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ss #010  作者: 柳田喜八郎
3/9

ss #010 < Chapter,03 >

 再開された試合は特殊武器や激レア魔法が使用されることも無く順調に進み、常識的で模範的、ときどき中弛みする例年通りの武術大会となった。

 マルコは驚異的なくじ運を発揮し、一回戦最終試合に竜退治の英雄の一人、グレナシンを残すという偉業を成し遂げた。ロドニー対ヴィクトルの試合以降ひかえめな試合が続いていたためか、グレナシンの名前がコールされた瞬間、観客はいっせいに立ち上がって歌い始めた。

 闘技場全体が一体となっての大合唱。これにより、グレナシンのプロフィールを読み上げようとしていた場内アナウンスは一時中断。観客が一曲歌い終わるまで、グレナシンは『美貌の策士』というキャラ設定どおり優雅に微笑んでおらねばならなかった。

 歌われた曲は『キスミー・プリンセス』。特務部隊の登場テーマソングというわけでもないのだが、三代前の特務部隊長が国営放送ののど自慢番組に飛び入り参加して以来、この曲イコール特務部隊というイメージが出来上がってしまった。


 悪い奴も酷い奴も納得できない世の中も、何もかもぶっ壊して君を自由にしてあげる。だからお願いだ、嘘でもいいから好きだと言って、一度でいいからキスしてほしい。


 そんな歌詞の、全く報われない恋の歌である。『君』についての詳しい描写は無いものの、タイトルからして身分違いの恋に思い悩む騎士の歌である事は明白で、ある意味では今の特務部隊にふさわしい曲であった。

 身分どころかセクシャリティの時点から色々違えているグレナシンは、観客の声援に手を振って応えながら、心の中でこう毒づいていた。

(凸と凹が揃ってるならさっさとドッキングしちゃいなさいよ! こっちは凸と凸なのよ!? アンタらオカマに喧嘩売ってんの!?)

 オカマキャラであることは世間的にも知られているが、だからといってグレナシンのためだけにゲイカップル向けテーマソングを作るわけにもいかない。

 本人のセクシャリティとまるで異なる大合唱でリングにあげられたグレナシンは、再開されたプロフィール紹介に合わせて手を振ったり、わざとらしく髪をかき上げてみたりする。キャラ設定通りに振舞うのも、これでなかなか気力を消耗するものである。

「さあ! いよいよ第一回戦最終試合がスタートします! 竜の鼻先に剣を突きつけるグレナシン副隊長の雄姿は、皆さまのご記憶にも新しいことでしょう! 美貌の策士は、今日はどのような戦いぶりを見せてくれるのでしょうか!」

 早口で盛り上げてくれる場内アナウンス。しかし相手選手への言及はない。なぜかと言えば、最後の一人は予備情報が全くない覆面選手だからだ。

 これは毎回恒例のことで、一回戦最終試合は騎士団本部所属の『誰か』がフルフェイスマスクを装着して出場することになっている。もしこの選手が優勝しても素性が明かされることはなく、過去に数度、優勝者が『Nameless』と記された記録も残されている。

 例年であれば情報部の誰かが出てくるのだが、シアンやナイルから聞いた話では、今回、情報部員はこの件に絡んでいないのだという。

(情報部以外って言うと、まさかジルチの誰かじゃないでしょうね……?)

 こんなに大勢の目があるところで、死んだはずの人間が大会に出てくるはずはない。であれば、これはおそらく本部の門番をしている警備部の誰かである。

 そう考えたグレナシンは、試合開始二秒でこの男の正体に気付くことになる。

「《可鍛の豪焔》!!」

「ちょっ……アンタ正気っ!?」

 いきなり繰り出された鍛冶屋の神ヘファイストスの大技に、グレナシンも月神ツクヨミの魔法障壁で対応する。

 しかし、これは単なる挨拶であったようだ。アル=マハはすぐに炎を引っ込め、二丁一対のガンソード、アンフィスバエナでグレナシンに斬りかかる。

「悪いが、お前には初戦で消えてもらう!」

「やれるもんならやってみなさいよ!」

 アル=マハはダウンタウンの介護施設建設現場で『謎の覆面隊員』として写真を撮られている。本部所属の騎士団員であることだけは公表されていたため、竜退治関連の記事を読み漁っていた市民はアル=マハが取り出した特徴的な武器を見て、あの時の覆面隊員と気付いた。


 黒い竜を仕留めた覆面隊員と、白い竜を生け捕った特務の副隊長。


 予想外の対戦カードに、観客のボルテージは既に最高潮に達した。

 ひとつひとつの言葉など聞き取れない歓声の大洪水。その音の中でも、選手の襟元につけられたマイクは魔法発動の声を拾っていた。

「戦時特装! 天之尾羽張! 伊都之尾羽張!」

「武具焼成! アイギス! タラリア!」

 グレナシンはツクヨミの力で光と闇の剣を召喚し、アル=マハはヘファイストスの力で最強の盾と空飛ぶサンダルを創り出す。

 ツクヨミの剣は超破壊力を誇る伝説の武器であるし、ヘファイストスの武具も女神アテナと伝令神ヘルメスが装備した神話級アイテムをアル=マハ用に改良したものだ。身内開催の武術大会、それも一回戦で登場して良い武器ではない。

 だが、当人たちは大真面目だった。

(このくらいの武器じゃないと、アークには……っ!)

(神話級アイテムでも使わないことには、セレンは……っ!)

 超速斬撃の天之尾羽張、自動追尾能力を持つ伊都之尾羽張。それに加えてグレナシンには昆虫系種族特有の防御力の高さと持久力がある。手数の多さとスタミナでは、アル=マハに勝ち目はない。

 しかし、アイギスとタラリアを使うのならば話は別だ。アイギスはどんな攻撃も完全ブロックするし、タラリアは何もない空中を自由自在に駆け回れる。グレナシンがアル=マハを打ち負かすには、盾を構えた方向とその真逆、二方向から全く同時に攻撃を仕掛ける必要がある。

「ソイヤ、ソイヤ、ソイヤ、ソイヤアアアァァァーッ!」

「その程度の攻撃……っ!」

 アイギスに身を隠し、素早く駆け回りながらアンフィスバエナを短銃形態にトランスフォームさせる。刀の間合いから外れるには中・長距離攻撃可能な短銃形態のほうが有利と考えたアル=マハだが――。

「《墜星》!!」

「チッ! そう来るか!?」

 グレナシンは魔法で隕石を降らせた。

 咄嗟に盾を上に向けるアル=マハ。その瞬間、グレナシンは恐るべき速度で斬り込んでいる。

 しかし、この攻撃は極まらない。

「《緊縛》!」

「くっ……!」

 グレナシンの足元に魔法の鎖が出現し、飛び越えようとしたことで体勢が崩れた。

「オラアッ!」

「ぐっ!」

 右足でグレナシンを蹴り飛ばして距離を取る。そして同時にアンフィスバエナによる魔弾攻撃。使用した魔弾は左右いずれも散弾型の《ブラッドギル》だ。点でなく面で攻撃することにより、わずかずつでも確実に削っていける。

 だが、アル=マハの攻撃パターンはグレナシンに知られている。グレナシンはこの攻撃を虫型ゴーレムの群れ、《薄羽蜉蝣》でガードし、飛び散る砂粒を目隠しに戦闘用ゴーレムの呪符を起動させた。

 出現する四体のゴーレム。それはグレナシンの体型とそっくり同じに造られた特注品のゴーレムである。自身も体に砂の装甲を纏い、他四体と区別がつかないよう擬態してから《薄羽蜉蝣》を解除する。

「戦時特装! 天羽々(アメノハバキリ)! 稜威雄走(イツノオハシリ)! 八重垣(ヤエガキ)! 豊布都(トヨフツ)!」

 四体のゴーレムそれぞれに神剣を装備させ、五方向から同時攻撃を仕掛ける。これならアイギスの完全ブロックを掻い潜り、背面から攻撃することも可能だ。

 素早く立ち位置を入れ替えながらの、五人がかりの高速斬撃。二刀流の一体がグレナシンだと分かっていても、こうも激しく動き回られるとすぐに姿を見失ってしまう。

 アル=マハも手数を増やすべく、ヘファイストスの禁断技を使う。

「人体焼成! パンドラ!!」

 パンドラとは女の名前である。彼女はヘファイストスによって創り出された絶世の美女であり、見た目だけならば申し分ない『完璧な人間』である。しかし、創造主の祝福を得ずに勝手に創る『理想の女』には中身が入っていない。

 命を持たないパンドラは、何のためらいも無くグレナシンの攻撃軌道上に躍り出る。

「えっ、ちょっ!?」

 無抵抗で斬られるパンドラ。そして斬られた瞬間、その体は爆散し、炎に戻る。

「くっ……! なによこの人間爆弾! 趣味悪すぎじゃないっ!?」

 あとからあとから涌いて出る『爆発する女』に阻まれ、グレナシンとゴーレムの攻撃は全く通らない。しかし、アル=マハのほうも有効打を入れられずにいる。斬り込まれた瞬間にカウンターを仕掛けられれば良いのだが、グレナシンとゴーレムの連携は崩れていない。どこを突いたとしても、逆にやり込められてしまうことは目に見えていた。


 膠着する戦況。

 五人がかりの斬撃と、炎の女による肉の壁。

 まったく互角でありながら、何かが決定的に噛み合わないもどかしさ。


 常識が一切通用しない対戦に、観客は口を開けたまま見入っていた。

 誰一人、何も発言できない。桁外れの手練れ同士の対戦である事だけは理解できるのだが、双方の魔法が何属性の、どんな系統の技なのか、この世界の人間たちには理解不能であった。

 ツクヨミは日本神話の神々の父、イザナギの分身。戦闘能力では軍神タケミカヅチに及ばないものの、ありとあらゆるものを創造する『神産み』の能力を有する。

 対するヘファイストスはギリシャ神話の神々に武器を作った、神話世界最強の鍛冶屋だ。武器以外にもあらゆるものを創り出すことができ、『神産み』と非常に近い能力を有している。

 今このリングの上では、神話世界のクリエイター同士が己の創作物で野蛮な殴り合いを繰り広げているのだ。地球の神話・伝承・民族史研究者が見たら、『文化的』、『文明的』という言葉の定義を再発見するまでしばらく寝込んでしまうことは間違いない。

 バックヤードのテレビの前でも、ぽかんとした顔の『神の器』たちがぼやいていた。

「副隊長……いくらなんでもそれは……」

「隊長、これ、ガチですよね?」

「ああ……そう見えるが……?」

 双方、一歩も引く気はない。人間のみならず、神までもが本気になっている。これが試合である事は忘れていないだろうが、どちらかが『もうよそう』と言い出さない限り、人間同士の試合には戻りそうにない。

「ロドニー、万が一の場合は止めに入るぞ。このままだと結界が壊れるかもしれん」

「はい……念のため、結界を二重にしてもらいますか?」

「そうだな。頼めるか?」

「行ってきます」

 ロドニーは運営本部のほうへと駆けて行った。その姿を見送り、他の選手たちは恐る恐るといった様子で尋ねる。

「ベイカー隊長、グレナシン副隊長の技はどのような系統の魔法ですか?」

「アリジゴク族が地属性魔法やゴーレム巫術を使うことは存じておりますが、あの光の剣は……」

「マルコ王子が竜退治に使用されていた剣と同系とお見受けしますが……?」

 予想していた範囲内の質問である。ベイカーはマスコミ対応用に用意していた答えを返す。

「あれは自分の魔力を物質化する、非常に高度な戦闘用魔法だ。慣れると自在に出し入れできるようになる。こんな感じに……」

 スッと掲げた手。そこに出現したのは魔剣《麒麟》である。自分の魔力を物質化するという言い訳を通すには、雷獣と同属性の麒麟は好都合だった。

 一瞬で現れた剣に驚く一同。こんな魔法は騎士団員養成科では習わなかった。当然、次の質問は習得方法についてだ。本部勤務に昇進したら教えてもらえるのか、地方支部員でも講習を受けるチャンスはあるのかなど、具体的な回答を求められる。

「実のところ、これはまだ『お試し期間中』なのだ。少し前に古い記録を閲覧していたら、この魔法についての記述を見つけてな。不完全な発動スペルをあれこれ試して、やっと発動にこぎつけた段階だ。体への負荷や後遺症の有無について、まだ何も分かっていない。安全性が確認され次第、詳細が公表されることになると思う」

 古い時代に発動不能と言われた高難度魔法が、後世になって発動可能になることはよくあることである。魔法の発動メカニズムが論理的に解明されて、発動呪文のどこに問題があるかが判明するからだ。


 グレナシンが使う『光の剣』も、そのような古代魔法の一つ。


 ベイカーの説明で、騎士団員たちはひとまず納得してくれたようだ。

「はやく情報公開してもらいたいものだな! 丸腰の状態からでも一瞬で武装できるなんて、最高じゃないか!」

「しかし、マルコ王子はそれで竜を仕留められたのだろう? 土壇場で一か八かの必殺技に賭けるなんて、じつに大胆なお方だ!」

「ああ! あの方はお顔こそ女王陛下と瓜二つでいらっしゃるが、戦いぶりは男の中の男だな!」

「マルコ王子が出場されていないのが残念だ。是非一度、お手合わせ願いたいのだが……」

 膠着状態の試合を眺めながら、誰もがこの『未知の技』に対する攻略法を考えている。実際には神の力を使っているため、ごく普通の人間に対してはほぼ無害なのだが――。

(タケミカヅチ、念のため確認しておく。光の剣で人を斬ったらどうなる?)

(どうにもならん。神の光で斬れるのは同じ次元に存在する神的存在だ。心の中の邪念を斬られて真人間になる可能性はあるが、それだけだ)

(魔剣とはだいぶ違うな)

(我が剣が『神剣』と呼ばれ、器の剣が『魔剣』と呼ばれる理由が分かったか?)

(ああ、なんとなくだがな。神には斬れないものを斬るのが俺の仕事か?)

(そうだ。我らは時に人を罰するが、その人間がなぜ死んだのか、死なねばならなかったのか、神の存在を感知できない人間たちには伝わらない。罪人に『死』を与えるには、人の目に映る『正義』の行使者が必要となる)

(嫌な役どころだな、神の器というやつは)

(その分うまい汁もたっぷり吸わせているつもりだが?)

(どのへんだ?)

(まずは見た目だ。我と同じ容姿は女も口説きやすかろう?)

(ああ、なるほど、それは確かに。その点だけは礼を言おう。女に不自由したことは無いからな。ほかには?)

(不摂生しても太らない、あまり病気にならない、必要な知識は脳に直接入力、汗臭さも加齢臭も口臭も完全カット、たいていの動物には好かれる、腸内細菌はいつでも善玉菌いっぱい、乳首や臍のピアス穴が化膿しないように神の光による全身浄化を三時間おきに実施。その他諸々、細かく上げていけば二百項目ほどあるが、聞くか?)

(生意気な口をきいて申し訳ありませんでした)

(うむ。分かればよろしい)

 自分がどれだけハイスペック設定で生かされているかを知り、ベイカーは心の中でスライディング土下座からの足裏頬ずりコンボを極める。

 ロドニーやグレナシンは普通に汗臭くなるし、風邪もひくし、マニュアルや指令書の中身を覚えるために四苦八苦している。ほかの『神の器』も体型の変化や皮膚炎に悩まされているのを見たことがある。どうやらタケミカヅチだけは、かなり器を優遇してくれているらしい。

(まあ、それでもヘファイストスの器に比べれば塩対応かもしれんがな)

(そうなのか?)

(お前、あの男が疲労困憊で寝込んでいるところを見たことがあるか? 元はただの地球人だぞ?)

(……あ……)

 本来ならば魔法も使えず、ネズミ族やウサギ族よりも脆弱な存在であるはずなのだ。持久力自慢の昆虫系種族と対等に渡り合うこの状況は、どう見ても異常だった。

 ヘファイストスはどれだけ器を特別扱いすれば気が済むのか。

 三十代半ばのマッチョなオジサンに注がれる重すぎる愛に気付き、げんなりするベイカー。その『愛され系オジサン』は、ついにこの状況を打開する方法を見出したらしい。皆が見つめる画面の中では、いよいよ戦況に変化が見え始めていた。

「この……っ!」

 五人がかりの攻撃がまるで通らず、グレナシンの動きには焦りが見えていた。攻撃方法を変えるべく一旦距離を取ろうとしたグレナシン。その瞬間、ゴーレムたちの連携がわずかに乱れた。

 アル=マハはその隙を逃すことなく、各個撃破に出る。

「ゥオラアアアアアァァァァァーッ!」

 アンフィスバエナは二丁一対の武器である。ツクヨミの天之尾羽張・伊都之尾羽張と同じく、もう一方の攻撃軌道をトレースする自動追尾が使える。一発ごとの威力が低い《ブラッドギル》でも、同じ個所に正確に何発も撃ち込めばゴーレムの装甲を破ることはできるのだ。

 八重垣を装備したゴーレムの肩関節部を破壊。包囲網に開けた『穴』にパンドラたちを突っ込ませ、稜威雄走、豊布都を持つ二体のゴーレムに損傷を与えた。二体はそれぞれ脚の駆動部をやられ、行動不能となる。

「くっ……!」

「行くぞっ!」

 これまでの攻撃で神剣の特性は分かっている。最大破壊力の八重垣、貫通力のある稜威雄走、爆炎の付随効果のある豊布都さえ使用不能にすれば、速度重視の天羽々斬はほとんど無力化される。攻撃力を犠牲に速度を増した剣では、アイギスの装甲を突破することはできないからだ。

 アル=マハはタラリアで宙を駆け、背面を突こうとするゴーレムに真上から散弾の雨を浴びせる。応戦する素振りを見せるゴーレムだが、ゴーレムにもグレナシンにも空中戦用の装備はない。《墜星》による反撃を試みるものの、自由落下する岩石の塊ごときで『無敵の盾』を傷付けることはできなかった。

 四体目のゴーレムが沈黙。アル=マハは発動中の魔法を解除し、同時に仕上げの大技を放つ。

「《炎陣・死式》!!」

「っ!!」

 球状に展開される炎の呪陣。防御も回避も間に合わず、グレナシンは襲い来る業火に押し包まれる。


 燃え盛る炎。その勢いに、観客は息を呑んだ。


 魔法の発動時間はほんの五秒足らずだった。けれども、それだけの時間があれば人を殺すには十分である。炎が消えた後、リング上に蹲るグレナシンの姿に誰もが不安げな目を向けていた。

 レフェリーの指示で試合が止められ、グレナシンの状態が確認される。


 外傷無し。限界以上の魔法使用により意識喪失。試合続行は不可能。


 その場で『Nameless』の勝利がコールされ、どよめく場内の空気を落ち着けるべく、司会者によるアナウンスが入れられる。

「な、なんと! グレナシン副隊長は無傷! あの炎を完全防御していました!! が、しかし! グレナシン副隊長は力を使い果たして気絶! 残念! 特務部隊、三人揃っての二回戦進出はならずゥゥゥーッ! 正体不明、名無しの覆面選手が一回戦突破です! 皆様、戦いを制した覆面選手に、盛大な拍手をォォォーッ!」

 ガッツポーズは無い。Namelessは対戦相手に深々と頭を下げ、まるで疲労を感じさせない歩調でリングを後にする。

 アル=マハにはピンマイクが取り付けられていなかったため、対戦中の声は観客には聞こえていない。実際には魔法発動の掛け声も挑発もあったのだが、観客から見ればNamelessは寡黙でミステリアス、礼儀正しく、圧倒的な強さを持ちながらもそれをひけらかさないクールな男ということになってしまった。

 ロドニーのような『明るい笑顔のヒーロー』を好む者もいるが、世の中にはそれと同じくらい、謎のヴェールに包まれた仮面のヒーローに惹かれる者がいる。

 今、ここに数百名の『Namelessファン』が誕生した。

「彼の応援グッズはないのか!? 俺は二回戦では彼を応援するぞ!」

「なんてコールすればいいんだ!? おーい、誰か! 僕らと一緒にNamelessの応援コールを考えてくれないか!?」

「Nameless派の人ぉ~っ! こっち! こっちの通路に集まってくださぁ~い! 二回戦はみんなで一緒に応援しましょ~うっ!」

 二階席の通路にぞろぞろと集まるNamelessファン。それを見て自分たちもと移動を始める各選手の応援団。

 自分の応援する選手が敗退した時点で帰ってしまった観客も多く、あちこちに空席ができている。貴賓席以外は自由席であるため、もっと見やすい席に行こうと横に詰めたり、前に移動したりする席替えは毎年おなじみの光景だった。だが、それが今年は少し違う。

「ベイカー隊長応援団はこっちでーす! ロドニー・ハドソン応援団の方も合流しましょう! 我々は特務部隊を応援していまーす!」

「シュプリームス推しの人~っ! こっち来てくださ~い!」

「こちらの方はスコルピオ選手のお母様とご近所の皆様だそうです! トレアドール応援団はここに集まりましょう!」

「あ、あの、東部国境を応援されている方、いらっしゃいませんか? いないかな……いないよね……やっぱり遠いもんな……」

「ひょっとしてそのTシャツ、西部治安維持部隊ですか!? 護身術教室に参加するともらえるやつですよね!? 私も同じの持ってます! 一緒に応援しましょう!」

 集う同志たち。空席ができたはずなのに、むしろ大きくなる歓声。

 バックヤードでテレビ放送を見ていた選手たちは、想定外の事態に動揺を隠せずにいた。

「母ちゃん……来なくていいって言ったのにっ! 町会長とお隣のおばさんまで来てるし……っ!」

「なにあのデッカイ垂れ幕……実は用意してたの? うわぁ、恥ずかしい……」

「東部国境の応援団はいないのか!? 遠いからか!? やっぱり距離の問題か!?」

「人狼族って全員ロドニー君推し? なんなのあの人数……つーかマッチョな男しかいないね……」

「トロフトの応援団、男一人もいなくね? すっげえ美女軍団! え? あれ全員カノジョ!? 元じゃなくて、現在進行形!? 何股かければああなるの!?」

「わあああぁぁぁーっ! い、いい、今! 今一瞬映った子、中学校で同じクラスだった子です! 当時もそこそこいい雰囲気だったんですけど、これ、脈ありですよね!? もしかして俺、いま告ればイケる……っ!?」

「ベイカー家の人、なんで全員ネズミの着ぐるみなんですか? え? あれが正装? ベイカー領の? 本当に? 冗談じゃなくて??」

 それぞれの人気度、私生活、家族の顔が丸わかりになっている。二回戦に向けて真面目に攻略法を考えていた選手たちは、予想外の方向から叩き込まれる精神攻撃に衝撃を隠しきれない。

 しかし、リングの整備とくじ引きの用意は淡々と進められている。早めに心を落ち着けねば、勝てる試合も勝てなくなってしまう。

 二回戦も一回戦同様、その場の抽選で対戦カードが決まる。ただし抽選箱の数は二つ。同部隊から三人が勝ち進んでいた場合、くじ引きの結果次第では同じ隊で戦う可能性がある。

 場内アナウンスで二回戦開始が宣言され、テレビ画面には抽選箱に手を突っ込むマルコの姿が映し出された。

 真剣な面持ちで何度も手を回し、慎重に二枚の紙を取り出す。

 と、マルコはここでも奇跡的なくじ運を発揮してしまった。

「北部国境警備部隊、ロック・ディー・スコルピオ! 同じく北部国境警備部隊、カルア・フェルプス!!」

 この瞬間、ロックとカルアは同時に顔を覆った。一番やりたくなかった同隊対決だ。観客席からも悲鳴が上がっている。

 二人は互いの肩を叩き合い、小さく声を交わし合う。

「毒は使わない」

「武器は無しだ」

 仲間に大怪我を負わせたくはない。それぞれの最も得意とする戦法を封じ、物理攻撃のみでの戦いを約束する。

 一回戦では開会式からの流れで場内の選手席からリングに向かったが、二回戦はバックヤードから出て行くことになる。運営スタッフの誘導で、それぞれ闘技場の東と西の入場口に歩いて行った。

「次は単純な『殴り合い』か……」

「だが、カルアとロックでは……」

「ああ……危険だな……」

 一部の選手たちは、顔いっぱいに不安を貼り付けていた。そしてその不安は、すぐに現実のものとなる。


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