死について
皆さんは死について考えた事はあるでしょうか?漠然と死と言っても色々な捉え方が在りますが、今回お話したいのは死んだ後……死後の世界についてです。
死んだ後の世界に関しては様々な説があります。宗教や考え方、科学的論点や空想や希望等、例を挙げたらキリが無いかも知れませんね。
他にも最近の風潮では死んだら別世界に飛ばされたり、時間を遡ったりというのも一種の説なのでしょう。
色んな考え方がある中でも大きく分けたら二つに分類されると思います。それは「在る」か「無い」かです。
無いの考え方は非常にシンプルで生きている人間が当然辿り着く心理でもあると言えるかも知れません。
ですが科学的に死んだら終わり、その先には何も無いと結論付ける論理的な人も人が死んだ後に数グラム軽くなるという現象や一種のオカルト、幽霊と呼ばれる現象を科学でちゃんと説明できた人は居ないようです。
テレビ等で紹介される科学者や霊能者の方々は、その番組のコンセプトでどちらも胡散臭く見えてしまっている時があるようです。事実どちらの支持者が居るにも関わらず、科学者が馬鹿にされたり霊能者が笑われたりした場面を見た事は誰しも一度はあるのではないでしょうか。
逆に在るという考え方の場合、無限に広がる可能性で有名な説の一つは輪廻転生というものがあります。
これは死んだら別の生命になって生まれ変わるという考え方です。
和猫の個人的な意見なのですが、これはもしあっても無と変わらない気がしますね。今の記憶をもったまま次の生命体に生まれ変わるならば意味はありますが、次の人生で自分がミトコンドリアになろうが億万長者になろうが関係ありませんもんね。
人道的に「死んでも終わりじゃない、また新しい人生が始まるから怖くないんだよ」と言い聞かせる為の説に思えて仕方ありません。
これに対し科学的?な物言いは「死んで生まれ変わるなんてあり得ない、そうだったら人口が増え続けるのはおかしいだろう」と反論される方が多いそうです。
生まれ変わったらまた人に生まれ変わるってのは誰が決めた定義なんでしょうね。さらに言えば地球と呼ばれる星に生まれ変わる保障もないと思います。どこかの星の名も知らぬ微生物になってしまう可能性もあるんじゃないでしょうかね。
最も他の星に微生物が生まれる環境があるって前提の話ですが。
他にも有名なのは天国と地獄がありますね。生前良い行いをした人は天国へ、悪い事をした人は地獄へ。宗教によっては死んだ魂は全て極楽に行き地獄なんて存在しないという考え方もあるそうです。
この説が作り出されるのは当然の結果なんでしょうね。悪い事をする抑止力になり善行を働く後押しになる。普通に考えれば人道的に最も理に適った説なのではないでしょうか。
ただこの考えにも諸手を挙げて大賛成とは行きません。それは地獄の在り方についてです。
今の世の中、自殺を考えたり行ったりしてる人は大勢居ます。そして自殺をした人は自分を殺した罰で地獄に落とされるそうです。
自殺をしたら地獄に落とされる。この考えが多少なりとも命を粗末にしてはいけない、自殺をする抑止力になっているのは解ります。
ですが自殺をする人は本当に悩み、苦しみ……どうしようもなくなって死を選んだのでは無いでしょうか。勿論自殺に賛成等と言うつもりはありません。だけど、自分を殺すほど苦しんで死んだ挙句、あの世でまで苦しむなんてあんまりじゃないですか……
そして親より先に死んだ子供は親を悲しませた罰として賽の河原で石を積み続ける。これも悲しいお話ですよね。その子供達も死にたくて死んだわけじゃないかもしれないのに死んでまで苦しむなんてあんまりです。更には生きている親達はどれほど辛いんでしょう。
せめてあの世では笑っていて欲しい、逢いに行くまで元気でいてねと自分を奮い立たせて居るのかもしれないのにあの世でそんな辛い目に合わされてると知ったらどんな気分なのでしょう。
そして他にも有名なのが死んだ後も意識がありこの世を彷徨う説。有り体に言うと幽霊ですね。
これがある意味一番幸せな形かもしれませんね、お腹も空かずずっとボーっとしている一日。恐らく文字通り死ぬほど暇だと思いますが死んだ人同士で逢うことが出来るのならば、きっと素晴らしい世界でしょうね。
衣食住の概念が無ければ仕事も無くストレスとも無縁な生活でしょうし、誰しも死んでしまった逢って話したい人の一人や二人居ることでしょう。
しかし今の現代、スマホや監視カメラの普及により心霊写真と呼ばれるものが多く広まっています。それも昔に比べるとハッキリと鮮明に……
その多くは恐ろしい形相で睨んだり、血だらけで何かを訴えかけたりととても幸せそうには見えません。
幽霊の正体見たり枯れ尾花という言葉もある様に幽霊なんて存在しないとも古くから言われています。黒いシミが三つあったら顔に見えてしまう心理も解明されました。
科学の力で心霊現象が起きれば起きるほど、科学者は科学的にそんなものは存在しないと言い張ります。正直、和猫にはどちらが正しいのかはわかりません。ですが幽霊でも幻でも逢いたい人が居るならば、無理に解明する必要はないんじゃないでしょうか。希望をもって笑って死ねるなら、それが何よりの最後だと思います。
そう言えば昔テレビ番組で幽霊なんかいない、いたら地球上は幽霊で溢れ返ってると言った人がいました。幼心にそれを聞き、何で幽霊が見えないのに幽霊から人間が、または幽霊同士が見えるって前提で話してるんだろうと不思議に思ったものです。その人がどんな人だったのか知りませんが、小学生でも思いつくことをテレビに出て説明する人が思い付かなかったはずがありませんよね、きっとテレビは台本みたいなものがあるんでしょう。
他にも死んだ後にも意識は残り夢を見続けるという説が最近浮上してきたらしいです。
これは科学的に証明しているらしく死んだ後の意識とコミュニケーションを取る方法なども行く行くは作られるかもしれないと言われているそうです。
どうなんでしょうね、夢は脳で見るものならば死んで火葬、もしくは土葬で腐ってしまった時点で夢はみなくなるのでしょうか。
それが本当に実現化したら素晴らしいとは思いますが現実味が無さ過ぎて想像もできません。
色々な説がある中、皆さんはどう思いますか?どれが幸せでしょうか?
きっと死んでみなくちゃ解らない、結局はそうなってしまうのでしょう。
この伝え方では死んだ先が在る派に聞こえてしまっているかもしれませんが和猫はどちらでも良いと思っています。
もし、無いなら無いで今の柵から開放され辛いも苦しいも感じなくて済む。在るなら在るで逢いたい人に逢える。それだけです。
皆様ももし死を感じたら深く考えてみてください。死んだ後、その先がどんなものなのかを。