ss #010 < Chapter,04 >
二回戦第一試合、ロック・ディー・スコルピオvs.カルア・フェルプス。この試合について、何が行われているかを正確に表現できる者はいなかった。
彼らが所属する北部国境警備部隊、通称『トレアドール』は隊員数九名という超少数部隊である。北部国境は高さ百メートルの切り立った崖で、崖の下には潮流の速い極寒の海、海を渡った先には呪詛に汚染されて凍結した無人の大陸しかない。『北壁』と呼ばれるガベル山脈から北で人が住んでいるのはトレアドールの拠点が置かれた『サイハテ温泉』一か所のみ。その温泉もあまりに人里から離れているため、年間来訪者数は四桁に満たない。
人がいない広大な雪原、万年雪の山脈、世界最大の氷河、極寒の海岸線で対人戦闘術は不要である。彼らの敵はマンモスやバッファローの群れ、体高三メートルを超える巨鳥ダイマオウペンギンだ。誰がどう考えても、並みの戦闘力ではそれらの危険生物から温泉街を守ることはできない。
「食らええええぇぇぇーっ!」
「ふん! その程度!!」
「はあああぁぁぁーっ!」
「効くかあああぁぁぁーっ!」
殴り合いだ。
間違いなく、殴り合いなのだ。
しかしなぜだろう。『ただの殴り合い』のはずなのに、彼らの後ろに何かが見える。
「あれはいったい……?」
「背後に誰かがいるように見えるが、何の魔法だ?」
「殴った瞬間に《衝撃波》のようなものが出ているよな……?」
ロックもカルアも、これまでに何度も武術大会に参加している。だが、今までの大会では同隊対決は無かった。だから観客は知らない。この二人の本当に恐ろしいところは、この『物理戦』だということを。
神的存在が視えているベイカーとロドニーは、二人の後ろにいる『誰か』の正体に気付いて頭を抱えた。
エルフ族の始祖、ヴァン神族のニョルズ。
蠍族の始祖、蠍の尾を持つ破壊天使アバドン。
彼らは少しも神格を落とすことなく、現在進行形でエルフ族と蠍族を守護している。神的存在の加護を受けていない人間にもハッキリ見えるほど強い力を持って顕現しているのだから、ロックとカルアが『神の器』でないという可能性はゼロだった。
ベイカーとロドニーは顔を見合わせ、泣きそうな顔で話す。
「どうりであの二人、さっきの試合の間に一言も喋らなかったわけだな」
「ツクヨミとヘファイストスが見えてたんですね」
「俺たちのことも、あえて言わずにいるのか……?」
「隊長、これ、隠しておけないヤツです。たぶん。いや、絶対」
「このあと飲みに誘われたら要注意だな」
つい先日の『レガーラントブリッジの竜退治』について、ダンテ・セロニアスが本当にただの竜族か根掘り葉掘り訊かれることになるのは間違いない。
神の前で嘘はつけない。隠しておけないのなら、どこから話してどの程度協力を求めるべきか。詳しく打ち合わせを行いたいところだが、あいにく今は無理だった。控室のほうには試合の状況を見られるモニターが無いし、これだけ盛り上がっている最中にこの場からいなくなるのも不自然すぎる。
二人は同時に溜息を吐き、ひとまず試合観戦に集中することにした。
光の守護者、ヴァン神族のニョルズ。奈落の闇の支配者、破壊天使アバドン。二柱の器が殴り合うたびに炸裂する黄金の光と闇の衝撃波は、通常の結界では防ぎきれなかっただろう。先ほどの試合から結界を二重構築しているおかげで、どうにか観客の安全が確保されているような状態だ。
「これは、特殊結界を三重にしてもらうべきかな?」
「もう一回行ってきましょうか?」
「ああ……いや、大丈夫そうだ。ほら、後ろのほう」
「あ、運営の人、もう動いてますね」
先ほどの試合に続き、この試合も想定外の破壊力で対戦が行われている。今回は言われる前に三枚目の結界を構築し始めたらしい。
対戦中の二人もそれを見て安心したようだ。神の力の開放レベルを引き上げた。
「ウオオオォォォーッ!」
「ゼヤアアアァァァーッ!」
拳と拳のぶつかり合い。三重の結界越しであるにもかかわらず、闘技場には鈍い衝撃が奔る。
雷鳴の如く地を震わせて轟く戦闘音。《雷装》や《火装》と同じく、魔力による武装強化であることは観客にも分かるが、一般人に神の力は理解できない。二人の後ろに残像のように見える人影も、魔法効果の一部と解釈していた。
お祭り好きで珍しいもの好きな中央市民は、今は『よくわからんが面白い!』という心理状態に陥っている。
「いいぞぉー! もっとやれーっ!」
「後ろの金色の騎士、カッコイイなぁ! 僕、エルフの人応援する!」
「なに言ってんだよ、黒騎士のほうが格好いいだろ!? 最強魔王っぽいじゃんか!」
「じゃあ私、どっちも応援しよ! 二人ともがんばってーっ!」
ニョルズもアバドンも、寄せられる信仰心によって力を増すタイプの神的存在である。観客が盛り上がるほどに巨大化していくし、本人たちのテンションもどんどん上がっていくらしい。『最高にいい笑顔』で殴り合うその様は、狂気以外の何物でもなかった。
「あー……何だ、この恐ろしい試合は……」
「どっちが勝っても、三回戦で当たる人が可哀想ですね……」
しばらく互角の勝負が続いていたが、最終的には『器の性能』で勝敗が決した。近接戦闘に最適化した蠍族と魔法攻撃に特化したエルフとでは身体の耐久性に差がありすぎる。筋肉量で劣るカルアは衝撃を受け止めきれず、蓄積したダメージによって膝をついた。
本人が手を挙げ、レフェリーに試合を止めるようアピール。
カルア・フェルプス、降参。これによりロック・ディー・スコルピオの勝利がコールされる。
「うおおおぉぉぉーっ! すっげえええぇぇぇーっ! 何だったんだ今の試合はぁぁぁーっ!」
「蠍族のロックはともかく、エルフがあんな戦い方できるなんて知らなかったぜ!?」
「ありがとうよーっ! 最高だったぜーっ!」
観客の声を受け、カルアも困ったような顔で手を振ってみせる。負けたのに褒められるとは、なかなか珍しい状況である。
二人がリングを下り、整備のスタッフが動き回っている間に、次の試合の抽選が始まった。
くじ引きの神が取り憑いているとしか思えないマルコの右手は、またも奇跡的な組み合わせを実現させる。
「西部治安維持部隊、ヒース・ロジャー! 南部国境警備部隊、ジミー・ウォン!!」
「おおーっと! 来ました! 水属性対炎属性!! 真逆の魔法属性を持つ二人の対決です! 攻撃しづらい水属性相手に、炎属性のジミー選手はどう攻め込むのでしょうか! また、初戦では攻撃らしい攻撃を見せなかったヒース選手はどのような手を見せてくれるのでしょうか! 一瞬たりとも目が離せない試合になることは間違いありませぇぇぇーんっ!」
リングの整備はまだ終わっていないし、バックヤードにいる選手たちが準備する時間もある。二回戦以降は対戦カードが決まってから試合開始まで五分~十分程度の時間的余裕が生まれるため、この間に席を移動する人、トイレに走る人、売店へ向かう人などが増える。
ベイカーがグレナシンの様子を見に行ってしまったので、ロドニーは見るともなしにテレビ画面を眺めていた。すると客席に気になる一団がいた。
「……あれ? これ、トニーのじいちゃんか……?」
一族総出でジミーの応援に来たらしい。総勢三十名以上でそろいの赤い服を着て、中華鍋をレードルでカンカン叩きながら歌っている。
トニーの祖父は地球からの移民で、こちらの世界でケルベロス族の女と結婚してネーディルランド国籍を得た。東部で店舗数を増やし続けている中華料理店『王飯店』は、トニーの親族が経営する店である。
彼らは近くの席の人々にクーポン券付きチラシを配っている。どこに行っても店の宣伝を忘れないあたり、実にたくましい一家である。
「あー……王飯店の水餃子食いてえなぁ……」
小腹が減ってきたが、今何か食べてしまうと試合に集中できなくなる。頭の中を水餃子と小籠包、川魚の姿揚げでいっぱいにしながら、ロドニーはベイカーが戻るのを待つ。
だが、二回戦第二試合はベイカーが戻る前に始まってしまった。
選手名のコールとともに東西の入場口から出てくるジミーとロジャー。互いに騎士団の共通ハンドサインを出している。「こちらへ/小さい」は「かかって来いよ、ガキ」、「負傷者アリ/貴方」は「てめえをぶちのめす」である。
この挑発合戦で盛り上がったのは、ハンドサインを理解できる騎士団員たちだった。
「おいヒース! そんなガキに負けるなよ!」
「ジミー! 構うこたあねえ! 燃やしてやれーっ!」
どちらもあまりしゃべらない男だが、ニコニコと穏やかそうなヒースと三白眼のジミーとでは全く違うタイプだった。そしてその違いは戦闘スタイルにも表れていた。
試合開始と同時に分身し、最大火力で火焔攻撃を仕掛けるジミー。対するヒースは三方からの同時攻撃に動揺する素振りも無く、落ち着いて対処する。
展開される《防御結界》。そしてその内側を満たす水。
ヒースの種族はウォータースコーピオンである。『スコーピオン』とついてはいるが、蠍ではない。水生昆虫のタイコウチに近い特徴を持つ種族で、長い尾は呼吸器になっている。尾の先がわずかに外気に接していれば、それだけで十分な呼吸ができるのだ。
炎を操るジミーにとって、水の結界に収まったヒースは非常に攻略しづらい相手であった。
超高速で連射される炎の矢。ジミーは貫通力のある攻撃で《防御結界》を突破するつもりのようだが、ヒースにとって、こういった戦い方は見慣れたものである。結界を多重構築し、通常魔法では絶対に打ち破れない硬度まで結界を強化する。
これではもう、炎の魔法も物理攻撃も通らない。
ジミーは《緊縛》などの無属性魔法での攻撃を試みるが、ケルベロスの火力でも焼けない結界が、鎖一本で叩き壊せるわけがなかった。
「それじゃ、そろそろ終わらせてもらうよ? 《バーティカルガイザー》!!」
一回戦同様、リングに張られた特殊結界の中が水で満たされていく。
ジミーはそれでも諦めていなかったが、さすがに水の浮力で足先が浮くころには、この相手には敵わないと悟ったらしい。
手を挙げてレフェリーにアピール。その時点でジミー・ウォンの敗北が確定した。
「勝者、ヒィィィース・ロジャアアアァァァーッ! なんだ!? 何だったんだ今の試合はぁぁぁーっ!? 『エノク島の人間核弾頭』が、一撃も入れられずに二回戦敗退だぁぁぁーっ! 属性相性が悪いと、ここまで一方的にやられてしまうものなのかぁぁぁーっ!?」
ざわつく観客。バックヤードの騎士団員や運営スタッフらも、皆それぞれに驚きと困惑を口にする。
こんな勝ち方は大会史上初である。なにせヒースは、まだ一度も『攻撃していない』のだから。
「おい、どうしたらいいんだ、こんなの。《防御結界》を破っても、結界の中の水が溢れてくるわけだよな? で、水はいくらでも湧いてくる、と……」
「炎属性のやつは絶対に攻略できないな。風や雷はどうだろう?」
「いや、まずあの硬度の《防御結界》を突破する攻撃魔法がないぞ? なにか特殊系の能力者でないと、ケルベロスと同じことになる」
「魔法の強制解除か、《防御結界》をすり抜けるタイプの技か……そんな能力があるのは……」
テレビの前であれこれ話し合う騎士団員達。彼らの視線は、自然と一人の男に向けられた。
純血魔族、トロフト・ブルーマン。彼の能力ならば、あるいは――。
そんな彼らの思いが天に届いてしまったのか、抽選箱に手を突っ込むマルコはまたも奇跡のくじ運を発揮する。
「南部国境警備部隊、トロフト・ブルーマン!! 東部治安維持部隊、ラビ・タロト!!」
名前を呼ばれたトロフトは余裕の笑みでラビに手を振るが、ラビのほうは硬い表情で会釈している。
闘う前から、この場の全員が直感していた。
次の試合はトロフトが圧勝する。
そんな予想は見事的中し、試合開始早々、トロフトの最強技が発動した。
「君さぁ、全部脱いじゃいなよ♪ ね?」
その場で発動中の全魔法呪文が強制解除された。その中にはリングを覆う三重の特殊結界も含まれていて、バックヤードには結界構築に尽力したスタッフらの絶叫が響き渡っていた。
トロフトは魔法の強制解除と同時に《封殺呪詛》を発動させている。これにより魔法攻撃は封じられた。《封殺呪詛》の有効範囲内では魔導式短銃もゴーレム呪符も使えない。つまるところ、物理戦以外の選択肢が潰されたわけである。
「さ♪ 正々堂々、斬ったり斬られたりしようじゃないか♪」
剣を構えるラビだったが、その腰は完全に引けていた。なぜならトロフトは、現在国内ランキング一位の剣士だからだ。
一回戦同様、トロフトは素人目には『いい試合』に見えるように立ち回った。だからこそ、騎士団員たちは余計に打ちのめされていた。彼には闘いながら観客の目を意識する余裕がある。ラビ・タロトも総勢二万人を超える東部治安維持部隊を代表してこの大会に参加しているのだ。決して弱い男ではない。そのラビを、こうも簡単にあしらうとは。
盛り上がる観客席と裏腹に、バックヤードの騎士団員たちは冷や水を浴びせられたように青ざめていた。
いい具合に温まった場内の空気を保ちつつ、二回戦は第四、第五、第六、第七試合と進んでいった。それぞれ北部国境と西部国境、近衛、中央治安維持部隊の選手が勝ち進み、試合が終わるたびに場内には空席ができていく。しかし、歓声はちっとも小さくならない。二回戦はこのあと二試合。残る四名の中には、大注目のベイカー、ロドニー、Namelessが含まれているからだ。
さあ、次の対戦カードは誰と誰だ。
手拍子で抽選を盛り上げる観客。
奇跡的くじ運を発揮しすぎて、背中が冷や汗で水没しているマルコ。
頼むからアル=マハとのマッチングだけは回避してくれと祈るベイカー、ロドニー。
取り出した二枚の紙を見て、マルコはホッとした顔を見せた。
「特務部隊、サイト・ベイカー! 中央治安維持部隊、リアム・ソーントン!!」
名前を呼ばれた二人は互いに爽やかに握手し、スタッフの誘導で東西の入場口に歩いて行く。
これはもっとも無難で安全な対戦カードだった。意味不明な技が飛び出すことも謎の最強兵器が持ち出されることも無く、二人は騎士団員として常識的な範囲で剣と魔法、いくつかのゴーレム呪符を使って対戦した。
もちろんベイカーは手加減していた。神の力を使えばたいていの人間は一瞬で倒すことができるが、それはしない。この場では当たり前の人間として許された範囲内で闘うことが求められているし、ベイカー自身、常識を超越した破壊神のような存在になりたいとは思っていない。
ベイカーは一人の男として全力を尽くし、『いい試合』を展開したうえで剣先を突きつけて勝利した。剣士として互いの健闘を称え、握手しながら肩を叩き合う。そして二人そろって観客にお辞儀して見せる。
完璧なまでに『騎士としてのあるべき姿』を体現して見せたベイカーとリアムに、観客は惜しみない拍手を送った。
そして拍手は途切れることなくそのまま続き、ベイカーと同じ特務部隊所属、ロドニー・ハドソンの応援コールへと変わっていく。
次は二回戦最終試合。対戦カードは『ロドニー・ハドソンvs. Nameless』ということが確定している。
マルコは抽選箱に手を入れることはせず、箱をひっくり返して中身を出した。そして対戦者の読み上げの前に箱を解体し、これまでの対戦カードが一切の不正なく抽選された結果であることを示す。
一枚の厚紙を折って組み立てただけのシンプルな箱。細工はどこにもない。
観客が納得したのを確認してから、マルコは机の上に出された二枚の紙を開き、声高に読み上げる。
「特務部隊、ロドニー・ハドソン!! 騎士団本部所属、Nameless!!」
この時上がった歓声は、闘技場から7kmも離れたハピ・ラキタウンまで届いていた。風向きの関係もあるだろうが、ここまで遠方に声が届いた記録は後にも先にもこれだけである。
席を立つ者はいない。誰もがこの試合を見逃すまいと、試合開始を今か今かと待ちわびる。
一回戦で特務が潰された。それがまさか、二回戦でも特務とこの男が当たるとは。
運命の女神フォルトゥーナは本当に何の細工も施していないのだろうか。神的存在と会話ができる人間たちは真っ先に自分のバディに尋ねたが、その時誰もがこう言った。「王子のくじ運がヤバすぎるだけだ」と。
ロドニーはこの世の終わりのような顔をして誘導スタッフの後ろについて行った。そしてバックヤードにまで押し寄せる音の洪水に飲み込まれるように、ポイと『死地』へと放り出される。
真向いの入場口から現れるフルフェイスマスクの男。ヘファイストスの炎の気を全開にした彼は、はじめから全力で戦うことを態度で宣言していた。
「……マジかよ……」
対戦カードが発表されてから約五分間、ロドニーの語彙から「マジかよ」「ウソだろ」「ヤベエ」以外の単語が消えていた。
リングに上がり、武器を構える。
闘技場に訪れたほんの一瞬の静寂。
双方の戦闘準備が整った瞬間、試合開始がコールされる。
「《風陣》!!」
「《可鍛の豪焔》!!」
巻き起こる爆発。たった十五メートル四方のリング内で、炎と風とがせめぎ合う。
試合開始から二十秒で結界内部の温度は三百度を突破した。互いに神の力で防御を行っているが、そうでなければ呼吸器官を火傷して窒息死する温度だ。
パン焼き窯より高温になったリングの上で、二人は剣を引っ提げ突き進む。
互いに声は無い。無言のまま、炎の中で剣を振るう。
温度を見ても酸素濃度を見ても、ここは人間が呼吸できる環境ではなかった。今は互いに息を止めたまま戦っている。しばらくは普通に観戦していた人々も、二人の様子を見るうちに、次第にそれに気付きはじめた。
「ちょ……おい、待てよ!? なんだこの戦い!?」
「あいつらどうやって生きてんだ!? 完全に火の中にいるよな!?」
「息、できないわよね!? どうなってるの!?」
「いや、待て!! もしかして、これは……っ!」
戦闘開始から四分経過。当然のことながら、そんなに長時間無呼吸のまま戦うことはできない。二人はそれぞれ異なる方法で最低限の呼吸を行っていた。
アル=マハはフルフェイスマスクの内側に仕込んだ小型ボンベで。ロドニーは魔法で超圧縮した空気を口に含んで。どちらも酸素の量は同程度。まともに行動できるのはあと数十秒も無い。
(ヤベエ……これ、どっかで属性替えしねえと……! でも、人狼族は風属性以外は使えねえことになってるし、どう誤魔化したら……っ!)
(あと十五秒……ロドニーがそれより早く属性替えすれば……)
ロドニーにはアル=マハの装備品の詳細が分からない。呼吸不能な環境を作り出すからには、長時間呼吸可能な酸素ボンベを仕込んでいると判断していた。しかし、それは間違いだった。アル=マハは、実際にはロドニーよりずっと少ない量の酸素しか持っていなかったのだ。
堂々としたアル=マハの挙動に、ロドニーはまんまと騙された。
「ぅおらあああああぁぁぁぁぁーっ!!」
胸元から何かを取り出す素振りを見せ、まるで水属性の呪符を発動させたように見せかける。本当はオオカミナオシの器として持ちえた『修正・削除能力』を発動させ、自分の属性を水に書き変えたのだが――。
「武具焼成! ファランクス!!」
「ハアッ!?」
この時、ロドニーは間抜けな声を上げることしかできなかった。
ロドニーは属性チェンジによってヒース・ロジャーとジミー・ウォンの対戦を再現しようと考えていた。圧倒的な水量で炎を制圧し、アル=マハを無力化。それからリング内の空気を通常の酸素濃度に『修正』するという流れだ。しかし、それこそがアル=マハの狙っていた展開だった。
鍛鉄に必要な工程は炎による加熱ばかりではない。水による急速冷却、いわゆる『焼き入れ』を行うことで、より強度を増すことができる。
ロドニーが出現させた水の中で、アル=マハは自分の武器を完成させてしまった。
「ウッ……ソだろぉーっ!? マァァァジィィィかぁぁぁよぉぉぉーっ!?」
出現する鋼鉄の槍。その数、なんと千本。神の力によって操られた千本槍が、一斉にロドニーに向けられる。
腰まで水没したリング内、水の抵抗で動きが制限された状態で、勝手に動く千本槍に襲撃されるのだ。ロドニーはファランクスへの応戦で精一杯で、アル=マハ本人の攻撃にまで気を配る余裕がなくなっていた。
「魔弾装填、《ブラッドギル》!」
チャージ時間ゼロで撃ち込まれる散弾。ロドニーの防御は間に合わず、直撃を受けて後方に吹っ飛ばされた。
「うっ、クソ……って、うわあああぁぁぁっ!?」
全方向から隙間なく突きつけられる千本槍。その後ろに見えるのは、双頭之蛇を構えるアル=マハの姿である。
こうなってしまっては、もうどうしようもなかった。
「こ……降参! 参りましたーっ!!」
半分裏返ったロドニーの声に、観客席からは幾度目とも知れぬ悲鳴が上がった。
「なあああぁぁぁーんということだあああぁぁぁーっ!? 特務部隊ロドニー・ハドソン、降参! 二回戦最終試合、Namelessの勝利ィィィーッ! 誰がこんな結末を想像したか!? なんと特務部隊、グレナシン副隊長に続いてロドニー・ハドソンまでもがNamelessの前に敗れ去ったァァァーッ!!」
場内に響き渡るアナウンス。そのアナウンスを掻き消すように聞こえ始めたのは、Namelessがはじめて目撃されたあの事件の直後、突発的に発生した野外フェスで歌われた曲である。
国民的歌手ユキオ・ハーシーの代表曲、『ロックンロール・ゴーゴー』。サビ以外の部分はあまり知られていないが、インパクトのあるサビ部分なら国民の誰もが歌える。誰が歌い始めたのか、観客はサビの部分だけを繰り返して大合唱していた。
「……え? 俺の応援歌、これ……っ!?」
もともと地球人だったアル=マハは、どことなく昭和のオーラを漂わせるこの応援歌に動揺を隠せなかった。
「よりにもよって、なんでゴーゴーしちゃったんだよ、おい……??」
笑えばいいのか、ズッコケればいいのか、判断に迷ったアル=マハはやや挙動不審になりながらロドニーを立たせ、一緒にリングを降りた。
私生活の一切を非公開としているユキオ・ハーシー。ステージ以外はどこで何をしているのか、共演経験のある歌手や芸能プロデューサーにも分からないのだという。そのため彼には、以前から『地球人疑惑』が囁かれている。芸能界の都市伝説として笑い話のように語られているが、観客たちは知らない。
アル=マハにとって、『地球人疑惑ネタ』はシャレにならないということを。