻略法についてだ」

「そう……ですよね? 何か攻略するポイントが違うような……?」

「ああ、俺も若干、そんな気がしてきた。なにがどうしてこうなった?」

 グレナシンのオカマキャラのせいで、三人の会話は明後日の方向に向かおうとしていた。ベイカーはこの状況を一旦リセットすべく、関係ない話題を振る。

「副隊長、そっちの黄色いのを取ってくれないか? こっちからじゃ手が届かないんだ」

「あら、気が付かなくてごめんなさい。これかしら?」

「ありがとう。……って、うん……??」

 手渡されたサンドイッチを一口齧り、ベイカーは首をかしげた。

 眉間にしわを寄せて考え込むベイカーの様子を見て、二人は尋ねる。

「どうかしたの?」

「なんか変なモンでも入ってたんですか?」

「あ、ああ……これ、タマゴじゃないぞ……??」

「えっ!? タマゴじゃないって、他に黄色いペーストのサンドイッチなんてあるの!?」

「何味ですか?」

「カボチャだ。たぶんクリームチーズと混ぜてある。茹でた豆も入っているようだが……??」

「変わったサンドイッチね。どこの地方のお料理かしら? 味付けは塩コショウ?」

「いや、砂糖だ。ケーキみたいに甘くて、豆も砂糖で煮詰めてある」

「やだ、本当に!? んもう! ここの厨房スタッフ何考えてんのかしら! これから戦おうって人に、甘ったるい菓子パンなんか作るんじゃないわよ!」

「あの、隊長、副隊長。なんとなく言わずにスルーしてたんですけど、さっき俺が食べたの、ハムチーズだと思って齧ったら、薄く伸ばしたイチゴムースとホワイトチョコでした。そこにもう一個ありますけど……」

「イチゴムース!? 本当か!? ……うわっ! 本当だっ!!」

「アタシにも一口! ……って、あっまぁ~い! 本当にイチゴ味ぃ~っ! 切り口だけ見てハムチーズだと思ってたわ! てことは、これ全部菓子パンなの!?」

「レタスが挟まっているのは塩味だ。一つ目はツナマヨだった」

「アタシが食べたのもツナマヨだったわ。じゃあこの中で塩味のパンって、あとはBLTだけ?」

「っぽいですね??」

「そっちの赤いのは、どう見てもイチゴジャムだよな?」

「イチゴじゃないとしても、ベリー系ジャムっぽいわよね? ツブツブしたのが見えてるし……」

 ロドニーは問題の『赤いの』を手に取り、一口齧ってみる。

 首をかしげて眉間にしわを寄せる様子は、先ほどのベイカーの仕草をそのままリプレイしたようだった。

「どうだ? 何味なんだ?」

「甘いの? しょっぱいの?」

「……いえ、その、これ……酸っぱいです。あとちょっと苦くて、少し塩味……」

「酸っぱくて苦くて塩味!?」

「中身は何!?」

「蓮の実と、赤紫蘇と、あとなんか……ローズヒップかな? それ系のミックスハーブのジュレが入っているみたいです……」

「ハーブのジュレとは……美容マニアの薬膳食でもあるまいに、いったい何を考えているのだ、ここの厨房スタッフは……??」

「衝撃的な展開だわ。アタシ、全然理解が追い付かない……」

「どうします? なんか別の作ってもらいますか? 俺、行ってきますけど……」

「あー……いや、いい。食べ過ぎても、集中力が落ちるだけだ」

「そうですか?」

 気を取り直すようにコーヒーのカップに口をつけたベイカーは、ギャグマンガのようなリアクションで口に含んだ液体を吹き出した。

「隊長!?」

「どうしたのよ!?」

「こ、ここ、これ! コーヒーじゃない! めんつゆだ!」

「ハアッ!?」

「なんでそんなモノが……って、うわあああぁぁぁーっ!? た、たたた、隊長! これ……っ!?」

 ロドニーは見つけてしまった。サンドイッチの皿の隅に隠すように挟み込まれた、最悪なメッセージカードを。

 ロドニーから手渡されたメッセージカードを読み、ベイカーはガクリと項垂れる。

「『サイト君へ♪ 厨房スタッフさんにお願いして、特務部隊のランチを特別仕様にしてもらいました♪ 喜んでもらえたかなぁ? 三回戦が楽しみでぇ~す♪』……って、ト~ロ~フ~ト~せ~ん~ぱ~いぃぃぃ~……っ!!」

「うわぁ~、陰湿すぎるわぁ~。まずはメンタル攻撃ってことかしらねぇ……」

「なんか、ものすごくトロフト先輩って感じですね……」

 闘技場の厨房にローズヒップやホワイトチョコレートが常備されているはずがない。トロフトは何日も前から厨房スタッフに接触し、紅茶好きのベイカーは甘党、オカマキャラのグレナシンは美容・健康マニアだとでも言いくるめておいたのだろう。ツナマヨとBLTが『ジャンクフード好き』と報道されているロドニーのために用意されたものと考えれば、激甘・薬膳・庶民的という滅茶苦茶な盛り合わせになるのも頷けた。

「くっ……対戦する前から完敗した気分だ……っ!」

「アークより面倒臭い敵がいたわね!」

「つーかもう、あの人たち相手に攻略法なんてあるんですか!?」

「ない! 当たって砕けろだ!」

「隊長頑張って! なんだったらアタシの勝負パンツ貸してあげる! 決勝で穿こうと思って持ってきた未使用のヤツよ!」

「えぇ~と……色とデザインは?」

「黒の透け透けレースに金ラメ! Tバックで、フロントデザインがアゲハチョウ!」

「あああぁぁぁーっ! 聞くんじゃなかったあああぁぁぁーっ!!」

 ベイカーは盛大に自爆した。グレナシンが穿いているところを想像しても萎えるだけだし、自分が着用しても大幅な士気の低下を招くだろう。

 しかし、絶叫したおかげで閃いた。

 トロフトがメンタル攻撃を仕掛けるとしたら、ターゲットとなるのは自分だけではない。昨年の大会で決勝に勝ち進んだロック・ディー・スコルピオも、何らかの妨害工作を受けているはずだ。

「ふ……ふふふ……どんな対戦カードになるかは分からんが、ロック先輩になら勝てる気がしてきたぞ……っ!」

「本当ですか!?」

「どんな手を使うつもり?」

「それはな……」

 ベイカーの話を聞くうちに、二人も何かを企む顔になっていく。

「面白そうじゃない!」

「その手がありましたね……!」

 早速ロドニーは席を立ち、準備のために控室を出て行く。

 部屋に残ったベイカーは午後に備えてもう一つ二つ食べておこうと、BLTサンドを手に取ってパクリと頬張るのだが――。

「……これ、ベーコンじゃない……」

「え? ベーコン・レタス・トマトじゃないの?」

「ああ……ジャンクフードではなく、薬膳メニューのほうだったかもしれない……」

 グレナシンは皿の上に残されたもう一つのサンドイッチを食べてみた。そして何とも言えない顔でモシャモシャと咀嚼し、結論を述べる。

「干しイチジクを薄切りにしたやつかしら……? この葉っぱも、レタスじゃなくてお漬物系? タカナ……いえ、ケールの酢漬けかしら? ブドウとかフキじゃあなさそうだけど、ちょっとよく分からないわね? どこ地方のお漬物……?」

「見た目だけなら完璧にBLTなのに、なぜ……」

「トマトだけがちゃんとトマトらしくしてるのが逆に腹立つわよね。なんでおいしいのよ、この組み合わせで」

「味付け自体は悪くないのも、リアクションに困る要因だよな」

「ええ、創作料理としてはどれも絶品だわ。ただアタシ、今は普通のサンドイッチが食べたかったのよね……」

「右に同じく……」

 どれだけ美味しい食事でも、そのとき食べたいと思ったものでなければ満足感は得られないものである。二人は微妙な表情のまま食事を続け、謎だらけのサンドイッチの中身を解明することに腐心した。




 午後一時三十分、リングの最終点検と特殊結界の構築が終了し、スタッフの動きが一気に慌ただしくなった。それを見た観客はガサゴソと応援グッズを取り出し、トイレや売店に行っていた客は大急ぎで駆け戻る。


 さあ、いよいよ始まるぞ。第一試合は誰と誰だ。


 そんな期待で闘技場全体がざわめいている。

 グレナシンが『地区予選は八百長試合』と断言したとおり、この大会は例年、貴族か士族が出場するものであった。だが、今年は大会直前にレガーラントブリッジの竜退治があった。特務部隊、近衛隊、中央治安維持部隊がとんでもない火力を披露してしまったせいで、地方支部でドヤ顔をしていた田舎貴族・三流士族が参加を見送ったのだ。

 その結果何が起こったか。その答えがこの光景である。

「場内は大変混雑しております! ここより先には、もう空席はございません! 午後からご来場の皆様は三階席にご案内しております! 係員の誘導に従ってください!」

「これ以上は危険と判断し、入場をお断りさせていただきます! 闘技場前広場に特設モニターを設置しております! パブリックビューイングはそちらで……」

「闘技場前広場、もう入れません! このまま通過してください! もう入れません! この先の駐車場の一部を開放し、クリスタル映写機によるリアルタイム上映を行います! 画質は多少劣りますが、駐車場のほうでも試合はご覧いただけます」

「ただいま駐車場も満員となりました! 闘技場周辺のパブリックビューイングはすべて満員です! 安全のため、当区画への立ち入りを制限させていただきます!」

「二区画先の防災公園にも上映設備がございます! 防災公園内の野外ステージ、防災博物館、隣のミューオンモールイベント広場、近隣の木工体験館、民族史資料館でもパブリックビューイングを行っておりますので、どうぞそちらにご移動ください! もう闘技場周辺のパブリックビューイング会場は満員です!!」

 午後からの試合を見ようと近隣住民が押し寄せ、あっという間に空席が埋まってしまった。それどころか立ち見客も収容しきれず、闘技場前広場、裏手の駐車場、野外ステージ、防災博物館、イベント広場、木工体験館や資料館の映写室・会議室・エントランスホールも埋まってしまうほどの来客数だった。

 これは間違いなく、騎士団史上最高の観客動員数である。毎年夏の武術大会で司会を務める国営ラジオ放送局アナウンサー、ジャン・マラン・メルセンヌも、いつになく興奮しながらマイクを握る。

「さあああぁぁぁーっ! 長らくお待たせいたしましたっ! これより夏季武術大会、午後の部を開始いたしまあああぁぁぁーすっ!!」

 この絶叫アナウンスに、場内のボルテージは一気に跳ね上がる。昼食後のうっすら眠気を覚える時間帯であっても、今年は居眠りをする人の姿は見受けられない。

 巨大モニターに映し出されるマルコの姿。彼は普段の柔和な笑顔を消し、真剣な面持ちで抽選箱に手を入れている。

 つられて息をひそめる観客たち。

 これは試合の抽選ではない。『三回戦に出ない一人』を決めるための抽選だ。

 大会参加者が三十六名で、二回戦進出は十八名、三回戦進出は九名。三回戦はここで一人が『不戦勝通過』となり、残りの八名で戦うことになる。

 これまでの戦いぶりから、既に全員が『スター選手』になっていた。観客は応援する選手の四回戦進出を祈るより、この抽選によって『誰の試合が見られなくなってしまうのか』ということを心配していた。

 尋常ならざるプレッシャーを感じながら、ついにマルコは一枚の紙を取り上げる。

「三回戦、不戦勝通過者は……騎士団本部所属、Nameless!!」

 選手は安堵、観客は絶叫。その反応は実に分かりやすく二分された。

 午後は一回戦と同様、選手全員がリング前の選手席に待機した状態で始められている。名前を呼ばれたNamelessはスッと立ち上がり、その場でバックヤードに引っ込んでいってしまった。

 がっかりする観客の溜息の中、マルコは第一試合の抽選を行う。

「第一試合対戦者は、北部国境警備部隊、ロック・ディー・スコルピオ! 西部国境警備部隊、マイキー・テッサリオス!!」

「おおおぉぉぉーっとおおおぉぉぉーっ! 近接戦闘に特化した蠍族と魔弾使いの真っ向勝負だあああぁぁぁーっ!? マイキー選手は一回戦、二回戦ともに対戦相手を近付かせることなく勝利しています! 優勝候補ロック選手、苦手な中・長距離攻撃にどう対処するのかあああぁぁぁーっ!?」

 名前を呼ばれて立ち上がる二人。

 すると場内には派手な音楽が鳴り響き、二回戦までは無かった特殊演出が始まる。

 巨大モニターに映し出されるロックの戦闘シーン。そして過去大会の出場記録、対戦成績などが次々と表示されていく。今大会から始まった国営テレビによる全国生中継を盛り上げるため、各選手のプロフィール映像が用意されているのだ。

 ロックの後はマイキーの紹介映像だ。だが、マイキーは今大会が初出場。そのため予選大会での映像をつなぎ合わせた『本戦出場へのヒストリー映像』となっている。


 決勝進出は当たり前、大会常連のロック・ディー・スコルピオ。

 やっとのことで本戦出場資格をもぎ取った大会ルーキー、マイキー・テッサリオス。


 対照的な二人の紹介映像は、場内の空気を大いに盛り上げた。どちらが勝っても悲鳴と歓声の嵐になることは間違いない。二人を見送る選手たちも、いつになく硬い表情でリングを凝視する。

 向かい合い、構える二人。

 試合開始の合図とともに、二人は同時に魔弾を使う。

「魔弾装填! 《スパイダーネット》!」

「魔弾装填! 《ブラッドギル》!」

 いずれも最短チャージで発射可能な弾である。蜘蛛の巣で自分の周りにネバネバゾーンを作るマイキーだったが、残念ながら、一回戦のような展開には持っていけない。ロックが撃ったのは自身とマイキーの間の地面だ。散弾タイプの《ブラッドギル》で《スパイダーネット》に穴をあけ、最低限の足の置き場を確保したのだ。


 間合いに入られたら死ぬ。


 頭ではなく、本能で感じる変え難い事実。マイキーは即座に手法を変え、なんと猟銃を放り出した。

「何を……うわっ!?」

 投げ捨てたわけではない。猟銃は宙に浮いたまま、勝手に射撃を続けている。

 そしてマイキーは懐から剃刀の刃を取り出し、ロックに向けて投げつけた。

「《旋風》発動!」

「チッ! お前、風属性か!」

 ロックは物理防壁を構築し、風に舞う剃刀をガードする。魔法耐性を持つ蠍族への対抗策として、風で武器を操り、物理攻撃を仕掛ける作戦のようだ。

 しかしこの程度で無力化するのなら、蠍はこうも恐れられない。

「魔弾装填! 《ティガーファング》!!」

「!!」

 貫通力の高いティガーファングを使われたら一撃で勝負が決まる。マイキーは蜘蛛の巣の真ん中に立ち続けることは危険と判断し、《スパイダーネット》を解除。《キラービー》という魔弾に切り替える。

 一気に激しくなる攻防。

 物理防壁の耐久限界までは余裕がある。ロックは強引に突っ込むが、マイキーのほうはここで近付かれたら押し負けると分かっている。受けて立つ愚は犯さない。

 十五メートル四方のリングの中、逃げ回りながら攻撃し続けるマイキーと、追い回しながらひたすら防御に徹するロック。


 それはなんとも不思議な光景だった。


 逃げる者と追う者がいるなら、普通は逃げ回る側にヤジが飛ぶものだ。また、攻撃し続ける者と防戦一方の者なら、やられっぱなしのほうに「一発くらいはやり返せ」とヤジが飛ぶ。

 けれども、この試合はそのどちらでもない。ロックは防御しかしていないはずなのに、圧倒的に『狩る者』の威圧感を放っている。マイキーは攻撃し続けているはずなのに、誰の目にも『蠍に狙われた獲物』として映っている。

「お、おい、これって……?」

「どっちが押してるんだ……?」

 司会者によるアナウンスで、観客は双方の魔弾の特性と連射可能数について説明される。

 《キラービー》は散弾タイプ。同じ散弾タイプの《ブラッドギル》との違いは、面ではなく時間差で攻撃することだ。攻撃性の高い淡水魚を模したブラッドギルは広い面積に同時に着弾するが、ミツバチを模した挙動で飛翔する《キラービー》は複数に分裂したエネルギー弾が時間差をつけて順次着弾していく。ある程度の照準補正性能もあり、軽く動いたくらいでは躱しきれないのが特徴だ。

 対する《ティガーファング》は貫通力の高い一撃必殺タイプ。決まれば大打撃を与えられるが、一回のチャージに時間がかかる上に軌道も読みやすい。実戦で用いるには仲間のサポートが必要とされる。

 一長一短、連射を選べば威力が劣り、一撃必殺を狙えば命中精度が落ちていく。

 あまりにも対照的で、観衆にはどちらの武器がどの程度優れているのか、まるで判断がつかない。


 続く追跡戦。

 甲乙つけがたい互角の攻防。


 そんな埒の開かない戦いは、その後約五分間続いた。

 状況に変化をもたらしたのはマイキーである。

「《風陣》!!」

「うっ!?」

 風の呪陣を構築し、ロックを押し戻しつつ防御を固める。

 追いかけるロックと違い、追われる側のマイキーは常にバックステップで移動し続けていた。気力、体力ともに消耗が激しく、これ以上逃げ回るのは不可能と判断したのだろう。マイキーはリングの角を背にして迎え撃つ態勢だ。

 しかし、ロックはこれを好機とは見なかった。マイキーはここまで、自分にとって有利な状況を作ることにこだわり続けたのだ。体力を使い果たした末の苦肉の策と思えば、手痛いカウンターを食らうことになる。

 ロックは魔導式短銃をホルダーに収め、剣を抜いた。

「えっ!? チャンスじゃねえか! なんで撃たねえんだ!?」

「剣じゃあ攻撃できねえから、銃で狙ってたんじゃねえのか!?」

「どういうことだ? 何する気だよ、あいつ」

「なあ、誰か説明してくれ! これってどっちが有利な状況なんだ??」

 動揺する観客の声はロックにも聞こえているが、武術大会の常連はこれだけ大勢の前でも微塵も緊張していなかった。

 剣を持ったまま、両手を頭上に掲げて手拍子を打つ。

 つられて同じリズムで手拍子を打ち始める観客。ロックはそのリズムに合わせて、簡単なステップを踏む。そしてそのまま、踊るような軽やかさで風の呪陣に突っ込んでいった。

 安全のため、選手の身体には防御魔法《銀の鎧》がかけられている。ある程度までは物理・魔法両方の攻撃に耐えることができるのだが――。

「お……おおおぉぉぉーいっ! マジかよ! なんだこれ! 超カッケエェェェーッ!」

「剣だけ!? ここに来て、剣だけでやろうってのか!?」

「すげえ! なんだこれ! マジでヤベエよ!」

「いいぜいいぜー! 蠍の兄ちゃーん! もっといけーっ! それでこそ戦闘特化種族だーっ!」

 ロックはものの数秒で、どちらのファンでもなかったその他大勢を味方につけてしまった。

 《銀の鎧》による防御、蠍族のフィジカルの強さ、種族特性としての魔法耐性、三本目の腕ともいえる毒針攻撃。ロックはそれらすべてを駆使して肉弾戦を仕掛け、同時に場内の雰囲気によってマイキーの焦りを誘発している。

 試合前に掛けられた《銀の鎧》の強度はどちらも同じ。ロックの斬撃は《風陣》の強風で精度・速度ともに削がれているし、《キラービー》の直撃でダメージも負っている。蠍の毒針は確かに恐ろしいものだが、一回戦のエディーがそうであったように、一発で即死するほどの毒性はない。


 このまま凌ぎきれば自分の勝ちだ。

 先に体力が尽きるのはロックのほうに決まっている。


 マイキーはそう思っていた。冷静に考えて、誰が見てもそのような状況だったのだ。

 しかし、ロックは笑っている。まだまだ余裕があるということなのか。それとも、この状況をひっくり返すだけの隠し玉を持っているのか。タフなことで有名な蠍族相手に、このまま凌ぎきることはできるのだろうか。

 マイキーの耳に届く歓声と手拍子。それはロックの斬撃と完全にシンクロしていて――。

(観客には、こいつの『奥の手』が見えてるってことなのか……っ!? だとしたら、このままじゃ……っ!!)

 マイキーは己の力を信じ切ることができなかった。

「この……クソオオオォォォーッ!」

 もっと破壊力のある魔法を――そう思い、マイキーは《風陣》を解除してしまった。

 それは最悪な判断ミスだった。

「もらった!」

「っ!!」

 邪魔な風がなくれば、あとはもうロックの独壇場である。一回戦、二回戦同様、ロックは圧倒的な破壊力で一気にたたみかける。

「オラオラオラオラオラアアアァァァーッ!!」

「……っ! く……! がっ……!」

 蠍の猛攻に人間が勝てるはずもない。試合は《銀の鎧》の耐久限界を見てレフェリーストップ。ロック・ディー・スコルピオの勝利がコールされ、場内には恐ろしいほどの熱気が渦を巻く。

 手を挙げて歓声に応えるロックと、医療チームに担ぎ出されていくマイキー。それを見つめる選手席には、なんとも言い難い空気が流れていた。

 この試合の勝敗を分けたのは精神力の強さだった。あのまま続けていたら確実に負けていた試合を、ロックは観客を味方につけることで、いともたやすくひっくり返して見せた。


 一対一ではない。この先の戦いは、『群れ』と『群れ』との戦いになる。


 相手の『群れ』を呑み込むほどの味方を作れるかどうか。今必要とされているのは、これまでの大会で求められていた『個人の技量』とは全く別の才能だった。人の心を惹きつけ、味方にしてしまうカリスマ性。それは一介の騎士や剣士でなく、軍勢を率いる『武将』としての才能である。

 人の上に立つことの難しさを知っているベイカーは、場内の観客の大多数が一般市民であることに危機感を覚えていた。

 三回戦に勝ち進んだ者のうち、半数が市民階級である。貴族の自分と市民階級の誰かが当たれば、無条件で相手選手を応援する者も多いはずだ。対戦カード次第では、完全アウェイの空気で戦うことにもなりかねない。

「……マルコ、頼む! 頼むから、もう神がかり的くじ運は発揮しないでくれ……!!」

 目を閉じて祈るベイカーだったが、闘技場内のどの神からも返答はない。どうやらこの祈りは届かなかったらしい。

 鳴りやまぬ拍手の中、次の試合の準備が始まる。

 せわしなく動き回る運営スタッフ、張り直される特殊結界、そしてモニターに映し出されるマルコの姿。

 マルコは抽選箱に手を突っ込み、ゆっくりと二枚の紙を取り出す。

「三回戦第二試合は……南部国境警備部隊、トロフト・ブルーマン! 近衛隊、ジェレミー・テスラ!!」

 すかさず映し出される選手の紹介映像。

 前回優勝者、純血魔族のトロフト。簡単なプロフィール紹介のあとに上映されるのは前回大会、前々回大会での戦いのダイジェスト映像だ。トロフトの見事な戦いぶりに、誰もが期待を高めていく。

 しかし、続いて流れたジェレミーのプロフィールにはこれといって注目すべき点がない。中流士族の家に生まれ、王立高校を出て騎士団に入ったごく普通の騎士団員。近衛隊に配属されたからには腕は立つのだろうが、それにしても、パッと目につく功績が何一つない。

 観客はこの時点でトロフトが勝つに違いないと考えた。けれども次の映像で目の色を変えることになる。


 レガーラントブリッジで竜に向けて《雷霆》を放つ雷獣たちの映像。

 そして竜を生け捕りにした後、王子を胴上げする映像。

 そこには確かにジェレミーが映っている。


 ここに来て、これまでノーマークだった『竜退治の英雄』の一人が登場したのだ。特別攻撃部隊に選抜された雷獣たちが桁外れに強かったことを、中央市民はリアルタイムで見て知っている。場内のテンションは一気に跳ね上がり、歓声の大半がジェレミーコールになってしまった。

「あっちゃあぁ~……まいったなぁ……」

 苦虫を噛み潰したような顔のトロフトに、選手は揃って同情した。

 多くの騎士団員は市民マラソンや陸上競技大会、射撃や馬術の大会に参加している。ジェレミーにもそのような大会参加記録があれば良かったのだが、なにしろ所属が近衛である。機密保持の観点から王宮外の人間との接触を禁じられているため、ジェレミーには何の映像記録も残されていなかった。観客の反応がこうなってしまうと分かっていても、この映像を使うしかなかったのだ。

 異様な熱狂に背を押され、名前を呼ばれた二人がリングに上がる。

 トロフトにとっては非常にやりづらい空気の中、試合が始まる。

「《白金の鎧》!!」

 トロフトが使ったのは純血魔族のみが発動できる究極の防御魔法だ。これは一般的に最高位とされている《銀の鎧》のさらに上位魔法で、すべての攻撃を完全防御すると言われている。

「行くよ!」

 トロフトは無敵の鎧を纏って剣で攻撃する戦闘スタイルを選択した。究極の防御魔法と呼ばれるだけあって、《白金の鎧》は莫大な魔力を消費してしまう。この魔法を使った時点で別の大技の併用は難しくなる。

 対するジェレミーが選んだのは、実に雷獣らしい戦い方だった。

「《雷装》! 《バスタードドライヴ》!」

 雷の鎧を纏い、両足に魔法の車輪を履いての超速斬撃。グレナシンの光の剣を真似てか、ジェレミーは剣にも雷を纏わせていた。トロフトにしてみれば、ジェレミーの攻撃を止めるたびに魔法と物理両方のダメージを受けることになる。完全防御にも耐久限界はあり、あまりにも強い攻撃を受け続ければ《白金の鎧》も打ち壊されてしまう。

 ステータスのすべてを防御に振り分けたトロフトと、種族特性そのものが攻撃特化型のジェレミー。見事に分かれた両者の色に、まだどちらの応援にもついていなかった観客も立場を決めた。

「なんだあいつ! 全然攻撃してないじゃんか!」

「やっぱガンガン攻め込んでるほうが格好良いよな!」

「頑張れジェレミー! 応援してるぞーっ!」

 昼食メニューでメンタル攻撃を仕掛けるほど性格の悪い男も、さすがにこの空気には気圧されてしまった。耐久限界まではまだまだ余裕があるはずなのに、ついつい攻撃を避けてしまう。

「く……!」

 体を左右に振れば次の動作が遅れる。そして一つの動作が遅れれば、《バスタードドライヴ》で加速したジェレミーに容易く斬り込まれる。

 だがそれが分かっていても、今更流れは変えられない。

 本来なら食らわずに済んだはずの攻撃をいくつも食らい、無駄に動いたせいで余計な体力を使い――気付けばトロフトは、完全に『やられる側』になっていた。

 対するジェレミーは観客の声援に後押しされ、最高のコンディションを維持したまま攻撃を続けている。

 予想だにしないこの展開には、他の選手らも声を上げずにいられなかった。

「そんな……トロフト先輩が押されているだなんて……」

「とんでもない番狂わせ……いや、ある意味これが妥当な流れか……?」

「去年までの大会がひどすぎたんだ。貴族のボンボンと金のある士族が、名前を売るためだけに参加していたから……」

「これが実力のみで選考した結果か……」

 選手席の四人は思った。


 場内の空気がどうなるか、これは全く読めないぞ――と。


 試合開始から七分二十秒。ついに決着がついた。

「ストップ! 両者、攻撃をやめてください! トロフト選手の防御魔法は耐久限界を超えたと判断し、この試合はジェレミー・テスラ選手の勝利とします!!」

 トロフトはまだ自分の足で立っているし、《白金の鎧》も消えてはいない。トロフトを応援していた観客はブーイングで猛抗議するが、審判団に加わったガルシアがリングに上がり、判定の理由を説明した。

「皆様、ご清聴願います。これは実戦でなく、武術の腕を試す競技会であります。まだ余力のあるうちにレフェリーストップをかけ、選手の身の安全を最優先とせねばなりません。観客の皆様には《白金の鎧》がまだまだ十全に作用しているように映っていたかもしれませんが、私は彼の上司です。彼の魔法の限界値がどの程度のものか、きっちり把握しているつもりです。あのまま続けていたら、トロフトは身を守る術を一切失った状態でジェレミーの雷撃を受けることになったでしょう。生身で雷獣の攻撃を食らえばどうなるかは、ご観覧の皆様もよくご存じのことと思います。良くて全身不随、悪くて爆発か炭化、普通に考えても感電死です。ほかの審判たちとも協議した結果、この判定を下したことをご理解いただきたいと思います」

 深々と頭を下げるガルシアに、それ以上のブーイングを投げつけられる人間はいなかった。

 健闘を称える拍手に見送られ、トロフトはリングを後にする。


 残る二試合、自分が戦う相手はこの三人のうち誰か。


 難しい顔で抽選を待つベイカーらの耳に、司会者の絶叫アナウンスが突き刺さる。

「おおーっとぉっ!? マルコ王子、いったいどうされたのでしょうか!? 抽選箱の横にペットの亀を置き、お祈りされているようですがぁーっ!?」

 マルコは机の上に玄武を乗せ、手を合わせて祈っていた。

 やはりマルコも、自分のくじ引きセンスが壊滅的にイケていないことには気づいていたらしい。しかし、お祈りされた玄武は困り顔でオロオロするしかない。玄武はくじ引きや運命の神ではなく、生き物を創り出す創世神なのだ。この局面で祈られても、マルコが神経性胃炎にならないよう、ほんの少し胃壁を丈夫にすることしかできない。


 これはダメだ。


 ベイカーは心の底からそう思った。

「あ、準備が整われたようですね! さあ! 三回戦第三試合は誰と誰がマッチングするのでしょうか!? マルコ王子、抽選をお願いいたします!!」

 幾度目とも知れぬ深呼吸ののち、箱に手を入れるマルコ。残り四枚しかない紙の中から、慎重に二枚を取り出す。

「特務部隊、サイト・ベイカー!! 西部治安維持部隊、ヒース・ロジャー!!」

 マルコが名前を読み上げた直後、二人の紹介映像が流れ始める。

 ベイカーのほうは剣術大会での優勝シーンと、建国記念日の儀礼剣舞、第一試合の映像をつなぎ合わせたものだった。


 相手選手の手甲を狙って剣を落とさせる、正確で無駄のない攻撃。

 華麗な装束を身に着け、優美な舞を披露する艶やかな所作。

 《狂装》状態での鬼神のごとき猛攻。


 あまりに多彩な表情に、観客は驚きを隠せずにいる。

 だが、続けて流れたヒースの紹介映像にはさらなる驚きと感嘆の声が漏れた。

「これは……!?」

「えっ!? まさか、本当にっ!?」

「スゲエ……」

 それは魔法技能を競うナイトメアゲームの記録映像だった。

 ナイトメアゲームは民間主催のアマチュア競技会で、騎士団員が参加する公的な大会とは毛色が異なる。どちらかといえばサバイバルゲームやカードゲームの大会と同列に考えられる『オタク向けの大会』で、そこで優勝したとしても、一般人の反応は限りなく薄い。

 ヒースはそのナイトメアゲームで二度も優勝していた。それもなんと、彼の対戦記録は――。

「《封殺呪詛》と《魔鏡》と《強制解除》でマスタークラスって……」

「相手の攻撃、一発も通ってねえ……!」

「え? これって、ベイカー隊長の攻撃、当たらないんじゃない……??」

「ちょ、ま、へっ!? 嘘だろ!? 今の見た!? 二位と三位の人たち、王立大学の魔法学ラボの人たちじゃん! 魔法学のプロに勝っちゃってるの!?」

「えええっ!? 本職の魔法学者が負けたの!?」

「マジかよ!? ヤッベエなっ!?」

 一気に怪しくなる場内の空気、吹き出す冷や汗、瓦解していく脳内プラン。

 表面上は平静を保ちながら、ベイカーは二回戦のヒースの様子を思い出していた。ヒースはあの時、さも当然のようにジミー・ウォンを挑発し始めた。観客の目を意識したパフォーマンス的挑発は、こういう大会の出場経験がない人間にはできない芸当だ。


 ヒースは場慣れしている。

 騎士団員に対し、圧倒的有利な技をいくつも持っている。

 そしてそれを紹介映像が流れる三回戦までうまく隠して、試合直前で対戦相手のメンタルを揺さぶることに利用した。


 想像以上の策士の登場。

 ベイカーはこの時点で、自分の勝率が限りなく低いことを理解した。

(く……勝ち筋が見えん……っ!)

 リングに上がってからも、最初の一手が決められない。

 向かい合い、呼吸を整える。

 一瞬の静寂。

 試合開始の合図とともに、ヒースは《封殺呪詛》を発動させた。

「ならばっ!!」

 《封殺呪詛》の影響下では魔法も魔導式短銃も使えない。しかし、この条件ならば得意の剣術で攻め込める。

 速攻を極めるつもりで鋭く斬り込んだベイカーだったが、『ただの剣術』がヒースに通用することは無かった。

「何っ!?」

 ウォータースコーピオンは肉食性の昆虫系種族。水中を素早く泳ぎ回る獲物を、前足を使って捕獲する。

 水の抵抗があってなお、俊敏な水棲生物に『鋭い一撃』を入れられるのだ。水の抵抗が一切ないこの場では水中以上の高速攻撃が可能である。ヒースはベイカーの攻撃速度に難なく対応し、すべての斬撃をナイフで受け流して見せる。

「く……っ!」

「どうしました? この程度ですか?」

「この……っ!」

 どこから仕掛けても、一発も当てることができない。それでもこの場には《封殺呪詛》が作用している。こうして剣で攻撃する以外に、使える手は何もなかった。

 だが、諦めることなく攻撃を続けること三分。ベイカーはヒースの弱点に気付く。

 ヒースは水棲昆虫だ。反射速度が優れているのは捕食に用いる両腕のみ。人間の姿を取っている今、足回りの機動力は成人男性の平均並みか、むしろそれを下回る。ベイカーを挑発して攻撃を誘ってはいるが、自ら打って出る様子はない。

(なるほど、この男……だから防御系魔法を磨いたのか!)

 相手を挑発するのも、剣で攻撃するしかない状況を作り出すのも、ウォータースコーピオンの種族特性を最大限生かすための手段であろう。

 正体が分かれば怖くはない。

 ベイカーはフッと身を引き、攻撃をやめた。そしてあろうことか、剣を鞘に納めてしまった。

「んんっ!? なんだなんだ!? いったい何があったのでしょうか!? ベイカー選手、剣を収めてしまいました! これは一体どういうことでしょうか!?」

 司会者の声にベイカーはわざとらしく肩をすくめ、両手を広げて『やれやれ』というように首を振る。

「なあヒース? お前、さてはその場所から動けないんじゃないか? 先ほどの《封殺呪詛》で、自分の足にかけていた強化魔法まで消してしまっただろう?」

「っ! ……さすがは特務部隊長殿。お気付きになられましたか……」

「隠しきれると思っていたのか?」

「いいえ。時間の問題だとは思っていました。ですが、ウォータースコーピオンは知名度が低い種族です。我々の種族が足への《強化魔法》を必要としていることを、以前からご存知でしたか?」

「いいや。すまないが、ウォータースコーピオンという種族自体、今日初めて知った。だが、うちの隊にも水棲種族がいるからな。陸上生活に不都合がある事は容易に想像できる。泳ぐことに特化した足で二足歩行はつらかろう。強化魔法なしで大丈夫か?」

「フッ……対戦相手の心配とは、敵いませんね。度量が違いすぎますよ……」

「どうする? このまま間合いの外から銃撃されて終わるか? 俺は火薬式の短銃も装備しているが、この場でそんな終わり方は無粋極まる。できることなら正々堂々、真っ向勝負で決着をつけたい」

「ありがとうございます。では……《封殺呪詛》解除! 《身体強化》発動!」

 ヒースの準備が整うのを待ち、ベイカーは改めて剣を抜く。

「全力で行かせてもらうぞ!」

「それはこちらも同じこと!」

 仕切り直して始まった勝負。それは魔法なしの、純粋な剣術勝負だった。

 選手の襟元に取り付けられたピンマイクで、二人の会話は観客にも聞こえている。観客は『真っ向勝負』を選択した二人の騎士に、惜しみない拍手と声援を送る。


 場内に響く手拍子。


 それはどちらの応援でもなく、二人の騎士を鼓舞するものだった。

 ベイカーの武器は極細のレイピア。刃渡りは50cmほどで、刺突系の攻撃に特化した剣である。軽くて扱いやすい代わりに、側面からの攻撃には弱い。

 ヒースの武器は大きめのサバイバルナイフ。刃渡りは30cmほどで、鉈代わりに枝を落とすことも、獣の肉を解体することもできる多用途型の丈夫なナイフだ。

 小柄なベイカーと長身のヒースでは間合いの広さはほぼ同じ。薙いでも突いても攻撃できるサバイバルナイフと、ほぼ突くことしかできないレイピア。双方の武器の特徴がこれ以上ないくらい引き出された個性全開の対戦に、観客のみならず、関係者席の騎士団長とマルコも瞬きを忘れて見入ってしまった。

 バックヤードでテレビ画面越しに観戦していたグレナシンは、先ほどのベイカー以上に大げさな『やれやれ』を披露する。

「さっすが隊長。あの言い回しなら、相手の面目も立つわよね」

「でもあれ、実際のところは逆ですよね?」

「ええ。普通に斬り込んでも勝てそうにないから、難癖付けて無理やり自分の土俵に乗せ換えただけよ」

「ですよねー……」

 ベイカーの見事な話術に、ロドニーも苦笑しきりである。

 彼らは素の表情のまま生きているわけではない。生まれた瞬間から貴族の子弟としての立ち居振る舞いを教え込まれ、常に『それらしく見せること』を要求されてきた。自分には余裕がある、何かを成し遂げられるだけの度量があると見せつけることで、部下や領民が無用な不安を抱かぬよう心理操作するのだ。

 いくらこの手の大会で場慣れしたヒース・ロジャーであっても、生まれた瞬間から強がりとハッタリ、人心掌握と心理誘導を叩き込まれたベイカーには競り負ける。

 例年であれば決して見ることができない『尺度の異なる強さ』のそろい踏みに、バックヤードの騎士団員たちも判を押したように同じ言葉を呟いている。

「去年までの大会は何だったんだ……」

 剣、魔法、種族特性、心理誘導、武器相性や特殊技能の組み合わせ。ありとあらゆる要素が複雑に絡み合う試合運びに、誰もが画面から目を離せずにいた。

 二人の白熱した剣戟は続く。

 しかし、純粋な『斬り合い』ならベイカーに分がある。徐々に手数で押し負かされていくヒース。そしてついにリングの角に追い詰められ、喉元に切っ先を突きつけられる。

「っ! ……降参します……!」

 ヒースはナイフを収め、両手を上げた。この瞬間、ベイカーの勝利が確定。レフェリーのコールを待たず、場内には『祝いの歌』が響き渡る。

 見ればスタンド席の一角は雷獣族だけで埋められていた。雷獣の居住地は北部から西部にまたがる山脈沿いに限られているが、仕事の都合で中央に来ている雷獣もいる。同族の英雄を応援するため、中央在住の雷獣たちが大集結しているようだ。

 ベイカーはそちらに向けて剣を掲げ、それから胸に手を当て、深々と頭を下げた。

 地方の祝い事で歌われる民謡を知る者などそう多くはない。貴族であるベイカーが市民に向けて最大級の謝意を示したことに、雷獣以外の観客は大いに驚かされた。

「え? なんだ? この歌、なんなんだ?」

「公用語じゃないよな? 雷獣族の言葉か?」

「軍歌とかじゃないよね? なんか、すごくのんびりした歌だけど……」

 放送席のスタッフたちが大急ぎで確認に走り、貴賓席にいたベイカーの姉が急遽解説員としてコメントすることになった。

「この歌は村の祭りや結婚、出産、そのほか特別に喜ばしい出来事があったときに歌われる『祝いの歌』です。雷獣族にとって、仲間からこの歌を贈られることは最高の名誉とされています。皆さん、弟のために、素敵なお祝いをありがとうございます」

 巨大モニターに映るベイカーの姉は瞳を涙で潤ませている。その他の種族の観客たちも、実の姉が感動のあまり涙ぐむほど名誉なことだと理解した。

 当然のことながら、ベイカーの姉も芝居がうまい。名誉なこと、喜ばしいことであるのは確かだが、涙は演出である。

(姉上……相変わらず涙腺コントロールがお上手ですね……!)

 姉の名演による後押しもあり、『祝いの歌』を歌った雷獣たちはこれまで以上に気持ちを一つにして盛り上がっていた。そして同時に、ベイカー家の恐るべき人心掌握術に、貴族の子弟らは残らず震え上がっていた。

「さすがはベイカー家……!」

「敵に回したら即日潰されそうだ。おお、恐ろしい……」

「歌い始めた最初の一人は仕込みかもしれんな?」

「だろうな。おそらくベイカー家の使用人だぞ」

「あ、今通路のほうに行った男、サイト・ベイカーの護衛隊長じゃないか?」

「なるほど、護衛隊長ダージリンか。あの男はサイト・ベイカーの行くところなら、どこにでも現れるからな」

「あーあ、うちの執事たちもあのくらい万能だったらなぁ……」

「お前、うちの爺やに無茶なことを要求するなよ? あの男の有能さは異常としか言いようがないんだから……」

 バックヤードで、貴賓席で、関係者席で、それぞれの家のテレビの前で、一部始終を目撃していた貴族たちはこう思っていた。


 サイト・ベイカーの恐ろしさは、女王の寵愛を得ていることばかりではないぞ――と。


 ベイカーとヒースがリングを降りると、モニターにはマルコによる抽選箱の解体の様子が映された。

 三回戦最後の対戦カードは北部国境警備部隊のウォルター・スコックスと中央治安維持部隊のスーリヤ・シャルマ。箱の中にそれ以外の紙が残されていないこと、これまでの抽選に不正がなかったことを証明するため、箱をひっくり返して紙を取り出す。

 そこまでは手順通りに進んでいたのだが――。

「……えっ!?」

 箱の底に貼り付けられた怪しげな紙。

 その表面に魔法呪文らしきものが書き記されているところまでは視認できた。だがそれが何かを確認するより、発動のほうが早かった。

「ぅぐっ!?」

 突如現れた戦闘用ゴーレム。

 五メートルを超える大型ゴーレムにガッチリと体を掴まれ、マルコは一瞬で体の自由を奪われる。

 ゴーレムは《衝撃波》で周囲の人間を弾き飛ばし、同時に《防御結界》を構築した。

「な、何事だ!?」

「あのゴーレムは誰が操っている!?」

「早く! 早く王子をお救いせねば!」

 騒然とする場内。

 正体不明の戦闘用ゴーレムに王子が囚われたのだ。前代未聞の大事件に、誰もが一瞬、何をすべきか分からなくなった。

 棒立ちになる騎士団員らをあざ笑うかのように、戦闘用ゴーレムは外部スピーカーの音量を最大にして犯行声明文を読み上げる。

「我々は愛国革命軍! 真にこの国の発展と文化の継承を望む者なり! 我が国は代々、神聖なる魔女王様のお力によって平和を保たれてきた。それがなんだ! この男が魔女王様の息子だと名乗り出てから、急に正体不明のモンスターや竜族が現れ始めたではないか! この男がすべての元凶なのだ! 我が国に王子はいらない! 神聖にして純潔なる魔女王様がおられればそれでいい! 我々の要求は愛欲に溺れ穢れた女、現女王の退位と、処女の魔女を新たな魔女王様として即位させることである! 魔女王ヴィヴィアンよ! 息子の命が惜しくば、直ちに玉座を降りるがいい!」

 この要求に、誰もが一瞬考える顔になった。

 歴代女王は処女だったわけではない。法によって結婚を禁じられていただけで、少し文献を漁れば幾人もの『女王の愛人』の名前が浮上する。そしてそれらの書籍は一般市民でも簡単に閲覧できるよう、公立図書館の一般書架に収められている。

 王家の人間が神格化されないよう、あえて『普通に恋愛もする』『普通に食事もとる』『普通に病気にもなる』と示しているのだが、それでもこうして勘違いし、暴走する人間がいるから困ったものである。

「あー、あー、聞こえるか? 私は南部国境警備部隊副隊長のウルラート・ガルシアだ。君の要求は理解した。だが、君は大きな思い違いをしている。正体不明のモンスターはマルコ王子の存在が周知される以前から全国的に出現しているし、竜族、もしくはそれに類する存在は封印魔法の経年劣化によりたびたび現れ、その都度再封印されている。全国紙では報道されていないのかもしれないが、南部エリアでは十年に一度は再封印案件がある。我々シュプリームスの活動記録は公開請求無しで常時閲覧可能なので、ぜひとも549年2月24日の記録を参照してもらいたい。スクイード島の入り江に出現した竜族らしき巨大生物との交戦記録だ。早朝四時から十六時間戦い続けて、最終的に千五百人がかりで一斉に封印魔法をかけ、どうにか黙らせた。ここ十年以内の封印案件としては、他に東部治安維持部隊と西部国境警備部隊でも類例がある。二十年、三十年以内とすれば、それらしい巨大生物の出現数は二桁以上になる。君はそれらの記録を参照したことはないのか?」

 審判席のマイクでそう呼びかけるガルシアだが、犯人からの応答はない。

 犯人は歴代魔女王を『未婚=処女』と思い込むほどの文盲だ。モンスターや竜族の出現数について、文献を調べて具体的な数字を割り出すことはしていないのだろう。


 何もかもが妄想と思い込み。


 犯人以外の全員がそれを理解したが、犯人はガルシアの言葉の意味を理解できていないらしい。「そんな嘘は信じない」「すべては陰謀だ」「現女王の犬の言葉など信じられるか」などと喚き散らしながら、マルコを掴む手に力を入れる。

 このままではマルコが殺されてしまう。

 そう思った観衆だったが、皆、大切なことを忘れていた。


 マルコは両腕の自由を封じられているだけで、魔法までは封じられていない。


 何の前触れも無く出現する《緊縛》の鎖。

 魔法の鎖は戦闘用ゴーレムの手足に絡みつき、恐るべき力でゴーレムの両腕を引き千切った。

 地面に降り立ったマルコは乱れた衣服を正すより先に携帯端末を取り出し、ロドニーにかける。

「ロドニーさん、抽選箱を用意したスタッフはC8ゲートからバックヤードに入りました。このタイプの呪符は遠隔発動できませんから、おそらく今、貴賓席下の連絡通路にいるはずです。追跡をお願いします」

「もう走ってるぜ! っと! おい! そこのお前! 止まれ!」

 この時、マルコの携帯端末とゴーレムの外部スピーカーの両方から「畜生!」という声が聞こえた。ロドニーは間違いなく犯人を追っている。

 バックヤードにいるのは選手の付き人や大会運営の補助として動員された騎士団員たちだ。逃げる犯人と追う仲間がいるなら、何をすべきかは体に叩きこまれている。

「全ゲート封鎖! 一人も外に出すな!」

「運営スタッフの点呼を実施する! イベント会社が作成したリストは信じるな! 一人ひとり身元を照合し直すぞ!」

「警備班! トイレとゴミ箱の安全点検を実施!」

「会場全域に《強制解除》と《封殺呪詛》を! 武器弾薬の持ち込みは難しいはずだ! 魔導式の起爆装置類さえ無効化すれば、ひとまず安全が確保される!」

「場内アナウンス流せ! 自分たちの足元に所有者不明の鞄類がないか調べさせるんだ!」

 あまりにも迅速すぎる対応に、観客は状況を理解する前に犯人逮捕の現場を見せつけられることになる。

 場外に出るためのゲートを封鎖されてしまい、犯人は闘技場の入場口に逃げるしかなくなっていた。

 必死の形相で飛び出してくる男。

 それを追う形で姿を現したロドニー。

 男の正面で待ち構えているのは、試合を終えたばかりのベイカーである。


 前門の雷獣、後門の人狼。


 逃げるか戦うか、考えるだけの時間は与えられなかった。

「女王陛下への侮辱は万死に値する!」

「釈明の余地はねえぜ!!」

 ロドニーのドロップキックを背中に受け、加速しながらベイカーのラリアットを食らう。

 会場全体に《封殺呪詛》が使用されているため、魔法によって取り押さえることができない。二人は犯人の手足をひっつかみ、全体重をかけて地面に押し付けた。

「おーい! 誰かロープもってきてくれーっ!」

「猿轡も噛ませろ! 舌を噛み切らせるな!」

「まだ油断すんじゃねえぞ! ほかにも仲間がいるかもしれねえ!!」

 ロドニーはそう言うものの、騎士団長もマルコもこちらに向けてOKサインを出している。彼らに憑いているデカラビアと玄武が場内の安全を確認してくれたらしい。犯人の腕を取り押さえているベイカーも、瞳の色がタケミカヅチのそれになる。

(場内にそれらしき動きを見せる人間はおらぬ。共犯者がいる可能性は限りなく低い)

 神が言うなら間違いない。あとは神の存在を感知できないその他大勢が納得できるよう、型通りの安全点検を実施すれば何の問題もないのだろう。

 しかし、タケミカヅチは心の声でこう続ける。

(抽選箱の底に呪符を貼り付けておくだけのずさんな手口が、なぜ玄武に見破られなかったのか……それが気になる。実は我も、先ほどから感覚が狂っておってな。狂騒状態の人間が大勢いるせいかと思っていたが、どうやらそれだけではなさそうだな……)

 赤い瞳のまま、ベイカーは場内を見渡す。

 ロドニーも得体の知れない漠然とした不安を感じていた。けれどもそれは例年以上の観客数と、異様なまでの盛り上がりによるものだと思っていた。


 言われてみれば何かがおかしい。


 ざわつく心は、二人の思考を一つの結論に向かわせる。

 この会場に何かがいる。

 いや、『何か』ではない。

 自分たちは、この気配をよく知っていて――。

「……っ!」

「なんだっ!?」

 その時自分たちの身に何が起こっていたのか、二人には理解できなかった。

 二人の立場で知覚できたのは『世界が停止したこと』と、『取り押さえていた男が消えたこと』である。


 物音一つ聞こえない。

 不自然な体勢のまま停止した人々が、マネキンのように中空を見つめている。


 曰く言い難い『異次元の空気』に包まれ、二人は恐る恐る立ち上がる。

「タケミカヅチ……タケミカヅチ、返事をしてくれ……。クソ、駄目か。接続が切れている……」

「俺とオオカミナオシの接続も遮断されてるみたいです」

「そうか……ロドニー、すまないが、念のため確認させてくれ。お前の大好物は?」

「ラーメンの上の煮卵です」

「好みのタイプは?」

「童顔巨乳」

「同じアホなら?」

「踊らにゃソンソン」

「よかった。間違いなく本物だ」

「俺の基本情報ソレで大丈夫ですか?」

「逆に訊くが、他に何か確認すべきことはあるか?」

「ええと……そう言われると、思いつかない感じですね……?」

「だろう? 本人確認はこのくらいで良いとして、この状況は何なのだ? 時間停止ということなのか……?」

「逆に、周りが止まって見えるほど超加速してる可能性もありませんか?」

「いや、それは考えづらい。そんな超音速の世界では、こうして音声会話が成立していることの説明がつかない」

「あ、それもそうですね。じゃあ、やっぱり世界のほうが止まっちゃってんのか……」

「ピーコックの気配がするよな?」

「しますね。この毒まみれのヤバい気配、前はバンデットヴァイパーの気配だと思ってましたけど……」

 この世界からピーコックが消えても、『バンデットヴァイパー』という武器自体は存在している。だが前任者が装備した状態では、バンデットヴァイパーは毒の気配を漂わせることは無かった。これまで『バンデットヴァイパー特有の気配』と思われていたものは、ピーコックの中に潜む嵐神バアルの気配だったのだ。

 つまり、今ここには嵐神バアルがいる。

 それは確実なのだが――。

「……? 何も起こらないな?」

「えーと……世界丸ごと時間停止させるくらいだから、何か用事があるんですよね? たぶん……」

「だろうな? 何の用も無いのにこんな大掛かりなことはしないと思うが……?」

 向こうからの接触を待つが、やはり何も起こらない。

「仕方がない。こちらから探しに行こう」

「はい」

 二人は自分たちの他に時空間の流れから切り離された者がいないか、可能性の高い順に当たっていくことにした。


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