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祝福された人々(4)

 フィービはそれ以上は尋ねず、黙ってロックたちに夕食を出してくれた。

 今日の献立はくず野菜と干し肉を煮込んだスープに生のリンゴ、それに買ってきたパンを添えただけだ。父娘ふたりの夕食ならいつもこんなものなのだが、客人がいるとなると少々寂しい。

 それでもユリアは特に何も言わなかった。ただ物珍しげに目をしばたたかせながら、ランタンの灯が揺れる卓上を眺めていた。

「まず、ふたりとも座って」

 ロックが椅子を勧めると、エベルがふたり分の椅子を引く。ユリアはそこに当然のように腰かけてから、自ら椅子を引いたロックを見てわずかに動揺してみせた。彼女は自分で椅子を引いたことがないのかもしれない。

 フィービは給仕に徹するつもりなのか席には座らず、静かに脇に立っている。壁を背にしているあたり、何かを警戒しているようにも見えた。


 長方形の卓に、ロックと差し向かいの位置にユリアが座っている。

 エベルは客人としての立場を考慮してか、あるいはフィービと同じ理由からか、ユリアの隣に腰を下ろした。

 ふたり揃って卓越しに真っすぐな視線を向けてくる。ユリアはまだ深くフードをかぶったままだ。エベルはそんな彼女をあえて見ないようにしているそぶりにも見えた。

 ロックは多少の緊張感を覚えつつ、先んじて匙を手に取った。

「じゃあ、いただきまーす」

 そう言って、まず匙でスープをすくう。息を吹きかけて少し冷ましてから口に運んだ。干し肉のうまみが溶けだしたスープは金色に光っていて、ロックのすきっ腹にたちまち染み込んでいく。

「うん、おいしい!」

「そうだろ?」

 フィービは当然だと言わんばかりに笑んだ。

 傭兵時代に自然と覚えたというフィービの手料理は、保存が利くものを使う献立が多い。ロックからすれば干し肉などただかじる以外の食べ方しか知らない品だったが、こうしておいしく仕上げる父の腕は尊敬に値する。

 しかし、ロックですら食べ方を知らない干し肉を、果たして皇女殿下は召し上がってくださるだろうか。

 ロックがちらりと視線をはせれば、微笑みながら上品にスープをすするエベルの隣で、ユリアは匙も持たずにじっとしていた。スープが注がれた器を見下ろし、どうしていいのかわからぬ様子だった。

 口に合うかどうか不安なのかもしれない。そう思ったロックはユリアに声をかけた。

「おいしいよ、食べてみて」

「え……ええ……」

 ユリアはうなづいたが、灰色の目が泳いでいる。

 おそるおそる匙を手に取り、スープをほんの少しだけすくった。そして震える手で小さな口元へ運ぶ――そこまでして食べなくてもと、勧めた身であるロックも申し訳なくなってきたところで、ユリアの表情がぱっと輝いた。

 ためらわず、こくんと飲み干すその様子に、ロックは笑って尋ねる。

「お口に合った?」

「ええ、とっても。素朴に見えて、たいへん味わい深いスープです。たったこれだけの具材で、これほど滋味に富んだスープが作れるだなんて……感嘆せざるを得ません」

 うれしそうに、とうとうとユリアは語った。

 本人に悪気はないのだろうが、やはり口に合うかどうかが心配だったらしいのが言葉の端々からうかがえる。それが杞憂で済んでよかったとロックは心から思った。

「あなたのお父上はお料理が上手なのですね、ロック」

「うん、自慢の父だよ」

 ユリアの賞賛にロックは父を見やり、

「――褒められたよ、父さん」

 と告げると、フィービはユリアに向かって笑んだ。

「それはどうも。お替わりもあるから、好きなだけ食べてくといい」

「ええ、ありがとうございます」

 ユリアが小さく頭を下げる。


 この少女が皇女殿下だと聞いたら、父はどんな反応をするだろう。ロックはそんなことを考えてみたが、事実を知って驚く父の姿はあまり想像できなかった。なんとなくだが、すでに事実を見抜いているような気さえする。

 知った上で、あえて『娘の友人を歓迎する父親』を演じているのかもしれない。

 現に、壁際に立つフィービは時折、目を鋭くすがめていた。外の気配に耳を澄ませているようだ。ロックの耳には何も聞こえなかったし、耳のいいエベルも特に反応はしていないから、警戒しているだけのようだが――。


「うちのヨハンナも、こういう具材でスープは作らないな」

 エベルがそう言ったので、ロックは彼に目を向けた。

 パンのちぎり方も上品な彼は、何か思い出したのかおかしそうに続ける。

「先日少しの暇をやったら、やはり劇場に足を運んだらしい。そこで見たお芝居に出てきた料理だと、数日間同じものを作り続けてくれたよ。おいしかったが、ルドヴィクスもイニエルも最後には文句を言っていた。カートは毎日絶賛していたがな」

 どうやらマティウス邸の使用人たちは相変わらずのようだ。ヨハンナに至っては彼女らしさにさらなる磨きがかかっているようで、ロックは微笑ましく思う。

 ついでに気になる名前が出たので、尋ねてみた。

「カートは、その後どうしていますか?」

 故郷の村での騒動からだいぶ経つ。あの場所での出来事は片づいたとはいえ、大変な思いをしたことには変わりない。ロックたちよりも幼い少年が傷ついてはいないかと心配だったが、エベルは笑って答えた。

「おかげさまで元気よく働いてくれている。ヨハンナにも一層懐いているし、カートが頑張っているからこそヨハンナに久方ぶりの暇もやれた。彼の存在は我が家にいい影響をもたらしているよ」

「そうでしたか」

 ロックも思わず胸をなでおろす。

 そして伝え聞いたマティウス邸の平穏さに、無性に懐かしさを覚えた。仕事が落ち着いたら、また彼の家を訪ねてみたいと思う。ヨハンナの賑々しいおしゃべりを聞きながらお茶を飲むのもいいものだ――父は恐らく違う意見を持つだろうが、ロックは構わず連れていくつもりだった。

 と、そこまで考えたところで、ユリアが黙々とスープを飲み続けているのに気づく。パンにも手をつけず、伏し目がちにしながら匙を機械的に動かしている。

 彼女の知らない話ばかりをしていては、会話に入れなくて寂しいに違いない。あわてて彼女に水を向けた。

「ユリア、せっかくだからパンも食べてよ。ジャスティアの店のパンはおいしいよ」

 すると彼女は一度手を止め、かすかに笑った。

「ええ」

 そして勧められたパンを小さく、ごく小さくちぎってから口に運ぶ。その仕種は小動物のように愛らしかったが、やはり伏し目がちにして黙々と食べる。

「おいしい?」

 ロックが再び尋ねれば、ユリアは手を止めうなづいた。

「ええ。ジャガイモを載せたパンは初めて食べましたけど、こんなにおいしいものなのですね。スープにもよく合い、とてもよいと思います」

「そう、よかった」

 肯定的な返答はロックを一瞬安堵させたが、ユリアはと言えばそれ以上会話を続けるつもりはないようだ。また黙って食事を再開する。それが当然の振る舞いだと言わんばかりに。


 ふと、ロックはアレクタス夫妻の元にいた数日間のことを思い出した。

 誘拐されていた間は恐怖や不安や焦りが強く、お世辞にも快い記憶とは言いがたい。だが初めて会った伯父、伯母との生活、そして貴族の娘としてふるまうことを余儀なくされた日々は新鮮でもあった。

 そんな中、ロックは何度か伯母と食事を共にしていたが、思えば食事中に彼女が話しかけてくることはあまりなかった。せいぜいお茶や砂糖漬けのお替わりはいるかと聞いてくれる程度だ。伯父は愛想よくずいぶんと話しかけてくれたが、伯母の方は食事中に限り静かなものだった。

 もしかすると、上級階級の礼儀作法では『淑女は食事中おとなしくあるべき』などと理不尽に定められているのかもしれない。

 目の前のユリアも、あまり話したい素振りではないように見えるからだ。


「食事中って、あまりおしゃべりしないの?」

 唐突なロックの問いに、ユリアは一瞬ぽかんとした。

 だがすぐに澄ました顔になり、ゆっくりとうなづく。

「ええ」

「そうなんだ。うちはおしゃべりしながら食事をするのが普通なんだけど、うるさかったら言ってよ」

「うるさいなんてことは……」

 ユリアはちらりと、隣に座るエベルを見た。エベルが視線を返すことはなく、彼は静かにスープをすする。

 それでユリアは困ったように語を継いだ。

「いつもは給仕だけで、わたくしひとりで食事をすることが多いので……。たまに兄上と一緒の時もありますけど」

 兄上。

 もちろんそれは皇子殿下、ということになるだろう。皇帝陛下にはユリアの上に四人の皇子がいるという話だ――それは知っていたが、こうして彼女の口から存在をにおわされたのは初めてで、ロックもさすがにうろたえた。

 それでも平静を装い、さりげなく聞き返した。

「ユリアの……お兄様って、えっと、どんな人?」

 平静を装った割に、直截的な問いになった。

 さすがにその話題がまずいと思ったのだろう、上品に食事をしていたエベルの肩がびくりと緊張し、フィービが顔をそむけたのも目の端に見えた。

 だが当のユリアは困りもせず、動揺もせず、ただ眉間にかわいらしく皴を刻んだ。

「どんな……難しい話です。わたくしには四人の兄がいるのです」

 気のせいか、彼女はどんどん隠す気をなくしているように思える。

「へ、へえ。たくさんだね」

「ええ、でもよく話をするのはすぐ上の兄だけです。他の兄たちとは――その、役割が違っていて。みんな、将来のためにいろいろな教育を受けているものですから」

「そうなんだ……」

 相づちを打つロックをよそに、エベルの食事の手が完全に止まった。フィービはこちらをまったく見ない。

 ロックとて、この危なっかしい話題をどこまで広げていいものかわからない。根掘り葉掘り聞くのは失礼だろうし、それ以前に知ってはいけない情報が含まれているのかもしれないのだ。そもそもこの皇女殿下自身が、近年まで居城の中に囲われていた機密情報の塊でもある。

 しかしロックの恐れ、およびエベルやフィービの危惧をよそに、ユリアは微笑んでみせた。

「すぐ上の兄は、変わり者なんです。真面目で、融通が全く利かないほど真面目で、いつも怖いくらいに落ち着き払っていて……わたくしとはあまり気が合いません。だからというわけではないのですが、わたくしにはおしゃべりをする相手がほとんどいないのです」

 そう言って、ロックを真っすぐに見つめてくる。

「ですから、お話ししてもらえてうれしいですよ、ロック」

 灰色の瞳がランタンの光を受けて揺れている。

 その眼差しにはロックが面食らうほどの親しみと信頼が込められていて、ロックはびくびくしていた自身を恥じたくなった。

「僕の方こそ……」

 もごもごと言いかけて、それではあまりに格好悪いと言い直す。

「僕も、おしゃべりの相手がいるとうれしいよ。よかったら今夜は話しながら食べない? お行儀悪いかもしれないけど」

 ユリアはまたちらりとエベルを見た。

「お行儀悪くしても、ここなら誰にも咎められないでしょうし――」

 それからロックに向き直り、答える。

「いいですよ、お話ししましょう」

「うん!」

 ロックもうなづき返し、それからエベルに告げた。

「もちろん、エベルもですよ!」

「私も!?」

 あからさまに狼狽したエベルだったが、ロックの期待の眼差し、そしてユリアのどこか責めるような目を受けて逃げる気は起こらなかったようだ。やがてため息交じりで言った。

「なら、夕食時にふさわしい楽しい話題にしよう。なるべく肝の冷えぬ話でな」

「次はわたくしの父上の話をしましょうか?」

 すかさずユリアが切り返し、その瞬間のエベルの顔を見てユリアも、ロックも思わず吹き出した。

 食卓に着かないフィービですら、こっそり笑いをかみ殺していた。

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